the 1st day[4/6]

「ヒナ、指名が入ってる」

車に戻った途端、アスカにそういわれて俺は思わず溜息を漏らした。身体の奥にはまだ異物感が残ってる。

「今から?」

「まだ少し時間はあるよ。適当に走るから、事務所には戻らずに時間を潰そうか」

「どっちでもいい。任せる」

エンジン音が静かに鳴る。方向から考えると、どうやら事務所に戻る気はなさそうだった。
しばらく車を走らせて、コンビニの駐車場に着いた。アスカは一人で店に入り、しばらくすると小さなレジ袋を提げて戻ってきた。

「はい、これ」

俺にミネラルウォーターのペットボトルを手渡して、魅惑的な眼差しで囁く。

「口、開けて」

思わず見惚れた俺は、警戒心を抱くより先に魔法にかけられたように口を開けてしまう。舌の上に、コロンと硬いものが放り込まれた。甘い味が口いっぱいに広がっていく。

「蜂蜜の喉飴」

アスカが悪戯っ子のように微笑んだ。そこで初めて俺は自分の声が少し掠れていることに気づく。
声が嗄れるほど喘いだんだ。

「……最低だって、思うだろ」

「何が?」

「男に身体、売ってるなんて」

「思わないよ」

駐車場から出ると、車は滑らかに幹線道路を走り出した。アスカはハンドルを切りながら俺に話しかけてくる。

「別に悪いことだとは思わない。ヒナに救われてる人も、きっといると思う」

こんな行為で救われる? そんなこと、考えたこともなかったからちょっとびっくりした。

「それに、ヒナには事情があるんだよね」

ルームミラー越しにアスカと目が合う。全てを見透かすかのような、きれいな眼差しだ。

「事情って……大したことじゃない。親がヤバイ筋に借金して夜逃げしたから、俺が代わりに働いて返してる。それだけだ」

「……そうだったんだ」

もうわかってるんだ。俺は一生ここから抜け出せない。堕ちるところまで堕ちて、この先這い上がることなんてない。このまま身体がボロボロになるまで使われて、その先どうなるかなんて考えたくもない。
まるで籠の鳥だ。『CAGE』なんて悪趣味な店の名前、誰が考えたんだろう。

「でも俺、この仕事に結構向いてると思う。わりと指名は取れてるし、店での成績も毎月二番か三番なんだ。気持ちいいことをしてお金が稼げるんだから、言うことないよな」

笑ってそう言ってみたけど、言葉は返ってこなかった。窓の向こうで景色はどんどん流れていく。でも俺は、この籠から出られない。
アスカが重苦しい沈黙を破った。

「次の指名、ホテルのジュニアスウィートで二時間だって」

「神崎さん?」

つい弾んでしまった声に、俺はちょっと慌てる。

「いいお客さんなんだね」

そう言うアスカは、なぜか少し淋しそうだった。





「ヒナ、久しぶり」

扉を開けた途端、穏やかな笑顔が俺を迎えてくれる。

「神崎さん。お帰りなさい」

二週間振りに会う人を、俺は喰い入るように見つめる。彫りが深くて整った顔立ち。上等のスーツに包まれた端正な身体。足早に近づけば、優しい眼差しが一層甘く煌めく。
客として俺と会ってくれてるだけ。そう思い込もうとしても、やっぱり心臓が高鳴る。

「出張、どうだった?」

「日本に帰ってきて、ホッとしてる。ヒナに真っ先に会いたかったんだ」

「ありがとう」

リップサービスだとわかってはいても、その言葉が嬉しくてつい頬が緩んでしまう。
お金のやり取りを簡単に済ませて、久しぶりに会う神崎さんの顔をじっと見つめていると優しく抱き寄せられた。

「本当に、会いたかったよ」

「うん、俺も……」

唇が重なる。舌を挿し込まれて絡み取られて、くすぐるようにゆっくりと口の中を掻き回されると、それだけでもう下半身が疼いてしまう。

「ヒナ、シャワーを浴びようか」

唇を離して耳元で囁かれる優しい声に、こくりと頷いた。

神崎さんは俺の一番の上客だ。
年は三十六歳らしいけど、もっと若く見える。大人の色気が漂ってて、いろんな仕草がいちいち洗練されててきれいだ。何気ない立ち振る舞いを見てるだけで、もうドキドキしてしまう。詳しいプライベートは向こうも言わないしこっちからも聞かないけど、仕事は忙しそうで、どうやらすごく羽振りのいい生活をしてる。それなのに気取ったところがないし、優しくて紳士的。つまり、すごくいいお客さんだ。
俺と会うときはいつも同じホテルのジュニアスイートで、百二十分のコース。いっぱいプレイした後で、ゆったりとした優しい時間を一緒に過ごしてくれる。
神崎さんの顔が好きだ。あんなに端正な顔立ちをしてるのは、きっと神様の手が入ってるからだと思う。
俺はもう一人、同じ作りの顔をした奴を知ってる。もう会えないあいつとすごくよく似てるこの人と出会えたことは、不毛な毎日を送る俺に神様が与えてくれた奇跡に違いない。
だから、こうして神崎さんと会うときは本当に嬉しくて、切ない。







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