the 4th day[13/14]

「ヒナ」

向かい合わせに立つと、頬に神崎さんの手が触れた。ビクリと身じろいでしまう。まともに目を合わせられなくて、俺は視線を落とした。

「あの、俺……」

「いいよ、ヒナ」

優しく宥めるような声に顔を上げる。淋しげな微笑みを浮かべた神崎さんの顔が目に入った。

「残念だけど、ヒナが決めたことだから仕方ない」

わかってたんだ。
戸惑いながら見つめてると、神崎さんは俺の頭を優しく撫でてくれる。

「そんな顔をされたら、嫌でもわかるよ。ヒナ」

「ごめんなさい……」

こんなにいい人を傷つけてしまった。胸が痛くて涙が出そうになる。
神崎さんは、俺とすごく真摯に向き合ってくれてる。だからこそ、ごまかさずにちゃんと本当のことを伝えないと駄目だ。
勇気を振り絞って、正直な気持ちを口にしていく。

「俺、神崎さんのところに行こうと思ってた。でも、ずっと好きだった人がいなくなった俺のことを捜してくれて、やっと会うことができたんだ。そしたら、もう離れることなんて考えられなくて、どんなことがあってもその人と一緒にいたいと思った。だから、神崎さんのところへは行けない。本当にごめんなさい」

神崎さんに身を委ねれば、きっとお金のことは何とかなるんだろう。馬鹿で勝手だと我ながら思う。でも俺はやっぱり雄理と一緒にいたいし、もう離れたくなかった。
神崎さんは俺のことをじっと見つめて、優しく笑いかけてくれた。

「ヒナ、いつでもいい。その人とうまくいかなくなったら、今度こそ俺のところにおいで。待ってるから」

思いがけない言葉に、心底びっくりする。

「そんな……」

そんな都合のいいこと、できるわけがない。

「ヒナが勇気を出せるおまじないだよ」

星が瞬く空の下で、神崎さんは俺の瞳をそっと覗き込む。
ああ、その優しい表情がすごく好きだったなと思った。

「ヒナはすごく魅力的で素敵な子だ。でも、少し臆病なところがある。俺が控えで待ってると思えば、きっとヒナはもっと自信を持てるし、その人に素直な自分を出せるんじゃないかな。だけど、そういうことは抜きにして、本当に困ったときには俺を頼ってくれればいい。お金のことでもね。ヒナは遠慮するかもしれないけど」

そう言って、神崎さんはすごくきれいに微笑んだ。

「でもそれは建前。本当は、かわいいヒナともう会えなくなるのが惜しいだけなんだ」

この人は、本当に優しくて素敵な人だ。
神崎さんと初めて会ったときのこと。一緒に過ごした夢みたいな時間。ひとつひとつの思い出が鮮明に蘇ってくる。涙が溢れて止まらない。

「俺、いつも神崎さんと会うのが、本当に楽しみだった。神崎さんのお陰で、あの店で、俺……」

泣いて言葉に詰まる俺を見て、神崎さんが苦笑する。

「駄目だよ、ヒナ。そんな風に泣かれると、帰したくなくなる」

慌てて涙を拭う俺の頭を、またそっと撫でてくれる。

「いいかい、ヒナ。幸せになるんだ。ヒナを無理矢理連れ去ってしまえばよかったと、俺が後悔しなくていいように」

頷くとまた涙がこぼれた。大丈夫。これでもう、お別れだ。

「神崎さん、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう。ヒナと過ごした時間は、本当に楽しかった」

神崎さんはちょっとだけためらう素振りを見せてから、俺の額にそっと唇を押しあてた。





山道を降りて、来たときに待ち合わせた駅のロータリーまで送ってもらった。車から降りるときは、やっぱり胸がいっぱいで泣きそうになったけど、精一杯無理をして笑顔で別れることができた。
近くのコインパーキングまで歩くと、ひときわ目立つ平べったい外車が見えた。
運転席のアスカは遠くを見ていて、ぼんやりと考えごとをしてるようだった。俺が近づいても全然気づく様子がない。運転席の窓を叩くと、やっとこっちを向いてドアロックを解除してくれた。

「ごめん、待たせた。ありがとう」

俺を見てアスカが笑う。きれいで淋しそうな微笑みだ。

「いいよ、待つのも料金に含まれてるから」

何の料金か、この時はピンと来なかったんだ。
アスカの四日間がたったの五万円だということを俺が知るのは、もう少しあとの話。






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