なあ、知ってた? この国では、憲法第13条によって幸福追求権が保証されているらしい。 俺は大学生になるまで知らなかったけど、知った今でもそれは嘘だと思ってる。 だって、幸せを求める権利がある奴なんて、もうそれだけでじゅうぶん幸せじゃないか。
50、51、52、53、54、55……。 他のことは何も考えずに、頭の中でひたすら数を数えていく。 63、フィニッシュ。頭上から聞こえるのは、ハアハアと乱れた荒い呼吸と嬉しそうな声。
「ヒナ、すごく気持ちよかったよ」
口の中にぶちまけられた青臭い白濁を唾液と一緒にティッシュの中へと吐き出してから、俺はにっこりと笑う。
「ほんと? よかった」
そう言った途端、顔が近づいてきてキスをされる。性急に舌を挿し込まれて、口内を蹂躙する激しさに吐息が漏れた。 まだ口の中に残ってるのに、気持ち悪くないのかな。 うんざりとそんなことを思いながら舌を絡めてやれば、興奮して身体を弄ってくる。タイミングよく、セットしていたタイマーの電子音が鳴り響いた。五分前の合図だ。 「ごめん、佐原さん。もう片付けなくちゃ」 唇を離して、軽く身体を押しのける。延長する気はなさそうだ。 残念そうな顔をする男を背に、俺は仕事用の小さなボストンバッグから携帯電話を取り出した。リダイヤルを押すと、すぐに聞き慣れた声が事務的に応答する。
「マネージャー、終わります」
端的に終了報告をして電話を切り、手持ち無沙汰にしてる男を振り返る。この人、すごくラクな客だった。雑談混じりのノーマルなプレイ。最後にフェラをしてスッキリさせてあげて、ハイおしまい。
「ねえ。また指名してくれる?」
できるだけ甘えた声でそう言えば、俺の父親と変わらないような年頃の男は心底嬉しそうな顔をして笑った。
「もちろん。ヒナとまた会いたいよ」
「嬉しいな」
唇が触れるだけのキスをして、一人でバスルームに入った。シャワーを浴びながら入念にうがいをする。何度も、何度も。 どれだけ洗い流しても、汚れた身体はきれいにならない。 バスルームから出て手早く服を着た俺は、最後の営業スマイルを作る。
「佐原さん、またね」
外に出た途端、陽射しの眩しさに目を細める。 それはそうだ。まだ午後一時。ラブホテルの薄暗い室内にこもっていた俺には、外の世界は明る過ぎる。 あのオッサン、営業の合間にゲイ専門デリヘルを頼むなんて、いい身分だな。 そんなことを思いながら、路肩にとまっている深い紺色の車に向かって歩いて行く。古い型のブルーバードだ。 後部ドアを開けると、ふわりと甘い匂いが漂ってきた。どうやら車の芳香剤を変えたらしい。前の人工的な甘ったるいものとは違う、いい香りだ。 リアシートに腰掛けると、無意識に溜息がこぼれた。運転席から声を掛けられる。
「ヒナ、お疲れさま」
まだ一日は始まったばかりだ。ここで疲れてなんかいられない。 今日勤務に就いたばかりの新しいドライバーが、ゆっくりとこっちを振り返る。魅惑の眼差しに、不覚にもドキリと胸が高鳴った。
「事務所に戻るけど、寄るところはある?」
甘くて艶っぽい声。セックスのときはどんな声を出すんだろう。何でも性行為に結びつけて考えてしまうのは、この仕事を始めてから身に付いたつまらない癖だ。
首を横に振ると、ドライバーは美しい微笑みを浮かべながら前を向いてエンジンを掛けた。ルームミラー越しにその吸引力のある瞳を見つめながら、俺は心の中で問い掛ける。 なあ、お前はこっち側の人間じゃないのか?
「よかったら飲んで。喉、渇いてるでしょ」
ペットボトルに入ったミネラルウォーターを手渡される。プラスチックの感触はひんやりと冷たくて、俺が戻る時間に合わせて買ってくれたに違いなかった。 これだけきれいな顔をしている上に気が利くときたら、こっちの仕事をすればすぐに常連客がつくのにな。そんなことを思いながら、俺は新人ドライバーにぎこちなく礼を言う。
「ありがとう、アスカ」
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