the 2nd day[1/5]

朝起きるとアスカの姿は消えていて、円形の座卓に温かなハムエッグやスープがクロワッサンと一緒に並んでいた。
やっぱりアスカはおかしな奴だ。
今日は午後からの出勤だった。昼までダラダラと時間を潰してから、歩いて出勤する。
事務室に入ると、顔はよく見るけど話したことのないボーイが二人残ってた。ユイも出勤してるはずだけど、もう現場に出てるらしい。
俺はこの店に来て半年になるけど、何人のボーイがここで働いてるのかを未だに知らない。単発でたまに来てる奴もいれば、俺やユイみたいに寮に住み込んで働いてる奴もいる。自分の家から通ってる奴もいる。
俺はユイの他に友達なんて必要ないと思ってる。だから、基本的に他の奴とは話をしない。
俺が知るここの情報の大半は、ユイから聞いたものだ。ユイはいろんなことを俺に教えてくれるけど、他人の悪口や仕事に対する不満を絶対に言わない。
この店の悪いところを毎日聞かされてたら、俺は多分割り切ることもできずにもっと卑屈になって絶望してたはずだった。ユイがそんな性格だからこそ、俺はここで何とかやってこられたんだと思う。
一人で椅子に腰掛けて時間を持て余してると、聞きたくもない二人の会話が耳に入ってきた。
内容は、金かセックスか誰かの噂話。どれも俺には興味がない。
やがて、話題は店での指名のことに移る。
大抵のボーイは指名の数をすごく気にするし、指名を取るのに必死だ。毎月の指名本数によって、翌月のバックの割合が決まるから。バックっていうのは、金の取り分のこと。

「ユイがナンバーワンなのは当然だろ。澤井さんと寝てるんだから」

不意に耳に飛び込んできた言葉に、俺はつい反応してしまう。

「澤井さんが手を回してユイの指名を水増ししてるんだよ。じゃなきゃ毎月こんなに取れるわけない」

「俺も澤井さんと枕営業しよっかなあ」

ヘラヘラと笑いながらの言い草が、無性に苛立った。

「ひがむなよ、みっともない」

こんな奴らとは関わらないつもりだったのに、自制心が働くより先に、口が動いてしまってた。

「ユイはお前らみたいに他人の文句なんて言わないし、ちゃんと仕事してる。お前ら、そうやって不満ばっかり言ってるから客に飽きられるんだろ」

ガタン、と一人が蹴飛ばすように椅子から立ち上がって、足早に歩み寄ってきた。

「おい、もういっぺん言ってみろ」

ああ。俺、ここでは喧嘩はしないって決めてたのにな。
仕方なく立ち上がって至近距離で向き合うと、なぜか鼻先で笑われた。

「お前、気に入らねえな。やってることは俺らと一緒なのに、上から目線で話し掛けんじゃねえよ」

ケンカ腰の口調にイラつく一方で、こいつの目付きは何かヤバイなと気づく。目がちょっと飛んでるし、呂律も妙におぼつかない。何かヤバイ薬でもしてるのかもしれない。
時々いるんだ。客経由でドラッグに手を出す奴。初めの方は客がタダでくれるんだけど、依存症になると買わされるようになって、いつの間にかこっちが上客になっちゃうケース。
だからと言って、今更下手に出る気にはなれない。

「なんだよ、その目」

急に胸ぐらを掴まれる。勢いよく背中を壁に押しつけられて、息もつけないぐらいの衝撃が走った。

「その顔、メチャクチャにしてやろうか」

「やってみろよ」

売り言葉に買い言葉。悪い展開だ。
ぎり、と奥歯を噛み締めた瞬間、扉が開く音がした。

「ヒナ、仕事が入ったよ」

この異様な雰囲気を物ともせず近づいてくるのは、魅惑の微笑みを浮かべる俺の専属ドライバーだ。

「ごめんね。時間がないんだ」

スッと俺たちの間に入ってきて、アスカは俺の手首を取った。張り詰めた緊張感が曖昧に溶け出していく。
そのまま、俺はアスカに部屋の外まで連れ出されてしまった。






「アスカ」

指定されたホテルに向かう道すがら、夜色のブルーバードの中で俺は後部座席から呼び掛ける。

「どうしたの?」

相変わらず巧みなハンドル捌き。顔もきれいだけど、手もきれいだ。細くて長くて、手先の器用そうな指をしてる。

「その……さっきは、ありがとう」

「僕、何もしてないよ」

小声で礼を言うと、右折の信号待ちをしながらそう口にする。わかってて助けてくれたに違いないのに、やっぱりアスカはおかしな奴だと思う。

「それと、朝メシ。おいしかった」

そう言った途端、振り返ったアスカのその笑顔がすごく嬉しそうで、不覚にも心臓が跳ね上がる。
──うわ、俺マジでどうかしてる。

「本当? じゃあ、今夜も一緒に寝よう」

全然知らない奴が聞けば最高の口説き文句だ。甘い声は完全に色気の無駄遣い。
確かにアスカは変わってる。でも、悪くはなかった。






六十分コースをこなして車に戻れば、開口一番アスカが言う。

「次の仕事が入ってる。この近くだから、すぐ向かうね」

リアシートでアスカが用意してくれたペットボトルの水を口にしながら、俺は窓の外を眺める。
この車から見る窓越しの景色が俺は好きじゃない。自分と世界が明確に隔てられていることを嫌でも自覚させられるから。

「ユイがもう先に入ってる」

「……え?」

「次のお客さん。最初はユイとプレイしてたんだけど、もう一人呼ぶことになったみたいだ」

言葉の意味を理解したときには、車は白昼のラブホテル街にゆっくりと進入するところだった。
よりによって、ユイとかよ。
俺は唇を噛み締めながら、車を降りる。ドアを閉めると車窓越しに見えるアスカの瞳が、なぜか悲しそうに揺れていた。








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