the 1st day[6/6]

神崎さんからの指名が、今日最後の仕事だった。
事務所を出た俺は、徒歩五分の場所に店が従業員寮として借り上げてるワンルームマンションに帰る。
帰ってすぐにシャワーを浴びて髪を乾かしてると、インターホンが鳴った。
こんな時間に、ユイかな。
ドアスコープを覗くと、魚眼レンズにきれいな顔が映ってる。アスカだった。ドアを開けると、「お疲れさま」と言いながら、勝手に上がり込んでくる。

「おい、何だよ」

すっかり寝る準備を整えたアスカが、俺をじっと見つめる。そうか、こいつも今日からこの寮に住むんだ。
アスカは魅惑的な微笑みを浮かべながら、うっとりするような眼差しを俺に向けた。

「ヒナ、一緒に寝よう」

思い掛けないその言葉に、俺はたじろぐ。

「バカ言うな。自分の部屋で寝ろよ」

「僕、一人じゃ寝られないんだ」

適当なことを言いながら上がり込んで、部屋の奥のベッドに腰掛けてしまう。

「ほら、早く」

頭がクラクラするぐらい艶めいた微笑みで、アスカは俺を誘った。

「どういうつもりだよ」

心臓がバクバクと音を立てる。こいつ、なんで無駄に色気を出すんだ。
部屋から追い出そうとベッドへと歩み寄ってアスカの前で立ち止まった瞬間、手首を取られた。

「うわっ」

そのまま引っ張られて、アスカの上に覆い被さるように倒れこむ。

「一緒に寝てくれるんだったら」

耳元で囁かれた甘い響きの声に、背筋が震える。

「気持ちいいこと、してあげる」





殺人的にエロい言い方だったにもかかわらず。アスカの「気持ちいいこと」は、全然エロくない普通のマッサージだった。
ベッドにうつ伏せで寝る俺に跨がって、アスカは慣れた手つきで身体を解していく。その手技は丁寧で、ついうとうとしてしまう。

「……お前、こういう仕事をしてたのか?」

「違うよ」

絶妙な力加減が気持ちよくて、呼吸がだんだん深くなっていく。それで初めて、自分が普段は浅い呼吸しかしてないことに気づいた。

「でも、仕事で整体師をしてる人のところにいたことはある。そのときに、少し教えてもらったんだ」

整体の仕事。納得すると、アスカが付け足すように言った。

「そこにいたの、四日間なんだけどね」

「おい、短過ぎだろ」

性行為は、普段使わない筋肉を使う。俺は店で働くようになってからしばらくの間、毎日筋肉痛になってた。相手によって使う筋肉が少しずつ違うし、無理な体勢を強いられることもあるからだ。
男相手のこんな仕事が嫌悪と絶望で死にたいぐらい辛かったのは、最初の三日間だけだった。一週間程経って身体が慣れた頃にはそういう感覚が麻痺して、快楽で誤魔化すことを覚えてしまってた。

「ヒナ、誰か好きな人はいないの?」

不意にそんなことを言われて、俺は後ろを振り返る。

「いたらこんな仕事できないだろ」

「そうかな」

アスカのくれる心地良さに、次第に微睡んでいく。




『あの……生き別れた弟とか、いませんか?』

初めて会った時、俺が思わず口にしてしまった言葉に神崎さんはまず驚いたような顔をして、それから少し申し訳なさそうに笑った。

『残念ながら、いないな』

不躾なことを聞いてしまったことに気づいて、何て言い訳をしようかと焦る俺に、優しく笑いかけてくれる。

『そんなに似てる? 君の好きな人に』

初めて会う人からあっさりと指摘されてしまったことに、俺は激しく動揺してた。

『違うんです。ごめんなさい』

ばつが悪くて謝る俺の手を、神崎さんが引き寄せる。
ああ、近くで見るとやっぱりよく似てる。きっと十数年経てば、あいつもこんな感じになるだろう。

『気にしなくていい。その方がきっと、いい時間を過ごせるからね』

目を開けたままゆっくりと交わしたキスは、嘘みたいに甘かった。
神崎さんは夢を見せてくれる。俺が諦めた、どうしようもないぐらいに幸福な夢だ。

「おやすみ、ヒナ……」

耳元で響く優しい声に安らぎを覚える。花のような甘い匂いに包まれて、俺は眠りに落ちていった。









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