ああ、帰ってきた。
大勢の人に紛れていても、僕にはすぐに見つけられる。
リアルタイムで流れるディスプレイに映し出されるのは、少し疲労が滲んでいるけれど変わらない笑顔だ。
7月の明るい陽射しを受けて、眩しげに目を細めている。無理もなかった。だって、彼にとっては3ヶ月振りに迎える昼の世界なのだから。
それでも、船のタラップを降りてくる足取りはしっかりしていた。
『カササギ』と名の付いたこの機体は地球と月を片道3日間掛けて行き交う最新のチャーター船で、連邦政府の関係者のみを乗せる特別な便だった。
「佳月」
愛しい人の名前を、そっと呟いてみる。
ここへ帰ってくるのは、夜になるはずだ。会えなかった期間に比べれば一瞬なのに、僕はもう待ち遠しくて堪らなかった。
*****
僕の恋人、佳月は連邦政府に勤めている。いわゆる高級官僚だ。
27歳という若さで最先端の生命科学部門に所属するのはエリートの証なのだという。
けれど、付き合っている僕からすれば、優しくて穏やかな普通の人にしか見えない。
だから、こうして度々ニュースに映し出される佳月は、まるで知らない人のようだ。
佳月が遺伝子解析情報の収集や保管を担うバイオバンクの調査官になり、月への派遣命令が出たのが2年と少し前。
それ以来僕たちは、38万4400kmの遠距離恋愛を続けている。
「朝陽」
呼び掛けに振り返れば、見慣れた顔が優しい微笑みを湛えながら僕を見下ろしていた。
手元に没頭していたから、ドキリと心臓が跳ね上がる。
「少し休憩したら? せっかくの休みなのに、そんなに根を詰めて勉強したら疲れてしまうよ」
一瞬、佳月が入ってきたのかと思った。
その手が持つトレイに乗っているのは、やや黄色がかった緑のお茶と小さな砂糖菓子だ。
佳月と同じ顔をした彼は、トレイをテーブルに置き、小難しい学術書と四苦八苦しながら格闘している僕の隣に腰掛けて小さく溜息をつく。
「ありがとう。でも、今から少しずつ勉強しておきたいんだ。佳月と同じ試験に合格したいから」
僕がそう言えば彼 ─── 咲耶はほんの少し眉を上げて、それから僕の頭を撫でてくれた。
「そうだね。でも、無理をしてはいけないよ」
少しだけ冷たいその掌からは、それでもきちんとぬくもりを感じられる。
佳月が月への出向で留守にする間、この広い家を任されたのは、僕とここへ来たばかりの咲耶だった。
初めて咲耶と会った時の衝撃は、今でも忘れられない。
咲耶は、佳月が賞与2回分をはたいて発注した佳月そっくりのアンドロイドだった。
顔も声も身長も同じだし、性格や仕草までよく似ている。
佳月がどういうつもりで咲耶を調達したのか ─── きっと、僕が淋しくないようになんだろうけど、それでも常々不思議に思ってる。
だって、そんなのは逆効果なのに。
僕は咲耶と一緒にいれば、近くて遠い佳月の存在を却って強く感じてしまうんだ。
カップにそっと口を付ければ、ジャスミンのかぐわしい香りが口の中に広がっていく。
「うん、おいしい」
そう言って笑えば、咲耶は嬉しそうな表情を見せる。本当に、人間みたいだと思う。
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