すっきりとして、甘い | ナノ


▽ 第1話


それは私がまだ10歳の頃の話だ。



その日、何故だかはわからないが、いつもは優しい母と父が激しいケンカをしていた。
両親が互いに全力で暴力をふるいあっているのを初めて見てとにかく怖かった私は、早く終わるようにと祈りながらずっと物置に隠れていたのだが、ふと私がいないことに気付いた父は、「美鈴はどこ行ったんだ」と呟いて急に私のことを探し始めた。
鬼のように低く野太く怖い声で父が自分の名を呼ぶのを聞いて、それで反射的に自分も暴力を振られるのだと気が付いて、離れた場所で喧嘩を行っていたはずの父のどんどん近づいてくる声に、恐怖を抑えきれなくて。




そして自分にも被害が及ぶと脳が答えをはじき出した瞬間、既に恐怖で頭が一杯になっていた私は、母や父に気付かれないようにそっと襖を開けると、目尻に大粒の涙を浮かべながらも恐ろしいと感じた母と父から逃げ出すためにすぐさま家を飛び出していた。



ただ追い付かれないようにと祈りながらその時出せる最高のスピードで走って、走って、走って、ただ逃げた。
父と母が追ってきていたのかは知らなかったが、追いかけてきていたら、子供の走りなどまだまだ遅いわけで、普通に考えてすぐに捕まっていたはずなので、多分家を出たことに気付かれなかったんだと思う。
当時居た物置は玄関のすぐそばにあったはずだ。




本当に怖かったので何も考えずにとりあえず飛び出してきた私は、もちろん靴も何も履いていなかった。
パジャマ用のラフなワンピースを着ていただけで、肩下まである髪は少しぼさっとしていて、端から見たら捨て子と思われるくらいの姿だったと思う。
不審者がいなくて、通った道にほとんど誰もいなくて本当に良かったと思った。
あんな姿で不審者などに見つかったら、確実に犯罪に巻き込まれるか、誰かに連れて行かれていただろうから。



ともかく、そうして気が済むまで走り続けた私は、電灯の明かりで薄暗く照らされた公園を見つけて、すぐさまそこに駆けこんだ。
10歳とは言え、まだまだ子供も子供。
体力もそこまでなかった私には、とにかく休憩できる場所が欲しかったのだ。
辺りを見渡すと、そこはいつも母や友達と遊びに来ている公園だと気づいてほっと胸を撫で下ろす。
自分の知っている場所だと分かるとなんとなく安心することができたから。
だが、ほっと息を吐こうとしたそのとき。“その人”はやってきた。



「はあっ…はあっ………おっしゃ、これは脱出成功か?」



丁度私が公園に入ったのとほぼ同時に反対側の入り口から入ってきた男の子。
端正な整った顔立ちに、一目見てお金持ちのお坊ちゃんとわかる服装、荒い息継ぎ。
反対側の公園は大通りに繋がっている、だがどこから来たのか?
そんな疑問が頭を過ぎったが、そんなものはすぐに吹き飛んで行った。
何故なら、彼も何処かから「逃げ出してきた」のだと直感で分かったからだ。
小さな公園だったために、近い場所に居たその少年は、私の存在に気付くと先程まで楽しそうに釣り上がっていた口をへの字に曲げ、訝しそうな目でこちらを睨む。



「お前……誰だ?」
「えと、私?私は――――」
「居たぞ!お坊ちゃんだ!」



名を聞かれたのでとりあえず名乗ろうとしたら、野太い声が私の台詞を遮る。
その声を聞いてチッと舌打ちをした彼は、「もう追い付いてきたってのかよ……!」とだけ言うと最後に私のほうを睨み付けてからさっさと立ち去ってしまう。
すると程なくして先程少年が入ってきた入り口から黒いスーツを着た野太い男の人が何人も入ってきてここを捜索し始める。
「絶対にここらへんにいるはずだ、探せ!」という命令の元で行動し始めた彼らは、そこまできて漸く私の存在に気付いた。



「お嬢ちゃん。どうしたんだ、こんなところで。迷子か?」
「あ、え、私は、その………」
「なんだ、迷子じゃないのか?こんな時間に子供が一人でうろついていたら危ねえぞ?」



灰色の髪の毛のおじさんはそういうと、私の頭をくしゃくしゃと撫でまわす。
さきほどまで父と母の地獄に巻き込まれていた私は、それでやっと落ち着くことができた。



「ところで、お坊ちゃん見てねえか?お前と同じくらいだと思うんだが……」
「あ、あの、……その子、多分あっちいった……」
「おい、お坊ちゃんのGPSがこんなとこに落ちてるぞ!」



私が指をさそうとしたときに丁度おじさんの仲間の人の声が上がる。
その声であわあわと騒ぎだした彼らに苛立ったのだろうか、私と話していたおじさんはきっぱりと「うるさい!一遍黙っときやがれ!」と言い放った。
場に静寂が戻り、おじさんはもう一度こちらに向き、私と視線を整えようとしゃがむ。



「ごめんな嬢ちゃん、驚かせちまって。さっき言ったこともう一度教えてくれるか?」
「……あっち………」



今度こそちゃんと少年が走って行った方向を指さすと、「ん、ありがとな嬢ちゃん」と微笑んだおじさんは私の髪をもう一度撫でる。



「お嬢ちゃん、家まで自分で帰れんのか?送っていくぜ?」



心配してくれたおじさんに大丈夫だとふるふると首を振ると、「そうか……じゃあ、危ない奴に見つからねえように早めに帰れよ」と言ってしゃがむのをやめて立ち上がる。
そして、「お坊ちゃんはあっちに行ったそうだ。探すぞ!」と仲間の人たちに叫び、さっさと公園を出ていった。




嵐のように過ぎ去っていった彼らを呆然と見つめていると、不意に私は自分が母と父から逃げ出してきたことを思い出す。
公園に設置されている時計はまだ家を出てから1時間も経っていないことを教えてくれたが、おじさんが言ってくれたことを守りたかった私は、結局家に戻ることに決めた。
そこそこ長い道のりを走ってきたことを知り、仕方なく歩いて帰ったけれど、家の前に着いてそっと部屋の方を窺って見ると、母と父の怒鳴り声はまだ続いていることを知る。
このまま入ってしまうとさっき逃げた意味が無くなると気付いた私は、考えた結果、一つの結論を出した。



「玄関で、座って待っていよう……」



その次の朝、私のいないことに気付いた父と母が慌てて家中を捜し、やがて玄関で寒そうに縮こまっている私の姿を見つけて、両親は自分たちのしていたことに深く反省しあい、もうその後は喧嘩を二度としなくなる。
そこで、私の昔話は終わりを告げるはずだったの、だが。


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