序章 それが物語の始まり。
嗚呼、何故、こんなことになってしまったのか。
「、っは……!もう、撒けた……?」
エージェントから逃げるためだとはいえ、やっぱり樹海を突っ切るのはまずかったか。
いや、きっと彼らのことだから、こうでもしないと逃げ切ることなんてできない。
だから、私の判断はきっと正しかったのだ。
でも、もう樹海を抜けることはできたんだ、後はどこかの街に逃げ込んでしまえば、探しだされる可能性もグッと低くなるだろう。
「………さて、ここら辺にある街は………、っ!」
不意に聞こえた2人の足音に気付いて、はっと息をひそめる。
あの足音は―――まさか、あいつらか!
「可笑しいな……確かに、ここらへんにきたはずなんだが………」
「ガゼル、仕方ねえよ。あいつ足すっげえ速いし。もうどっかに行った後かもしんねえぜ?」
「だが、私にはあいつに伝えなければならないことが………!」
だが、私の予想に反して、聞こえてきた声は“仲間だった”ガゼルとバーンの声だった。私のことを必死に追いかけてきたようで、少し息が乱れている。
私に何か伝えたいことがある様子だが……いまいち信用できない。
「くっそ………こんな雨じゃなかったら、まだここらへんに居ても気配が掴めることが出来んのに………!」
空を見上げたバーンが、いらつき交じりに呟く。
どうやら、私を捕まえようとしている訳ではないみたいだ。ならば、少しくらい、彼らの前に現れたって……
そう思ってしまった時には、既に身体が動いていた。
「………ガゼル、バーン」
「―――っ!?葵っ!」
声を出したバーンは私の方を向くために振り返ったけれど、ガゼルは気付いたら視界に入っていない。
あれ?どこに行ったんだろう?そう思ったその瞬間、身体がふわりと包まれるのを感じた。
ぎゅうっ
「う、わ」
上擦った声を出してしまった私のことなんて気づいていないみたいに、ガゼルは私を強く抱きしめて離さない。
諦めて背中に腕を回すと、その力は更に強まった。
「………」
「………」
そのまま数秒間無言で抱きしめてあげると、少し落ち着いたようで、ガゼルは名残惜しそうに寂しげな表情を浮かべながらも、すんなりと身体を引いてくれた。
「ここまで、追いかけてくれてありがとう」
「……どう、いたしまして」
なんとか落ち着いたガゼルを見て表情を緩めたバーンだったが、不意に何かに気付いて顔を歪めた。
「おい、葵!何やってんだ、早く逃げないと……!」
「話、あるんでしょ」
「なっ、」
聞いてやがったのか、なんてうろたえたバーンなんか放っておいて、すうーっとガゼルの方を見据える。
ガゼルの微かに揺れた瞳を捉えた。
「………どうしたの?早く、言ってくれないとあいつらが追い付いてきちゃうよ」
そう急かすと、決心が固まったように顔を上げたガゼルは、しっかりとした瞳でこちらを見た。
「葵………絶対に、無理するなよ」
「……当たり前。そっちも頑張って―――」
「……また、何処かで」
ちゅ、と。
私が言い終わらない内に頬に柔らかい“何か”を押し付けた彼は、微かに赤らめた顔を隠しながら去っていく。
置いて行かれてしまったバーンは「〜〜っあいつ……!葵、じゃあな!絶対に見つかるんじゃねえぞ!」と言うと彼を追いかけて霧に覆われた森に溶け込み消えていく。
「……ありがと、風介」
きっとこれは彼からの最大の愛情表現で。それに気づいた私は勝手に頬に熱が集まるのを感じた。
彼のことは、友達として好きだ。だから恋愛対象として見たことなんてないのだけど、まだなんだか少し混乱しているけど、大丈夫、想いだけはちゃんと伝わってるよ。
「……さ、私も早く行かなくちゃ」
何処か、遠い、遠いところへ。誰にも見つからないくらい、遠くへ。
皆のために。そう思ってしまえば、先程まで限界だと悲鳴を上げていた身体はすっかりいつも通りに戻っていて。
僅かに熱くなった頬を両手でパチンと鳴らすと、私もまた、霧の中に溶け込んでいった。