はつこい2



「おお、うめェ」
「本当か!? たくさん作ったからどんどん食えよっ!」
 居間のちゃぶ台へ所狭しと並べられた料理を一口食べ、驚いたように目を丸くしたゾロは、ものすごい勢いで飯を掻き込み始めた。覚えずとも緩む頬へ力を込め、サンジも遅れて箸を取った。味噌汁を啜れば、きちんとだしが効いている。新鮮な食材を生かした料理の数々は、素材の味を引き立たせるよう、調味料は最低限のものしか使わなかった。もしかすると、若い男にとっては味気ないかもしれない。そんな心配をしていたが、とんだ杞憂だったようだ。
 心底美味そうにサンジの飯を食べるゾロは、首にタオルをかけ、上半身裸という出で立ちだ。男の裸なんて、レストランのコック共で嫌というほど見慣れているはずなのに、ちゃんと服を着ろよ! と、サンジは顔を真っ赤にして慌ててしまった。ゾロのきれいに割れた腹筋を、茶碗越しに恨みがましくねめつけ、自分の腹を服の上からさする。ゾロとの差をまじまじと見せつけられているようで、なんだか気に食わない。
「そうだ。すっかり忘れてたがよ、おめェの親戚んち探さなきゃいけねェんだったな」
「えっ」
 サンジの方こそ、そんなことはすっかり忘れていた。できればこのまま、ゾロと一緒に過ごしていたい。茶碗の上にきちんと揃えて箸を置き、分かりやすく俯いてしまう。ゾロと一緒なら、きっと、一週間なんてあっという間に過ぎてしまうはずだ。一人で過ごしていたときとは違い、ゾロと出会ってからは、名残惜しく感じてしまうほど、時間の進みが早い。どうしたらこの場に留まることができるのか、サンジは必死で頭を巡らせるも、名案は全く浮かんでくれなかった。
 ゾロは、突然元気をなくしてしまったサンジを前に、訝るよう眉を上げている。何か言おうとして口を開いたが、鳴り響いた電話のベルに箸を止めた。廊下へ姿を消したゾロを、サンジはおずおずと見送ることしかできない。ベルの音が止み、会話の内容までは聞き取れなくとも、ぼそぼそとくぐもったゾロの声が、居間まで届いてくる。身を乗り出して廊下を覗き込もうとしたが、すぐに床板が軋む音がして、サンジは慌てて箸を掴むと、飯を掻き込んだ。
「おいチビナス、親戚んちが分かったぞ」
 廊下から顔を出したゾロの言葉に、サンジはひどく落胆した。あの退屈な世界へ戻らなければならないのかと、そう思った途端、飯の味が分からなくなる。ゴムでも噛んでいるような心地で、むりやりそれらを咀嚼した。自分の料理が、こんなに不味く感じたのは、初めてのことだった。そんなサンジの様子を見て、ゾロは小さく息を吐くと、がしがしと乱暴に後頭部を掻いている。いかにも、面倒くさげな態度だった。ちくりと胸の痛みを覚え、口内のものを嚥下するのにも手間取ってしまう。
「もう遅ェし、今日はうちに泊まってけ。お前んとこのじいさん、村中探し回ってたみたいだから、明日ちゃんと礼言っとけよ」
「え、わ、分かった!」
 まだ、ゾロと一緒にいられるのだと思えば、サンジは天にも昇る心地だった。しかし、今日初めて会った親戚のじいさんが、そこまで自分のことを心配してくれていたのだと知り、罪悪感が募る。この村に着いてから、まだろくに話もしていない。それなのに、ただ退屈だとわめいていたことが恥ずかしくなった。


 風呂上がりに、ゾロが切ってくれたスイカを縁側で並んで食べた。たまに食卓や給食で出てくるスイカの、十倍はあろう大きさに、夕飯のあとに食えるだろうかと不安に思ったサンジだったが、食べ始めてみれば、あまりの美味さにぺろりと平らげてしまった。砂糖で作った菓子よりも、それはずっと甘く感じる。不思議だった。あとになってゾロが、サンジの親戚が作っているスイカなのだと、イタズラが成功したガキのような顔で教えてくれた。素直に感心したサンジは、明日きちんと謝って、もっとじいさんと話してみようと思った。勝手に、老人とは話が通じないと思い込み、拒絶していた。
 二人の間に置かれている、ブタの形をした白い陶器からは、長い間煙が立ち昇っている。渦巻き状の蚊取り線香は、三分の二ほど形を崩し、受け皿で灰となっていた。独特な匂いが、サンジの鼻先を掠める。そういえば、親戚の家で嗅いだ匂いも、これとよく似ていた。今は、それが嫌だとは感じていない。
「なあ、ゾロはこんなとこで何やってんだ」
 やはり、この村でゾロ以外の若者は、男女共にいないようだった。どこか働けるような店や会社も見当たらない。純粋に疑問に思ったサンジだったが、ゾロは明日早起きしたら教えてやるよと、口端を上げるだけだった。どういうことだろうと首を傾げるが、明日もゾロと一緒に過ごせる時間があるのだと考えた途端、どうでもよくなってしまった。
 最初、ゾロに感じていた怒りなどとっくに消え失せて、サンジは明日が楽しみだと胸を高鳴らせる。女の子に感じるどきどきと、ゾロに感じるどきどきは、どこか似ているような気がした。途端、居心地が悪くなり、縁側から見える、居間と繋がる奥の部屋を、なんとはなしに覗き込んだ。猛々しい虎の絵が描かれた掛け軸の前に、竹刀が立てかけられているのが目にとまる。
 そのとき突然、ゾロの指先が、サンジの眉毛の先へ、とん、と当てられた。珍しいものでも見るかのよう、顔を寄せてきたゾロから逃れようとして、サンジは背中からひっくり返ってしまう。何やってんだと呆れたように笑われてしまい、むっと唇を尖らせる。そっちこそ何してんだよ、そんな悪態をつきながら、伸ばされたゾロの手を取った。
 ゾロの手はとても大きく、筋張っていて、硬い。掌は肉刺だらけなのか、ところどころ隆起している感触がある。大人の、男の手だと、サンジは思う。そのままゾロに手を引かれ、起き上がらせてもらうと、サンジは意味もなく、縁側から見えるまばゆい星空を見上げた。真っ黒に塗りつぶされた空には、所狭しと宝石が散りばめられている。一人で村を彷徨い歩いていたときは、気がつかなかった。こんなに沢山の星が見られるなんて、遠足で行ったことのあるプラネタリウムだけの話だと思っていた。しかし、全ての星が実在していたことを知り、サンジは眩しげに目を細める。
「よく見たらおめェ、面白い眉毛してんな」
「なっ、バカにすんな!」
「誰もバカになんかしてねェ。そろそろ、歯ァ磨いて寝るぞ」
 スイカの皮と種だけが残された皿を手に、ゾロは立ち上がった。それから、不機嫌に頬を膨らませるサンジの頭を、くしゃりと撫でる。明日は四時起きだからな、そう言って縁側の窓を閉めるゾロを、触れられた頭を押さえながら、サンジはどこか、窺うように見上げた。そして、じわじわと熱が集中していく頬をごまかそうとして、慌てて立ち上がる。
 ブタの陶器から立ち昇る煙は、とっくに消え失せていた。ぐるりと巻いた蚊取り線香の形状を思い出し、サンジは知らず眉をひそめる。ゾロの手から無言で皿を奪うと、ばたばたと音を立てて、キッチンへ向かった。水を張った桶に皿を入れ、サンジは濡れたままの手でごしごしと眉を擦る。ゾロに触れられた箇所から、じわじわと熱が広がっていくようだ。やっぱり、女の子相手のどきどきとは、まるで違う。そんなことを思いながら、なかなか熱の引かない頬を両手で覆った。





「すげェ! これ全部ゾロが育ててるのか?」
「おう」
 昨夜の残りを朝食として食べたあと、ゾロに連れてこられた場所は、青々と広がる広大な畑だった。この村に来てから、嫌というほど見てきたはずなのに、サンジは心が浮き立つのを感じる。
 日が昇ってから、それほど時間は経っていなかった。少々肌寒いが、自然の澄んだ空気がとかく気持ちいい。いつもより、空も高く見える気がした。一体どこまで広がっているのだろう、そんな疑問を覚え、海とはまた違った青を仰ぐ。ゾロに被せられた麦わら帽子が脱げてしまわぬよう、片手で押さえつける。サンジの視界を邪魔するものは、何もない。だから、空がこんなにも広く感じるのだと、深く息を吸った。
 きゅうり、トマト、ナス、とうもろこし、夏に採れる野菜はなんでもあった。濃い緑色の葉に隠れていても、大ぶりの果実は、はっきりと存在を主張している。どれも濁りのない色をしていて、大切に育てられていることが、サンジにも分かった。
「もしかして、昨日キッチンにあった野菜ってここのやつ?」
「ああ。それと、村のじいさんばあさんにもらったもんもある」
 物心ついた頃から、サンジの夢はゼフを越える料理人になることだった。だからこそ、隠れて料理の練習もしているし、レストランで働くコックたちから、いい野菜の見分け方を細かく聞いたりもしている。ゾロの作る野菜は、どれも『いい野菜』と呼ばれているものの条件を、完璧に満たしているように見えた。きれいに丸みを帯びた、まだ青さの残るトマトを撫でると、ゾロは大きなかごを手にサンジの横で腰を下ろした。
「どれが食べ頃か、お前なら分かるだろ」
 ゾロに軍手とはさみを渡されて、簡単に収穫の説明をされる。その説明も、傷がついていたり、形の悪いもの、虫食いの跡があるものは、別のかごに分けろという、簡素なものだった。それでも、ゾロに仕事を任されたことが嬉しくて、サンジは軍手をはめて一人意気込む。
 徐々に、日が照り出してくる。柔らかな土の匂いが心地いい。ゾロは、トマトに関しては全てサンジに任せるつもりなのか、奥の畑へと姿を消してしまった。サンジは滴り始めた汗を、シャツの袖で拭う。それからは夢中になって、赤く熟れたトマトを収穫していった。

「ゾロ、終わったー! うわっ」
 一通り収穫を終えて、広い畑の中、当てもなくゾロを探し回った。サンジの身長を優に超える草が生い茂ったとうもろこし畑で、やっとゾロの姿を見つける。そこで、ゾロの足元にいるたぬきの存在に気がつき、サンジは思わず声を上げた。驚いたたぬきが、ゾロの背後へ身を隠してしまう。それを見て、サンジは昨日見たたぬきと同じだと、確信した。やはり、ゾロには懐いているようだ。ビビリなたぬきを怖がらせないようにして、ゆっくりしゃがみ込むと、その顔を覗き込む。正直、ゾロの背に隠れる向きが、明らかに普通とは逆なせいで、あまり隠れる意味を為していない。たぬきはびくびくと身体を震わせながら、サンジの様子を窺っている。
「サンキュ、助かったぜ」
 麦わら帽子の上からぽんぽんと頭を撫でられて、やはり頬が赤く染まる感覚に、サンジは慌てて俯いた。サイズの合っていない麦わら帽子がずれて、目元を覆う。ゾロと一緒にいるときは、どこかおかしいと、麦わら帽子のつばを両手で掴んだ。いつも、鳩尾の辺りが浮ついている感覚がする。
「一宿一飯のおんぎ、ってやつだ」
「ははっ、飯食わせてもらったのはおれだけどな」
 にかっと笑顔を見せるゾロの顔を、帽子のつば越しに見遣る。ゾロの笑った顔がすごく好きだと、心の底から、そう思った。
 ゾロと笑い合っているサンジの姿を見て、警戒を解いたのか、たぬきがおそるおそるサンジの元へ歩み寄ってくる。サンジが腕を伸ばしてみれば、一度怯えたように飛び上がったが、しばらくして身をすり寄せてきた。犬や猫を撫でるのと同じ要領で、たぬきに触れる。随分と高い位置へ昇った太陽の明かりが、たぬきの鼻をほんのり青く見せた。
「こいつ、名前あるの?」
「飼ってるわけじゃねェからな」
「じゃあこいつの名前、今日からチョッパーにしよう!」
 チョッパー? 首を傾げたゾロに、チョッパーマンという、テレビアニメの大人気ヒーローに似ているからだと教えてやる。たぬきじゃなくて青鼻のトナカイだけど、そう続ければ、どんな姿を想像したのか、ゾロは奇妙な顔をしてみせた。チョッパー、たぬきに向かって呼びかけてみれば、嬉しそうに膝へ飛び乗ってくる。そんなたぬきの頭を撫でながら、サンジは少しだけ照れたように笑った。
「なんか、ゾロに会ってから、すっげェ楽しい」
「へェ。おれも、結構楽しいぜ。チビナス」
 にやりと口端を上げたゾロに呆気に取られていると、そろそろ行くかと、ゾロが立ち上がった。収穫を終えたものをまとめて、手伝ってくれた駄賃だと、井戸水で冷やしておいたらしい、採れたての野菜を食べさせてくれる。ゾロの作る野菜は、味付けなんてまるで必要なかった。
 山を背に、道のど真ん中で、二人して座り込む。忙しなく自動車が行き交うサンジの町では、こんなことは経験できない。ゾロといると、全てが真新しいもののように思える。昨日まで霞んでいたこの村の景色も、今は不思議と輝いて見えた。





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