はつこい3



 ゾロに連れられて、サンジは親戚の家へ戻った。じいさんとどう接したらいいのか分からず、帰ろうとしたゾロを、咄嗟に引き止めてしまう。結局、昼飯はじいさんと、ゾロも揃って食べることになった。収穫したばかりの野菜をサンジが料理すると申し出て、じいさんにも、さすがゼフの孫だと褒めてもらえた。そのとき、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられて、ガキ扱いすんなとむくれたサンジだったが、ゾロのときのように、熱が広がっていく感覚はない。やはりゾロのときだけ、自分はおかしくなるのだと、サンジは理解した。
 そして、昨夜のことをじいさんに謝れば、豪快に笑って許してもらえた。話してみれば、案外なんてことはない。寧ろ、じいさんのことも好きになるだろう。そんな確信さえあった。
 その日、サンジはゾロと別れ、午後はじいさんの畑仕事を手伝うことに決めた。

 次の日から、午前中はじいさんの畑を手伝い、昼飯はゾロも交えて、その都度どちらかの家に集った。おやつには、食べ慣れた砂糖菓子ではなく、決まってじいさんのスイカを食べたが、飽きるどころか、その時間が楽しみにさえなっていた。そして午後は、ゾロの畑を手伝う。ゾロは午前の内に収穫を終えてしまうため、午後は雑草を抜いたり、種を植えたり、脇目の摘心をすることが多かった。それ以外は宿題をしたり、チョッパーも交えて遊んだり、何もせず二人と一匹で昼寝をして過ごす。レストランにいるときよりも、時間が経つのが、ずっと早かった。本当に、ゾロといると、一週間なんてあっという間だ。
「今日はゾロと川に行くんだ! でっけェ魚釣ってじいさんにも食わせてやるからな!」
「言ったな、絶対に大物連れて帰って来いよ。それにしても、サンジは本当にゾロが好きだなァ」
「えっ」
 サンジの顔よりも大きなスイカを、じいさんは軽々と持ち上げている。何気なく告げられたじいさんの言葉に、サンジは狼狽えて、同じように手にしたスイカを、滑らせかけた。
 好き、その言葉のどこかで、違和感を覚える。確かに、ゾロのことは好きだった。ムカつくこともあるが優しいし、何よりサンジのことを、対等に扱ってくれているように感じる。それに、ゾロといると、毎日がすごく楽しい。クラスメイトたちと遊ぶ楽しさとも、また違っていた。ずっと一緒にいても飽きない上、物足りなく感じるほどだ。こんなこと、今まで感じたことはなかった。触れられるたび、全身が熱くなることだって、ゾロ以外にはない。
「うはは! なんだその顔は。まるで恋でもしてるみてーな顔しよって!」
「はあ!? んなわけねェだろ! おれはっ、恋なんてっ……!」
 耳の縁まで真っ赤に染め上げ、サンジは勢いよく立ち上がった。すると、スイカのつるに足を絡めて、思いきり土の上へ転倒してしまう。したたかに頭部を打ちつけ、まるでアニメのように、目の前で星が飛び散る。笑みを引っ込め、不安げなじいさんが、大丈夫か? と顔を覗き込んできたが、返事もできず、サンジは一向に熱の引かない顔を両腕で覆った。
 恋、恋、頭の中で、理解に乏しい単語を反芻させながら、サンジはわあっ! と悲鳴を上げる。打ち所が悪かったのかと心配するじいさんを他所に、サンジはとんでもないことになったと、なかなか起き上がることが出来ずにいた。
「もう収穫も済んだし、早めにゾロのとこに行ったらどうだ。おれはサンジが作ってくれた弁当があるしな!」
「え、いいの?」
「おう! 明日はゼフが迎えにくるからな、今日は思いっきり遊んでこい。ちゃんとゾロにお別れ言っとくんだぞ」
「……うん」
 明日の昼には、ゼフが迎えにくる。ゾロへの想いに気づいた途端、すぐに別れがやってくるだなんて、あんまりだろう。しかし、恋は女の子にするものだ。テレビドラマでも、マセたクラスメイトたちも、いつだって男女同士が恋に落ちている。男を好きだなんて、きっと何かの間違いだと、サンジは虫食いの跡がある葉を指で摘まむ。ここへ来て、苦手な虫にも大分慣れてきたところだった。
「なんなら今日は、大好きなゾロのとこに泊まってもいいんだぞ」
「う、うるせェ! クソジジイ!」
 慌てて立ち上がると、サンジはじいさんに向けて、バーカ! と悪態をついた。逃げるように、ビニールハウスを後にする。またつるに足を引っかけて転びそうになっているサンジを見送り、じいさんは腹を抱えて笑っていた。当のサンジは、羞恥と困惑と憤りがごっちゃになって、感情の整理がつかず、ただ混乱している。
 車一台通るのがやっとな、細い砂利道を渡ろうとしたとき、向かいから軽トラックが走ってくるのが見え、足を止めた。トラックは徐々にスピードを落とし、サンジの前でぴたりと止まる。窓を開けたままの運転席から、村の老人が顔を出した。
「おう、サンジ! ゾロのとこ行くんだろ?」
 乗ってくか、サンジはその言葉に、弾けるように顔を上げた。この村の人とは、もうほとんど顔見知りになっていた。みんな、サンジにとてもよくしてくれる。大きく頷いて、積み上げられた作物と一緒に、荷台へ乗せてもらった。まるで、今から冒険に向かうようだと、サンジは胸をときめかせる。
 代わり映えしないと思っていた景色が、目の前を流れていく。飛ばされないよう、麦わら帽子を押さえて、サンジはじっと、その風景を眺めていた。うるさいだけだった蝉の声も、夜に奏でられる鈴虫の鳴き声も、怖かったはずの暗闇も、いつの間にかすべて、好きになっていることに気づく。強い日差しを中和させるように、身体をすり抜ける風が気持ちよかった。ゾロと出会ってから、サンジの世界は一変したのだ。
 礼を言ってトラックを降りると、広大な自然の中、ゾロの姿を探した。きっとまた、とうもろこし畑だろう。日差しを遮ってくれるそこは、ゾロが気に入っている場所の一つだった。
 いつの間にか、小麦色に焼けたサンジの腕は、今朝アブに刺されたせいで、腫れた箇所がじんじんと痛む。そんな痛みに気を取られながら、背の高い草を掻き分けていくと、やはりそこにゾロはいた。土の上に寝そべって、とにかく気持ちよさそうに、チョッパーと一緒になって眠っている。しょうがねェなあと、サンジはゾロの髪についている土を払ってやった。ゾロにぐしゃぐしゃと頭を撫でられることはあったが、ゾロの髪に触れたのは、これが初めてだ。ぎゅうっと胸が締めつけられる感覚に、思っていたものと全然違う、とサンジは顔をしかめる。恋は、もっとここの星空のように、きらきらと輝いているものだと思っていた。それなのに、全くもって楽しくない。苦しいばかりだと、目頭が熱くなるのを感じた。
「……ん」
 すると、身じろいだゾロが、心地良さげに、サンジの手へ頬をすり寄せてきた。その瞬間、鼓膜から直接響き渡っているのではないか、そう思うほど、心臓が大きな音を立てる。半開きになったゾロの唇は、だらしなく垂れている涎のためか、てらてらと光って見えた。吸い寄せられるように、サンジが顔を近づけたとき、ぱかりとゾロの目が開いた。慌てて身を引くと、ゾロから背を向ける。危なかったと、震える両手で、サンジは口元を覆った。
「おう、チビナス。今日は早ェな」
 上体を起こし、物ぐさな仕草で頭を掻きながら、ゾロは大欠伸をしている。大丈夫、バレていないと、サンジは小さく息をついた。

 そのまま、とうもろこし畑の中で弁当を食べ、釣り竿を取りにゾロの家へ寄ったあと、チョッパーも連れ立って川へと向かった。あれほど楽しみにしていたはずのゾロとの釣りも、サンジはどこか上の空だ。地面に足をついている感覚がなく、ふわふわと浮ついている。川原で引っこ抜いた草を、チョッパーの鼻先へ近づけて、サンジは膝を抱えた。
「チョッパー、恋って大変なんだな」
「もっと下流に行かねェと、鯉は釣れねェぞ」
「わあっ! ……ゾ、ゾロ」
 ゾロに腕を引かれ、早く来いと促される。じわりと手首から熱が広がり、額から暑さのためだけではない汗が滴った。釣り竿を渡され、素直にそれを受け取る。ゾロは、なぜか人の悪そうな顔をしていた。餌取ってきたぞ、そう言ってサンジの眼前へミミズを翳す。うねうねとすぐ目の前で動く生物を認識した瞬間、釣り竿を放り投げて、サンジは悲鳴を上げながら一目散に逃げ出した。チョッパーまで同じように駆け出し、サンジの足元で身を隠している。そんな二人の様子を前に、ゾロは腹を抱えて笑っていた。
「ふざけんなっ! こんのクソマリモ!」
 遠く離れた場所から、精一杯怒鳴りつけるサンジを尻目に、ゾロは放り出された釣り竿を手に取った。針にミミズをつけて、よほどサンジの驚き方がツボに入ったのか、まだ肩を揺らしている。
「はー、笑った。おいチビナス、釣りしねェのか」
「する! けど、まずはそれをどうにかしろ!」
「餌がなきゃ釣れねェだろうが」
 しょうがねェなと、肩をすくめたゾロは、川に向かって釣り竿を振り上げた。小さく飛沫を上げて、糸の先が川底へ沈む。釣り竿ぐらいなら持てんだろ、バカにしたように口端を上げられて、サンジは悔しさのあまり顔をしかめる。おそるおそるゾロの元へ戻ると、手渡された釣り竿を握りしめた。また何か出してくるのではないか、ゾロへの警戒を露わに、じっと睨みつけてやる。だが、元気出たみたいだな、そう言ってぐしゃぐしゃと頭を掻き回されてしまえば、文句の一つも出てこなかった。釣竿を持つ手に力を込め、むっと唇を尖らせる。これでは、いつまで経ってもガキ扱いされたままだ。ゾロは、サンジのことを対等に扱ってくれているとは思う。だが、こんなとき、届かない距離を知らしめられたように感じるのだ。
 結局、明日帰ることをゾロに告げることができないまま、サンジは手ぶらでじいさんの家へ戻る。小魚は何度か釣れたが、キャッチアンドリリースだと、ゾロがよく分からないことを言って、そのたび川へ逃がしてしまった。






「チビナス、荷物はまとめたのか」
「ん」
 迎えにきたゼフの顔を見ることができず、サンジは荷物をまとめたリュックサックを背負った。ゼフやサンジの手には、この村で採れた食材の数々が抱えられている。村中の人が、サンジとの別れを惜しんでくれた。でも、ゾロへの挨拶だけ、まだしていない。あれほど帰りたくて仕方がなかったはずなのに、今はテレビやゲームがある暮らしの方が、退屈に思えた。村の人々や親戚のじいさん、そして、ここから離れるのが辛い。それに、もうゾロと会えなくなってしまうことが、サンジにはこの世の終わりのように感じられた。
 話し込んでいるゼフとじいさんの会話を受け流しつつ、野菜の入ったビニール袋を、慎重に地面へ下ろす。やっぱり、ゾロとこんな別れになるのは嫌だ。すぐ戻るからと声を張り上げ、ゼフの怒鳴り声と、そんなゼフを宥めるじいさんの笑い声を背に、サンジは一目散に駆け出した。
 じいさんの家から、ゾロの家まではだいぶ距離がある。上がる息は苦しいが、早くゾロの元へ行きたかった。そのとき、山中の神社へ続く長い階段が目に止まり、そこで座り込むチョッパーの姿を見つける。サンジがチョッパーの名前を呼ぶと、チョッパーは、どうしてか逃げるようにして階段を駆けていってしまった。チョッパーにも、別れを言っていない。サンジは逡巡したが、チョッパーを追いかけて階段を上った。背負ったリュックサックが、疲労と共に重みを増していく。
 汗のせいでシャツが張りつき、背中とリュックサックの境界が分からなくなった頃、神社の鳥居を潜った。すると、境内に腰をかけているゾロが、そこにいた。サンジは目を見張り、ゾロの足元で佇むチョッパーへ、視線を向ける。
「あのなっ、ゾロ、おれ、帰らなきゃ、いけねェんだっ」
 なかなか息が整わないまま、ゾロの元へ歩みを進めた。そうかと、一言呟いたゾロの表情からは、何も読み取ることができない。初めてゾロと出会った日のことを、サンジは思い出した。
「初めはクソ田舎だって思ってたけど、いつの間にか、ここが好きになってた。植えた種が成長するとこも見てェし、もっと……もっとゾロと、一緒にいたい」
「おめェの植えた種、大事に育てるから安心しろよ」
 ゾロは手を伸ばし、ぐしゃりとサンジの頭を撫でた。やめろ、その腕を掴んで、サンジは今にも泣き出しそうに顔を歪める。ここで泣いたりなんかしたら、ゾロを困らせるだけだ。それに、ぐずるガキにしか思われないことも分かっていた。俯いて、泥だらけのスニーカーの爪先を、きつく見据える。
「おれ、またここに来るよ。いつになるか分かんないけど、絶対ゾロを迎えにくる!」
 ゾロのことが好きだから、俯いたまま、震える声で続けた。ゾロが、今どんな表情をしているのか、サンジには分からなかった。それでも、ガキに、ましてや男に告白されれば、誰だって困るだろう。それぐらい、サンジにも嫌というほど分かる。
 掴んだままになっていたゾロの手を離したとき、チョッパーが心配そうに、サンジの顔を見上げていた。ゾロは境内から降りると、目線を合わせるようにして、サンジの前でしゃがみ込んだ。また泣いてんのかと、揶揄するよう、サンジの顔を覗き込む。そんなゾロの態度に唇を尖らせて、泣いてねェと、ゾロの肩に手をかけた。そうして、あのとき触れることの叶わなかった唇に、自分の唇を押し当てた。キスって、こんなに幸せなものなのか。後ろ髪を引かれながら、ゾロから離れる。すると、ゾロの左耳のピアスが、しゃりん音を鳴らしたのを、近くで聞いた。
「すっげェいい男になって、絶対ゾロをほれさせてやる!」
「ははっ、やっぱ、おもしれェやつ」
 じゃあな、サンジ。最後の最後に名前を呼ばれ、ゾロはずるいと眉を寄せた。チョッパーに別れのハグをして、ゼフの元へ踵を返す。絶対に振り返らないと決めて、サンジは長く急な階段を、下っていった。またゾロの顔を見れば、きっと泣き出してしまうだろう。サンジが見下ろす村は、今まで見たどんな景色よりもきれいだった。目の前に広がる広大な自然を、しかと目に焼きつける。あのときとは違い、一歩一歩石段を踏みしめて、退屈な日常に戻ることも厭わなかった。


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