Little more
―01―男の子って野蛮で子供っぽいから苦手だ。教室の中で紙飛行機を飛ばしたり、流行のお笑い芸人の真似をしたり。小学生の時も中学生の時も、そして高校生になった今も、どうも同い年の男の子は幼稚に見えた。
「年上と付き合いたい。」
「またそれ?」
「残念。3年になった今先輩はもういませーん。」
付き合うのなら年上。私の恋愛観を語る上で欠かせない第一条件がこれである。
落ち着いた余裕のある大人の男性って素敵。そう、男の子じゃなくて男性。残念ながら同学年以下はみんな男の子。全然ときめかない。早く大学生になって年上の彼氏とキャンパスライフを楽しみたい。そのために今年は部活と勉強に全てを捧げることを人知れず誓った。
+++
「そう思っていた時期が私にもありました。」
「何の話?」
いやでも根本的な恋愛感は変わってない。私は落ち着いた余裕のある男の人が好きなんだ。それに当てはまるのが年上が多いって、ただそれだけのことなんだ。
「赤葦かっこいい。」
「はいはい。」
「またそれね。」
まさか私が年下を好きになるなんて思ってもみなかった。
赤葦というのは私が所属している男子バレー部のセッターで副主将を務める2年生。マネージャーだから去年から知ってはいたけど、接点が多くなったのは彼がレギュラーになってからだった。年下とは思えない落ち着きっぷりに頭の回転の速さ……そしてバレーに熱心に打ち込む姿を近くで見て私はいとも簡単に恋に落ちた。
「ほら名前、赤葦くん来てるよ。」
「えっ!?」
友人に言われて反射的に入口に視線を向けると赤葦が立っていた。かっこいい。赤葦は私と目が合うとペコリと会釈をした。かっこいい。
「ど、どうしよう髪型変じゃない?食べかすついてない?」
「大丈夫可愛い可愛い。」
「大丈夫告ってこい。」
「ななな何言ってんの!」
髪を手櫛で整えて食べかすをチェックして、小走りで赤葦の元へ向かう。この間だけですごくドキドキしてるというのに、私赤葦と目合わせられるかな。
「どうしたの?」
「すみません急に。」
赤葦の前に立つ時には自分なりに精一杯平然を装った。第一声を噛まなかった自分を褒めてあげたい。私がこんなにドキドキしてることは赤葦にはバレていないはずだ。もし知ったら赤葦はどんな反応をするんだろう。考えてみたけど赤葦がポーカーフェイスを崩す姿はどうしても想像できなかった。
「これ、木兎さんに渡しといてもらませんか。」
赤葦から渡されたのは1枚のプリントだった。内容は今度の大会の打ち合わせのお知らせで、確か毎年監督と主将、副主将で行っていた気がする。
「木兎教室にいなかった?」
「はい。多分外でサッカーやってます。」
「ああ……ごめんね。」
「別に、名字先輩が謝ることじゃないですよ。」
赤葦の落ち着いた返答に胸がきゅんとした。この落ち着きっぷりと礼儀正しさ、そして紳士なところがすごく好きだ。木兎とのやりとりを見てるとたまにどっちが年上かわからなくなる時がある。
「えっと……」
プリントを託すという赤葦の用事は終わったのに、私は赤葦とまだ話していたくて「じゃあね」の一言がなかなか言い出せなかった。特に話題があるわけでもないから変な沈黙が続く。
「きょ、今日部活来るよね?」
しどろもどろに続いた言葉は自分でも呆れてしまうものだった。何、「部活来る?」って。赤葦真面目だから部活休むなんて滅多にないし。何今更なこと聞いてんの馬鹿なの私。
「はい行きます。先輩も来ますよね?」
「うん。」
「良かったです。それじゃあまた部活で。」
「うん、じゃあね!」
こんな変な質問にも真面目に返してくれる赤葦ほんと好き。
赤葦の「また部活で」という言葉を聞いて放課後もまた会えるという喜びがこみ上げてくる。頬が緩みそうになるのをなんとか堪えて赤葦に手を振った。
「名前ニヤけすぎ。」
「!」
振り返った瞬間にはもうニヤけていたらしい。
―02―「いやー悪いな名字急に呼んで。」
「いえ……こちらこそほんとすみません、木兎が……。」
「少し予想はしてましたが。」
私は今、赤葦と一緒に監督の車に乗って地区大会の打ち合わせ会場に向かっている。
何故マネージャーの私がそんなところに行く羽目になっているのか……全ては木兎のせいである。赤葦から預かったプリントはしっかり渡していたし口でも説明していたのに、木兎は寝坊した。待ち合わせ時間になっても一向に現れず、連絡を入れても全然応答が無いことに痺れを切らした監督が私に電話をかけてきて今に至る。
「ていうか私場違いじゃありません?今からでも木兎叩き起こしに行った方が……」
「いやいい。というかむしろ木兎より名字に来てもらった方が理解してもらえる。」
「確かに。」
確かに木兎に注意事項とか説明しても半分も理解してもらえないだろうな。
思わぬチャンスにそわそわしてしまう。だって学校も部活もない日に赤葦に会えるなんて。お互い制服だけど休日に赤葦と一緒にいるという事実だけで勝手にデート気分になれる。急だったから全然おしゃれできなかったけど髪型大丈夫かな。ヘアゴムくらい可愛いのにしてくれば良かったと後悔した。
「おおー……」
「多いですね、人。」
会場に着くと既にたくさんの人で溢れかえっていた。都内のバレー部の顧問と主将たちが集まってるんだから当たり前だ。中にはマネージャーの女子の姿もあったから私もそこまで浮かなかった。よかった。
しかし……さすがバレー部主将達、みんな背がでかい。もしもこの中で迷ってしまったら見つけてもらえる自信がない。そんな中で引けをとらない赤葦を見て身長が大きいんだなぁと再認識した。毎日のようにバレー部員と接していると感覚がズレてしまう。
「大丈夫ですか?」
「え、何が!?」
チラリと盗み見てたつもりが目が合ってしまった。
もしかして心の中でデレデレしてたことがバレたのでは、と内心めちゃくちゃ焦る。いやいやきっと大丈夫、さすがの赤葦も心を読むことはできないはず。
「周りみんなでかいので。ぶつからないようにしてくださいね。」
「大丈夫だよー。」
大丈夫ですかは私を気遣っての言葉だった。こうやって心配されるとなんだか自分が女の子扱いされてるみたいですごく嬉しい。調子に乗ってしまいそうになるけれど、紳士な赤葦はきっとここにいるのが私じゃなくて雪絵でも同じことを言うんだろう。センチメンタルになる必要はない。それが赤葦のいいところで、そういうところを好きになったんだから。
ドン
「あっごめんなさい!」
せっかく赤葦が心配してくれた矢先に人にぶつかってしまった。
「こちらこそ……って名前ちゃん?」
「あ、黒尾くんだ。」
ぶつかったのは音駒高校主将の黒尾くんだった。副主将の海くんもいる。音駒高校とは毎年合同合宿をやってるから顔なじみだ。ぶつかってしまったのは申し訳ないけど知ってる人で良かった。
それにしても黒尾くんは相変わらずすごい髪型だ。去年の合宿でこれはセットじゃなくて寝癖なんだと聞いた時はすごく吃驚した。
「赤葦も合宿ぶり。」
「どうも。」
「今日はエースいねーの?」
「ちょっと諸事情で……」
「寝坊です。」
「あ、言っちゃうんだ。」
「ぶはっ!」
あまり他校に身内の失態は言わない方がいいかと思ってぼかしたら、思いのほか赤葦がサラリと言ってしまって木兎の寝坊がバレた。これはきっと次の合宿でいじられる。まあいいか。
「なるほど。それで代わりに名前ちゃんがいるってわけね。相変わらずエースのお守りご苦労さん。」
「ホントだよ。」
「もう付き合っちゃえば?」
「絶対ない。」
「案外お似合いだと思うけど。」
「お母さんにはなれるかもしれない。」
「ははは、間違いねーな!」
「ちょっと!」
笑いながら頭をくしゃくしゃされた。黒尾くんは軽くやってるつもりでも、彼の大きな手で触られたらたまったもんじゃない。
たいしてセットしてるわけじゃないけど、赤葦の目の前でなんてことをしてくれるんだ。いそいそと乱された髪を整えていると、好戦的に笑った黒尾くんの顔が近付いてきた。
「名前ちゃんは赤葦と付き合いたいんだもんな?」
「な……!?」
私の核心をつく言葉に身動きができなくなった。
え、うそ、何で。赤葦や黒尾くんと比べたらポーカーフェイスなんてうまくできてない自覚はあるけど、他校の黒尾くんにバレてるなんて思わないじゃん。
「じゃ、合宿楽しみにしてる。」
焦る私の顔を満足気に見下ろして黒尾くんは去っていった。とんでもない爆弾を投下して処理もせず帰るとはなんて奴だ。
どうしよう、顔が熱くて赤葦の方向けない。
「……黒尾さんと仲良いんですね。」
「え!?あ、うん、木兎が仲良いからね!」
「……」
―03―「悪い!これから娘のピアノの発表会行くから帰りは電車で帰ってくれ!」
というわけで赤葦と2人で帰ることになりましたどうしよう誰か助けて。
ここから私の家の最寄り駅まで地下鉄で4駅。時間にして約20分。20分間赤葦と2人きりとかどうなってしまうんだろう。
「人、すごいですね。」
「うん……。」
今日は3連休の初日ということもあって、都内の公共交通機関はどこも人でごった返していた。走り回る子供に歩きスマホのお姉さん、腕を組んでラブラブなカップルに早足のサラリーマン。これらの波に押されて乗り込んだ電車内は朝の通勤ラッシュ並にキツキツだった。
「先輩、こっち。」
「う、うん。」
次々と乗り込んでくる人の波で遮られそうになった私を赤葦が強めに引っ張ってくれた。逸れなくて済んだけど赤葦の胸板に寄りそうような形になってしまって、私はこの時点で平常心を諦めた。この状態で赤葦と会話とか無理。ほんと無理。赤葦の背が高くてよかった。これで顔まで近かったら私多分瀕死になる。
「……」
「……」
結局電車内ではお互いに一言も喋らず最寄の駅まで到着した。
ドキドキしてすごく長く感じた20分だったけど終わってしまえば呆気ない。言葉を交わしてないからか、もう少し一緒にいたかったと感じてしまう私は欲張りだ。赤葦の家はどっちなんだろう。せめて出口が同じ方向だといいな。
「あの。」
「?」
「寄り道、していきませんか?」
+++
私は夢でも見ているのだろうか。
赤葦の思いがけない提案に私はブンブンと首を縦に振り、「先輩が好きそうなお店があるんです」と案内されたのは落ち着いた雰囲気のカフェ。その奥のテーブル席で今、私は赤葦と向かい合ってカフェラテを飲んでいる。
「よくこんな素敵なお店知ってたね。」
「いとこに教えてもらったんです。」
「へー。赤葦兄弟いる?」
「いえ、一人っ子です。」
よかった、ここで「彼女とよく行くんです」とか返されたら立ち直れなかった。
「私も一人っ子だから、小さい頃は木兎とばっか遊んでたなあ。」
「……木兎さんとはいつからの付き合いなんですか?」
「親同士が仲良くて近所だから、ほんと生まれた時からって感じかな。私もね、小さい頃は木兎と一緒にバレーやってたんだよ。下手くそだったんだけどね。」
「そうですか。」
こういう時、なんだかんだ木兎に感謝する。赤葦との共通の話題っていったらやっぱりバレーくらいだから。
「あんなエースだけど今のチームすごく楽しそうだし今までで一番気合い入ってるから、よろしくね。」
「あの……確認なんですけど。」
「ん?」
「木兎さんと付き合ってるわけじゃないんですよね?」
「私と木兎が?ありえないよ。」
黒尾くんといい、なぜこうも木兎と私をくっつけたがるんだろう。確かに高校3年にもなって仲良すぎるのかな?いや、仲良いっていうか私が面倒みてるだけっていうか。
赤葦に言われるとすごくショックだ。黒尾くんが言ってたように、私が付き合いたいのは赤葦なのに。
「黒尾さんとも付き合ってるわけじゃないですよね?」
「何で黒尾くん?もっとありえないよ。」
この流れで赤葦の彼女の有無を確認できるのでは?気付いた私はハッとして、荒くなりそうな呼吸をバレないように整えた。
「赤葦は……その、彼女とかいるの?」
「……いるように見えますか?」
「え!」
いてもおかしくないくらいにかっこいいと思ってます……なんて本人に言えるわけがない。まさか質問で返ってくると思わなくて、なかなかいい返事が思いつかなかった。
「いませんよ。」
「そ、そっか!部活忙しいもんね。」
「まあ……そうですね。」
その後、赤葦の彼女がいないという事実が嬉しすぎて何を話したかはあまり覚えてないけど、どうせ木兎のアホな話とかどうでもいいことだったんだと思う。
そんな話と可愛いケーキで2時間を過ごし、さらりと奢ろうとしてくれた赤葦になんとか食い下がって千円札を一枚出して、私達はカフェをあとにした。ケーキも美味しかったし雰囲気も良かったしまた来たいな。……できることなら赤葦と一緒に。
「送ります。」
奢ろうとしてくれただけでなく家まで送ってくれるなんて本当赤葦って男前。全国のアホな男子高校生に見習って欲しい。
せっかくのオフだから早く帰ってゆっくり休んでほしいとは思いつつも、もう少し赤葦と一緒にいられるという誘惑には勝てなかった。こんなにたくさん赤葦とお喋りができるなんて今日は良い日だ。見てないけどきっと星座占いは一位だったに違いない。
「それでね、その時木兎ってば……」
「木兎さんの話はもういいです。」
「あ、ごめんつまらなかった!?」
「別の話をしましょう。」
中二で海に行った時に木兎が波に攫われたけどタコをくっつけて元気に戻ってきたという話をしようとしたところで止められた。木兎の話はお気に召さなかったようだ。
でも赤葦との共通の話題っていったら部活のことくらいだし、私はそれほどコミュ力が高い方ではないから引き出しなんてそう多くない。
「先輩、誕生日いつですか?」
「7月29日だよ。」
「もうすぐですね。」
「うん。あ、赤葦は?」
「12月5日です。」
「そっか!」
「好きな食べ物は何ですか?」
「うーん……モンブランかなあ。」
「今日も食べてましたね。」
「うん、すごく美味しかった!赤葦は何が好きなの?」
「菜の花のからしあえです。」
「渋い!」
「変ですか?」
「ううん、いいと思う!」
私の心配はよそに、赤葦のおかげで話題には困らなかった。しかも赤葦の誕生日や好きなものを知ることができた。私今日こんな幸せでいいのかな。死ぬのかな。
こうやって2人で歩いてるとなんだか恋人みたいだなあと一人で考えてニヤニヤしてしまう。周りの人からも恋人に見えてたらいいな、なんて。
いやいや調子に乗るな。恋人にしては離れすぎてる距離を見て、はしゃぎすぎた自分に釘を刺した。
―04―「もう告ればいいじゃん。」
昨日の夢みたいな出来事を友達に話していたら呆れたように言われたから私は即答する。
「無理。」
「何で?私けっこういけると思うよ。」
「そーそー。だって彼女いないんでしょ?」
「そんな簡単に言わないでよ……。」
私だって、少なくとも赤葦に嫌われてはいないと思ってる。好かれてると言ってもその種類はいろいろあるわけで、付き合いたいと思ってもらえなきゃ恋人というのは成立しないのである。
「もし告白して振られたら今後の部活どうすればいいの?」
振られた時のことを考えるとどうしても告白には踏み切れない。私は振られたショックからしばらく立ち直れないだろうし、赤葦は優しいからきっとそんな私を見て少なからず罪悪感を感じてしまうだろう。結果、部内の空気がギクシャクする。
木兎は気付かないだろうけど他のメンバーはきっと気付く。優勝目指して頑張ってるのに、たかがマネージャーの失恋で部内の雰囲気を悪くしてしまうのはいたたまれない。
「付き合えるかもじゃん。」
「……恥ずかしくて死ねそう。」
もし万が一に付き合えたとしても恥ずかしくて部活どころじゃなくなりそう。そして結果、やっぱり部内の空気がギクシャクする。
「名前めんどくさい。」
「自分でもそう思う。」
この性格とは長い付き合いだから今更どうこうできないと思ってる。それに、赤葦が大事にしてるバレーの空間だけは絶対に邪魔したくない。
+++
そして放課後。
今日も部員のみんなは、女子の私からしたらありえない練習量をこなしている。すごいなあ、男の子って。
私のお仕事はこのボトルを洗ったらとりあえずひと段落する。部活もそろそろ終わる頃だから、この後は木兎の自主練に付き合って帰るんだろうな。見たいドラマはちゃんと録画してあるから大丈夫だ。
「男バレけっこう遅くまでやってんね。」
「ね。」
ボトルを部室の定位置に戻してきたら、練習が終わったであろう女バレの子たちが体育館を覗いていた。
「木葉くんってけっこうイケメンじゃない?」
「あー確かに。」
「そう?私同じクラスだけど近くで見ると目つき悪くて怖いよ。」
部員の話題になって思わず聞き耳をたててしまう。女子から目つきが悪いと思われてる木葉を心の中で慰めた。
「めっちゃ背でかい人いるよね。」
「誰?ほぼでかくない?」
「あと木兎めっちゃうるさい。」
「それな。」
背がでかい人……みんなでかいけど、多分尾長くんのことかな。木兎はうるさいって言われてる。本人が聞いたらしょぼくれモード突入だなあ。
「あ!そういえばさ、4組の山田さんバレー部の人に告るらしいよ!」
「えーまじで!?誰に?」
「多分だけど2年で副主将の子だって。」
「後輩かー!」
「山田さんから告られるなんてその男子ほんと幸せ者だわ。」
「ね。私男だったら絶対断れない。」
「あー、山田さんがついに人のモノに……クラスの男子が卒倒しそう。」
「あー、確かに。」
4組の山田さんって、確か家庭部のすごく可愛い子だ。そして男子バレー部2年の副主将っていったら一人しかいない。
山田さんみたいな可愛い子に告白されたらそりゃあ嬉しいだろうな。私も男だったら断れないと思う。赤葦は……どうするんだろう。山田さんと付き合っちゃうのかな。……嫌だな、こんな話聞きたくなかった。
―05―可愛いと有名な山田さんが赤葦に告白するらしい。そんな噂を聞いてから、私は気が気じゃなかった。
赤葦と山田さんが付き合うことになったらすごく嫌だ。でも、自分も告白しようという勇気が持てない私にそれを邪魔する権利なんてない。ただひたすら付き合わないようにと祈ることしかできないなんて滑稽だ。
噂を聞いて一週間が経ったけど、山田さんは告白したんだろうか。赤葦の様子を観察してみても特に変わった様子はない。まだ告白してないのかな。赤葦はバレー以外であまり表情を変えないからよくわからない。
「名字先輩。」
「ぅわっ!?」
そんなことをぼーっと考えながらビブスを洗濯機に投げ入れていると、頭の中に浮かべていたポーカーフェイスが目の前に現れた。驚きすぎて持っていた洗剤を落としてしまった。
「すみません、そこまで驚かすつもりはなかったんですが……。」
「ご、ごめん!私がぼーっとしてたのが悪いから!どうしたのスポドリ?それとも木兎がまた何かやらかした?」
「いえ……最近名字先輩、落ち込んでるように見えたので何かあったのかと。」
「!」
いつものように振る舞っていたつもりなのに、何で気付いちゃうの。一マネージャーの体調まで気にかけてくれるなんて赤葦は優しすぎる。そりゃあ山田さんも好きになっちゃうよなと納得した。
「ありがとう。でも大丈夫だよ!」
「……」
本当のことなんて言えるわけがない。赤葦に彼女ができるのが嫌で落ち込んでました、なんて。私は精一杯笑顔を繕った。
「俺には言えないことですか。」
「え?」
「木兎さんだったら言うんですか。」
「赤葦……?」
「……すみません。」
少しだけピリっとした雰囲気を感じたけど、赤葦が謝った時にはそれはもう消えていた。初めて見た表情にドキドキが治まらない。もしも赤葦が山田さんと付き合ったらどんな表情を見せるんだろう。優しく笑ったり、怒ったり、するんだろうか。
「おーい名前ー!」
ネガティブな思考回路が止まらない中、木兎の能天気な声に少しだけ救われた。
「俺のサポーター知らない!?」
「サポーター?私見てないけど……どうせ部室に転がってるんじゃないの?」
「そうかも!」
うちのエースはすぐに物をなくす。例えばそれが人に借りたものだとしてもだ。先日雪絵から借りたノートが行方不明になって半べそで助けを求められたのは記憶に新しい。結局はベッドの下に転がってたんだけど。だから今回もどうせその辺に転がってるに違いない。
「私見に行こうか?」
「そのくらい自分で取りに行ってください、木兎さん。」
木兎は一秒でも早く体育館に行きたそうだし、私が探した方が早いだろうから部室に行こうとしたら赤葦に腕を掴まれた。
「なんだよ赤葦!最近お前ツンツンしてんぞ!行くけど!」
赤葦にもっともなことを言われて木兎はプリプリして行ってしまった。きっと薄暗い部室に一人で行くのがちょっと怖いんだな。そんな木兎を見送りながらも、私の意識は赤葦に掴まれた腕に集中していた。
「今日、一緒に帰りませんか。」
「え!?」
腕を放されて言われたのは予想もしなかった言葉。一緒に帰るって……赤葦と私が?
「嫌でなければ。」
「嫌じゃない!嫌じゃないけど……」
「?」
そんなの嬉しいに決まってる。けど、山田さんの存在がチラついて感情のままに頷けない。
「赤葦は……その、大丈夫?私と帰って。」
「?」
「他に一緒に帰る女の子がいるんじゃないかなーって……」
「……いませんけど。」
「え、でも山田さ……あっ!」
「……」
思わず山田さんの名前を口走ってしまった。赤葦は「何でお前が知ってんの」って顔をしてる。終わった。絶対気持ち悪いって思われた。
「ご、ごめんね!その、噂で聞いちゃって……!」
「……もしかして、俺が山田さんと付き合ってるって思ってたんですか?」
「う、うん……。」
「……はあ。」
赤葦は深く溜息をついた。「この噂好きのミーハー女めが」みたいなこと思われてるんだろうか。つらい。
「告白なら断りました。」
「!? そ、そうなんだ。」
噂自体が嘘なんだと思ったら告白されたのは事実だった。あの可愛い山田さんの告白を断ったなんて。驚くと同時に嬉しいと思ってしまった私は最低な女だ。
「だから問題ないです。」
「え?」
「一緒に帰るの。」
「あ……!」
そっか。赤葦に彼女がいないってことは、別に私が一緒に帰ろうが誰に怒られるわけでもないのか。まあ、部活のみんなでアイス買って帰ったりは前からしてたし。
「……言っときますけど、木兎さんも一緒にってのはナシですよ。」
「え!?」
「木兎さんには俺から言っときます。」
そう一方的に告げた赤葦は気のせいか、少し笑っていたような気がする。
―06―(赤葦視点)
俺が入学した梟谷学園には木兎光太郎という、全国で5本の指に入るすごいエーススパイカーがいる。
俺はずっとセッターをやってきて高校2年になった今、この人と同じコートに立ってトスを上げている。上がり下がりの激しい人だけどバレーの実力はすごいと思うし人望も厚い。本人には絶対言わないけど尊敬している。
そんな木兎さんには同い年の幼馴染がいる。名字名前さん。バレー部のマネージャーだ。
木葉さんは彼女のことを木兎さんのお守り役だと言った。しばらく見ていたら確かにその通りだと思った。木兎さんの忘れ物をチェックしたり常識を教えてあげたり煩いと叱ったり……その姿はまさしく親のようだった。
「ちょっと木兎!それ私のタオル!」
「お?そーだったのか。」
「何で普通に汗拭くの信じられない!」
今日も繰り広げられるやりとりに周囲の温かい視線が集まる。俺もスポドリを飲みながらそれを横目に見て、木兎さんも学習しないなあと思う。
「よーし赤葦トス上げろォ!!」
「いいですけど、タオルを名字先輩に返してからにしてください。」
「赤葦……!」
2年に進級して副主将を任されて、この2人の輪に入れてもらうことが多くなった。
「ありがとう赤葦!」
そしていつからか、名字先輩が木兎さんじゃなくて俺に笑いかけてくれることが嬉しいと感じるようになった。
+++
「木兎、今日調子悪そうだったね。もうすぐインハイの予選なのに大丈夫かな……。」
「まあ……問題ないです。」
「ふふ、そうだね。」
せっかく2人で帰ることになったのに、名字先輩から出てくるのは木兎さんの話ばかり。この前喫茶店に誘った時もそうだ。名字先輩は話題に困るとすぐに木兎さんを出してくる。それが面白くないと思ってしまう俺は幼稚なのだろうか。今の笑顔も、可愛いけど俺に向けたものじゃない。
「アイス食べますか。」
「うん!」
それでも少しでも長く名字先輩と一緒にいたいと思う。木兎さんが知らない名字先輩を知りたいと思う。名字先輩の好きなアイスが何かは、きっと木兎さんだったら知っていただろう。
「部活終わりのアイスは美味しいね。」
「そうですね。」
隣に名字先輩がいるから尚更……なんてクサいこと、さらりと言えたら何か違ったのだろうか。心拍数がいつもより上がっている今の俺には到底答えなんて出せるわけがなかった。
「……」
「……」
お互いにアイスを食べて無言になる。なんとなく気まずい。
いつも見てるからわかったことだけど、最近の名字先輩は様子がおかしかった。部活中も何か考え込んでは悲しそうな顔をする。俺と目が合うと今までみたいに笑いかけたり手を振ったりしてくれず、ふいと逸らされる。
そんなショックに耐えられず今日、本人に直接聞いてみたら誤魔化されそうになったけどどうも俺が山田さんに告白されたことを気にしていたようだった。もしそれが本当だとしたら変に期待してしまう。
正直、名字先輩に好かれている自覚はある。少なくとも嫌われてはいないはずだ。だけどそれが俺の名字先輩に対する好意と同じなのかは確証がない。それに多分、今名字先輩が一番優先しているのは俺ではなく部活だ。
「えっと……あ、そういえば今日ね……」
「先輩、前見てください。」
「っ、ああありがと!」
沈黙を気まずく感じたのか、名字先輩が喋りだしたが言葉を紡ぐのに必死で前から来る学生の集団に気づいていなかった。このままだとぶつかると思ったので手を引いて自分の方に寄せると、力が強過ぎたのか思ったより近くに名字先輩が来た。
正直このまま放したくないと思ったが慌てた名字先輩に振り払われてしまった。そうやって顔を赤くして焦る姿を見ると、やっぱり少し期待してしまう。きっと先輩は自分のことで精一杯で、俺も赤面してることには気づいていないんだろうな。
「あ、赤葦は……かっこいいよね!」
「は……」
「こう、女の子の扱いが丁寧だから……えっと……うん、嬉しいです。」
あ、はにかんだ。今のは他でもない、俺によって生まれた笑顔。そして好きな人からの「かっこいい」程嬉しいものはない。この前もそうだったけど、名字先輩は恥ずかしがる割にはけっこうさらっとそういうことを言ってくる。その一言に俺がどれだけ心を乱されてるか、思い知らせてやりたい。
「かっこよくないですよ。」
「?」
「どうやったら俺の方を見てくれるか……木兎さんに勝てるか、いつも必死に考えてるんです。」
「木兎……?」
「俺がどれだけ足掻いても幼馴染の壁は超えられない……わかってはいるけど、受け止めたくないんです。」
名字先輩の言葉にひとつ訂正を入れるとしたら、「女の子の扱いが丁寧」なのではなくて相手が名字先輩だから丁寧になるんだ。
なかなか伝わらない好意がとてももどかしくて、気付いたら普段明かさない心の内を一方的に話していた。ああダメだ、止まらない。もう伝えてしまいたい。
「名字先輩、俺は……!」
「…っ……」
意を決して名字先輩の顔を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしていて言葉を飲み込んだ。
「先輩……」
「い、家!もうそこだから!ここでいいよっ、じゃあね!」
「……」
そんな泣きそうな顔さえ可愛いと思ってしまう俺は本当に先輩のことが好きなんだと思う。
涙を拭おうと手を伸ばすとハッとした名字先輩は途端に俺から距離をとり、走って行ってしまった。
……逃げられた。
―07―「おい赤葦、お前名字と何かあった?」
翌日、どことなくぎくしゃくしている2人を気にかけて声をかけたのは木葉だった。
ぎくしゃくしているのは2人ではなく主に名前の方だけなのだが。赤葦を避けているということにはほとんどの部員が気付いた。おそらく気付いていないのは木兎だけだろう。そのくらい名前の態度はわかりやすかった。
「告白しようとしたら逃げられました。」
「あー……あんのヘタレ。」
名前が赤葦に好意を持ってるのはバレー部3年の間では周知の事実である。そしてまた、赤葦も名前に好意を抱いてることも木葉は知っていた。
「俺が軽率でした。無意識に焦ったんだと思います。」
バレー以外では感情をあまり表に出さないからわかりにくいが、赤葦は名前に避けられて相当ショックを受けているようだった。普段年上の木兎をうまく扱っている賢い後輩が落ち込む姿を見て、木葉の先輩魂に火がついた。
+++
「おい名字。」
「なにー木葉。」
部活の休憩時間、木葉はドリンクボトルを洗う名前に声をかけた。
「赤葦をフったんだって?」
「は!?フるわけないじゃん!!」
木葉の質問に名前は驚いて持っていたボトルを落とした。名前は赤葦のことが好きだ。フるなんてことはありえない。
「あいつはそのぐらいに捉えてんぞ。」
「え……赤葦、何か言ってた……?」
「逃げるってお前……ねーわ。」
「だ、だって!緊張で心臓破裂しそうだったし……!」
明らかに告白する雰囲気だったのにそれをさせてくれなかったということは拒絶されたということ……赤葦がそう思うのは無理もない話だ。しかし実際のところ名前が逃げたのは極度の緊張に耐えきれなかったからであって、赤葦がどうこうという問題ではなかった。
「今の関係、崩したくないし……」
そして何より、名前は今の先輩と後輩という関係性を崩すことが怖かった。
「でも、赤葦はそれを越えようと覚悟決めたんだろ。お前も覚悟決めれば済む話じゃねーの?」
「……」
木葉の言う通り、今の関係性を壊すことになるのはきっと赤葦もわかっている。それを知ったうえで伝えようとしたのは、彼にとってもすごく勇気のいる行動だっただろう。
「別に部内の雰囲気とか考える必要ねーよ。盛大に茶化してやるからな。」
「……ありがとう、木葉。」
そもそも人を好きになってそれを伝えたいと思うことは何も悪いことではない。名前がいろいろと考えすぎているのだ。3年間共に過ごした木葉に言われるとなんだか妙に納得できた。
「うん。私赤葦のことほんと好き。」
すとんと素直な気持ちが名前の胸に降りてきた瞬間。
「えーー!?名前、赤葦のこと好きだったのかーー!?」
「!?」
「うわ……」
偶然通りかかった木兎に聞かれてしまった。木兎は初めて知った幼馴染の恋心に盛大に驚き、大声で復唱した。そして更に不運なことに、名前を捜しに来た赤葦がその後ろでぽかんとしている。間違いなく聞かれた。
「木兎の……ばか!!」
「え!?え!?」
「木兎お前、ほんっと……!」
事態を誰よりも早く理解した名前は顔を真っ赤にして逃げ出した。空気が読めなさすぎる主将に、木葉はもう溜息しか出なかった。
しかし、荒療治ではあるがこれは逆にチャンスかもしれない。
「おい待てよ名前……!」
「いい。お前は行くな。」
名前の後を追おうとした木兎を木葉が止めた。何故なら赤葦がすでに名前を追いかけていたからだ。
―08―(うわああああ……!!)
言うつもりなかったのに!言うつもりなかったのにーーー!!
一心不乱に走り抜けた校舎裏の隅で私は頭を抱えてしゃがみこんだ。
木葉のおかげでようやく素直に受け止められた赤葦への気持ちを、木兎がデリカシーの欠片もない大声で復唱するものだから……絶対聞かれた。
ていうか赤葦いつからいたんだろう。場合によっては木兎より前に私の言葉を直接聞いていた可能性もある。だとしたら恥ずかしくて死ねそう。
「名字先輩!」
「ひっ!」
少しずつ落ち着いてきたところでまた一気に心臓が跳ね上がった。今赤葦が背後にいることは振り返らなくてもわかる。
「あ、ああの!あれは、その……!」
「……」
さっきのことを誤魔化そうと言葉を探すけれど見つからない。だって、私が赤葦が好きなことは事実だから。言い訳でも嘘だなんて言いたくなかった。
「先輩は……ずるいです。」
「え!?」
振り返ると赤葦は今までに見たことない表情をしていた。走ってきたからかな、ちょっと顔が赤くなっていて、余裕の無さそうな表情がなんだか新鮮だった。
「先輩は部活のことを気にするだろうと思って……俺がどれだけその言葉を飲み込んできたか知ってますか?」
「え?」
「それなのにこうもあっさり言われるなんて……。」
「あ、あれは!いつの間にか口にしてて……わ、忘れて……!」
やっぱり私の「好き」の方も聞かれていたみたいだ。どうしよう、私もう明日から部活来れないかもしれない。
「……わかりました。」
「……!」
自分で「忘れて」と言ったくせにこうもあっさり了承されるとそれはそれで寂しいと思ってしまう。
でもそうだよね、赤葦だって困るだろうし……だったらお互いになかったことにして、また前みたいに戻れるんだったらそれが一番良いのかもしれない。
「名字先輩のことが好きです。付き合ってください。」
「……!?」
「さっきの名字先輩の言葉は忘れたので、俺から告白したってことになりますよね。」
「へ……いや……え!?」
赤葦の口から信じられない言葉が聞こえた。夢じゃないか、今目の前にいるのは本物の赤葦なのか、落ち着かない頭で考えた。そして赤葦の言葉を思い返して確認する。「好き」、「付き合う」、「告白」……何度も何度もイメージしていたフレーズが、確かに赤葦の口から出てきていた。聞き間違いじゃない。目の前の赤葦の顔は赤い。きっと私の顔はもっと赤い。
「わ、私も……!赤葦のこと、好き。付き合いたい……です。」
「じゃあ、一緒ですね。」
しどろもどろな言葉に頷いて笑ってくれた赤葦の顔を、私は一生忘れないと思う。
■■
閲覧ありがとうございました。
( 2017.9〜2018.2 )
end≫≫
≪≪prev