07
「ひゃっ、ちょっと待って……!」
「んだよ、早くしろ」
「だって、あっ、いきなり動かないで……!」
いつものように部室に入ろうとドアノブに手をかけた瞬間、中からさよりちゃんの卑猥な声が聞こえて固まってしまった。一緒に聞こえた声は多分狂犬ちゃんだ。え、どうしよう。一体この中で何が行われてるっていうんだ。果たしてこのままドアを開けていいんだろうか。
「いやいやいや!?どうせアレでしょ、マッサージとかそういうオチでしょ!?」
「いきなり何わけわかんねーこと言ってんだよ。開けるぞ」
「あっ、ちょっと待って心の準備が……!」
いろいろ想像してしまって狼狽える俺の気も知らないで、隣の幼馴染は何の躊躇もなくドアを開けてみせた。岩ちゃんマジ何なの。
「!?」
どんな状況が待ち受けていても広い心で受け入れようと決心した俺の目に映ったのは、狂犬ちゃんに肩車をされているさよりちゃんだった。
「……何やってんだお前ら」
「ちわ」
「部室の蛍光灯を替えてます」
予想外の答えに一気に脱力した。よかった……部室でいかがわしい展開が待ち構えてなくて本当によかった。
「脚立は?」
「壊れてたんです」
蛍光灯は確かに切れかかっていたから替えてくれるのはありがたい。けど狂犬ちゃんに肩車してもらう必要ある?してもらうにしてもジャージを履きなさいよ。うちの体操着のハーフパンツ短いんだから、さよりちゃんの生足が狂犬ちゃんの顔に触れてるじゃん。何それ羨まし……いやいや、よろしくない。
「てか、そのくらい俺やるよ。俺なら椅子に乗れば届くし」
「及川さんはダメです」
「何で!?」
狂犬ちゃんじゃあ届かないかもしれないけど俺なら多分届く。こういう作業を女の子にやらせるのもなんか申し訳ないし。そう思ったけどさよりちゃんに速攻で断られてしまった。そのくらい俺にもできるし。
「指怪我したら大変じゃないですか」
「!?」
「……さっさとやるぞ」
「わっ、だから急に動かないでってば!」
さよりちゃんの口からさらっと出てきたのは、セッターとしての俺を気遣っての言葉だった。確かにトスを上げる指のコンディションのために、日常生活でも気をつけていることは多い。それを当たり前のように理解してもらってることが嬉しかった。
ドキドキとうるさい心臓には気づかないフリをして、自分のロッカーに鞄を突っ込んだ。
***
「フンフーン♪」
制服も衣替えをしてそろそろ暑くなってきた今日この頃。それでも夕方以降は涼しくて、少し肌寒く感じた俺は休憩時間にジャージを取りに部室に向かっていた。
「!?」
そして部室のドアを開けてビックリ。何故なら部室のベンチにさよりちゃんが横たわっていたから。調子が悪くて倒れたのかと思って慌てて近づくと、すうすうと呼吸の音が聞こえて安心した。寝てるだけのようだ。しかも枕にしているのはベンチに置きっぱなしだった俺のジャージだ。別にいいけどね。
「まったく……ん?」
さよりちゃんの手元にはアルバムが開きっぱなしで置いてあった。いつからあるかはわからない男子バレー部のアルバムで、歴代の部員達の写真が載っている。最近のページには去年の春高予選での集合写真と、合宿でわいわいしてる写真が入ってる。これを見ながら寝ちゃったんだろう。
「……そーだ!」
いいこと思いついた!
俺は自分のロッカーの鞄からスマホを取り出してカメラを起動させた。さよりちゃんも立派な青城バレー部の仲間なんだから、アルバムに写真を入れてあげたいと思ったのだ。
カシャ
眠るさよりちゃんにカメラを向けてシャッターボタンを押した。うん、いい感じに撮れた。
「見ぃーちゃった〜」
「おまわりさーん」
「!?」
第三者の声に思わずギクリとした。声がしたドアの方を見ればニタニタ顔のマッキーとまっつんが覗いていた。いや、別に何もやましいことしてないし。おまわりさん呼ばれる意味わかんないし。
「お前それ盗撮だべ」
「いやこれはね!?さよりちゃんの写真もアルバムに入れてあげようと思ってね!?」
「だったらフツーに起きてる時に一緒に撮ればいいじゃん」
ど正論だ。確かに言われてみれば女の子の寝顔を盗撮って、けっこうアウトなことをしてしまったのかもしれない。どうしよう、また俺の好感度が下がってしまう。
「さよりちゃん起きてー」
「ん……」
「ハイ写真撮るよー」
「しゃしん……?」
唖然とする俺の手からスマホを奪ったマッキーが名前ちゃんを起こしてインカメに入るように近寄った。さよりちゃんは起きたばかりで寝ぼけ眼だったけどマッキーは容赦なくシャッターボタンを押した。ていうか何で人のスマホでツーショット撮ってんの。
「……え!? あの、今写真……」
「はい次俺とツーショットね。うぇーい」
「うぇーい?」
「ちょっと!それ俺のスマホ!!」
続いてまっつんも流れるようにさよりちゃんとのツーショットを撮った。だからそれ俺のスマホ。ていうかふたりしてズルい。俺もさよりちゃんとのツーショット欲しい。
「もー、やめてください寝起きなのに……」
「さよりちゃん俺とも撮ろ!」
「い、嫌です」
「えー!?」
あっさり断られた。さよりちゃん俺にだけ冷たくない?
***(国見視点)
「あっ、国見くんおーい!」
「……どうも」
俺に嫌われてるかもしれないという誤解が解けた後、古賀さんは人懐っこい笑顔を浮かべて駆け寄ってくれるようになった。及川さんが古賀さんのことを犬扱いしてたけど、その気持ちはなんとなくわかる。警戒を解いてこうやって近づいてもらえると、犬に懐かれてる気分になる。
「それ何飲んでるの?」
「ソルティーライチです」
「え、なんかオシャレ!」
「はあ」
古賀さんのオシャレの基準とは。学校の自販機で売っている飲み物にオシャレなものなんてあるんだろうか。
「古賀さんはぐんぐんグルトですか」
「あっ……」
古賀さんが手にもっていたのは飲むと身長が伸びると言われている商品だった。まあ確かに、ぐんぐんグルトよりはオシャレに見えるかもしれない。
俺が指摘すると古賀さんは恥ずかしそうに視線を泳がせた。顔もちょっと赤い。別に恥ずかしがるようなことじゃないのに、そんな反応されるとからかいたくなってしまう。
「伸ばしたいんですか?」
「ま、まだ高2だし、伸びる可能性はあるし……!」
古賀さんの身長はおそらく160センチもないだろう。バレー選手じゃなくて一般的な基準でも大きい方ではない。女子だし、リベロだからそこまで身長伸ばす必要ないんじゃないと思うけど、多少は気にしているらしい。
「あ、チョコレート食べます?」
「いいの?」
「この前のと同じやつですけど」
「ほんとだ。まだ残ってたんだね」
「まあ…… 古賀さんの餌付け用ですし」
「えっ」
「あ」
やべ、口がすべった。
俺は普段チョコレートは食べない。矢巾さんが、古賀さんは甘いものが好きって言ったから打ち解けるきっかけになればと買った物だ。金田一に言われて初めて避けてるように見えていたと自覚して、それなりに申し訳ないと思った。
「……何でもないです」
「さすがに誤魔化せないよ国見くん……貰うけど」
「貰うんですね」
「えへへ。餌付けされてるみたいだからね」
先輩に対して「餌付け」なんて失礼なことを言ってしまったのに、古賀さんは特に気にする様子もなく嬉しそうにチョコレートを受け取った。
「身長はこのくらいがちょうどいいと思いますよ」
「うん?」
古賀さんはなんか先輩っていう感じがしない。本人の公認も貰ったことだし、これからもチョコレートは鞄に忍ばせて餌付けしていこう。ちょうどいい位置にある古賀さんの頭を撫でながら思った。
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