傘々 放課後、廊下の窓から空を見た雅人は、盛大に顔をしかめた。 「うわ……」 並んで、みのりも外を見る。 「ああ、降ってきたね」 空は、時間のせいだけでなく暗く、土砂降りの雨を降らせていた。 「朝はあんなに晴れてたのに……」 昇降口にむかって歩きながら、雅人はぼやいた。 傘など、持ってきていない。 「天気予報は、見てこなかったのかな? 降水確率は高かったよ?」 「……そういえば、みのりは傘、持ってきてたんだっけ」 朝、彼女が天気に不似合いな荷物を持っていたことを思い出す。 こんなに晴れているのに物好きな、と思ったが、みのりの判断の方が正しかったらしい。 「僕は、折りたたみで十分だと思ったんだけどね。お祖母ちゃんに、大きな傘を持って行けと言われて」 言いながら、みのりはちらりと外へ視線をくれる。 「素直に聞いて、正解だったな」 たしかに、折りたたみ傘では不安な雨足だ。 「……みのり、悪いんだけど、」 靴を履き換えながら、雅人は重い口を開いた。 廊下を歩きながら考えたものの、背に腹は代えられない。 「今日は俺、まっすぐ家帰るわ」 この土砂降りの中、遠回りをすることはできない。 もう少し穏やかな雨ならば、「傘に入れてくれ」と言っても良いのだが……相合傘などすれば、二人ともずぶ濡れになるのがオチだ。 だから、雅人は一人で帰るつもりだったのだが。 「え?」 みのりは、きょとんと首を傾げる。 自分の傘の残る傘立てを指差し、「あれ、使ってくれて構わないよ?」と言った。 「え、いや、構うだろ」 慌てる雅人に苦笑しながら、鞄から折りたたみ傘を取り出す。 「僕は、これがあるから大丈夫だよ」 「あ、じゃあ、こっち貸して」 雅人は、やはり慌てて、みのりが手に持つ折りたたみ傘を取り上げた。 せっかく大きな傘を持ってきているのに、わざわざ心もとない折りたたみ傘を使う必要はない。 と言うか、借りる人間が、そちらを使うべきである。 「……それ、いかにも女物な柄だけど、良い?」 「え、あー……」 言われて見てみれば、たしかに、可愛らしい柄物だ。色も、男物ではあまりない取り合わせである。 朝、持っていた傘は紺色の無地だから、たしかにそちらの方が様にはなるだろう。 一瞬、迷う。 だが、 「良いよ」 そう言って、小さな折りたたみ傘を開いた。 ※ ※ ※ 帰る道すがら、みのりはなぜか、楽しそうに傘を回していた。 その、鼻歌でも聞こえてきそうな足取りの軽さに、雅人は首を傾げる。 心当たりは全くない。 「みのり?」 「何かな?」 呼ぶと、一歩前を歩くみのりがくるりと振り返る。 傘があるから仕方がないとはいえ、身体ごと振り返り、一瞬でも後ろ向きに歩を進めるのが危なっかしい。 雅人は、ひやひやしながら、「何でもない」と答えた。 みのりは前に向き直り、楽しげに水たまりを蹴る。 「こうしていると、僕たち、傘を交換したように見えないだろうか」 歌うようなみのりの声に、雅人はふと、今の自分たちが周囲からどう見えるかを想像した。 雅人が差しているのは、いかにも女物の華奢な傘だ。 対するみのりが差している傘は、紺無地の大ぶりな傘。柄こそ細く華奢だが、遠目には男物と見えないこともない。 傍目に――と言うか、遠目にはたしかに、傘を取り換えたように見えるのかもしれない。 そこまで考え、ようやく、この土砂降りの中、わざわざ傘を交換する理由がいくつもないことに思い至った。 「それで、そんな嬉しそうなのかよ……」 「ん? 何か言ったかな?」 独り言に、再びみのりが振り返る。 「何でもない」と手を振って前を向かせ、熱くなった頬を冷ますように仰向いた。 『彼が、彼女の為に』 実情がどうあれ、そう見えているのならば、嫌がるいわれはない。 それをみのりが喜んでいるのなら、尚のこと。 だが、一緒になってそれを楽しがるには、気恥ずかしさが勝る。 「……」 赤くなった顔を隠してくれる傘と土砂降りに、少しだけ、感謝した。 目次 しおり |