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四十九日の法要を終えた私は、音也たちと別れ、自宅へと戻った。
喪服の上着を脱ぎ、ネクタイを軽く緩める。すると、幾分、身体が楽になった。それから、私はリビング中央のソファーに腰を下ろした。
翔はいつだって、私の隣に座っていた。時に笑い、時に怒り、時に寂しげな表情を見せながら…。
見慣れたはずのリビングだというのに、翔が居ないというだけで、こんなにも広く感じてしまうものなのだろうか?
ぼんやり辺りを見回し、ふと先程脱いだ喪服のジャケットに目を止めた。
ポケットの端から僅かにはみ出していたのは、帰り際、音也から渡されたもの。
白く、長細い封筒。 翔が生前、私に内緒で、彼に託していたらしい。 もし、自分にあったら、私に渡して欲しい。それまでは、誰にも口外せず、預かっていて欲しい――と。
私はポケットからそれを引き抜き、封を開けて、中に収まっていた四つ折の便箋を徐に開く。
そこにはセピア色のインクで、翔の想いが認(したた)められていた。
一ノ瀬トキヤ様
初めてお前に、トキヤに、手紙を書くな。
お前が今、この手紙を読んでいるということは、俺はもうお前の傍には居られなくなってしまったということなんだな。
それがほんの少し、寂しく、そして哀しくもあるよ。
トキヤ、お前は覚えてるか?
俺たちが初めて出会った日のことを。
正直、お前の第一印象は、俺の中で最悪だったんだ。
何ていけ好かないヤツなんだって。何でも涼しい顔で熟して、発する言葉は一々刺があってさ。
けど、お前の優しさに触れ、弱さに触れ、少しずつお前を知る度に、俺の心の中で、トキヤの存在が大きくなっていったんだ。
それで気付いたら、お前を好きになってた。
俺はお前の傍に居られたことを、心から愛したことを、僅かだって後悔なんてしてない。
一緒に過ごした時間は、凄く短いものだったのかもしれないけど。それでもお前のお陰で俺は、何事にも変え難い、素敵な人生を歩むことが出来たんだからな。
“ありがとう”――そんな有り触れた言葉でしか、この胸に溢れるお前への想いを、言い表せないのが、とてももどかしく歯痒いけど、どうか言わせて欲しい。
俺を愛してくれて、沢山の掛け替えのないものを分けくれて、本当にありがとう。
お前の傍に居ることが出来ないのは悔しいけど、哀しいけど、俺は空の一部になって、いつまでもお前を見守ってやるから。
お前に出会えて良かった。
お前を愛せて良かった。
俺は本当に…、本当に幸せだったよ。
来栖翔
手紙を読み終えた私は、便箋を持ったまま、ベランダへと出た。
柔らかな春の風が、私の横を通り抜けていく。沢山の薄紅色の雪を引き連れて。
ソメイヨシノ。
翔が好きだった、花。
――翔…。
私の願いがもし叶うというのならば、どうか、貴方の声を聴かせて欲しい。
私の名前を、何時ものように呼んで欲しい。
その温もりを確かめるように、貴方を抱きしめさせて欲しい。
貴方に会いたいと願う気持ちは、今もこの胸に、絶えず溢れてくるけれど…。
それでも私は、私になりに歩いていこうと思っています。貴方が遺してくれた、大切な記憶たちと共に。
そして、私はもっと強くなります。翔の為に、何より自らの為に。
貴方が驚く程に強くなって、いつか生まれ変わった貴方に会いに行きますから。
たとえ、その姿や声が変わってしまっていたとしても、必ず、貴方を見つけ出してみせますから。
だから、翔…。
“さよなら”は告げないでおきますね。
「……翔」
口に出して、改めて愛しきその名を呼ぶ。
私は決して忘れはしない、貴方のことを。貴方と過ごした日々を。
その全てを。
――トキヤ…。
ふと、誰かに呼ばれたような気がして肩越しに振り返れば、暮れ掛かった空の中、一際光り輝く1番星が瞬いていた。
(20120721)
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