うたプリ | ナノ





 さよならは言わないよ
 君はちゃんと、この胸の中に存在(い)るから――。



「…翔、これで、ホントに向こうの世界に行っちゃったんだね」

 寺での経が終わって。墓前で線香から立ち上っていく煙を追って空を見上げながら、ぽつりと音也が呟いた。

「…えぇ、そうですね」

 短く言って、自分も天を仰ぐ。
 途端、視界に広がる、眩しいくらいの蒼の青。
 遠く果てしないこの空の何処かに、彼は居るのだろうか――?
 私はふとそんなことを思った。



 good-bye letter



 二月の始めの雪の夜、翔はひとり天上へと旅立ってしまった。
 心臓病――それが、彼を最期まで苦しめた病名だ。 弱った身体は癌細胞を生み、それを発見した時には、脳にまで転移していて。最早、手の施しようがなく…、末期だった。
 主治医からは、余命三ヶ月だと宣告されたが、翔は生きた。生き続けた。
 三ヶ月という限りある時を、誰よりもひたむきに、そして懸命に。最後の一瞬まで、精一杯、生を全うしたのだ。
 しかし、ずっと彼の傍に居た、私は。
 何もしてあげることが出来なかった。
 苦しみを、痛みを、必死に堪える翔のその手を、ただ握ってあげることぐらいしかしてやれなかった。
 守ると誓いを立てたというのに、守ってあげることは疎か、その夢でさえ叶えてやることが、出来ないままに…。
 儚い命を前にして、私は、余りにも無力だったのだ。

「……トキヤ、そろそろ行こう。もうみんな、入り口のところで待ってるよ」
「…えぇ」

 もう一度だけ手を合わせてから、私たちはそこを後にする。

「今日はすみませんでした。私の我が儘に、貴方を付き合わせてしまって」
「何言ってるんだよ、そんなのトキヤらしくない。これぐらい、朝メシ前だって。翔は俺にとっても、大切な仲間だったしさ。それは、今日来てくれた人たちも、きっと、俺と同じ気持ちだと思うよ。翔、みんなに好かれてたからさ」

 音也と並んで歩く。ざく、ざくと。地面を踏み締める度、境内に敷き詰められた玉砂利が鳴く。

「……トキヤは、大丈夫なの?」
「え?」

 向けられた言葉に、私はほんの少し面食らってしまった。

「翔が入院している間、ずっと付き添ってたんだろ?精神的にも、肉体的にもキツかったんじゃない?幾ら一ヶ月以上前のこととは言ってもさ」
「…いえ」

 私は音也の問い掛けに、きっぱりと否定する。

「私は平気ですよ」

 これは嘘ではない。
 翔の看病に時間を費やしたことを、私は微塵も悔やんではいなかった。
 連日連夜の泊まり込みも、病院からスタジオや現場に通うことも。それを辛いとか、大変だとか、一度たりとも感じたことはなかった。
 彼の苦しみや痛みに比べれば、私の心身の疲労など。
 それに…。

「私にとって翔と共に過ごす時間が、何より大切でしたから。だから、辛いと思ったことはありませんよ」

 しかし彼は、私の身体を気遣ってのことなのか、度々帰宅することを勧めてきた。

『明日は俺のところに来るんじゃねぇぞ。…バーカ、そんな、顔すんなって。別にお前に来て欲しくないって意味じゃねぇんだからさ。たまにはお前にも、ゆっくり休んで欲しいんだよ。トキヤにはさ、俺の為に、頑張り過ぎないで欲しいんだ』

 一分一秒、その刹那さえ。限りある時間を無駄にしたくはなかったのに。
 私の気持ちとは裏腹に、翔はそう言って――。
 すると唐突に。一つの疑問符が脳裏を掠めた。

「……どうしたの?トキヤ」

 二、三歩進んでから、立ち止まった私に気付いて、音也が振り返る。

「トキヤ…?」
「彼は…」

 足元に無数に転がる白い玉砂利を見つめながら、私は口を開いた。

「翔は私と居て、本当に幸せだったのでしょうか…?」
「……トキヤ」
「病魔と必死に闘う翔に、私は何もしてやれなかったのです」

 それは今もこの胸の中で、どうしようもないくらいに、やり場を無くし渦巻いている思い。
 哀しみと悔恨の念。

「いや、病が再発する以前だって、私はもっと彼のことを考えてやるべきだったのかもしれない。もっと労ってやるべきだったのかもしれない」
「………」
「私は優しい言葉など掛けたことが無かったんです。もしも…、もし、やり切れない思いを抱いたまま、彼が亡くなったのだとしたら、それは私が彼に――」
「翔はそんなこと、これっぽっちも思ってないって」

 私の台詞を遮って、ぴしゃりと音也が言い放つ。

「眩しいくらいよく笑ってた翔が、幸せじゃなかったなんて、ある訳ないだろ」

 微かに険しくも、真っ直ぐな音也の瞳が、私を捕らえた。

「忘れたの?翔がお前に言ってた、言葉」
「……翔の、…言葉…?」

 私の脳裏に、これまでの記憶が走馬灯のように駆け巡る。
 あの日――。
 翔を誠心誠意をかけて愛すると心に誓った、あの肌寒い冬の日。
 少しはにかみながらも、溢れんばかりの笑顔を湛えて、彼は私にこう告げたのだ。

『バーカ、今更、何言ってるんだよ。俺にとっても、お前は何より変え難い存在だよ。これからもずっと、お前の傍に居てやるから。だから、お前もずっと、俺の傍に居ろよな。――約束…、だぞ』


 さざ波のように。
 胸を、心を、全身を揺さ振る、翔の愛しき声。言葉。
 リフレイン。

「その言葉こそが、トキヤに対する想い、そのままなんじゃないの?」
「………」
「トキヤが翔を大切に想っていたように、翔もまた同じように、お前が大切だったんだよ」

 押し黙ったまま、紡がれる言葉に、ただただ耳を傾ける。

「翔は誰よりもトキヤが好きだったんだよ。そして、何よりトキヤと一緒に居られて、幸せだったんだ。その想いは決して偽りなんかじゃない。偽りなんかじゃないよ」
「……そうですか」

 ややあって、私は吐息のように言葉を漏らして、それからゆっくりと空を見上げた。
 鮮やかな白さの雲を浮かべた、眼に染み入る蒼さの空を。

「…そう、ですか」

 視界の中、映る青空が僅かに滲む。 いつの間にか、一筋の雫が頬を伝っていた――。



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