会社近くの薄暗い路地裏にたむろしている細身の男は、いつも1人だった。
入りたくて入ったわけでもない、毎日ただ業務の繰り返しを行う日々に現れた異質な存在は私の目を惹いていた。
お昼休憩の際に窓から覗くたびに、ぼんやりとどこかを見つめた様子で座り込む男に関心を持ってしまったのは、必然だったのかもしれない。しかし、これは私にとって人生最大の過ちだったに違いない。
*
「あの、こんにちは」
あの日の私はきっとどうかしていたのだ。前日が給料日だったから?好きな俳優が出ているドラマを見れたから?理由はもう思い出せないが、あの日の私は酷く機嫌がよかった。
それは毎日路地裏に座り込む怪しい男に声をかけてみようと思うぐらいには――
「…」
男には無視をされた。まあ、知らない人間に声をかけられた反応と思えばこれは普通だろう。
そして、普通ならここで私は会社に戻り、淡々とお昼休憩を済ませればいいものを何を思ったのかその時の私は二言目を紡いだのだ。
「いつもここにいますよね?何をしているんですか?」
「…」
またもや男は無視をした。
しかも、男がどこかイラついたように首をかきむしる動作はこちらまで首がかゆくなってきそうである。これ以上の反応は望めないとようやく気づいた私は、自分の手に持っていたコンビニのパンと飲み物が入った袋を彼に差し出していた。
「これ、食べてください」
ガサガサとビニールのこすれる音に反応したのか、ようやく視線があった男の顔は、少女漫画にありがちな薄幸の美少年や端正な顔つきの好青年…というわけではなかったが、ぎょろりとした瞳と視線がかち合うと、背骨の奥からぞくぞくとした今までに感じたことのない感覚が走った。
恐怖とも畏怖ともとれるような初めての感覚に思わず言葉を詰まらせていると、男は私の手から素直に袋を受け取った。
ほ、と一息ついたのもつかの間だった。
ビニール袋は彼のもった先からボロボロと崩れ、最終的にそこに残ったのはチリだけだった。何が起こったのか分からずに、動けないでいる私を見て男は『次はお前がこうなる番だ』とでも言いたげな視線を私に見せた。
言葉で脅されたわけでも、直接殴られたわけでもないのに脳みそを鉄骨で叩かれたようなぐわんぐわんと酔いそうな感覚に陥る。
何も言い返すことができずふらふらと佇む私に1つ舌打ちをして去っていく細い後ろ姿を、私は、ただ見ていることしかできなかった。
前 次