「”鶴”は正確に言うと、あんたの言っている白い男ではない」
「は?」
ずず、と自分でどこからか勝手に用意してきた茶をすすり、鶯丸は淡々と答えた。しかし、その答えは私の推測を全部打ち消すものであり、じゃああの夢はなんだったのかとか鶴と白い男の言動の類似性はただの偶然だったのかとか色んなことが頭の中をぐるぐると回っていく。
ぐるぐる回って、回って、ぴたりとその回転は止んだ。
「は〜〜〜〜…じゃあ鶴は何者なのさ…」
息を大きく吐いて倒れこむ。難しいことを考えるのは苦手だ、あそこまで考えていたものが全部間違いだったなんてもう再び考えることが嫌になってしまうではないか。鶯丸にじっとりとした視線を送ると、彼は眉を下げて「随分と変わったな」と懐かしむように笑顔を見せた。
「私は何も変わってない…」
三日月もそうだった。私なのに私じゃない誰かの話をしていて、その真実を告げてくれないのだ。なんだかむかむかしてきて、腹いせに彼の腕についているぼんぼんを無理矢理引っ張ると「茶が零れる」と真顔で注意されてしまい、元から良くなかった私の機嫌はいよいよ急降下した。
「…変わったさ。こんなにはきはきと喋って、自由に動き回って……ずっと人間らしくなった」
何かを思い返すように瞳を閉じる彼が何を考えているか私には全く分からない。けれど今話しかけるのは不粋であるような雰囲気を漂わせているものだから、私は大人しく黙って茶を啜った。すると彼は突然語り出した。
「鶴は白い男ではないと言ったが、それは半分正解で半分は誤りだ。あんたがこの先ここで鶴と暮らすならきっと知らない方がいい。…それでも聞きたいか?」
「何も知らないでいるよりは…ていうか私がここで暮らすことは決定なんだね」
「まあ、そうだな。…三日月に聞いたがあんたは名前を教えたんだろう。それならもう無理だな」
ははは諦めろと鶯丸は笑うが、私は一切笑えない。そもそも名前を教えたから帰れないという意味が分からない。鶴が神様だとでも言うのだろうか。
「神様じゃあるまいし」
ぽつりと呟くと、鶯丸はきょとんとした顔で「神様だろ、正確には付喪神だが」と返した。
「え?待って!そんなの聞いてない!」
「……そうか。記憶がないというのは不便だな」
彼は神妙な顔をして、鶴が刀の付喪神であること名前を教えるとその神に魂を掴まれてしまうことなど諸々を私に教えてくれた。誰もそんなこと教えてくれなかったじゃないかと叫びたいが、この原因である鶴が私にわざわざ教えるわけがない。
「鶴は私を騙してここに閉じ込めようとしたの」
「騙そうという気はなかっただろうな。あれはまだ子どもで、単にお前が気に入っただけだ」
「じゃあ鶴が白い男で半分正解ってどういうことなの」
どんどんと逸らされていく話をようやく聞きたいところに戻すと、鶯丸は失敗したなとでも言うように短く息を吐いた。
「…鶴は、白い男の過去の姿だ。あんたと過ごした記憶もそれより前の刀としての記憶も何もかも忘れた生まれたばかりの付喪神だ。俺や三日月は鶴が幼くなってからもここに来ていたから顔見知りだがな」
「…意味がわからない」
「分からなくていい、とにかく鶴は白い男として過ごした記憶がない。だから別人として過ごしていけばいい。きっと色々なものを見たかもしれないがそれはただの夢だと思えばいいさ」
彼は三日月よりは詳しい話をしてくれたものの肝心なところは何も教えてくれない。私だけ蚊帳の外に置かれてどんどん話が進んでいくのが気持ち悪かった。それに、鶴のことを隠そうとする理由も分からない。もう現世に帰れないというのなら、私にだって聞く権利ぐらいあるはずではないか。
「私は、本当の鶴のことを知りたい」
鶯丸は何も答えない。
「鶴は本当はなんていう名前なの?」
押し黙ったまま空の湯呑を見つめる彼は何か考えている様子だった。
「鶯丸!」
鶯丸の肩を掴むと、彼はゆっくりこちらを振り返り耳元で小さく『つるまるくになが』と私に囁いた。その瞬間だった。まるで走馬灯のように脳内をめぐる映像の数々がまるでついさっきまでこの場で起こっていたかのような錯覚に陥り、私は思わず自分の両足に恐る恐る触れた。
全部、思い出した。
私が『審神者』として彼らと共に戦い、戦が終結したこと。皆と別れて現世に帰還しようとしたところで鶴丸に神隠しを迫られ、逃げようとした結果足の腱を切られてしまったこと。神域に連れてこられたにも関わらず私が死んでしまった原因が不治の病であること。…もうそこからの記憶はないため、私が今に至り、転生したことが伺えるが「鶴丸は私がいなくなったあと、どうしたの」と誰に問うでもなく呟けば、「発狂して、精神が退行した結果があの姿だ」と鶯丸が無表情のまま私に告げた。
「そう…」
自分の足が、まるで自分のものではないような感覚に襲われ、何度も足を触っていると鶯丸が私の手を止め、頬に触れた。
「だから聞かない方がいいと言ったんだ」
私はいつの間にか泣いていたらしい。止めようとしても次々と溢れてくるそれを白い着物が吸っていく。頭の中では、床に臥せってもう息絶え絶えな私に向かって鶴丸が何度も口づけを落とす姿と、『真名を教えてくれ』と涙声で迫る声が繰り返し流れており、もしかしたらこの涙は彼の涙なのかもしれないとも思った。
「鶴丸は、私の真名を知らなかったのね」
「あんた…、主は頑固だったからな。決して真名だけは教えなかった」
「じゃあ鶴丸はどうやって私を隠したの…?」
「真名は奪えなくとも、身体の繋がりさえあればどうにか連れていくことはできた…。まあ、完全でなかったから主は本来死ぬはずのない神域で病気なんかにかかって数年ともたずに死んだんだ」
鶴丸が望んだ生活は、彼からしてみれば本当に一瞬で終わってしまったのだろう…神域に行ってすぐ病気にかかりずっと寒さに凍える私に、鶴丸はいつも火鉢を傍に置いて傍にいてくれたものだ。その生活は私が望むものではなかったけれど、長くない命を彼のために使いたいと、あの時の私はどうにか鶴丸を幸せにしたいと考えていた。
…そういえば、この着物もそうだ。白地に赤い刺繍が入った美しい着物は鶴丸が私と結納の儀をするために用意したものだった。私がこんなに派手なのは似合わないと言っても、君に俺の色を着せたいんだと蕩けるような顔を見せた彼の笑顔はきっと後にも先にもあの一回だったのだろう。何度思い返しても、厳しい顔をしているか怒っている顔、そして涙顔の鶴丸しか思い出せない。
「鶴丸は幸せだったのかな」
あんなに泣いていたのに、と小さく私が呟くと鶯丸は「さあな」と他人事のような返事しか返さなかった。
「本人に聞いてくればいいさ…きっと鳥居のところにいる。”鶴”は鶴丸国永だった時のことを忘れているようだが、本質は変わらない。主が鶴丸国永とこの先暮らしたいと思うなら、きちんと名前を呼んでやってくれ」
鶯丸はそう言い切ると、私が瞬きをする間に空の湯呑だけを置いてどこかへ消えてしまった。『鶴丸国永』その名前を口の中で一度呟いてから、私は鳥居に走った。
*
息を切らしながら鳥居に走る。何故か廊下は永遠に続くことなどなく、すぐに玄関にたどり着いた。走って、走って石畳の階段までくると、そのずっと下に”鶴”が一人佇んでいるのが見えた。
「鶴!」
彼に向かって名前を叫ぶが、鶴は壊れた鳥居をじっと見たままこちらを振り返ろうとはしない。足をひっかけながらも急いで長い階段を降りると、鶴が泣いているのが分かった。
「俺は大きくなれないんだ、分かってる」
そう呟く彼は、きっと自分が何者であるのか薄々分かっているのだろう。精神が退行して記憶をなくしていても、きっと鶴丸国永の記憶が端々にしみついており完全になくすことなどできない。だからこそ、鶴丸国永を思い出してしまえば”鶴”は消えてしまう。そのことを彼は怖がっているのだ。
「鶴…話を聞いて」
一歩近づくと、彼は涙に濡れた瞳で私を見上げた。
「俺じゃ…”鶴”じゃだめなのか?」
何度もこすったのだろう、目元は真っ赤に染まっており白い羽織は涙でぐちゃぐちゃになっていた。私から逃げるようにする彼を抱きしめてやると、鶴は大声をあげて泣いた。
「あいつは、きっとまた君を傷つける!俺なら、鶴なら、君を大事にするのに…どうして…どうして…」
どんどん声は小さくなり私の着物を掴む力も弱くなった。涙声が落ち着いたと思うと彼はそっと私から離れて正面に私を見据えた。
「鶴に誓ってくれ、絶対に幸せになると…」
真剣な表情は涙のせいで少し可愛らしくも思えるが、声は真剣そのものであり私の気持ちまでも引き締めた。
「ありがとう、鶴…私今度はきっと幸せになるよ。そしてあなたも…幸せにする」
彼の小さな唇にひとつ口づけを落とし、「鶴丸国永」と名前を告げてやると視界は急に桜の花びらで見えなくなった。
何も見えないそれに驚いていると、急に腰のあたりが力強く引かれて私は誰かの胸に収まった。ぎゅうぎゅうと強く抱かれるせいで、顔を見る事はかなわないが、目の前に広がる白い羽織も、骨ばって細いが力のある腕も鶴丸国永、彼自身であると分かる。
「鶴丸、ただいま」
優しく語りかけると、一層腕の力が強くなり私は思わず噎せた。そうするとすぐに緩まる力に少し笑うと鶴丸はようやく口を開いた。
「君の、真名を教えてくれ」
「…もう知ってるじゃない」
「鶴じゃなく、鶴丸国永に君の名前を教えてほしいんだ…」
また強くなる腕の力を感じて苦笑しながらも、鶴に教えたのと同じ名前を口にすると彼がまた涙を流しているのが分かった。
「鶴丸は泣き虫ね…」
私の白い着物が彼の涙でぬれていくのを感じながらぽんぽんと優しく背を叩いてやると、今までの時を埋めるかのようにたくさんの口づけが降ってくる。
「あいしてる」と繰り返される言葉を一緒に受け取りながら、少し目線を彼の後ろにやると壊れた鳥居はもうどこにもなかった。ああ、これからは彼と永遠に過ごしていくのだなあとどこか他人事のように感じて目を閉じる。きっと、同じ過去は繰り返さないと固く決心しながら…
―――――――――――――
―――――――――
「三日月、よかったのか」
「…思い出させたのはお主だろう」
じっとりとした視線を向けられて「それもそうだな」と笑ってみせると、三日月は美しいかんばせを少し歪ませたあとすぐに元の表情に戻った。
「鶴はまた同じことを繰り返す」
「それは三日月の願望だろう?あの時だって、無理矢理主を鶴丸の神域から連れ出す必要などなかった」
「…」
彼は三日月の瞳を伏せて押し黙り、何も言わない。きっとこの男も分かっているのだ。鶴丸の精神をわざわざ不安定にさせたのが自分だということも、あのまま彼女を連れ去ってしまってもいいと考えていたことも。
「助けるふりをして、主が自分のものになればいいと思っていたのだろう?」
核心をつくように告げて、横目で彼の表情を確認すると意外にも鬼のような形相はしていなかった。くつくつと堪えるように笑い、俺をうっそりとした表情で見つめた。
「…俺は鶴と違って、何十年、何百年でも主を待てるのでな」
そう言い残し、扇子をふったかと思うと三日月は忽然と姿を消した。諦めの悪いじじいだと内心呟き、少し遠くに見える白い神域に目をやると入口の目印となる鳥居はすっかり姿を消していた。
「三日月、あんたにも俺にもきっと次はないな」
どうやっても入れない場所を想って目を閉じれば、彼女が笑顔で本丸を駆け回っている姿と共に彼女の隣にはいつも白い男がいたことが思い返された。
「俺もたいがい諦めが悪い」
大包平もそう思うだろう?白い神域を視界から少し外して笑う。もう一度だけ、そう思って見返したその先にはもうあの場所はなかった。
了
前 次