鳥居をくぐるとそこは不思議な世界だった―――

「ここはどこだ」

真っ白で雪でも降ったかのような景色が目の前に広がっている。高くそびえたつ石畳の階段までもが白くて、寒くはないはずなのに思わず腕をすってしまう。私の記憶違いでなければ今は夏迫る季節であり、今日は夏日だったはずだ。しかも私はさっきまで友人と神社巡りをしていて、ほんの2,3歩友人より先に鳥居をくぐっただけなのだ。想像もしていない事態に頭の中はごちゃごちゃとしているがもう一度鳥居をくぐれば帰れる、とすぐに考え直し後ろを振り向く。しかし無情にもそこにはガラガラと崩れ落ちた古い鳥居の残骸があるだけで、どう頑張ってもくぐれそうにはない。

「嘘でしょ…」

食べ物も飲み物もこの小さな旅行カバンの中に納まる程度のものしか入っていない。加えて、携帯は当然のように圏外で友人に連絡をとることもできないのだ。微かな希望を胸に辺りを見回すが人の姿などあるわけもなく、ため息を一つついた。
とりあえずこの階段を登って、上に人がいるか確認しようと一段目に足をかけた時だ。

「君」

背中を急につんつんと突かれ思わず、ぎゃあと色気のない声を出して後ろを振り返ると、周りの景色と同化してしまいそうな程真っ白な少年が立っていた。人とは思えない美しさに私は思わずはっと息を飲み、じいっと私の顔を見て視線を逸らそうとしない少年を見つめ返す。ビイ玉を埋め込んだような金色の瞳は、本当にものが見えているのか些か不安になる。瞬きすらもしない少年の姿に、これはもしかして幽霊というやつかと最初に感じたものとは異なる寒気を感じ、また腕をすると、少年はようやく口を開いた。

「君、名前は何ていうんだ?」

こてんと無表情で首をかしげた様子はまるでビスク人形のようである。思わず自分の名前をフルネームで名乗ると、彼は反芻するように私の名前をもう一度呟く。本日三度目の寒気を感じて癖になりつつある腕をする動作をすると、彼は初めて笑顔を見せた。

「いい名前だ。俺のことは鶴と呼んでくれ!君はさっきから腕をすっているが寒いのか?ひとまず俺の家に案内してやろう!」

先ほどまでの儚い様子はどこへやら活き活きとした表情を見せ、私の腕を掴む力は存外強い。冷たい腕の温度を感じながらも早く行こうと急かされ、引きずられるように石段を登っていくと目の前には大きな和風の建物がそびえ立っていた。その大きさに驚く暇もなく彼はどんどん腕を引いていき、いつのまにか私は和室の中にいた。
本当にいつの間にかであり、玄関に入った記憶も、この部屋に至るまでの記憶もないのが不思議だが、小さな彼が重そうな火鉢を私の傍に寄せる姿が可愛らしくて頬が緩んでしまい、いつのまにか些細な違和感は頭の中から追いやられてしまう。

「思う存分温まるといい。腹も空いただろう、今食事を持ってくる!」

ぴゅんと風の様に部屋から出ていく彼にはお礼を言う暇もなかった。先ほどの行動力からもそうだが彼は見た目に反した性格をしているらしい。火鉢で温まりながら部屋を見渡すが、関心をひくようなものは一切なく、上品な部屋ではあるがどこか寂しさを感じた。そういえば彼は見たところ10歳くらいのようだったが、両親はいるのだろうか、そもそも彼は人間なのか、様々な疑問が頭を回る。彼が人間でないならば、私はもしかしたらこのまま殺されてしまうことも考えられる。一度考えてしまった悪い考えは次々と負の連鎖を生み、彼は実は人間を食べる物の怪で私はこれからまるまると太らせられて食べられてしまうのではないか、と某童話のような考えに最終的に行きついた。

「よし、逃げよう」

考え始めてから約5分、彼はまだ戻ってこないはずだ。どきどきと心臓を鳴らしながら障子に手をかけるとすんなりとそれは開いた。この部屋に来るまでの道のりが全く記憶にないため、どうしたら出口に行くか分からないがひとまず逃げることが先決である。廊下を歩きながら庭であろうところを見ると、木々は白く、その背後にある高い塀とそのまた向こうに広がる空も白んでいる。見れば見るほどここは不気味であり、人の世ではないと実感する。次々と浮かぶネガティブな思考を振り切るように足を早めるが、どこまでも続く廊下と、同じ形の障子の戸はいつまで経っても変わらず私の視界に入り込んでくる。

もう何個目だろうか分からない同じ廊下の角を曲がったところで、いっそのこと少年に外を見に行きたいとでも言って逃げてしまえばよかったと後悔する。しかし、さっきから15分以上は歩き続けているため元の部屋がどこだったのかも分からない。手近な部屋を開けようとするが、ただの障子は鍵でもかかったかのように一向に開くことはない。精神的な疲労と、若干痛んできた足のせいもあり廊下に座り込むと、どこかから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「―――、―――、どこにいるんだ」

先ほどの少年の声であると気付くまで何秒もいらなかった。いきなりいなくなった獲物に怒っているのかと思い身をすくめるが、私の名前を呼ぶ声は酷く優しい。
その声はどんどん近づき、あれだけ歩いたはずなのに何故か彼は私の目の前の廊下に現れた。

「ああ君、こんなとこにいたんだな。俺を探していたのか?」

「そ、そうなの。何か広くて迷っちゃって」

彼は咄嗟に吐いた嘘を信じたようで、納得したように頷き再び柔らかい笑顔を見せた。逃げようとしたことはばれていないと心の中で一息を吐くと、彼は廊下に座り込む私に手を伸ばして立ち上がらせた。

「もう勝手にどこかへ行くのはダメだからな」

心配するように眉を下げる様子に、彼は本当にただ食事を私に提供しようとしていたのだとようやく気付く。幼い姿にほだされているだけかもしれないとも思うが、どう考えてもあの部屋から逃げたであろうことを咎めないことからも彼が優しい人―――物の怪かもしれないが―――だと私は結論づけた。

指を絡ませて握る小さな手に引かれながら先ほどの部屋まで戻るが、私が座り込んでいたあの廊下から部屋に戻るまでは一度角を曲がって10歩程歩いただけで15分もの時間がかかる距離では到底なかった。


*


「美味しい!」

彼が用意したのは湯豆腐だった。白い豆腐に添えられた色鮮やかな野菜も一緒に頬張ると、今まで食べたことのない味に頬は緩みっぱなしである。

「君は寒がりみたいだからな。温かいものを用意したんだ」

豆腐を食べ続ける私に彼は嬉しそうではあったが、私が食べている様子をただ見ているだけで、食事に一切手をつけようとはしない。

「鶴は食べないの?」

もしかして私がばくばく食べ過ぎるせいで彼が遠慮しているのかもしれないと箸を置くが、彼はお腹が空いていないと笑うだけで、最後の豆腐が鍋からなくなるまで水すら口にすることはなかった。

*


「どうしてこうなった…」

障子の戸を少し開けると目の前には夜が広がっていて、白い月だけが廊下を照らしている。

食事を終えてから私は鶴にせがまれるままに私の話を多くした。家族、友人、好きな遊び、食べ物、一つ言い終わる度に矢継早に彼が質問を続けるため、自分の個人情報は全て彼に渡してしまったと言っても過言ではない。
彼は私の話は聞きたがるのに自分の話は一切せず、「鶴」という名前が本名なのかすら教えてはくれなかった。そして一通り私の話をし終わったころには障子の外は夜になっていたのだから驚きだ。思い返せば、私が鳥居をくぐったのはまだ午前中で、彼に用意してもらった食事をとったのもおそらく昼だ。随分長く話し込んだとはいえ、もう夜になっているのは少々時間感覚がおかしい。腕につけていたはずの時計を見ようとすると、何故かその時計がいつの間にかなくなっているのだから余計におかしい。鶴にここに時計はないのかと尋ねても、「とけい…?」と首をかしげるだけであり、「もう暗いから夜だ!危ないから君はここに泊まるといい」と宿泊することが決定されてしまった。

もう帰るから泊まれないと言ってしまえればよかったのだが、彼以外に人の気配を感じないここで、しかも夜に1人になるのは不安しかない。意思の弱い私は、彼にあれよあれよという間に流され、彼に促されるままに風呂に入り、布団まで敷かれてしまった。
そして当然というように彼が私の隣に入り込み一緒に寝ようとするのだから、もう帰るとか帰らないとかそういう話どころではない。灯りを消した部屋の中は薄暗く、すよすよと静かに寝息を立てる彼は私の服を掴んで離そうとはしない。ちなみに今着ているのは彼に借りた白い浴衣のようなものである。脱いだ私の服や、部屋の隅に置いていたはずの荷物が風呂から出た時にはもう忽然と消えてしまっていることには突っ込んではいけないのだろう。

もうどうにでもなれと私も目を閉じる。起きたらこれが夢であればいい、きっとまだ友人と泊まった宿にいるはずだ。この数時間で途端に得意になった現実逃避をしながら眠りにつく。

金色の瞳が一晩中私を見つめていたことを、―――まだ知るよしもない。


前 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -