第27話


 今日の練習の最後に、予定通り町内会チームの皆さんとの練習試合が行われる運びとなった。烏野チームのスターティングは以前のレギュラーメンバーに加えて、主将の縁下くん、そして、あの北川第一出身の一年生ウィングスパイカーくんが入ることになった。このタイミングでもう一年生を起用するとは、烏養コーチもなかなかに攻めている。ただ、彼は影山くんの後輩ということもあり、一年生では唯一、過去に影山くんのトスを打ったことがある人間だ。私も先ほどのスパイク練を見て、烏野の主砲と言われていた旭さんが抜けた穴を埋める存在となり得るのは、きっと彼なんだろうなと思っていた。烏養コーチが彼の名前を呼んだ時、田中くんはあからさまにバチバチと火花を散らしていた。でも、それくらい熱くなれるのは良いことだ。お互いがお互いを意識して、もっと強くなれる。

 町内会チームには他の三年生、そしてセッターには、千鳥山出身のあの子が呼ばれた。試合に入れることが余程嬉しいのか、とても満足そうな表情をしている。彼のセットを見るのは、よくよく考えたらこれが初めてだ。影山くんにあれだけ自信満々な態度で接していたのだ。それはもう純粋に、とても気になってしまう。思わず彼の動きを目で追えば、ばっちりと目が合ってしまった。さらにおまけでにっこりと微笑まれた。先ほどの件の気まずさから、私はスッと目を逸らしてしまう。
 そして、目を逸らした先にはまさかの影山くんがいて、なんとも言えない表情で見つめられてしまった。……そういえば、さっき影山くんを無視してしまったんだった。気まずいの連鎖だ。ただ、影山くんはあのとき彼に詰め寄られていた私を助けてくれたので、少しバツが悪い。申し訳なさから何となく「がんばれ」と口パクで告げてみれば、影山くんは驚いたみたいに目をまるくしてから、コクリと頷いた。よくわからないけど、たぶん、これで大丈夫だ。

 いよいよ試合開始の笛が鳴る。
 縁下くんのサーブから始まって、内沢さんがそれを綺麗にセッターに上げた。流石の安定感。そして──注目のセッターのトスは、攻撃に入ってきた滝ノ上さんの頭上でピタ、と正確に動きをとめた。そして一番高い位置から、滝ノ上さんの腕が振り下ろされていく。ボールはそのまま一直線にライン際に入り、審判の合図とともに、町内会チームのスコアボードが捲られた。一連の流れを目で必死に追いかけながら「すご、」と思わず声に出ていた。
 それは、最近の影山くんのセッティングと酷似していた。トスの高さ、タイミング、ボールの回転、そして速さ。それら全てを綿密なコントロールのもと生成し、スパイカーにとって一番打ちやすいトスを上げる。今日初めて会って合わせたとは思えないほど、ドンピシャなトスワークだった。スパイクを打った滝ノ上さんも、かなり驚いているご様子だ。

「俺、影山先輩のトスずっと研究してたんです。見よう見まねが結構得意で。正直今のどうでした?」
「……あ?」

 影山くんがピクリと目端を釣り上げた。見よう見まね。つまりはコピーだ。彼は影山くんのトスをコピーして、いま再現して見せたのだという。確かに並外れた精度のトスだった。思わず見惚れてしまう程の。
 見よう見まねであんなトスが出来るなんて、彼はやはりかなりの実力者らしい。影山くんは面白くなさそうな顔をしているけれど、私は内心かなり興奮していた。彼と、影山くんのツーセッター。今、明確なビジョンが見えた気がした。これってもしかして、今年はすごいことになるんじゃないか。そんな気持ちが猛烈に溢れ出して、止まらなかった。

「い、いまのすっごいナイストス!滝ノ上さんもナイスキーです!」
「おーサンキュー!今日はギャラリーが元気だな」

 滝ノ上さんに茶化されたとて、今のは声を大にして称賛すべきだ。烏養コーチも感心したような表情を浮かべている。試合を見学している周りの一年生の反応はさまざまだが、やはり皆、彼のプレーに魅了されたようだ。たったワンプレーで、ここまで人の心を動かすのはすごいことだ。

「か、影山クーン。顔、顔、やべえから」
「別に、なんとも、思ってねえ」
「嘘つくなし!」

 日向くんと影山くんが言い合っている。影山くんがあんな顔をするのは確かに珍しい。でも、それこそさっきの田中くんだ。熱くなって、お互いがお互いを意識して、高め合うことが出来る。一年生に全く興味がないと縁下くんに言われていた影山くんも、これで彼に少しは興味を持っただろう。それが良い意味でも悪い意味でも、正直どちらでもいい。無関心こそ、真に打つ手がないというものだ。

 そこからは、まさに本気のぶつかり合いだった。田中くんと影山くん、そして一年生ふたり。コート内の人間も外の人間をも巻き込んで、ただの練習試合とは思えないほど白熱した内容になった。普段はスコアシートの書き込みに忙しい私も、今日は秋倉さんがそれを担当してくれたおかげで、最初から最後までずっと試合に集中することができた。
 サーブ前のルーティン、レシーブの位置取り、助走のタイミングと速さ、ジャンプの高さ。コート上に立つ皆のすべてを余すことなくこの目で見届けた。やっぱり烏野の皆は、興奮して泣きそうになるくらいかっこいい。月並みな言葉でしか表せないのが、すごくもどかしい。改めて、私は今日もここに立っていられて良かったと思う。新しいメンバーを加えて、大好きなチームの皆と、また強くなれる。

 試合の最後は、影山くんのサーブで決まった。威力、コントロールともに最高値。時間が止まって見えるほどの、空中姿勢の美しさ。彼のサーブは、過去の一瞬を常に超えてくる。あれをもし上げられるとしたら、今いるメンバーでは西谷くんくらいだろう。でも、残念ながら西谷くんは烏野側だ。試合終了のホイッスルが鳴り、烏野チームと町内会チームの戦いが終わる。

「ナイッサー!さすが影山くん!」
「あざす!」

 練習というよりも、最高のエキシビジョンマッチを見た気分だ。すっかり夢中になってしまい、応援にも熱が入った。影山くんも最後に気持ちのいいサービスエースを決めて、すっかり機嫌を取り戻したように見えた。最後のサーブには、きっと皆が見惚れただろう。今日の一試合を通して、影山くんはトスだけじゃなく、サーブもスパイクもレシーブも全部すごいんだって見せつけるような活躍ぶりだった。自分のことじゃないのに、なんだか誇らしい気持ちになる。心底思う。私はやっぱり、影山くんのバレーが大好きなのだと。

「まーた一年にスゲーやつ入ったな。烏養、これから大変そ〜」
「うっせー。またお前らにも付き合わせるからな」
「じゃ、とりあえず今日は一杯おごりで」

 滝ノ上さんたちが烏養コーチに絡んでいる。ほんの一部ではあるが、この時期に一年生も含めて試合を出来たのは本当に良かった。烏養コーチの素晴らしいご判断と、町内会チームのお兄様方には大感謝だ。
 試合に出ていたメンバーはクールダウンに入り、一年生たちは後片付けに走りまわっていた。部員の人数が多い分、練習後の個々の作業負担はかなり減っている。とはいえ、部員たちにはやっぱり練習時間の確保を第一に考えて欲しいので、片付け以外の雑用は、極力マネージャーでやりきろうと五人でも話していた。
 ……そういえば私、今日はほとんどマネージャーの仕事をしていない。仁花ちゃんの方は問題なかっただろうか。今からできることといえば、今日一日で得た沢山の気づきを活動日誌に書き記すことと、部員の居残り練に付き合うことくらいだ。活動日誌はいま、秋倉さんが持っている。彼女は先ほどの試合のスコアシートをまとめるのに忙しいはずだから、今日ばかりは日誌を譲ってもらおうと思い、彼女の姿を探した。
 
「……あ、秋倉さん!」

 彼女は体育館の隅っこの方でしゃがみ込んでいた。足元にスコアシートを広げて、何やら悩んでいるご様子。私はすぐ横に駆け寄って、同じようにしゃがみ込んだ。秋倉さんは私が声を掛けたことに気がついていなかったのか、ビクと肩を震わせた。

「……あ、みょうじ先輩」
「ごめん、驚かせて。スコアシートどう?ちょっと見せて」
「あ、ちょっと」

 秋倉さんの返事を聞くより先に、私はそれを手に取った。書かれている内容を一通り眺めて、思わずそれに笑ってしまう。まあ彼女、本当にブレがない。

「ほとんど影山くんの書き込みばっかだ」
「…………だって、」
「まあ、影山くん今日すごかったもんね。……でも、基本的なことはちゃんとかけてるし、全然オッケーだと思う。字も綺麗で見やすいし。頑張って書いてくれてありがとうね」
「…………いえ」

 その書き込みを見て、ただ純粋に「かわいいな」と思ってしまった。なので、ほんの少しだけ彼女をからかってみた。たぶん、私は今ちょっとだけハイになっている。あんなに楽しい試合を見た後なのだから、無理もないだろう。
 ただ、秋倉さんにはいつも通りクールにかわされるのかと思いきや、何故だか妙にしおらしい態度を取られてしまった。私は拍子抜けした。

「……え、なに。なんか元気ない?」
「……スコアシート。みょうじ先輩の真似してみたけど、私全然うまく出来なくて」
「え、わたしの?」
「前に見せて頂いたやつです。あれ、本当にすごくて、正直驚きました」
「……いやいや、でもわたし字めちゃめちゃ汚いでしょ?走り書きのとこたまに象形文字あるとか言われて、武田先生に赤ペン入れられるもん」
「……でも、私なんかよりずっと、すごいです」

 まあ、なんてことだ。秋倉さんが、悔しそうに眉を寄せている。もしかしたら、泣いてしまうかもしれない。彼女のこんな表情を見るのは、当然ながら初めてだ。いつも自信満々な子が、こんなに弱気な姿を見せるなんて。私はあまりに驚いて、どのようにフォローすれば良いのかもわからなかった。

「あ、いや、でも…………ありがとう」

 悩んだ末、普通にお礼を言ってしまった。褒めてくれたことは素直に嬉しいのだが、秋倉さんがものすごく落ち込んでいるように見えるので、なんとも言い難い。彼女はまあ、とにかくプライドが高いんだろう。それはむしろ良いことだと思う。高圧的にこられるのは確かに怖いが、プライドが高い人こそ傷つきやすく、自分自身にも厳しい傾向がある。秋倉さんには苦手意識を抱いていたけど、こんな風に隙を見せられたら、心が揺さぶられてしまう。
 丁寧に書き込まれたスコアシートを眺めながら、励ましの言葉を考えていた。彼女のプライドを極力傷つけずに、この場をうまく収める方法。二人してしばらく無言でいた。小難しい顔をして、彼女はいま、何を考えているのだろう。私がなにかフォローしたらしたで、彼女は煽られていると感じるかもしれない。女の子同士でこんなに難しい関係になったことがないから、私はあまりにも無知だ。

 そしてふと、秋倉さんは私の手からスコアシートを攫っていく。

「でも、影山先輩については、私の方がもっとよく見えてます」

 キッ、と強気な目線が私を射抜いた。
 ──ああ、なるほど、そうきたか。私は頬をヒクつかせつつ、生意気な後輩様と対峙した。

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