第25話


 部室での冷戦を終え、私は秋倉さんとともに体育館を訪れていた。二、三年メンバーはすでに全員揃っており、円形に並んでストレッチを行っているところだ。靴を履き替えて「おねがいしまーす」と挨拶をしながら中に入ると、「「「お願いしゃーす!!」」」と部員たちから元気な声が返ってきた。ずっと見てきた光景には違いないが、久しぶりなせいか、ほんの少しだけ懐かしい気持ちになった。
 部員たちの横を通る際、指揮をとる縁下くんとまず目が合って、口元だけで笑みを返された。よくぞ来てくれた、とでも言いたげな表情だ。縁下くんの横に並ぶ影山くんに流れで視線をやると、そのタイミングでバッチリと目が合った。影山くんはぺこ、と軽く会釈をしてくれたのち、視線はすぐに離れていった。やはりいい子だ、影山くん。そして私のすぐ横からグサグサと突き刺さる視線も、早く離れてくれればいいのにと思った。

「おーす。もう二、三年は揃ってんな」
「「「おはざーす」」」

 ウォーミングアップ中にちょうど烏養コーチがやってきた。私は今日の練習メニューの詳細を確認すべく、秋倉さんを連れてコーチの元に駆け寄っていく。

「烏養コーチ、今日の練習もお願いします」
「おーみょうじ。なんか久しぶりだな?今日はコッチ見てくれんのか」
「あ、はい。すみません、なんか色々あったみたいで」
「ホントな〜。二、三年が気付いてんならそっちはそっちで頼むぜ。俺は気遣ったりすんのすげー苦手なんだから」
「はい、わかってます。ご迷惑かけてすみません。……とりあえず今日はわたし一年生中心に声かけしようと思ってるんですけど、ボール渡しや計測や記録等は引き続き秋倉さんにお願いしても構いませんか?」
「ああ、俺は別に構わねえよ。むしろそうしてくれる方がありがてぇわ。一年はまだ俺やアイツらにビクついてるヤツも多いし」
「はい!……ということなので、よろしくね、秋倉さん」

 私がやるべき事とやりたい事を烏養コーチに率先して伝えることで、秋倉さんを間接的に牽制した。本人がそれに気付いたかどうかはわからないが、特に文句を言ってくる様子もなかったので、彼女的にも納得はしてくれたみたいだ。
 そうしている内に、一年生がちらほらと集まってきた。全員揃って一斉にスタートが出来ないのは煩わしいが、この時期はまあ仕方がない。むしろ秋倉さんが早すぎるくらいなのだ。マネージャーでもそれだけ熱心なのは、素直に嬉しいと思う。その熱心さが影山くんに対してだけではなく、バレー部全体に対する想いに繋がってくれれば喜ばしいことこの上ないのだが、一年生の四月という段階で「部活に愛情を持て!」なんてのは流石に押し付けがましいだろう。
 さっきはつい熱くなってしまったが、冷静になって考えると、私も彼女に対してあからさまに敵意を出しすぎたかもしれないと少し反省した。後でタイミングがあれば、彼女に謝ろうと思う。ただ、基本的なスタンスは変えない。私はバレー部のためにマネージャーとしての業務を頑張るだけだ。

「いま来た一年はウォーミングアップ終わったらすぐ練習入れ。もたもたすんなよー」

 烏養コーチがそれぞれに練習の指示をする。二、三年はまずサーブ練。一年はレセプションとボール拾い。基礎中の基礎だが、結局これが一番大事と言ってもいい。コーチの指示通りに部員たちが動き、私たちはコーチと共にコートの端へ下がる。
 秋倉さんにはすぐに仕事に入ってもらった。私は烏養コーチの横に並び、まずはずっと気になっていた事をたずねてみた。

「烏養コーチ、新しいリベロとセッターについてはどんな感じですか」
「あー……それな。ほんと、そこが一番参ってる」

 烏養コーチは腕組みををして、はぁ、と大きな溜息を吐いた。
 一年生リベロとセッターは、新体制となった烏野において絶対的に早期育成が必要なポジションだ。今は西谷くん、影山くんという最強の二人がいる。ただ、西谷くんは今年三年。セッターについては二年の影山くんただ一人。どちらかが万が一、何らかの理由で試合に出られないようなことがあれば、烏野はその時点で総崩れになってもおかしくない。とくにセッターは常にコートに居続けなければならないポジションだからこそ、控え選手が全くいないというのは誰が見ても危機的状況だ。
 ただ幸いなことに、今年の新入生の中にはリベロ経験者が一人、セッター経験者が二人居るとのこと。将来的にレギュラーを奪い合うことになったとしても、その子たちにはその道を極めてもらわなければ困る。ならば、最強の二人の力をお借りすることも当然必要になってくる。

 西谷くんはまだいいとして、影山くんに後輩を指導する気概と余力があるかどうかが問題だ。彼はチームの一員として人を育てることよりも、おそらく自分自身がまず強くなることを第一に考えている。それはもちろん悪いことじゃない。でも、バレーは自分一人の力でどうにかなるものでもない。それは影山くんとてよく理解しているはずだ。菅原さんという頼もしいセッターが居なくなってしまった今、その代わりとなり得る新しいセッターの必要性。影山くん自身にも、まずはどちらがそうなり得るのか、見極めてもらわなければならない。

 ただ、たとえ最強の二人が指導してくれる気になったとしても、西谷くんと影山くんは「バッ!」とか「ぐわっ!」とか擬音と感覚でしか物事を説明を出来ないタイプなので、そもそもの指導力が備わっていないという所も不安要素の一つではある。まあそのあたりは烏養コーチの仕事でもあるので、私が口を出すようなことではない。
 ああ、頑張ってください、烏養コーチ。私は烏養コーチに向けて両手を合わせてお辞儀をした。そんな私に、コーチは怪訝な顔で頭の上にハテナを浮かべていた。

「あ、あとリベロの子と西谷くん。コーチから見てその、相性とか……どうでしょう」
「…………はっきり言って真逆、だな。ほら、あそこだ。小柄な月島みたいだろ?」
「…………た、たしかに」

 コーチの指差す先に、例のリベロの子がいた。身長は西谷くんと日向くんの間くらいだろうか。見るからに物静かそうで、恐ろしいくらいの無表情が逆に印象的だ。リベロ経験者とあって確かにレシーブは他の一年生と比べても抜きん出て上手だが、なんというか、その、イマイチ覇気がない。これは私が西谷くんというリベロを間近で見過ぎたせいで、そう感じてしまっているだけなのだろうか。

「アレだ。こないだもっと声出せって西谷が注意したらアイツ「それは上手いレシーブにおいて本当に必要なことですか?」って言い返してやがってな……」
「……まぁ、なんてこと」

 終わりだ。西谷くんが後輩にそんなことを言われて、冷静でいられるはずがない。烏野の元気印の西谷くんが今はちょっとシリアスというか、ピリピリしているのは、それが原因かと納得する。その様子を見て、ほんの少し悩んでから、私はとある決断をした。

 ふぅ、と大きく息を吐く。そしてまた息をたくさん吸い込む。私の挙動に、烏養コーチがちらりと目線をよこしてきたのがわかった。

「……っ西谷くーん!!声出しー!一年生たちにぜんぜん負けてるー!カッコ悪ー!!」
「……っああ?!んなわけねー!!」

 一年生に混ざりレシーブに入っている西谷くんに向けて、私はこの体育館にいる誰よりもでかい声で叫んだ。すると、そのさらに上をいくドでか声で西谷くんから返事がきた。

 隣で烏養コーチが目を丸くしていた。部員たちの視線も一気に私に集まり、その後西谷くんに向いて、そして少しの沈黙の後、田中くんの笑い声がゲラゲラと響いた。
 ……よし。西谷くんは多分、これで大丈夫だろう。声出しについて注意した自分が逆に注意される立場になったら、西谷くんのプライドが刺激される。後はいい方向に進んでいくことを祈るだけだが、田中くんが私を真似て西谷くんを煽り、縁下くんが便乗したことによって、三年たちにもいつもの騒がしさが戻ってきた。それを見ていた一年生たちの間にも、ちらほらと笑顔が浮かぶ。
 西谷くんは短気だが単純でもある。気を取り戻すのはわりと簡単で、そこが彼の良いところのひとつだ。ただいつまでもこの人が不機嫌でいたら、周りはそれに影響される。ムードメーカーにはムードメーカーらしく常にハッピーかつ熱い男でいて欲しい。そんな西谷くんをいつもの調子に戻すくらいなら、私にもできると思ったのだ。

「……すげぇなお前」
「いや、まぁ、西谷くんですし」

 烏養コーチは若干引き気味だが、たぶん今のは褒め言葉だろう。一年生の時からずっと、同類とか似たもの同士とか不本意ながらも言われ続けてきたのだ。西谷くんとは部活以外でもよく話すし、扱い方もわりと心得ている。今さら気を遣ったり遠慮し合うような仲でもない。
 あとは素直じゃなさそうな後輩の方をどうにかしなきゃと思ったが、その彼の方をチラリと伺うと、まさかのバッチリ目が合った。そのままじぃ、とお互いをしばらく見つめ合った。逸らされないのをいいことに、私はにこりと笑みをつくる。

「……ナイスレシーブ!!もっと声出してみんなにアピってー!」
「オッシャー!!任せろ!!!!」
「あ、いや西谷くんに言ったんじゃないけど。……まぁいいや」

 西谷くんが私にサムズアップしてきた。とりあえず私もノリで返したが、多分、一年生リベロの彼にはちゃんと伝わったはずだ。彼は私が叫んだ後、驚いたように肩を震わせて、勢いよく目を逸らしていたから。

 ここをどうしろとか、ここをああしろとか、そういう指示はしないし出来ない。私はただのマネージャーだ。でも、選手の様子を見ながら声を掛けるくらいのことは出来る。むしろ進んでやる。悪いことは指摘せず、良いことばかりを褒め続ける。褒められたとて動じない人もいるだろうが、逆にモチベーションが下がる人もまあいないだろう。少しでも気分が上がる可能性があるのなら、やらないよりやるべきだ。
 私は常にそういう意識の中で、試合中も誰より大きく声を張り上げてきたつもりだ。一試合終えるたび声がガラガラになるのを部員たちにいつも笑われていたけど、それが私も皆と一緒に戦っていた証拠なのだと、自分自身に胸を張ってきた。

 三年を中心に、周りにも良い感じに活気が出てきたところで一旦サーブ練は終わった。次はスパイク練に移るということなので、少し配置が変わった。未経験の子たちはリベロの二人の後ろで、先ほどと同様とにかくレシーブの練習とボール拾いに徹してもらう。西谷くんは後輩たちにもわりと気さくな方だし、彼の動きを見て学べることも多いだろう。すっかり機嫌も直してくれたようなので、こちら側はとりあえず大丈夫そうだ。

 スパイク練のボール出しは秋倉さんが行う。こちらも流石に慣れていて、スパイク練は滞りなく進んだ。
 しばらく見ていて思ったが、想像していた以上に一年生たちのレベルが高い。中には旭さん級のド派手なスパイクを決めるような子もいて、思わず「ナイスキー!」を連発した。少しうるさいくらいだったかもしれないが、部員もより一層声を掛け合うようになってきている。

「……すっごいですね。あの子確か北川第一の」
「影山の後輩だな。アイツはウィングスパイカーで即戦力になると思う」
「千鳥山のセッターの子もやばいですね。影山くんみたいなキレキレストレート!」
「確かにいいスパイク打つヤツは多いんだよな〜。あとはまあサーブとレシーブだ」
「課題は変わらずなんですね」

 烏養コーチの横でふんふんと頷く。側から見れば今の私はただの見学者か歓声を投げるサポーターだ。でも、今日はそれが目的でもあるので良しとする。練習中の部員たちの雰囲気も、縁下くんや仁花ちゃんが悲観するほど酷くはない気がした。

「わたし的にはぜんぜん悪くない雰囲気に見えますけどね。みんなよく動くし。上手いし」
「……ま、先輩マネージャーの必死の声掛けのおかげなんじゃね?ほら、男って単純だろ」
「あはは〜そんなバカな」

 そんな簡単なことで頑張ってくれるなら、練習で毎日声を枯らしてでも私はこれをやり続けるだろう。烏養コーチにそう告げると、それはやめとけと結構本気で止められた。

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