第21話


 部活見学と仮入部期間を終え、我が烏野高校男子バレー部には新入部員十五名、及びマネージャー三名が新しく加わった。結局、部活見学時よりはだいぶ人数が絞られて、部員の八割は経験者という形におさまった。マネージャーは女子が二名と男子が一名。私と仁花ちゃん、武田先生の三人で話し合い、応募者多数の中から選抜したメンバーだ。内一人はバレーボール経験者、あとの二人は全くの素人という事だったが、バレーに関する知識と熱量は三人とも申し分なく、頼もしい面々が揃った。

 放課後、私は職員室にいる武田先生と烏養コーチをたずね、取りまとめた入部届を提出し、一人一人の特徴や情報を共有していた。烏養コーチは私が渡した入部届けをパラパラと流し見しながら、ハァと大きなため息を吐く。

「よくもまあこんなに集まったもんだな〜。こんなん俺一人じゃぜってー面倒見きれねぇよ」
「まあまあ烏養くん、そう言わずに。経験者も多いですし、影山くんや西谷くんのいた中学の後輩も何人かいるようですよ」
「ていうか、これでも烏養コーチの鬼指導っぷりに大部分が去っていったんですよ?」
「……おいみょうじ、俺のせいみたいにいうなよ」
「いやいや、別に責めてません!間接的にふるいにかけて頂いたんで、むしろ感謝してるくらいです。残ったメンバーはみんなきっと根性ありますよ!」

 ニコニコ笑いながら告げると、烏養コーチは口端をひくつかせていた。ここ最近、烏養コーチの鬼指導っぷりに拍車がかかっているのは事実だ。それは私が一年のときに少しの期間お世話になった、あの烏養監督を思い起こさせるほどだった。もうすっかり主将っぷりが板についてきた縁下くんでさえ当時の何かが色々とフラッシュバックしたのか、最初はかなりビビっていた。

「こないだ烏養監督にもコーチのこと話したら、さすが俺の孫だって誇らしげでしたよ」
「……ってみょうじお前、ジイさんに会ってきたんか?!」
「あ、はい!武田先生が声をかけて下さったので」
「ええ。実は春高が終わった後にお電話を頂いていて、その件で直接お礼も言いたかったので。みょうじさんは烏養監督とも面識があるということでしたし」

 そう。実は三年生が引退したあと、武田先生と一緒に烏養監督が入院しているという病院にお見舞いに行こうというお話になったのだ。部員は練習もあるし、病院に大人数で押しかけても迷惑になる。だからマネージャーであり、なおかつ烏養監督とも面識のある私が武田先生に付き添うことになったのだ。
 その際、さきほど話題にあげた烏養コーチの鬼指導っぷりを話をしたら、烏養監督は声を上げて笑っていた。出会った当時は一年生だった私のことも良く覚えて下さっており、思い出話に花が咲いた。春高の試合は病室で観てくれていたらしい。音駒高校とのゴミ捨て場の決戦がようやく叶ったと、嬉しそうに話してくれた。私も「あの時のあのプレーがすごくてかっこよくて感動して!」などと興奮して早口で、皆の成長っぷりをまるで自分のことのように話していた。
 烏養監督はそんな私を「眼鏡のクールな嬢ちゃんとちがって、お前は昔からほんと元気だな」とからかってきた。潔子さんと比べられてしまい少し恥ずかしかったが、あの烏養監督が皆のプレーをごくごく素直に褒めてくれたりなんかしちゃったりしたもので、ついテンションが上がってしまったのだ。これはもう致し方ないだろう。ちなみにその場に同席していた武田先生も、私と同じような反応をしていた。烏野の皆のバレーを観ている時の感情の起伏が、私と武田先生は少し似ているところがあると思う。

 烏養監督がお元気そうで本当に何よりだった。皆のバレーの話もたくさん出来た。烏養監督にもまた機会があれば是非ご指南頂きたい旨をお伝えし、ついでに春高の講評も皆の分を頂いて帰った。ちなみにこれは少し厳しめのやつだ。

「……まあ、ウチも全国いった以上、仲良しこよしの緩い部活には出来ねえからな。ジイさん見習ってビシバシいくかぁ!」
「烏養くん、頼りにしてますが、ほどほどにね」
「烏養コーチ、今年もまたよろしくお願いします!」

 烏野には、名将烏養の熱き血も滞りなく流れている。武田先生が烏養コーチの肩を叩いて宥めたが、烏養コーチはすっかりやる気を燃やしていた。新しく入ってきた一年生たちは、果たしてこの、愛溢れる熱血指導について来れるだろうか。
 いや、そうでなきゃ困る。私はまた、あのオレンジの舞台に飛び交う、烏の黒を見たいのだから。


***



「では、まずは主将挨拶から。縁下くん」
「はい」

 烏野高校排球部、新時代の幕開けだ。
 まずは縁下くんの挨拶から始まり、三年、二年の順でそれぞれ名前と学年とポジションを紹介していく。去年は新入生が四人だけだったこともあり、こんなにしっかりした挨拶行事はなかったなぁと思い返していた。まあ……最初から色々と拗れていたし、一年生同士で試合したり、ていうかほぼ喧嘩?してたし。思いもよらない始まり方だった。その後すぐ青城と練習試合があり、日向くんがド緊張して田中くんのズボンに吐いたり、影山くんの後頭部にサーブをヒットさせたり……。なんて、去年あった出来事に浸りながら縁下くんの横で思い出し笑いをしていると、きっ!と横目で睨まれた。一年生たちの緊張感にあてられているのか、ものすごくピリピリしてる。

「じゃあ次、二年」
「はい!おれ、日向翔陽!二年!ポジションはミドルブロッカー!!一年生は入部してくれてありがとー!これから一緒に強くなろうな!」

 日向くんの元気いっぱいの挨拶に、一年生たちの緊張が少し和らいだ気がした。私からすればまだまだ可愛い後輩のイメージだが、一年生からしたら頼もしい先輩なのだ。あの春高の試合を見ていたのなら尚更。日向くんの入部当初のことを話せば、きっと誰もが驚くだろう。それくらい、彼の成長速度は凄まじい。でもそれが、血を吐くような努力の結果だということをここにいる誰もが知っている。そして、その努力をしてきたのは、日向くんだけじゃない。

「二年、影山飛雄。ポジションはセッター。今年も烏野は全国に行く。勝つための努力をしない奴に、俺はトスを上げない。以上だ」

 まさに、日から影へ。一瞬にして空気が変わる。
 まあ、これが影山くんだ。いかにも彼らしい挨拶に、私は思わず笑ってしまった。日向くんは口を尖らせて「オメー最初っからその感じ、後輩に嫌われんぞ」とぶつくさ垂れている。影山くんは「あ?」と日向くんを軽く睨んで、その場に座り直した。影山くんの後に挨拶をした山口くんはものすごく気まずそうで少し同情した。月島くんは自分の名前とポジションを淡々と告げるだけ。これが烏野の、いつも通りだ。
 一年生の反応は様々だった。緊張のあまり真顔で固まっている子、憧れが透けてみえるほどキラキラと目を輝かせている子、まるで興味なさそうに膝上で組んだ手元を眺めている子。……まあ、諸々、クセが強い。人数が多い分クセが分散されて、去年に比べればマシなのかもしれないとも思ったが、コレを一つに纏めるのは相当な苦労を要するだろう。縁下くんがかなり心配だ。救急箱に胃薬を追加しておくことにする。

「それでは最後に一年生のマネージャー、お願いします」

 武田先生の声に、はい!といの一番に手を挙げた女の子。
 すくっとその場で立ち上がり、長いポニーテールがふわりと揺れる。女の子にしては背が高く、溌剌とした表情が印象的だ。全員の視線が、彼女一点に集中する。私も、彼女の顔を真正面から視界にとらえた。


秋倉楓あきくらかえでです。影山先輩と同じ北川第一中学の女子バレー部でセッターやってました!トス練スパイク練なんでもお付き合い出来ますので、どうぞよろしくお願いします」


 ずく、と胸が軋む音がした。
 勝気な瞳が、私のことを真っ直ぐに見つめている。ギラギラと、獲物を狙うような鋭い視線。私は思わず目を逸らす。……何、なんでいま、私の方を見てたんだろう。
 決して好意的ではない視線。それだけは、すぐにわかった。たった一瞬で、自分の奥深くに眠っていた何かが引き摺り出されていく感覚。

"あんた、バレー向いてないんじゃない?"

 頭の中でリフレインする。過去の私を殺した言葉。なんで今、あの時のことを思い出したんだろう。



***




 全員の挨拶が終わったのち、新入部員はそのまま体育館に残り、マネージャー達は武田先生に連れられて、校舎の空き教室でミーティングを行う運びとなった。

「楓ちゃんバレー経験者なんてすごいね!でも、どうしてマネージャーなの?」
「あー……実は三年のとき試合で怪我しちゃって。足首の靭帯酷くやっちゃったから今もたまに痛む時があってね。選手としてはもう……って感じだったの」
「えっ!……な、なんかごめん」
「あっ気にしないで!私バレーはやるのも観るのも大好きだし、烏野の試合はテレビで見ててもすごい迫力あって楽しかったから、マネージャーも全然ありかなって」
「なるほどなー。俺も従兄弟の兄ちゃんの試合見に春高行っててさ、そん時たまたま烏野の試合見てすげーってなったんだわ」
「え、従兄弟ってどこの学校なの?」
「東京代表の梟谷」
「えー!!超強豪じゃんか!」

 教室に向かう最中の廊下で、一年生マネ同士が仲良くお喋りをしながら歩いていた。三人はすっかり打ち解けてきたようだ。少し先を歩く私と仁花ちゃんは聞き耳を立てながら、顔を見合わせて笑う。
 烏野のバレーを好きになってくれたことは単純に嬉しい。話を聞いていると、皆、それぞれの志を持ってマネージャーを務めようとしてくれていることがわかった。やっぱりこの三人を選抜して正解だったなぁとしみじみ思う。

 だから、きっと大丈夫。大丈夫。このメンバーでうまくやっていけるはず。先ほど感じた違和感を振り払うべく、私はひとり頷いた。


「あとさ。私ずっと、影山先輩に憧れてたんだよね」


 それを聞いた途端、ぴた、と足が止まる。本当に、意図せず、止まってしまったのだ。
 私より先に、仁花ちゃんがぴくりと肩を震わせていた。仁花ちゃんはすぐ横でなにやら気まずそうに私の顔を見上げてくる。まさか、人前でこんな風にわかりやすい反応を出してしまうとは思わず、自分を恥じた。
 どくん、どくん、と心臓が早打つ。私はなにをそんなに、焦っているのだろう。

「あ、そういえば楓ちゃん影山先輩と知り合いなんだよね?わたしちょっと影山先輩のこと怖くて苦手かも……」
「あ、俺も。あの人だけなんか空気が別格」
「え、全然怖くないよ?あの人はバレーに一途なだけだから大丈夫だって」
「そうなの?楓ちゃんは影山先輩のことよく知ってるんだね!」
「まあ中学の時はたまに練習見てもらったりしてたしね。私これでも中総体でベストセッターとったりして、結構上手かったんだから」
「え?!マジ?!本物じゃん!」

 私の知らない過去の影山くんを、彼女はたくさん語ってくれた。もっと沢山聞いてみたいと思うのに、私の意識は彼女の声を曇らせる。ふつ、ふつ、と腹の底で湧き立つなにか。

「あ、あの、なまえ先輩」
「あ……ご、ごめん。ぼーっとして」

 仁花ちゃんの声に、ハッとした。慌てて歩みを再開する。
 湧き立つものが何なのか。わからないほど馬鹿じゃない。知らないふりをしたいのに、彼女の声にいちいち感情を揺さぶられている。
 あの時のあの目。あの視線。やっぱり、気のせいじゃないのかもしれない。あの子の瞳は、多分、私のことを。

「これからはマネージャーとして、影山先輩のことを追いかけたいの」
「……え、それって」

 不純な動機。
 私には、それを嗜める資格はない。だって私も向き合おうと決めたから。この恋心を、大事に育てると決めてしまったから。

「一番近くで、影山先輩のバレーを見たい」

 凛とした声が、私の耳に直接届いた。
 わかる、わかるよ。だって、私もあなたとまったく同じ気持ちだから。

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