天国への階段


 遮光カーテンを開けた途端、すごい量の光がなだれこんできた。目を眇めて見上げれば、雲ひとつない青空が広がっている。ガラス戸を開いて外の空気を入れる。想像していたようなとんがった冷気はこなかった。祝日に相応しい、穏やかな日和だ。
 今日は友人の為に仕立てたドレスの最終フィッティングがある。きたる晴れの日を思いながら、真心込めて作った一品だ。見た目はもちろん、着心地までに気を配って縫い上げて、仕上げの装飾も抜かりなく行った。

 あとは主役を待つだけだ。 
 三ツ谷は使い慣れた業務用ミシンの横に添えた丸椅子に腰をかけて、一般のものよりも背の高いトルソーに飾られたそのドレスを、満足気に見上げていた。
 デザイナーはアーティストとは違う。自己満や我を通すような仕事は良しとしない。クライアントの希望に沿った、互いの理想と妄想を叶える至高の瞬間のためのデザインを作らなければならない仕事だ。非常に奥深く、味わい深い。
 三ツ谷は今、長年の夢を一つずつ着実に叶えつつある。しかしそれはまだまだ、道の途中だ。

 こぢんまりとしたアトリエには、三ツ谷の夢の跡が眠っている。独立を決めてから、手掛けてきた作品はまだまだ少なく、それでも仕事をくれるクライアントのために日夜懸命に励む毎日だ。
 決して良い事ばかりではないけれど、充実した日々を送っている。ウェディングドレスの制作は三ツ谷の夢の一欠片であったし、それを己に任せてくれた友人に対しても、感謝の気持ちが溢れている。
 ──そして。今日はまたひとつ。叶えたかったそれが、近づいてきている。

 作業机に広げられたアイスグリーンのシャネル・ツイード。たっぷりと熟れたカメリアの花。それらは、主人の帰りを今か今かと待ち侘びているようだった。
 ヤーンの柔らかな毛並みを指先で優しく撫でながら、三ツ谷はその瞳をうっとりと細めていく。

 待ち焦がれた約束の日。それは、二つの幸せが重なる日でもある。






「三ツ谷くん、なんか今日楽しそうっすね」

 主役の旦那、花垣武道が声を掛けてきた。さっきからずっとだらしない顔をしてるのはお前の方だと指摘すれば「そうだけど!そうじゃなくて!」と噛み付いてきた。
 人の目にもわかるほど、どうやら自分は浮かれているらしい。でも、そうなるのも無理はない。あれからもう、十年以上待ったのだ。待ち焦がれたのだ。

「今日さ、新しいアシスタントが来るんだ」
「え?! ……もしかして女の子っすか?!」
「なんでタケミっちがはしゃいでんだよ」

 ぶは、と噴き出せば、花嫁のヒナがギラギラとした視線を送ってきた。おーおー鋭いな、なんて茶化せば、武道がビクビクと肩を震わせた。

「……でも俺なんかよりずっと、腕の良いアシスタントだよ」

 三ツ谷は屈託のない笑みを浮かべる。
「ホントに嬉しいんすね、」と笑顔で呟く武道のすぐ後ろで、女子たちがきゃあきゃあと声をあげている声が聞こえた。

「わー!すごい可愛い!」
「三ツ谷さんこれ、誰かのオーダーですか?」

 ヒナと柚葉。
 二人の手には、先日仕上げたばかりの作品があった。

 切り替えデザインで程よく広がるツイード素材のサーキュラースカート。ななめにハギを入れることでスカートならではのフェミニンな動きが生まれ、より表情豊かに演出してくれる。ハリのあるツイード素材を使用し、形はより立体的に。裾はアシンメトリーなヘムで見る角度によってシルエットが変わる、ユニークなデザインが特徴の一品だ。

「デザインは違うけど、作ったのは俺だよ」
「すごーい!これ、ヒナが買い取りたいくらい素敵です!」
「あー……これはダメ」

 はしゃぐ二人の手から、それを優しく取り上げる。美しいラインのスカート。彼女が捨ててしまった約束を、自分の手で確実に繋ぎ直した。
 勝手に約束を破った気でいるけれど、あんな殺風景な手紙ひとつ寄越して、終わった気になってくれては困る。
 見つけるのに随分苦労した。やっと繋がった糸を、今度は解けぬように。しかと握りしめて、もう離しはしない。

 男というのは、苦労させられた女のことは、一生忘れないものである。

「俺の大切なひとを落とすための、勝負服なんだ」


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