陰陽恋恋 1





それは何の変哲もない朝だった。
本当に何時もと何ら変わらぬ朝だった。

だったはずだったのだ。



部屋に差し込む朝の陽光に眩しげに細眉が潜まる。
ついでゆるりと持ち上がった瞼の裏から現れるのは紅の瞳。
寝起き特有の、はっきりとしない意識と重い体を布団から引き起こし、風間はぼんやりと空間を見つめていた。
違和感を覚えたのは、なんだか重く気怠い感覚が何時までも体から抜けきらない事。
もそもそと起き出して、己の着替えに手を伸ばすも、何やら何時もよりも動きにくい気もする。
着物に伸ばした我が手が視界に映り、更に違和感。
そこには見慣れたはずの己の手が無かったからだ。

覚醒した頭で、目の前でまじまじと己の手を見つめてから、起きてからずっと奇妙な重みを感じていた己の胸元に視線を落とした。

その瞬間。

風間千景は声にならない絶叫を上げたのだった。



音として出そうになった声を咄嗟に両手で塞ぐ格好をとってから、果たしてどのくらいの時が経ったろうか。
その格好のまま固まって、風間の頭はこれ迄にないぐらいの速さで回転していた。
とにかく、側近の天霧に。と思ったとこで、はたと止まった。
この状況なら、まさしくもっと詳しい者がいたではないか。と思い付くと、風間は颯爽筆を取り文をしたためた。
宛先は、京を統べる鬼の姫。千姫。

そうして、何故かどうにも、己の仲間内に今会うことは避けたくて、風間はこっそりと宿屋を抜け出したのだった。





行く宛は千姫が拠点としている宿。
早文を飛ばしたので、己が着く頃には当然、事の次第が伝わっているであろう。
それでも、早く早くと急く気持ちに無意識に足は早くなり、周りが見えなくなっていた風間の頭は、随分混乱していたのだ。
角を曲がった出合い頭。
見事に人とぶつかった。

「っと!!大丈…」

掛けられた声が途切れたのと同時に、風間はその人物達を見定め内心舌打ちをした。
その場に居たのは、新選組の永倉、藤堂、斎藤、山崎だった。
よりにもよってこんな時に、とやり過ごそうとするが、永倉の声が風間の希望を打ち砕いた。

「てめぇ!!風間!!こんなとこで会うとは奇遇じゃねぇか!」

腰の獲物に手を掛けながら、明らかな挑発を含む。
周りの者も止める素振りは微塵もなく、鋭い眼光が突き刺さってくる。
何時もなら、売られた物は大いに買ってやり、少々遊んでやるとこだが、今の風間は其どころではない。

「なんだ、どうしたよ。ちっとばかし分が悪いってぇ、怖じ気づいたか?」
「煩く吠えるな、駄犬共め」
「てめぇ…」

煽るような挑発に思わず眼光鋭く睨みつければ、永倉が買ったとばかりに刀を抜いた。
こうなってしまってはもう後には引けない。
風間も己の腰から鈍色に光る剣を抜いた。
互いに刀を構え、緊迫した空気が張り詰める。
ふと、山崎が眉をしかめた。
違和感を覚えた山崎は、吟味するように風間を観察する。

「ちょっと待ってくださっ…!!」

止めに入ろうと声を発したが、時既に遅し。
甲高くも重い音をさせて、互いの刃がぶつかり合っていた。
鍔迫り合いの最中、永倉も奇妙な違和感を覚えた。
目の前の敵は、こんなに華奢だったろうか?
確かに線の細い美形と称するに相応しい男だったと記憶はしているが。
身長に、金の髪、柄を握る白く細い手、何より刀に掛かる力はこんなものだったか?

「ーっ!!」

ぐっと力を込めれば、綺麗な顔が歪んだ。
更に弾くように刀を薙げば、風間の体が後方へと吹っ飛んだ。

「!?」

風間千景と言えば、沖田を赤子のように扱った恐ろしく強い鬼。
その鬼が、いとも簡単に吹き飛ばされたあまりの出来事に、永倉は呆然と固まってしまった。
その衝撃的光景は、藤堂や斎藤も同じらしく皆微動だにしない。
当の風間といえば、後ろにあった店の柱に強かに頭を打ち付けたらしく、柱を背にその場に崩れ落ちて意識を失っている。
はたと皆が我に返ったのは、風間の元へ駆け寄っていく山崎の姿が視界に映った時だった。
わらわらと風間の元へ皆が集まると同時に、町中での大立回りにざわざわと人集りが出来始めている。

「ここではまずいでしょう」
「人が集まりすぎているな」
「え?じゃあ風間どうすんだよ!?」
「取り敢えず屯所まで運びましょう」

山崎が声を潜めながら、素早く辺りを見回す。
同様に斎藤が向けられている視線の数々に眉を寄せた。
新選組の評判は京の町では決して良くはない。
浅葱の羽織を着ていない状況下でも、見境無く人を斬るなどとと噂がたっては事だ。
慌てている藤堂と、相変わらず少し呆け気味の永倉にこの場から退散することを告げると、山崎はぐったりとしている風間を背中に背負った。

「!?っ」

次の瞬間。
山崎の顔が茹で蛸のように真っ赤に染まった。

「どうした山崎?」
「??」
「…………………」
「おーい、山崎?」
「い、いい…急ぎましょう!!」

真っ赤な顔で固まってしまった山崎に、不思議そうに皆が顔を覗き込むが、今度はいきなりその俊敏さで走り出した。

「ちょっ!!待ってよ!!」

慌てて追い掛ける藤堂と、無言で走り出す斎藤。

「あー……なんだ?この罪悪感……」

ぼそぼそとぼやく永倉が一番後ろに続き、新選組は早々に退散したのだった。













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