Le ciel croche | ナノ

 ──後に歴史に刻まれる戦いと、決して語られる事のない戦いが終結した、その翌日。
 
「わ、これ……多分、リビアングラスだ。初めて見た」
「クエー!」

 一味の中で一番最初に目を覚ましたニーナは、一足先に軽い朝食を頂いたのち、すっかり彼女に懐いたルルーと共に砂漠へと出掛けていた。
 早朝散歩のお目当ては砂漠での採掘。デザートローズくらいは採れるかな、程度の心持ちで探索を始めたところ、掘り当てたのは思わぬレア物。特定の地域でしか採れない、砂から生まれた天然ガラス。

(これは……ラクリマ・マレ、ではないな。まあ、鉱石の類ではないもんね)
「クエェ?」

 遮るもののない砂漠では、早朝でも陽の光がしっかりと行き届く。日光に翳して煌めきを確認すれば、ルルーも下から覗き込む。
 種類を判別したニーナは、ルルーの眼の高さまでリビアングラスを降ろしてみせる。

「んん、これはね、換金用に良さそう。産地が限られてるから、遠くに行けば行くほど価値が上がるんだ」
「クエ!」
「あっ、でも、ここって私有地だったり国有の採掘場所だったりはしないかな?」
「クエェ……?」
「うーん、流石に分かんないよね。そしたらとりあえず、持って帰ってビビに聞いてみよ。ちょっとだけ頂いて行くね」
「クエッ」

 腰に付けた鞄から小さな巾着を取り出し、一粒、二粒、砂を払ったリビアングラスをそうっと仕舞う。
 大小六粒ほどの収穫を鞄に入れると、ニーナはくるりと宮殿の方へと振り返った。

「さて、そろそろみんな起きた頃かなあ。戻ろっか、ルルー」
「クエッ、クエッ」
「うん? じゃあ、遠慮なく乗せてもらおうかな。よろしくね」
「クエーッ!」

 ルルーに促されて背に乗れば、アルバーナ市街まではあっという間。
 街に入っていくらかスピードを落とした安全運転仕様の超カルガモに、方々から朝の挨拶の声が掛かる。
 城門の兵士たちも笑顔一つで通り抜け、宮殿内部も慣れた調子でさくさくと駆け抜け、麦わら一味の滞在する大部屋へと辿り着いた。

「ただいま〜」
「クエエェ〜」
「あっ、ニーナさん。ルルー。おかえりなさい」
「クエ!」
「ニーナちゃん! おっかえり〜!」

 ルルーの背から降りて扉を開ければ、真っ先にビビとカルーが出迎える。
 すっかりいつも通りのサンジに、大あくびを零しているゾロ。ウソップとチョッパーも今起きたばかりといった様子で、ひらひらと緩慢な調子で片手を振る。
 寝起きの様子が残る男連中とは対象的に、既に身支度を整えているナミがひょこりと顔を出した。

「随分早起きね。朝からどこ行ってたの?」
「んん、ちょっと採掘にね。ほら」
「きゃっ、さっすがニーナ! 分かってる!」
「リビアングラスが採れたんだけど、ねえビビ、これ貰ってっちゃって良いやつかな?」
「ええ、アラバスタじゃ珍しくないものだから、気にせず持って行って」
「良かった。ありがとう」
「ほら、こうやってお金を稼ぐっていう概念、あんたたちもちゃんと持ちなさいよね!」
「へいへい……」

 ビビに収穫物の許可を得て、思わぬ飛び火に少し笑って。ぐるりと部屋を見渡せば、未だベッドで大人しく寝息を立てるルフィを含め、一味が全員きちんと揃っている。
 既に閉じた扉を振り返ったニーナは、扉に鍵が付いているのを確認した後、ルフィのベッドを覗くチョッパーに声を掛けた。

「ねえチョッパー、ルフィが眼を覚ますには、まだしばらく掛かるかな」
「ああ、毒も受けてるし、少なくとも今日明日は目覚めないと思うぞ」
「そっか……本当は、全員揃ってからの方が良かったんだけど……逆に、ルフィが起きたら、きっとそんな時間もないかもね」
「?」

 言葉を切ったニーナに、チョッパーはことりと小首を傾げる。
 チョッパーを見て、ビビを見て、カルーとルルーを見て。小さくひとつ息を吐くと、ニーナは視線を再びビビに戻す。

「……ビビと、チョッパーに……ううん、みんなに、話があるの」


 *


「……二人に、黙ってたことがあって」

 きっちり施錠された重厚な扉。つい先程開け放たれたはずが、再び閉ざされたカーテン。
 神妙な様子のニーナに向き合うビビとチョッパーは、どこか緊張の色を隠せない。
 話の内容を悟る四人が見守る中、ニーナは薄茶色の瞳を僅かに揺らしながら、ゆっくりと口を開いた。

「あたしは、実は、ちょっと特殊な能力者でね」
「うん」
「本当だったら、その能力が……役立ったかもしれない場面が、何度もあったんだけど」
「うん」
「でも、それ以上に、存在を知られること自体が危険に繋がっちゃう。あたし自身っていうより、周りに与える影響が大きくて。だから、今まで隠してたの」

 一言一言、慎重に言葉を選びながら語るニーナに、ビビとチョッパーも真剣な眼差しで相槌を打つ。
 そんな彼らの様子を見て、小さく息をついて。
 一度目を伏せたニーナが瞼を上げると、そこにあったのは、澄んだ海を思わせるターコイズの瞳。

「……あたしが食べたのは、“天使の実”」
「「!」」

 言葉と同時に、ニーナの背に広がった純白の翼。砂漠でやってみせた時と同じように、胡桃色だった髪は空色に染まっている。
 色を変えた瞳をじっと見つめて、翼と髪とを見比べて。しばらく呆然としていたビビとチョッパーのうち、先に口を開いたのはビビだった。

「えっ、え、まさか、その、うそ……え、エ、エルフィン……!?」
「うん」

 ぱちくりと眼を見開くビビに、ニーナは頷きひとつで応える。
 その穏やかな表情は、アラバスタまでの旅路で見てきたニーナそのもの。
 たとえ色を変えても変わらないものを確かめて、ビビは徐々に落ち着きを取り戻す。

「……………もしかして、事情があって言えない能力者なのかな、とは思ってたの。カジノの地下室が水没した時、Mr.ブシドーが真っ先に飛んでいったし。でもニーナさん、自分で泳いでたから……」
「えっ、ニーナ、お前泳げんのか!? なんで!?」
「ちょっとウソップ! 話の腰折らないで!」
「痛てっ!」

 湖からの脱出時に気絶していたウソップは、初めて知った事実に驚きの声をあげる。
 ナミの鉄拳制裁に沈んだ彼を見て苦笑しつつ、今度はニーナが口を開いた。

「うん、その話もしなくちゃ。伝えられてなかったし、みんなも知らなかったと思うけど、エルフィンは泳げるの」
「そりゃ……知らなかったなァ……。あの時は驚いたよ」
「フン……」
「不思議ね。やっぱり亜種って言うくらいだから、そもそも悪魔の実とは違うモノなのかしら」
「つーかよぉ、それって弱点が無いってことだろ? 最強じゃねェかエルフィン!」
「ううん、無いんじゃなくて、種類が違うの」
「?」
 
 エルフィンの弱点、という聞き覚えの無い話題に、全員の顔に疑問符が浮かぶ。
 お伽噺の類に触れてきたナミやウソップ、サンジでも、思い当たる節がないとばかりに眉を寄せる。
 誰一人答えを出せない中、ニーナはもう一度部屋をぐるりと見渡し、声を一段階抑えて言葉を続ける。

「悪魔の実の能力者は、海に嫌われる。……天使の実の、能力者は……………地に、囚われる。海抜ゼロメートルより低い地下では、力を失うの」

 泳げる事実よりも、更に知られていないこと。決定的な弱点を自ら晒すという初めての経験に、ニーナの声はやや固い。
 合間に小さく深呼吸して、彼女はもう一度口を開いた。

「ワニの部屋の檻、海楼石だったでしょう? あれのエルフィン版で、地楼石っていうのがあるの。その二つがあたしの弱点。まあ、地楼石の方は知名度も低いし、悪魔の実の能力者より、弱点に接する機会は少ないけど、無いわけじゃないんだ」
「へェ……」

 事情を知る仲間たちにも伝えきれて居なかったことを話し終え、ニーナの表情は、先程よりいくらか晴れやかだ。
 その穏やかな表情をじわじわと曇らせ、ビビとチョッパーを見比べ、ニーナの口から言葉が溢れる。

「……二人共、長いこと黙ってることになって、ご……」
「謝らないで!」
「!」

 ニーナがその単語を発する前にと、ビビが制するように声を上げる。
 予想していなかった反応に口を閉ざしたニーナに、ビビはもう一度「謝らないで」と繰り返した。

「エルフィンがどんな存在かは、勿論私も知ってる。みんなと同じように、お伽噺で触れた以外に、王族の心得としても学んだから」
「王族の、心得……?」
「そう。私達は、自分の国のことを人任せにしちゃいけない。例えそういう存在に出会えたとしても、一方的に頼らず縋らず引き留めず、ただ良き友人であれ、って」

 至極真っ当なその教えは、それでも、余程厳しく自分たちを律していなければ受け継がれないもの。
 永きに渡って民を正しく導くネフェルタリ家の矜持に触れて、ニーナは僅かに目をみはる。

「でも、でもね。もし、出会ってすぐに、“ニーナさん”を知る前に、エルフィンだってことを知ったとしたら。自国の存亡の瀬戸際に、“勝利と安定の象徴”が、目の前に現れたとしたら。……きっと、そちらの事情も、代償も、全てが終わった後にどうなるかも何も考えないで……縋らずには、いられなかった」

 俯きがちに漏らすビビは、かつての不安を思い出してか、その両手を固く握りしめる。
 終わったことだと言い聞かせるように息を吐いて、肩の力を抜いて。再びあげた顔に清々しい笑顔を浮かべて、彼女はニーナと眼を合わせた。

「話してくれてありがとう。でもね、ここまで一緒に旅をして、私を助けてくれたのは、“エルフィン”じゃなくて、“麦わら一味のニーナさん”よ。だから謝らないで」
「……………うん、ありがとう」

 ビビにつられて肩の力を抜いたニーナは、彼女の心からの言葉に頬を緩める。
 二人の話が一段落したのを待って、ずっと黙り込んでいたチョッパーが、ゆっくりと口を開いた。

「おれ、驚いたけど……ドクトリーヌが言ってたことが、これでやっと分かったんだ」
「?」
「初めてニーナに会った時、普通だったら気絶してるほどの低体温なのに、意識を保ってた。珍しいと思ってドクトリーヌに聞いたら、昔似たような患者を見た事がある、一時代にひとりぐらいは、そういう体質の娘が居るんだって言ってた。変な言い方だったから引っかかってたんだけど、そういう事だったんだな」

 ニーナの正体を見抜いたDr.くれは。愛弟子たるチョッパーにも、その詳細は伏せていてくれたらしい。
 本人からの言葉でやっと答えに辿り着いたチョッパーは、真面目な顔でニーナに向き直る。

「おれはドクトリーヌと違って、エルフィンを診察したことはないから、おれの知ってる『普通の医学』が、ニーナに当てはまらない時もあるかもしれない。だから、少しでも何かおかしい事があったら、ちゃんと言ってくれよな」
「………」

 思わぬ方向を向いた話に、ニーナはきょとんとした表情でチョッパーを見つめる。
 いまひとつ反応の悪いニーナに、チョッパーは勢いよく立ち上がると、くわっと彼女に詰め寄った。

「ニーナ! 分かったか!? 絶対だぞ!!」
「えっ、あっ、うん……ふふ、分かったよ。ありがとう、チョッパー。心強いよ」
「お、お、おれは、船医として当然の事をだな……!」

 能力どうこうではなく、純粋に今後ニーナが“患者”になった時の心配をされている事をようやく察して、ニーナはゆるりと破顔した。





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