Le ciel croche | ナノ


「おい聞いたか、ナノハナの事件!」
「まさか、国王様がそんな事をするなんて……信じてたのに……!」
「こりゃもう反乱軍と国王軍の全面戦争だ!」
「………」

 外界から隔絶されたカジノ、レインディナーズ。湖上に浮かぶ建物と外との繋がりは、物理的にも橋一本。一攫千金という夢を追う人々で華やかに賑わうそこにすら、戦いの足音は届いているらしい。
 普段はバンダナの中に纏めているロングヘアを胸まで下ろし、彼女がするにはやや大きいリゾート風サングラスで顔を隠しつつ、ニーナはカジノの中をゆるりと歩き回る。あっちへふらり、こっちをちらり。ゲームの様子を遠巻きに眺め、参加を迷っている風を装いながらも、意識の半分以上は耳に集中している。
 ルフィ達の現状、敵の内訳と配置、アラバスタの動向。探りたいことを改めて確認しながら、関連のあるワードを拾ってはさり気なく移動する。

「なあ、さっきの海賊たち見たか?」
「なんでも、ここの裏にゃVIPルームと海賊ルームっつーのがあるらしいぞ」
「要は捕縛用の罠だろ? 賞金首を捕えて稼いでるって噂だぜ」
「………」

 本業ではないにせよ、音楽に携わる彼女の耳の良さは折り紙付き。あちらこちらで飛び交う不穏な噂話の中から、求める情報をきっちりと掴んでいく。道中怪しまれない程度に少しだけスロットに手を付けてみれば、たまたま拾った一枚のコインが、揃えた両手に小山を作るほどになってしまった。
 思わぬ収穫を巾着にまとめて、ニーナはするりとレインディナーズを抜け出した。

(状況は悪くなる一方、か……)

 ビビはもう、この話を耳にしているのだろうか。唇を噛み締めながらも必死に前を向く彼女の姿が脳裏に浮かんで、ニーナは小さく息を吐き出した。
 ──生まれ故郷を見知らぬ輩に利用され、侮辱され、蹂躙され。ビビが身体から迸る程の怒りと悔しさと悲しみを押し込めているのは、ニーナから見ても"よく分かる"こと。
 そんな彼女の助けになれたらいいと、同じ船で短くない時間を過ごした今なら自然と思える。それでも、どうしても上手く"理解らない"ことが残ったまま。
 過去の境遇が似ているナミは、『昔の自分と重ねちゃう』と言っていた。それならば、どうして、

(どうして"エルフィン"は……あたしは、それができないのかな)

 ただそこに生きていただけの住人たちが、圧倒的な力で全てを奪われた残酷な事件を、確かに目の当たりにしたはずなのに。
 炎に包まれるマルム島を、見た事が無い程の激情を押し殺す彼の姿を、間違いなくしっかりと覚えているのに。
 『怒り』であれ『悲しみ』であれ、世間一般的な感情──とりわけ"負の感情"が薄まって久しい"エルフィンのニーナ"には、過去の記憶を遥か遠くに、まるで映像電伝虫を介しているかのように眺めることしかできない。

(……んん、でも、今考えるべきはそれじゃない)

 こんな時に縁起でもないとばかりに、思考を振り払うように軽く首を振った。何とも言えないもやもやは心の奥に仕舞いこんで、カジノの裏手へと足を進める。軽く駆け足しながらも、仕切り直しとばかりに髪を結い直し、バンダナでまとめて普段通りに戻す。
 約束の場所に二人分の人影を見て、ニーナは気を取り直して片手を振った。

「おまたせ」
「ニーナ!」
「おう、ニーナちゃん! 無事でなにより!」

 彼女の声に振り向いたサンジとチョッパー。その表情を見る限り、何かしらの成果はあるようだ。
 各々の情報収集を終えて、再び集合した三人。得た情報を報告し合い整理して、次なる一手を模索する。

「おれはカジノ周辺の確認と雑魚散らしだ。ここへの到達手段は、やっぱりそこの橋だけみてェだな。それと、バロックワークスの奴から、子電伝虫を一匹拝借出来た」
「あ、それ凄い役に立ちそう」
「おれは妙な臭いを追って行ったら、大量の火薬を見つけたんだ。あとマツゲ」
「ああ、まあ、居りゃァ一端の移動手段にはなるよな……」
「あたしは、カジノの中で情報収集を。……ビビが止めたがってた反乱軍が、ついに動き出しちゃったって。あと、どうもルフィ達は、カジノの奥から降りてった地下室に閉じ込められてる可能性が高そう。サンジ、湖の中はどうだった?」
「ああそうだ、水中な! 潜って見て来たぜ!」

 それぞれが収穫した情報に頷き相槌を打つ中、ニーナの言葉に、サンジがぱちんと指を鳴らす。

「ニーナちゃんが言った通りだ。確かに、カジノの真下の水中に、何かデッケェ部屋みたいなのがあったよ」
「うん、ありがとう。そしたらやっぱり、これで決まりだね」

 ──解散直前に、ニーナがサンジに告げたひとつの依頼。湖上の敵地という立地から見出した可能性。侵入者を迎え撃つ想定をしているアジトなら、おそらく一つや二つはありそうなもの。
 予想でしかなかった水中地下牢の存在が、サンジの目視とニーナの得た情報でほぼ確定した。

「この立地だし、水に沈めて一気に始末するのにうってつけだもの」
「ああ、通路一本壊しゃいいような作りだったしな」
「しっ、始末っ!? ルフィ達沈められちまうのか!!!?」
「んん、あくまで仮説だけどね。乗り込む時には、ひとまず最初の目的地はそこになるかな」

 周囲に今のところ敵影は無いものの、抑えた声でひそひそと交わされる会話。
 ルフィ達の状況が正確には分からない以上、時間は十分にあるとは言えない。救出方法は、脱出経路は、その後の行き先と手段は。役割分担と合流方法の確認を交えつつ、計画は駆け足ながらも着々と練られていく。

「……さて、そしたら、コイツを一番上手く使うには……」
「ん、ちょっとまって」
「おい、何だてめェら。もしや表の騒動は……」
「「!」」

 作戦会議も佳境に差し掛かった頃、ふとニーナが背後を振り返る。数秒後、現れたのはガラの悪い筋肉隆々の男たち。抜き身の武器を携えている彼らは、見るからに敵に違いない。その証拠たる刺青は、隠される事も無く腕や足にしっかりと刻まれている。
 想定よりやや早いバロックワークスの登場に、サンジはチッと舌打ちをひとつ。

「クソッ、もう見つかったか。予定が狂っちまう」
「てめェだな。カジノ前で大暴れしてくれたのは」
「女とペット連れたァ良いご身分だなァ!?」

 あっという間に三人を取り囲んだのは男六人。下卑た笑いを浮かべつつ、品定めするようにじろじろと粘着質な視線を寄越す。
 油断しきった様子の男連中をぐるりと一周眺めて、ニーナは腰の鞄からするりと仕込みピッコロを抜いた。

「まあでも、この人たちだけなら、全員伸しちゃえばまだいけるよ」
「「!」」

 予定が狂う、とぼやいたサンジへの返答として、さらりと零された彼女の言葉。
 見るからに非戦闘員の若い女が、どう見てもただの楽器を構えて、誰より先に口にした煽り文句。
 あまりのギャップにニーナ以外の全員がぴしりと動きを止めた中、最初に動いたのはサンジだった。

「ハハッ、そうだな、違いねェ!」
「よ、よし! やるぞ!」

 言うなり勢いのある蹴りを繰り出すサンジに続いて、集合時から四足歩行形態を保っていたチョッパーも、自慢の角をがしりと突き出す。それを横目で見ながら、少し屈んだニーナは下から上へとピッコロを振り上げる。顎を狙われた男は寸でのところで後ろに避け、よろめいて隣の男に激突した。

「なっ、なんだとォ!?」
「舐めんじゃねェぞ、女ァ! かかれェ!!」
「おおおおおおおお!!!」
「うらぁぁぁぁあああ!!!」

 ようやく戦闘態勢に入ったバロックワークス一同だが、それでも時は既に遅し。サンジの蹴りが脳天に決まり、チョッパーの角が鳩尾に入り、ニーナのピッコロを避けた男は、即座に降ってきた二撃目の鉛入りブーツを顔面に受けて地面に沈んだ。
 あっという間に三人を伸して、戦況は途端に三対三のイーブン。六人だった囲みが三人になれば、もはや囲みの意味を成さない。互いの背中を護るように位置取りをしていたサンジも、さァてと呟き大きく前に出る。

「悪ィがおれ達ゃ急いでるんだ。早々に決めさせて貰うぜ」
「んだとォ……!!!?」

 号令を出していたリーダー格と見られる男が、冷や汗を浮かべながらサンジと対峙する。男は倒れた三人を順番に見やり、サンジと目を合わせ、残りの二人の様子をきょろきょろと伺う。
 その頼りの二人は今まさに、チョッパーとニーナの連携により、奇麗に挟み撃ちにされていた。

「うおおお!」
「っ、と」
「「ふぎゃっ!!!?」」
「……!」

 チョッパーの角に押し負け、ニーナのピッコロを顎の骨に受け、抗えずに空を舞うバロックワークス二人。地面に着地するより先に仲間の身体に激突し、同士討ちのような格好で仲良く地面に崩れ落ちる。
 彼らが気絶したことを確認したニーナは、はたと思い立ったようにサンジを振り向いた。

「そうだ、サンジ、その人はギリギリ喋れるくらいでお願い」
「え?」

 今後の計画の円滑な実行の為には、今は一人の目撃者もあってはならない。その為に始めた戦闘に思わぬオーダーを出され、サンジは思わず攻撃の足を緩める。
 隙ありとばかりに振り回された刀は横目でちらりと一瞥で避けつつ、サンジはニーナの言葉の続きを待つ。

「一人残してどうするんだ?」
「ほら、電伝虫! "一番上手く使う"のに、凄い丁度良いんじゃない?」
「! ああ! 成程な、そりゃ良い!」

 にやり、策士の顔で笑ったサンジは、後ろへ飛びずさり一旦間合いを取る。
 今更ながらに身の危険を感じたのか、一人残されたバロックワークスの男は、既に随分と腰が引けていた。





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