Le ciel croche | ナノ

 電伝虫を"上手く"使って、クロコダイルを外へと誘導する事に成功した三人。おそらく、というレベルの情報だった地下室と繋がったことで、ルフィ達の声も聞くことができた。彼らの話によると、水攻めは既に始まっているらしい。
 目的地が確定したところで、カジノで全体を見通すサンジを残し、チョッパーは外で囮に、ニーナは機械室を探しにと再び分散した。

 ──水に沈める予定の牢屋があるならば、それを操作する場所が必ずある。
 街と繋がる橋が落ちたと騒然とするカジノから、裏の通路に忍び込むのは至って容易。ニーナの予想は見事に的中し、彼女はすぐにそれらしき部屋へと滑り込んだ。

(……んん、やっぱり。もう始まっちゃってたか)

 水浸しの部屋と見るからに頑丈で巨大な檻、閉じ込められた仲間達。檻の前をうろつく一匹のバナナワニと、順番を待つかのように水中に控える大群。
 目的の部屋がでかでかと映された大画面の真下には、めいっぱい上へと押し上げられた不吉なレバー。その隣には、かちかちと控えめな音を立てる時計状の計器。緑から赤へのグラデーションに着色された文字盤の、濃いオレンジ色の上で、細い針が微かに震えている。
 ルフィにゾロ、ナミ、ウソップ。映し出された仲間四人の姿を捉えたものの、そこにビビの姿は無い。代わりに何故か同じ檻に居るのは、海軍大佐のスモーカー。

(確かにさっき姿は見たけど、なんで……?)

 画面に広がっていた光景の中、想定外だったのはその一点のみ。ひとまず最優先にするべきは、部屋の水没を止めるか、可能な限り遅らせること。ルフィのふくらはぎまで迫ろうとしている浸水は、おそらくこの部屋からの操作で止まるだろう。
 疑問符を浮かべつつも状況把握を終えたニーナは、周辺をざっと確認すると、レバーを掴んで一番下へと迷わず戻した。

(さて……アタリだといいけど)

 メインモニター横にある複数の小型モニターには、床に設置された扉のようなものが映し出されている。今や完全に水に沈んでいるそれは、おそらく湖から水を取り入れる受水口だろう。ニーナがじいっと見守る中、水中でふらふらと水の流れに従っていた扉がゆっくりと動き出し、やがて床と水平となる位置で動きを止めた。

「……よし」

 これでひとまず、今以上の浸水は防げるだろう。ふっと肩の力を抜いて、ニーナは画面の前から踵を返す。
 サンジに報告に戻ろうと廊下に飛び出せば、そこで鉢合わせたのは、先程モニターの中に見当たらなかった顔だった。

「ビビ」
「! ニーナさん!? 良かった、無事で!」

 ひとり脱出できたのか、そもそも捕まってはいなかったのか。無傷とは言えずとも無事である彼女の様子を確認して、ニーナはほっと小さく息を吐く。
 そんなニーナの姿にぱあっと表情を明るくしたのは一瞬で、ビビはすぐにくしゃりと顔を歪める。

「ニーナさん、大変なの! みんなが、ワニが、水が!! 時間がないのに!!」
「だいじょうぶ、一旦落ち着いて。ルフィ達が捕まってる部屋が水没しそうで、檻の傍に大きなワニがいる、ってとこまでは把握したから」

 アラバスタへの道中、終始気丈に振る舞っていたビビ。それでも、流石の状況とニーナと出会えた安堵からか、焦りのままに口を開く。一方のニーナは対極の落ち着きようで、穏やかな調子でビビを鎮める。
 まるで見て来たかのように完全に状況を言い当てたニーナに、ビビはハッと驚いたのち、すぐに冷静さを取り戻した。

「そう、そうなの……それで、バナナワニが、檻の鍵を食べちゃって……。皆を助けるには、まずワニを倒さなくちゃ……でも、あんな大きなワニ、どうやって……」
「わかった。ひとまず水は止めて来たから、それで多少時間は稼げると思う」
「え!?」
「あとは鍵とワニか……んん、だいじょぶ、なんとかするよ。あたしは先に行ってるから、ビビはカジノ行って呼んできてくれる?」
「えっ!? なんとかって……呼ぶって、誰を!?」

 説明の必要が無いどころか、ニーナの言葉はビビの思考の更に先を行く。彼女が驚きの連続に目を瞬かせている間に、ニーナは既に目的地をバナナワニの部屋へと定めている。
 すぐにでも駆け出しそうなニーナは、最後ににいっと頼もしげに笑って見せると、ビビの疑問に答えを返した。

「……噂のMr.プリンス、だよ」



 *



「ヒザまで来てるぞ!! うおおおっ!!!」
「死ぬーっ!!! 死ぬーっ!!! ギャーー!!!! ギャーー!!!!」
「いや〜っ!!!!」

 檻からの脱出が叶わない中、どばどばと容赦なく流れ込む水に打つ手なしの一行。ルフィとウソップは大きく悲鳴を上げ、険しい顔で黙り込むゾロとスモーカーにも打開策はない。
 そんな中、この絶望的な状況に頭を抱えていたナミが、ふと自分の足元を見て訝しげな声を漏らした。

「でも待って、さっきまでとペースが違うわ。もしかして……水の侵入、遅くなってたりしない……?」
「だからって逃げられる訳でもねェだろ。『止まった』んじゃなくて、『止めた』ってんなら別だがよ」
「なに、どういうこと!?」
「……それが本当なら、止めたヤツが居る、って事だ」

 一縷の望みに縋るように水面を見つめるナミに、ゾロは淡々と言葉を返す。なにやら含みのあるそれに、全員の視線が集まった、丁度その時。
 ばたり、力強い重低音とともに、先程ビビが飛び出して行った部屋の入口に、小柄な人影が姿を見せた。

「みんな、お待たせ!」
「「「ニーナ!!」」」

 ようやく現れた援軍に、檻の中からにわかに希望の歓声があがる。ゾロは彼女の姿を見て、「ほらな」と僅かに口角を上げた。
 ひとり軽快に階段を駆け降りてきたニーナは、積み上がる瓦礫の上を狙って飛び降りる。その下で部屋を満たす水位はすでに、彼女の丈の長いブーツもまるごと飲み込みそうなほど。

「うおおお! 頼むぞニーナ〜〜〜!」
「急いでくれ、水が!」
「うん、ひとまず、床から入ってくる水は止めてきた。……それで、檻の鍵はワニの腹の中、なんだよね?」
「ああ! しかも、そこに居る奴かどうかも分かんねェんだ! なあニーナ、ピッキングとか出来ねェか!? ワニ倒すより確実だろ!?」
「んん、それはちょっと専門外……」
「〜〜〜っ……!」

 吠えるルフィに頷きひとつで応え、焦るウソップの声に冷静に答えながら、ニーナはざっと周囲を確認する。機械室のモニターから確認した光景と、現場との違いはただ一つ。
 ──壁に埋め込まれたガラス窓が割れ、そこからも水が浸入している。

(……まずいな。あのガラス、映像だと死角だったのか……)

 状況は予測よりも随分と悪く、部屋の水没はもはや時間の問題で、手段を選んではいられない緊急事態。一刻も早く檻から彼らを逃がさなければ、能力者のルフィでなくても一巻の終わりだ。
 じきにサンジとビビが追い付くだろうが、これ以上ガラスが割れたら、一分も持たずに部屋は崩壊し、檻は湖の底へとまっしぐら。頼みの鍵はワニの腹の中で、部屋に居る一匹か、水中に控える十数匹のどれかも分からない。たとえサンジが来たとして、二人掛かりでもすぐにアタリを引けるとも限らない。

(迷ってる時間なんてない、か)

 視界の端にスモーカーの姿を捉えながらも、ニーナはきゅっと唇を結び、腰に吊ったケースに手を伸ばす。
 しかし、彼女がフルートを掴むより、ゾロの大声が部屋に響く方が先だった。

「ニーナ! 武器なんざ使うまでもねェ、腹蹴って倒せ!」
「えっ?」
「なっ!?」
「はァ!!!?」

 突如投げ掛けられた思わぬ言葉に、ニーナの手はケースを空振りして宙を切る。

「ゾロ!? 何無茶言って……」
「い、いくらなんでも無理だろ!!!?」
「何だお前ら、知らねェのか? あいつ、クソコックよりよっぽど良い蹴り持ってんぞ」
「………」

 ナミとウソップから否定にも似た声が上がっても、ゾロはしれっとした態度で切り返す。
 日頃どれだけ反目し合っている相手だろうと、ゾロが戦闘力を測り違えることなどあり得ない。どこか不自然な言葉と、らしくない過大評価。となるとその原因は、彼の後ろで沈黙を保っている海軍大佐か。

(いやでも、こんな緊急事態なのに……?)

 能力を隠せというだけでなく、何か他に込められた意味でもあるのか。ゾロの意図をはかりかねて、ニーナの動きは止まったまま。
 そんな中、ゾロはニーナと視線を合わせ、不敵な笑みさえ浮かべて言葉を続けた。

「無茶でも無理でも何でもねェ。出来るだろ」
「……!」

 何の疑いも持っていないと言わんばかりの声色と、否定の言葉を返すことなど許さない力強い眼光。
 その一言に張り倒さんばかりに背中を押されて、ニーナはふっと肩の力を抜くと、迷わず水浸しの床へと飛び降りた。

「……そうきっぱり言い切られちゃ、出来ないなんて言えないよねぇ」
「「!」」
「よーっし!! 行けェニーナ〜〜〜!!!!」

 珍しく静かに状況を見守っていたルフィが、彼女の言葉に拳を大きく突き上げた。
 ルフィの歓声を受けつつ、ニーナはバナナワニの視界に正面切って突入する。突然現れた小さな人影に驚いたのか、バナナワニは首ごとぐわりとニーナの方に向いた。
 ばしゃばしゃと敢えて大きな水音を立てながら、ニーナはバナナワニの横っ面を通り過ぎ、尻尾側へと回り込む。ばしゃり、ばしゃり、バナナワニがニーナを追い掛けようと足を動かすたび、水面には大きな波が生まれていく。
 四足歩行のワニの腹を狙おうとすれば、彼らが足を大きく動かし、若干身体が傾くその時が唯一のチャンス。ニーナを追うワニの身体が円弧を描き始めた頃合いを狙って、ニーナはすっと円の中心へと身体を滑り込ませた。
 ルフィ達からニーナの姿が見えなくなった、次の瞬間。

「……ふっ!」
「「「!!!」」」

 部屋に響いたのはくぐもった重低音。それから一拍置いて、ニーナが軽やかな着水で水面を揺らせば、ぐらり、バナナワニの巨体がゆっくりと外側へと傾く。
 じわり、じわり、バランスを崩した身体は徐々に傾きを大きくして、やがて盛大な水柱を立てて倒れこんだ。

「ハハッ、やりやがった」
「……!」
「うおおおおおおおおお!!!?」
「うっ、うそ……」
「よっしゃアアアア!!!! いいぞニーナ〜〜〜!!!!」
「ふう……」

 檻の中から大歓声が響いても、ニーナが額にうっすら浮かぶ汗を拭っても、ワニはピクリとも動かない。檻の正面に倒れた微動だにしない後頭部を眺め、無言を貫くスモーカーも流石に目を瞠った。
 とはいえ、本来の目的は未だ果たしていない。ぱしゃぱしゃと足音を立てつつ、ニーナはワニの腹へと近付く。蹴りを入れた部分をちらりと確認すれば、ワニの腹にくっきりと残る小さな足型は、焦げたように赤黒く変色している。
 ブーツの踵に仕込んだラクリマ・マレを、密かに使った確かな証拠。スモーカーの目には、今のところ留まっていないだろう。半ば無意識でそこまで確認したニーナは、それどころではないとばかりに軽く頭を振った。

「んん、でもこれじゃ、本当に『腹蹴って倒した』だけなんだよね……」

 ひとまずバナナワニの口元まで回り込めば、先程まで巨体に隠れていた檻内部の様子が視界の端に映り込む。気絶したワニに大喜びしていた彼らも、再び緊張の面持ちを浮かべている。

「そうね……今のところ、鍵は吐き出してないみたいだし……」
「口開けて舌引っ張ってみようかな?」
「おおおおい、流石にそれは……ってもう開けてるゥゥゥ!!!? 度胸あんな!!!?」
「アッハッハ、やるなァ!」

 物怖じする様子など欠片も見せずに、ニーナはワニの口元をむんずと掴み、ぱかりと口を開かせる。ウソップの絶叫とルフィの笑い声を聞き流しつつ口内を覗き見れば、やはり鍵は影も形も無い。
 そこから早々にワニの舌に手を伸ばしかけたニーナを制止したのは、意外な声だった。

「オイ、そいつを吐かせても無駄だ。鍵を飲んだのはそいつじゃねェ」
「!」
「えっ!?」

 檻の奥から響いた渋い声に、全員がそちらを振り返る。
 眉根を寄せたスモーカーは、葉巻を持つ手でニーナの背後を指し示した。

「鍵を飲んだ奴ァ、まだ──」
「……っ、」
「危ねェ、起きるぞ!」

 びくり、ワニの身体が小さく痙攣したそのとき、ニーナは瞬時に後ろに跳んで間合いを空ける。危険を知らせる声が響いたその時には、既に十分な距離が取られていた。
 ──しかし、室内のバナナワニの頭数は、彼らが気付かないうちに増えていたようで。

「ニーナっ、後ろ!!!!」
「!」
「ヤベェ、デカいぞ!!!?」
「おい、逃げろニーナ!!!!」

 ニーナの頭上に迫り来る新手のバナナワニの尻尾。逃げたところに突如として降ってきた新たな脅威。
 回避しようと反射で足を引いたその先に、がちり、水中に隠れる瓦礫が彼女の邪魔をする。
 思わぬ障害物で体勢を崩したニーナを見て、全員が息を呑んだ、次の瞬間。

「……"食事中は極力音を立てません様に──反行儀キックコース"!!!!」
「「「!!!!」」」

 ──バナナワニの巨体が、水面を離れ宙を舞う。
 その下でワニの腹を蹴り上げていたのは、誰あろう"噂のMr.プリンス"だった。





next
もどる
×