Le ciel croche | ナノ

 ドラム城の一階にある、天井の高いとある一室。整然と並び立つ巨大な書架に、古今東西あらゆる分野の本が詰め込まれたそこはいわゆる図書室。流石医療大国というべきか、蔵書の半分近くは医学に関連するものだ。
 縦に長い部屋の奥の奥。上下に左右にその前後、どこまでも並ぶ背表紙にジグザグと目を走らせて辿り着いたのは、書架の数段分を占拠する多数のファイル。一見すると奇麗に仕分けてあるそれは、中を開けば、年月日も症状もバラバラに“とりあえず”の体で詰め込まれた膨大なカルテだった。
 法則性が無いのなら、虱潰しに探すしかない。部屋の片隅に置かれたテーブルにファイルを積み上げ、山を切り崩し続けて数刻。確認済みの山が未確認の山の高さを少し超えたところで、ニーナは小さく息を呑んだ。

「パルク・ソフィア……」

 記されている名前を指でなぞって読み上げる。ほんのり黄ばんだ紙のカルテをめくれば、次のページには別人の名前。この人物のカルテはこれ一枚らしい。ちらりと確認して元のページに戻ろうとした彼女の手は、はたと止まった直後素早く動いた。
 更に年季の入った色合いのカルテを二度見して、ニーナは目を丸くした。

「! リーベルタ・フレイヤ……二人とも、あった……」

 他に誰が居るわけでもない広い室内で、無声音ほどに潜められた小さな呟き。高い天井に届くまでもなく、ほんのり白い吐息と共にすうっと飛散する。
 再び静寂に包まれた図書室で、ニーナは意識を耳へと集中する。聞こえる範囲の城内にも城外にも、際立つ騒音は確認できない。念押しとばかりに周囲に目を走らせ、異変がないことを確かめてから、紙の束から二枚のカルテを慎重に抜き取り、机に並べて見比べた。

(先代は14年前、先々代は25年前……)

 カルテに残された内容は、名前に診察年月日、受診理由とドクターの見解、処置の内容。一文一文が短くシンプルに纏められているそれをじっくりと読み込みつつ、ニーナの右手は腰の鞄に伸びる。
 しかし、鞄の蓋に指先が触れた時、その手はふと動きを止めた。

(いや……やっぱり、メモは……残さない方がいいな)

 視線はカルテの下方に固定したまま、ゆるゆると右手を机上に戻す。冷えきった指先を擦り合わせて、はあっと大きく一息。気休め程度に温まった掌をきゅっきゅっと数回開閉して、人差し指でなぞりながら再び文字を追う。
 滑らかな筆記体が記す二人の患者の受診理由は揃って体調不良。漠然とした表現は、原因不明の為か、記述の大雑把さ故なのか。

(んん……ドクトリーヌに聞くわけにもいかないしね……)

 なにしろ、大きな独り言を頼りに辿り着いて、“勝手に”読ませて貰っている身だ。得られる情報だけ回収して、こっそりしれっと戻るより他に道はない。
 気を取り直したニーナは、その先へとカルテを読み進める。症状欄に目をやれば、現れているのはやはり低体温と徐脈。大抵のカルテには記されているであろう『病名』や原因の記載は、二枚ともに見られない。処置内容も見る限り、今日のニーナが受けたものと同様だ。
 医学的な異変の他に記された備考には、若年、海賊、能力者の文字。報酬は宝石一山で契約済、という一文に至っては、共通して大きな文字で一字一句違わず書かれ、太い二重線まで引かれている。書き手その人を体現する意志の強い筆跡は、それだけで妙な説得力を持っている。
 一個人が残した文字だけの情報。資料として信頼するに値するかどうかは、直感でしか感じ取れない。今回は信じていいだろう、改めてそう結論付けた頃には、カルテは終わりに近づいていた。

(……ん? このメモ書き、先代の方にしかない)

 カルテ最下段の文字まで読み切ったところで、ニーナは欄外の走り書きに目を止めた。新しいカルテにだけある、薄く小さく掠れた文字。今までとは異なる筆遣いのそれは、後から書き足したものだろうか。
 じいっとカルテに目を凝らして、何とか読み取れた文字を頼りに前後を推測して。読ませる気が無いとも取れる見辛い文字を解読して、繋がった文章を脳内で復唱すれば、やがて意味を持った一文が完成した。

(『未覚醒状態での、強制極点超過と推測……以前の患者も同様か』……?)

 聞き慣れない単語の表す真意までは分からずとも、その温度感から漂うのは、良い雰囲気とは言い難い。僅かに眉根を寄せたニーナの脳裏に、数刻前のドクトリーヌの言葉がよぎる。

『その力、使い方には気をつけな。間違えると寿命を縮めるよ』
「………」

 ――つまり、使い方によっては問題ないとも受け取れる。この二人は、間違えてしまったとでもいうのだろうか。その結果が、受診理由に繋がっているのか、その後の経過に繋がっているのか、そもそも、彼女の言う『間違い』は何を指すのか。これだけの情報では判断がつかない。
 しかし、もしドクトリーヌが今日、ニーナのカルテを作るとしたら。受診理由も処置内容も、備考まで含めてほとんど二人と同じだ。だから、もし、“そう”だとしたら。

(……やっぱり、あれかなあ)

 最初に頭に浮かんだのは、鞄の中にしまった二本のブレスレット。
 ナミに作ったものには、ラクリマ・マレとして使用したのはターコイズのみ。機能として期待したのは『冷やすこと』だけだ。回収した時にも確かに冷たかったそれは、きちんと役目を果たしている。
 それに対して、ニーナの着けていたものに使ったのは、単なるパワーストーンとしての琥珀と、用途が分からないままだったラクリマ・マレ、ロイヤルアンバー。使い方を探る意味で装着していたそれを、ニーナは使った覚えがない。しかし、石が変化しているということは、間違いなく何らかのエネルギーは取り出されている。 仮に、この状態の違いがそのまま、『正解』と『間違い』だとしたら――。

(使っても石に変化ない時もあるし、割れたり欠けたりする事もある。炭化したのは初めて……いや、ココヤシ村行く前の赤黒い欠片も同じかも……? 用途に確信持てないまま、無意識で使っちゃったのがいけなかったのか……何の力だったんだろう……思い当たるものがないな……)

 静かに考え込みつつ、ニーナの右手は再び鞄に触れる。掌で気配を感知するように軽く撫でても、鞄の中身に変化は感じられない。

(自分で持ってない石に、少しずつ長時間力を送るってのも初めてだったけど、ナミの方は奇麗だし……こっちは成功してるのか……どこまでが『正解』なんだろ……“強制極点超過”……うーん、やっぱまだ情報不足かなあ……)

 考察の余地は多分にあるが、結論を出すにはまだ早い。自分にストップを掛けるかのように、ニーナは軽く首を振った。
 疑問点はむしろ増えたものの、新たな情報を得た事には変わりない。低体温と徐脈、未覚醒に強制極点超過。気になる単語をしっかりと目に焼き付けて、考えるのは後回し。
 気付けば随分と時間が経っていたらしい。ほとんど音も気配も無かった城外が賑やかになっているのに気が付いて、ニーナは二枚のカルテを机上から取り上げた。上部に記された先代達の名前を交互に見やり、カルテの束へ戻す。

(そういえば、そもそもアルフは何で知ってたんだろう……?)

 パルク・ソフィア。リーベルタ・フレイヤ。かつて、自身と同じ力を得ていた二人の女性。表立っては歴史に名を残していない、過去の天使の実の能力者たち。その名と数少ない貴重な情報の出所となった"彼"を思い出し、ニーナはふうむと小さく唸る。

(……自分の力なのに、まだまだ知らない事ばっかりだ。ちゃんと調べなきゃな)

 引っ張り出したファイルの山を書架に並べ直して、テーブルとイスも元通りに戻して。痕跡を奇麗に消し終えると、ニーナは図書室の入口へと向かう。外の様子に耳をそばだてながら扉に手を掛けると、向こう側から聞き覚えのある足音がふたつ。

「図書室に行くって言ってたのよ。一階って事しか分からないんだけど……」
「よし、片っ端から覗いてくか」
「ナミにサンジ。どうしたの?」
「「ニーナ(ちゃん)!!」」

 開いた扉の向こうには、若干頬を赤くしたナミと、見るからにボロボロで不自然な体勢のサンジ。驚く二人の姿を交互に確認すると、ニーナの表情はじわじわと曇る。

「ナミ、まだ安静にしてた方がいいよ。サンジも何か悪化してない……?」
「いや、実はだなニーナちゃん……」
「それどころじゃないのよ! ニーナ、用事は済んだ!?」
「え? あ、うん。もう大丈夫」

 食い気味に言うナミに押されてニーナが小さく両手を挙げると、ナミはニーナの両手首をがしりと掴んだ。

「オッケー。そしたらさっさと逃げるわよ!」
「……うん?」



 *



 ナミの先導で城外に出た三人は、入口前が見渡せる建物の死角から、外の様子を長らく見守っていた。
 度々ルフィの邪魔をしてきた妙な三人組――もとい、元ドラム王・ワポルの一行。海賊の襲撃に見舞われた国を捨て、国民を放り出し真っ先に逃げたかと思えば、様子を見計らって舞い戻ってきたという。王族どころか人としても風上にも置けない彼らを、ルフィとチョッパーが見事に撃退した。

「そのケガ人を連れて病室へ入んな!!! 一人残らずだ」
「は…はいっ!!」

 戦況を静かに見つめていたドクトリーヌは、戦闘後に山を登ってきたドルトン達の姿を見止めて声を掛ける。彼女が城内に入った時が、逃げ出す絶好のタイミング。彼らに同行してきたゾロとウソップ、ビビの姿もあり、これで一味も全員揃った。まさに今がまたとない好機だ。
 じっと息をひそめてドクトリーヌを見つめるナミに、サンジが遠慮がちに声を掛ける。

(ナミさん、病気はちゃんと治してもらった方がいいぜ)
(本来は10日かかるって言ってたしねえ)
(黙って!)

 半ば強引にナミに連行されたニーナもサンジに続けて口を挟めば、ナミは口元に人差し指をやりつつぴしゃりと答える。

(今逃げ出さなきゃ、アラバスタへの出航があと2日も遅れちゃうのよ。あんた達、これ以上ビビが苦しむ姿見てたいわけ!?)
(うーん……)

 答えの出せない問い掛けに、ニーナは困ったように言葉を濁すことしか出来ない。こうなったナミは意地でも意見を曲げないだろう。
 図書室前で計画を告げられてから、何か手はないかと考え続けてはいるものの、ついに答えは出なかった。どうしたものかと途方に暮れていると、ニーナは背後に怒れるひとつの気配を感じて首を捻る。

 ――と、その瞬間、三人の頭上で、外壁のレンガが砕け散った。

「お前達も病室へ戻んな!!!!」
「「ギャーーーーーーっ!!!!」」
「……あー、ばれた」

 真っ先に連行されたサンジの背中を見送りつつ、ニーナも大人しくドクトリーヌに従った。





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