Le ciel croche | ナノ

 ――数時間ぶりに地に足を付けたルフィとニーナは、目的地を振り仰ぐと互いに顔を見合わせ、異口同音に呟いた。

「「ついた…………」」

 目の前に聳え立つのは、絵に描いたような見事な白銀の城。ドルトンの言う『魔女が棲む城』に間違いないだろう。険しい道のりを経てようやく辿り着いたそれに、ルフィはほうっと感嘆の溜息を漏らす。

「きれいな城だ……………」

 数時間掛けて山道を進み、その上更に数時間掛けて絶壁を素手で登るという荒行をこなしたにも関わらず、零れてきたのはそんな感想。ぽかんと口を開けたまま城を見上げるルフィに、ニーナは安心したように小さく笑う。
 ニーナは一旦雪上に寝かされたサンジの上半身を起こすと、左腕の下にもぐりこむ。んん、と小さな呻き声を漏らしつつ、彼女より上背のあるサンジに肩を貸す形で支えて立ち上がった。

「行こ。早く、診て貰わなきゃ……」

 一歩、二歩、意識を失った重たい身体を引きずるように足を踏み出せば、三歩目で早速よろりとバランスを崩す。何とか受け身を取ったニーナは、半ばサンジの下敷きになる形で雪上にぽすりと軽く転がった。

「うっ……」
「…医者………」

 対するルフィは、ナミを背負って縛ったそのままの体勢で、ふっと糸が切れたかのように脱力して膝を着く。二人して地面に転がってしまったものの、周囲に人の気配は無い。さっと立ち上がるような体力も気力も尽きているニーナは、意識と耳だけそちらに向ける。
 ――次の瞬間、ルフィのすぐ足元で、突如不吉な音が響いた。

「……?」

 不審な音には気付きつつも、雪原に倒れ込んでいるニーナからは背後の様子は窺えない。ぼこり、ばしっ、ざくっ、ざくっ。引き続き聞こえてくる音は、自然のものでもルフィが発するものでもない。
 いつの間にか現れたであろう第三者の存在を察して、ニーナはそろりと控えめに顔を上げた。

(……なに、あれ)

 丁度ニーナとサンジの横を通り過ぎていったのは、雪男のような風貌の獣。二足歩行でゆっくりと雪原を進むそれは、気を失っているルフィとナミを両手で抱えて運んでいる。
 ちらりと後ろを振り返れば、つい先程までルフィが居たはずの場所は、まるで何かにえぐり取られたかのように消失していた。

(助けて……くれたの……?)

 ――敵か、味方か。判断を下すには、未だ情報が少なすぎる。ルフィとナミを慎重に運んでいく後ろ姿を息を潜めて観察していると、城の方から新たな人影が現れた。

「何だい、チョッパー。そいつらは」
「病人と怪我人なんだ。そっちにも二人居る」

 老婆と言うには随分と生気に満ち溢れたその女性は、まるで人間を相手にするように二足歩行の獣に話し掛ける。チョッパーと呼ばれた獣――彼も人語を理解し扱うようで、ニーナは密かに目を瞠る。

「なんだって? どっから湧いて出たんだ」
「登ってきたんだ。あそこから」
「はァ!?」

 驚きの声を上げる女性に、チョッパーは先程までルフィが居たところを指し示して答える。彼はルフィとナミを抱えて城まで運ぶと、すぐにニーナ達のところまで戻って来た。声を掛けるべきか否か、迷ったニーナはひとまず軽く目を閉じ成り行きに任せる。
 そんな彼女とサンジもチョッパーに片手でひょいと持ち上げられ、ルフィとナミ同様に城まで運搬される。雪の上に二人を降ろす手つきは丁寧かつ慎重で、言葉通り病人や怪我人を扱うものだ。

「おれ、見てたんだ。こいつが三人抱えて、そこから上がってきたところ」
「この山を素手で登ってきた!? 標高5000メートルのこのドラムロックを!!?」

 チョッパーの説明に対して、女性の反応は驚き半分呆れ半分。
 首を縦に振ったチョッパーは、降ろしたサンジを見下ろすと、しゅるるるるとその身体を縮ませる。2メートルをゆうに超えていた巨体は半分以下になり、雪男と見紛う風貌は、小動物のそれへと変化した。
 
(……動物系の、能力者……?)

 ぱちぱちと目を瞬かせるニーナには気付かず、二人はルフィ達の身体をざっと観察する。

「こいつは全身凍傷になりかけてる。こんな格好で何のつもりだ!! すぐに湯を沸かしてぶち込んどきな!!」
「応急処置はしてあるけど、こっちは出血がひどいんだ。アバラ6本と背骨にヒビ。おれが手術していい?」
「一番ヤバイのはどうやら、この娘だね。死にかけてる。チョッパー…フェニコールと強心剤、それにチアルシリン用意しときな!!」
「感染してんの?」
「…ああ。この島の病原体じゃないよ」

 運ばれてきた四人を順番に見ながら、女性がチョッパーにてきぱきと指示を出す。チョッパーの方にも医学の心得があるのか、サンジを診ながら診断を下している。
 ここまで見届ければ、もう間違いないだろう。会話の内容を拾ったニーナがそろりと顔を上げると、近付いてきた女性とサングラス越しに目が合った。

「最後の一人は…おや、意識があるね?」
「あなたは……ここの、お医者さん……?」
「ああ。お前は……ふむ……ま、低体温と過労ってとこだ。しっかし、こんだけ低くて正気保ってんのは大したもんさね。娘二人で足して割ったら丁度良いだろうに」

 ニーナの額を人差し指でぴっと突くと、彼女は一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、すぐに問題ないと言い聞かせるかのように軽く嘆息した。
 彼女は一番重症なナミの元に戻ると、処置を進めるべくナミの身体に手を伸ばす。その腕を、血だらけの震える掌が、がしりと力強く掴んだ。

「!」
「うう………!!!」
「……………!!」
「ルフィ……?」

 凍傷寸前で震えるルフィが、がちがちと噛み合わない歯を鳴らしながら、必死の形相で彼女を見上げる。漏れ出る音は意味を持たない唸り声にしかならなくても、彼女はルフィの意図を察して落ち着いた声で答える。

「………!! 大丈夫だ。あの血まみれのガキも、娘二人もちゃんと治してやるから安心しな」
「…………なカバ……………ダンダよ」
「!」
「わかったよ、助ける…」
「…………」

 ――仲間、なんだよ。
 言葉足らずな懇願ながら、その切羽詰まった声は、どんな言葉を並べるよりも強く響く。チョッパーははっと目を見開き、女性は静かにルフィを見下ろす。
 てきぱきと動いていた手を止めたチョッパーに、女性は鋭く檄を飛ばした。

「チョッパー!! 治療だ!!!」
「う…!! うん」





 *





「本当に、有難うございました。助かりました……」
「礼は全員完治して退院する時まで取っときな。謝礼もきっちり貰うからね」
「ふふ、それは勿論」

 四人揃って城の中に運ばれ、それぞれ適切な処置を施され、男女別に部屋に放り込まれ。あっという間に温かいベッドに転がされたニーナは、改めてドクターに礼を述べた。
 Dr.くれはと名乗り、ドクトリーヌと呼ぶよう言った彼女。最初に診た時と同様に、ニーナの額に人差し指を当てる。

「34度8分……だいぶ戻ってこれか。お前、元々平熱低いだろう?」
「はい」
「………」
「……?」

 ドクトリーヌは少し口を閉ざして考え込むと、ニーナの右手首を取って脈を測る。しゃらり、軽い金属音を奏でたのは、ナミと揃いのブレスレット。音の出どころに視線をやったニーナは、その“変化”を見て取って、僅かながらに眉根を寄せた。

(あれ……?)

 その様子を静かに見つめていたドクトリーヌは、隣に並んだベッドで眠るナミの方へと視線をやる。頬はほんのり上気したままだが、寝息は随分穏やかになった。深く寝入っているのを確かめると、ふうっと小さく息を漏らして、ニーナと正面から視線を合わせた。
 はきはきと大きな声で歯切れよく喋る彼女が、初めて声を抑えて口を開く。

「……あたしは過去に二人、お前と“良く似た体質”の娘を診たことがある。その力、使い方には気を付けな。間違えると寿命を縮めるよ」
「……!」

 ――何とは明言しないものの、“何”を指すのかは明らかなその言葉。
 隠しきれない警戒の色を滲ませたニーナに、ドクトリーヌは大仰に溜息を吐いてみせる。

「……身の上由来の警戒心か、意地でも倒れないその根性は上等だ。だが、あたしは医者でお前は患者。別に取って食いやしないから、きっちり休んできっちり治しな」
「わ」

 ぼすり、腕を戻すついでに布団を深く被せられ、ドクトリーヌはニーナに背を向け部屋を後にする。ぱたりと閉じた扉の向こうから響く足音は、段々と遠くなっていく。

(……まあ、確かに、ここは大丈夫な感じはするし、お言葉に甘えて休もうかな……今回は、流石に、疲れた……)

 音を捉えるのをやめて、ころりと体勢を変えて横になる。集中を解いたことで一気に襲い来る疲労感に抗うのを諦めて、ニーナはゆっくりと瞼を降ろした。



 *



 ――ナミが目覚めたその時に、隣のベッドからは既に温もりが失われていた。

 喋るぬいぐるみにしか見えないチョッパーに驚き、ドクトリーヌから事の経緯を聞き、目を覚ましたルフィとサンジがチョッパーを追い回し。飛び出して行った三人に呆れながらも、ドクトリーヌもまた、軽い食事を用意すべく部屋を後にした。
 そうしてようやく静かになった部屋でナミが一息ついた丁度その頃、つい先刻閉じたばかりの扉がゆっくりと開いた。

「あ、ナミ。良かった。調子はどう?」
「ニーナ!」

 平皿と丸型ビーカーを載せたトレーを手にして、ニーナがひょこりと顔を出す。彼女の無事は聞いていたものの、ナミは安堵の溜息をひとつ。そんな彼女の反応を見て、ニーナもまたへにゃりと柔らかい笑みを浮かべる。
 随分と心配を掛けていたらしい。ナミが病に倒れている最中、珍しい表情をいくつも見せたニーナは、一味加入時から少しずつ表情豊かになっている。やや不謹慎だとは思いつつも、ナミはその変化に頬を緩ませた。

「おかげさまで大分いいわ。色々ありがとう」
「ううん。確かに顔色も良くなったね。……良かったあ」

 高熱に冒されていた間の記憶は朧だが、ニーナが手を尽くしてくれた事は覚えている。ひらひらと右手を振って答えれば、穏やかに暖かな輝きを放つ琥珀のブレスレットもしゃらりと揺れた。
 その様子を目に止めたニーナは、ふと迷うように一度視線をずらしたが、やがてトレーを机に置くと、ナミのベッド脇へと身を寄せた。

「……ねえナミ、それちょっと回収させて貰ってもいいかな」
「これ? ニーナが付けてくれたのよね」
「うん」

 ナミがブレスレットを外してニーナに渡せば、ニーナは腰の鞄から自分が付けていたものを取り出した。
 ニーナが敢えて揃いで作った、二つのよく似たブレスレット。古くは薬としても用いられていた石と、ラクリマ・マレとを組み合わせ、思いつきのままに実験的に作ったそれ。
 シルバーを基調にした華奢なデザインの中、所々に透明度の高い琥珀を散りばめ、メインにマーブル模様の美しい『ロイヤルアンバー』を据えている。ナミの物には琥珀以外にターコイズも使われているが、元々の違いはそれだけだ。
 ――しかし、二つ並べて見比べれば、今やその差は一目瞭然。

「えっ……どうしたの、それ……!?」
「ああ、石に蓄えられてるエネルギーは有限だから、使えば使っただけ消費してこうなるの。いつもの事だから大丈夫だよ」

 ほとんど新品同様なナミの物とは対象的に、ニーナが付けていたそれは、ほとんどの琥珀に大小の亀裂が入っている。真っ二つに割れているもの、触れば粉々になりそうなもの、本来の豊かな橙色をどんよりと曇らせたものなど、状態は様々だ。主役の石であるロイヤルアンバーに至っては、ひび割れだけに留まらず、それそのものが焼け焦げた炭のように黒く変色していた。
 二つ並んだブレスレットを、ニーナは確かめるようにそれぞれひと撫でする。ナミの物は、金属や石が持つ以上の冷感を保っていて、ニーナの物は生温い。
 驚きの声を上げるナミに対して、ニーナは返答を探しつつゆっくりと口を開く。

「……ドクトリーヌが、これ見て気付いちゃったの。過去に二人、“よく似た体質の娘”を診たことがある、って」
「えっ!!!?」

 はっと息を呑んだナミは、きょろきょろと辺りを見回すと、ごくごく抑えた声でニーナの耳に口を寄せた。

「エルフィンを、ってこと?」
「うん、明言はしてないけど、そうだろうね」
「何でそれだけで……? っていうか、真ん中の炭化してる石、これって……」
「んー、これは最後の決め手であって、他にもヒントはあったんだろうけど」

 一旦口を閉ざしたニーナは、言葉を選ぶかのように僅かに目を伏せる。ナミの疑問には直接答えず、ちらりと扉を振り返って、その向こう側へと耳をすませて。人の気配がないことを確認してから、声を絞って言葉を続ける。

「……能力者ってさ、基本的に人間離れしてるじゃない?」
「え? ええ……」
「あたしの場合、体温とか、脈とか、正常値より低いみたい。それが分かる医者の技量と、過去の経験と知識が揃っちゃったんだね」
「………」

 なんてことない風に淡々と事実を述べるニーナに対して、ナミの表情は徐々に曇っていく。そんな彼女の横顔を見て、あらぬ心配に辿り着く前にと、ニーナは明るく笑ってみせた。

「やだなナミ、そんな顔しないでよ。あたしはこれが普通なだけだから、別に病弱でも何でもないでしょ?」
「それは、そうだけど……って、そうじゃなくて」
「あ、それにね」

 先程の質問に戻ろうとするナミをしれっと遮って、ぴっと右手の人差し指を立てる。左手でさりげなくブレスレットを二本とも鞄にしまいつつ、ニーナはにいっと悪戯に笑った。

「バレちゃったのには驚いたけど、これって逆に貴重なチャンスなんだ」
「チャンス?」
「……この城の図書室に、過去のカルテが保管してあるみたいなの。こんなの、他じゃ絶対手に入らない」

 そう言うニーナの瞳の輝きは、鉱石を見つめる時のそれと同じもの。口ほどに物を言うその目に、ナミは話を戻すことも出来ずに見入ってしまう。
 
「『医者のカルテなんざ、門外漢に見せてやるモンじゃない』なんて言ってたけど、一階の図書室の一番奥の棚、なんて、丁寧な独り言まで残してくれてさ。さっきこっそり覗いてきたんだけど、だいぶ膨大で仕分けもしてなくて。もうすぐドクトリーヌが軽く食べられるもの持って来てくれるから、その後でまた探して来るよ」

 ニーナは先程持ってきたトレーを指差し、ふと思い出したかのように立ち上がる。持ってきたリュックから保存食を探っていると、扉の向こう側から三人分の賑やかな声が響いてきた。

 ――そうして自然と終わらざるを得なかったこの話。ナミは感じた疑問を尋ねるタイミングを失ったまま、ひっそりと胸のうちにしまい込んだ。





next
もどる
×