Le ciel croche | ナノ

「ちょっと寒くなってきたな…。風が出てきた」

 ウソップとビビに見送られ、ドルトンの家から徒歩で山頂の城を目指す三人。雪はちらついているものの、幸い太陽は隠れていない。それでも、緩急付けて時折通り過ぎる風は、ぴりぴりと鋭く肌を刺す。首筋の僅かな露出に痛いほどの冷気を感じて、ニーナは緩んでいたマフラーを巻き直した。
 ナミを背負って雪原を進むルフィの足は、一歩一歩進むたび、ぼすぼすと大きな音を立てつつ穴を開ける。そんな様子を眺めながら、サンジが苦い顔で眉をひそめた。

「つーか、お前何で下素足なんだよ。見てるこっちが痛ェだろ」
「これは、おれのポリスーだ!!」
「ポリスーってなんだよ、ポリシーだろ」
「そうなんだよ」

 暢気な会話を交わしつつも、背後に迫るちいさな気配には気付いている三人。ガルルルル、と一人前の唸り声をあげる獣に一瞥をくれることもなく、ざくざくと歩みを進めていく。

「それより知ってたか? 雪国の人達は寝ねェんだぞ」
「あ? 何で」
「だって寝たら死ぬんだもんよ」
「バカいえ、そんな人間いるかよ!!」
「本当だよ、昔人から聞いたんだ」
「ガルルル!!」
「ウソップか……」
「ガアア!!!」

 威嚇の声を吐き出す口を大きく開けて、ちいさな獣は三人目掛けて飛び掛かる。気配を消す術も知らない幼い獣を、彼らは三者三様の動きでさらりと避けた。

「違う、村の酒場で聞いたんだ」
「……うん? その話、あたしも昔聞いたことある気がする……」
「ええっ、ニーナちゃんまで!?」
「ほらなー!!」

 寒さで口数が減っていたニーナが反応を示せば、半歩前を歩いていた二人は揃って彼女を振り返る。目を丸くするサンジにニーナがゆるく笑って見せれば、彼は首を捻りつつルフィに視線を移す。

「だったら何で、あのドルトンって奴ん家にベッドがあったんだ」
「あっ、それもそうだな!! じゃあ、あれは死ぬときの為に……」
「そんなわけねェだろ」
「んん、単なる冗談で、普通に寝るとは思うけどねぇ」

 まさか信じてはいないだろうが、思いのほか乗ってくるサンジに苦笑しつつ、ニーナはめげずに飛んでくる獣を小さな動きで躱す。一直線に雪に突っ込んだと思いきや、ばねのように見事に跳ね返ってきたそれを、ルフィとサンジは相変わらず脇目も振らずに軽く避けた。
 狙いを外した獣の後ろ姿を、ニーナは横目にちらりと振り返る。雪からひょこりと生える白く長い耳を確認すると、出掛けのドルトンの言葉を思い出した。

(凶暴なうさぎに気を付けろ、って、まさかこのちびっこの事じゃないよね)

 予想よりも随分と可愛らしい“肉食獣”の姿をもう一度振り返れば、先程うさぎが齧り付いていた木がメキメキと音を立てて折れ曲がる。――成程、あの見た目でも、中々油断は禁物のようだ。

「じゃ、お前これ知ってるか? 雪国の女性はみんな肌がスベスベなんだ」
「何で」

 折れた木が低い地響きを立てても、サンジは特に気にした様子もなく話を続ける。

「そりゃ決まってんだろ。寒いと、こう……肌をこすり合わせんじゃねェか。それで、みんなすべすべになっちまうんだ。すべすべで透き通る様な白い肌。それが雪国のレディさ」
「ふーん。そんじゃニーナも雪国出身なのか?」
「えっ、あたし? ちがうよ。東の海って基本的に温暖じゃない?」
「あ、そっか」
「ん〜、ニーナちゃんはそれとはまた別格だよな〜〜〜!」

 止む様子のない攻撃をひょいひょいと躱しながら、三人はペースを崩さず雪山を進んでいく。殺意むき出しの唸り声をBGMにしつつも、会話のキャッチボールはテンポを崩さない。

「白いのは何でだろうな」
「うーん、日照時間の関係とか?」
「そりゃ勿論、降りしきる雪の色が肌にしみこんじまうからよ」
「あー、お前結構ばかなんだな」
「てめェにだけは言われたくねェよ!!! それに……」

 リズムよく交わされていた会話を、ついにサンジがぷつりと止めた。
 ちょうど彼の足元目掛けて飛んできた白い獣を、ようやく標的として見止める。

「うっとうしんだよ、さっきから!!!」

 ――彼の見事な足技を食らったそれは、奇麗な放物線を描いて、白い地平線の向こう側へと飛んで行った。

「何なんだろうな、あいつ」
「ちょっと凶暴なうさぎ、かなあ……サイズ的に……」


 *


「ナミさん、気をしっかり持つんだぜ。ちゃんと医者に連れてくからよ」
「雪がだいぶ積もってんな、この辺は」
「さすがに……走りにくくなってきたね……」

 動く障害物がいなくなった雪山道中。三人の行く手を阻むのは、今度は自然の脅威だった。
 目指す山へと近付くにつれ、雪道に踏み出す一歩の足跡が深くなる。ざくざくと音を立てながら進む彼らは、それでもスピードを緩めていない。それどころか、ますます力強く歩みを進めるルフィに、サンジが苦い表情で声を掛ける。

「おいルフィ、もっとそ〜〜っと走れよ。ナミさんの体にひびくだろ」
「ん…?」
「うん?」
「んん!!?」

 サンジの注意に答えず不意に立ち止まったルフィに、二人もつられて立ち止まる。視線を正面に向ければ、突如現れた白い壁。
 ――彼らの行く道を塞いでいたのは、人間の二倍三倍はあろうかという真っ白な巨体の群れだった。

「な…何だよこいつら…!!!」
「白くてデケェから白熊だよ、間違いねェ!!」
「……もしかして、さっきの小さいうさぎが大人になったら、あのサイズになるんじゃ……」
「あっ、あいつ!!」

 巨大な白い生き物たちの中に、ニーナが見覚えのある小さい獣を指し示す。それを肯定するかのように、先頭の一匹がぐぐっと身を屈めると、雪原の中から大きく跳ねた。

「飛んだ!!!」
「うわ!!!」

 ただ単に飛び跳ねただけではない。明らかにこちらを狙いにかかっているそれは、ルフィとサンジの間に鋭い爪を振り下ろす。重量級の見た目に反した俊敏さに、寸でのところで攻撃を躱したサンジは目を丸くした。

「ウソだろ、何だこの動きはっ……!!! ゴリラかよ!!!」
「違う!! 白熊だ!!!」
「うさぎだよ!!!」
「お前、今ゴリラだっていったじゃん」
「これがドルトンの言ってた“ラパーン”に違いねェ…!!!」
「あのちびっこでも、細い木齧って折ってたくらいだし……大人のパワーはもっと凄いよね」
「―――で、この数か!!」

 襲ってきたのも避けられたのも、まずは一匹。その向こう側にぞろぞろと増え続ける白い巨体を仰ぎ見て、サンジは苛立ちを隠さず舌打ちをひとつ。

「この足場でこれだけ動けるとは、さすがは雪山の動物ってわけだ…!!! 不利だぜ。こりゃ、さい先よくねェな」
「登りたい方向塞がれてるし、避けては通れないか……」

 二人して軽く嘆息しつつ、サンジとニーナは一歩前へと足を踏み出した。フルートを構えたニーナは、腰のポーチから素早く赤いラクリマ・マレを取り出し装着する。
 ラパーンの群れに視線を向けたまま、サンジは振り返らずに口を開いた。

「いいかルフィ、お前は絶対にこいつらに手ェ出すな!!」
「なんで」

 左手でルフィを制しつつ、サンジはちらりと横目でナミの顔色を窺う。真っ赤に染まった頬も苦しげな息遣いも変わることなく、意識があるか無いかも定かではない。

「例えば、お前が攻撃をしたとしても、受けたとしても、その衝撃の負荷は全てナミさんにまで響いちまうからだ!! 死んじまうぜ、そんなことしたらマジで」

 サンジの真剣な声色と、耳元に弱々しく聞こえる吐息。ニーナの横顔を見やれば、ラパーンを捉える彼女の眼差しもいつになく鋭い。
 現状を再認識したルフィは、きゅっと口を引き結んだ。

「わ…わかった、戦わねェっ!!」

 唸り声と共に振り下ろされた太い腕を避けつつ、ルフィは大きく宣言する。とは言いつつ、考えるより先に手足が出る性分の彼が、守り一辺倒の戦闘に慣れているはずもない。

「じゃ、どうすりゃいいんだ!!?」
「とにかくよけろ!! よけて、逃げて――で、退くな!!!」
「難しいぞそれっ!!!」
「二人でカバーするから、なるべくあたしたちの真ん中に居て。できるだけ、激しい動きはしないようにね」
「お、おう!」
「『腹肉』……『シュート』!!!」

 一匹のラパーンがこちらに狙いを定めている事には気付きつつも、ニーナの指示にルフィは素直に頷く。飛び掛かって来たその一匹は、サンジの蹴りで見事に雪に沈められた。

「く…いちいち雪に足取られてちゃ、ろくなケリ入れられねェな」

 傍目にはしっかりと決まった攻撃でも、本人は納得がいっていないらしい。その呟きを拾って理解したのか、ラパーンの群れは各々ぴーんと耳を90度に立て、こちらを見下ろす目付きを冷たくする。
 ――直後、総攻撃に切り替えると言わんばかりに、彼らは一斉に大ジャンプした。

「うわ」
「来たァ!! 一気にっ!!!」
「援護する!! 森へ入れ!!! 何とか振り切るんだ。こいつら全部と戦ってたら日が暮れちまう!!」
「くそっ」
 巨体の群れから逃げるなら、木々が生い茂る森の中。作戦としては間違っていないはずのその手も、ラパーンの破壊力の前では策の意味を失う。どたんばたんとなぎ倒される木々を振り返りつつ、ひたすら前進するしか道はない。
 跳躍ひとつで距離をぐっと縮めてくるラパーンは、瞬きひとつの間に、ぐっと背後に迫り来た。

「ガアア!!!」
「!! …ぬ!!」
「よせ!!」
「“イグニス・アウラ”」

 ルフィのすぐ背後に迫っていた一匹のラパーン。反射で反撃しようとしたルフィの足を、サンジが咄嗟に掴んで止める。動きを止めた二人の代わりに、横っ飛びに庇い出たニーナがフルートを一閃。突如ぶわりと巻き起こった灼熱の風に驚き、ラパーンはぴょーんと後ずさる。
 ラパーン二匹分程度の雪塊が消え、湯気が立ち昇ったのを見送ると、ニーナはうーんと小さく唸った。

「んん、一応多少は溶かせるかな」
「うお、ありがとうニーナ!」
「バカ野郎、おれ達に任せりゃいいんだ!!! こりゃ冗談じゃねェんだぞ!!」
「ごめん!!」

 火のラクリマ・マレの威力を確認しつつ、ニーナは二人の背中を追い掛ける。彼女がルフィに並んだ丁度その時、森の景色がぱっと開けた。

「おい二人とも、上行けるぞ!!」
「よし、先行け」
「ルフィ、あたし先頭行くよ」

 木々が途切れた広い空間に現れた、ラパーンの背丈を軽く超える段差。周りをくるりと見渡してみても、登れる坂や階段などない。正面に回り込んできた一匹のラパーンを見止めると、ニーナは自らそちらへ突っ込んだ。

「お腹、借りるよっ」

 十分な助走を付けて、ラパーンの腹に思い切り踏み込む。予想通り、見事な弾力を持つそれは、段差への足場として機能した。後からルフィとサンジも続いて、全員無事に段差の上へと辿り着く。
 しかし、怒れる巨大うさぎの群れは、それで撒ける程甘くはなかった。

「来たーっ!!! とにかく逃げろ!! 頂上へ!!!」

 見事なジャンプで追随してきたうさぎ達を背後に感じつつ、三人はひたすら前へ前へと走る走る。振り返る暇も惜しんで山道を駆ければ、後ろから響く大きな足音は段々と少なくなっていく。
 ――そんなドタバタの逃走劇は、やがて不意に終わりを告げた。

「……? なんか、音がヘン」
「あっ、あいつら居ねェぞ?」

 耳の良いニーナがぽつりと零せば、ルフィが走る足を止めずにぐるりと振り返る。
 山ほど居たはずの白い巨体はふつりと姿を消し、彼らの背後には雪原が広がるだけ。気配も足音も消えたわけではないのに、姿だけが見えない。異変を感じた三人がぐるりと辺りを見渡せば、群れは予想外の所に移動していた。

「何やってんだ? あいつら…」
「?」

 いつの間に回り込んだのやら、三人が目指す山の上方に陣取った彼らは、ぴょんぴょんと何度も何度も同じ場所でジャンプしている。
 ぼすり、ぼすり、徐々に大きくなる地響きに、ニーナはハッと息を呑み、サンジは一気に顔色を悪くした。

「ねえ……あれって、もしかして……」
「ちょっと待て………!!! …あいつらまさか…………!!!?」
「なんだ?」

 ――直後、ルフィの問いに答えるように、“それ”は目に見える形となって現れる。





next
もどる
×