Le ciel croche | ナノ

「一刻も早くナミさんの病気を治して、そしてアラバスタへ!! それが、この船の“最高速度”でしょう!!?」

 ――国の存亡を背負う王女の、立場にそぐわぬ覚悟の言葉。
 ニーナの眼の奥に灯っていた小さな光は、その一言で、内包する熱量をぐっと増した。


 *


 ナミの突然の発熱により、指針を無視して医者探しをすることにした麦わら一味。南に曲げたはずの進路に反して徐々に外気温が下がっていく中、十分に温められた女部屋に全員が集合した。

「……あのね、熱が出るっていうのは、場合にもよるけど、たぶん身体の中に入ってきたウイルスと戦ってるってことなんだよね」

 医療知識は一般止まりだというニーナだが、それでも、現時点のこの船内で一番詳しいのは彼女。『そもそも“体調不良”とは?』というレベルの頑丈さを誇る男連中を前に、ナミの現状を解説する。

「その間はしんどいけど、代わりに、身体の中では免疫力……病気と戦う力が上がってるの。でも、あんまり熱が上がると体力消耗しちゃうし、特に脳の方がやられちゃう。だから頭は冷やしながら、身体と足元はあったかくするの。外はどんどん寒くなってるけど、この部屋の温度はキープしなきゃ」

 ルフィとウソップは、ナミを看病するビビを見守りつつ、正座でニーナの話にふんふんと耳を傾ける。彼らと同じタイミングで首を縦に振るカルーもまた、真剣に話を聞いているようだ。

「今回のナミは結構高熱だから、首と脇の下と、太ももの付け根もまとめて冷やすといいかな」
「分かったわ」
「いっぱい汗かくから、脱水にならないように水分も取らなきゃ。人肌くらいに冷ました白湯がいいから、すぐ飲めるとこに準備しとこ」

 ニーナの指示した場所にビビが氷嚢を当てれば、ナミがはあっと小さく息をつく。先程までの苦しげな息遣いよりは、幾分か落ち着いただろうか。つられて息を吐きだすビビから、ニーナの視線はサンジへ移動する。

「目が覚めて、何か食べられそうな時は、果物とかトマトとかが良いと思うんだ。白湯と一緒にお願いできる?」
「おう、任せとけ!」

 ナミの為に出来ることを与えられたサンジは、ぐっと拳を握ると勇んでキッチンへと飛び出していく。そんな背中を見送ったあと、ルフィははあぁと感心の声をあげた。

「なんだよニーナ、十分詳しいじゃねえか!」
「んん、まあ、一人旅で体調崩したら、命の危険と直結するからさ。原因までは分からないにしても、可能な限りの応急処置は覚えとかなきゃね」
「はー、成程なァ」

 ニーナへ尊敬の眼差しを向けるルフィとウソップは、これで安心だと言わんばかりに胸を撫で下ろす。途端に肩の力を抜いた二人に、ニーナはうーんと渋い声を漏らした。

「でも、あくまで医者にかかるまでの繋ぎだからね。結局原因は分かってないし、治療もしてないから」
「ああ、分かった! 早く島見つけねェとな!」
「うん。進路の方はよろしくね」
「おう! 任せろ!」

 力強く頷いたルフィは、握った拳をぐっとニーナの前に突き出す。一瞬きょとんとした表情を浮かべたニーナだったが、すぐに合点して同様に拳を突き出す。こつり、軽くぶつかった拳ににししと笑って、ルフィは二段飛ばしで階段を駆け上がって行った。
 ルフィの背中を追うようにウソップも外へと向かえば、どたどたという足音を残して部屋は静寂に包まれる。ナミの吐息だけが規則的に響く中、ビビがふうっと息を吐いた。

「……すごいなぁ」
「うん?」

 独り言にしては大きいその声に、自分の鞄をごそごそと漁っていたニーナが顔をあげる。ぱっと目があえば、ビビはゆるりと眉尻を下げてやんわり笑った。

「知識は勿論大事だけど、それ以上に、きちんと実践できなきゃなって。ニーナさんの冷静さ、見習わなきゃ」

 わずかに俯いた彼女は、すぐに顔を上げてよしっと気合を入れる。
 ――国の事もナミの事も心配で、明らかにキャパオーバー気味のビビ。それでも更に頑張ろうとする彼女に、ニーナはやや逡巡したのち、困ったように微笑んで見せつつ呟いた。

「……そんな大層なものじゃないよ。あたしのは、半分体質みたいなものだから」
「……?」

 どこか謎めいた言葉に、ビビはぱちぱちと目を瞬かせる。彼女の疑問を察しつつも、ニーナはそれには答えず言葉を続ける。

「あんまり無理しないでね。それで自分も倒れたら、元も子もないよ」
「! ……ありがとう」

 今までこちら側に踏み込んで来なかったニーナの、気遣いの一言。ビビは一瞬はっとした表情を浮かべたが、やがてゆるりと頬を緩ませる。
 そんな一部始終を壁際で静かに眺めていたゾロは、一人ひっそりと嘆息した。


 * * *


 メリー号が南に進路を取ってから、約1日半。外には牡丹雪が舞い踊り、吹きすさぶ風で肌に痛みが走るほど。太古の常夏島から一転、一気に真冬並みまで下がった気温に、ずっと温かい船室に居るはずのニーナもぶるりと身体を震わせた。

「さむい……」
「今夜は吹雪になりそうな勢いだしなァ。はい、ニーナちゃん」
「ん、ありがとう、サンジ」

 室内でもコートとマフラーで完全防寒しながらも、一味の誰より寒そうな彼女。サンジが差し出した温かい紅茶を両手で受け取ると、抱えるようにして暖を取る。

「そういえば、今更だけど、昼間バタバタしてたのって結局何だったの? 海賊とか?」

 日中に突如襲ってきた異常な揺れに、サンジとビビは相次いで女部屋を離れた。その間もずっとカルーと共にナミに付き添っていたニーナは、戻って来た二人がどこか腑に落ちない顔をしていた理由を詳しく知らない。

「ああ……ちょっと妙な奴が居てな……」

 答えるサンジの面持ちはやや苦い。問題なく追い払ったとはいえ、疑問の残る相手だったのか。
 視線で先を促すニーナに、最初に口を開いたのはルフィ。

「海に人が立ってたんだ!」
「そんで、スイカみてェな潜水船が海の中から出てきて」
「カバみてェなおっさんが、メリー号の柵やら錨綱やら、その辺にあるモン何でも食っちまってよォ」
「ま、雑魚だったけどな」
「あの人、どこかで見た覚えがあるんだけれど……ずっと思い出せないのよね……」
「ふうん……?」

 口々に言う男性陣は、疑問とも呆れともつかない微妙な表情を浮かべている。日中の騒動を思い出していたのか、静かに考え込んでいたビビもぽつりと呟いた。
 情報量は少ないものの、それでも気になっていた事のひとつは把握したニーナは、先日縫ったばかりのゾロの足に視線を向ける。

「まだあんまり動かない方が良いと思うけどねぇ」
「あんなの動いたうちに入らねェよ」

 一応自覚はあるのか、ゾロはバツが悪そうにしつつもぼそりと弁解する。元よりそんな諫言を聞くとも思っていないニーナは、予想通りの答えを苦笑ひとつでゆるく受け流した。


 *


 深夜の航海は、日中のそれより気を遣う。ナミの指示無しでは進めないということで、夜は大海原のど真ん中に錨を下ろして船を休める。
 午前三時を少し過ぎた頃、時計の音だけが響く静かな女部屋で、ナミがむくりと身体を起こした。

「………」

 不鮮明な意識の中でも、普段聞こえることのない盛大なイビキが耳につく。二度三度と瞬いてから辺りを見渡せば、床のあちらこちらに男連中が転がり雑魚寝している。平時であればサンジが怒り狂いそうな光景に、ナミはふっと頬を緩めた。

「ん……ナミ……?」

 全員が寝静まっているはずの室内に、小さくぽつりと零された声。ほど近くから聞こえたそれに顔を向ければ、ベッドに突っ伏して寝るビビに寄り添い、寒そうにうずくまるニーナがナミを見上げていた。

「ニーナ……ごめん、起こした?」
「んーん、だいじょぶ……ふふ、なんか久しぶりに声聞いた気がする」

 寝起きのぼんやりとした様子で、日頃よりもどこか幼くも見えるニーナがふにゃりと笑う。稀に見る反応に目を細めたナミは、ふと自分の両手首に触れるひんやりとした存在に気が付いた。

「これ……」
「医学の本、借りて読んでたら、手に保冷剤握っとくと良いって書いてあってね……。でも、そんなに力入らないだろうし、ちょっと思いついたことがあってさ……。お守り代わり、とでも思ってて?」

 ナミが腕を持ち上げると、しゃらりと軽い音と奏でて揺れる華奢なブレスレット。所々に使われているのは、先日ニーナが採取してきた琥珀。彼女の手により見事に磨き上げられたそれは、宝石店に並ぶものと遜色ない輝きを放っている。
 自分の手首ごと軽く握りしめれば、心地よい冷たさが身体に伝わる。本来石が持っているそれより強い冷感を不思議に思ってニーナを見やれば、彼女はゆるく微笑むだけ。
 何かしらニーナの意図の存在を察しながらも、相変わらず高熱に侵されているナミの頭は、いつものようには回らない。開いた口から出てきたのは、シンプルな感謝の言葉だけだった。

「ありがとう……」
「うん。おやすみ、ナミ」
「おやすみ……」

 早く良くならなきゃ、そう言わんばかりに、ナミはぱふっと音を立てて布団に潜り込む。
 それを見届けたニーナは、自分も毛布を被り直して縮こまると、一息ついてゆっくりと瞼を下ろした。





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