Le ciel croche | ナノ

「やっぱ変だろ、オイ。クソオカシーぜ。こんなに待ってんのに、なぜ誰も戻らねェ……」

 ――ニーナが船を降り、ナミとウソップが下船を余儀なくされ、メリー号が無人になってから数刻。一番乗りで帰船したサンジは、待てども待てども誰一人帰らない仲間達に、流石に疑問を覚え始めた。

「やっぱり、レディ達の身に何か起きたんじゃ……!!!? だとしたら、トカゲ料理の支度なんてしてる場合じゃねェな、おれは」

 船の傍らに横たわるのは、メリー号の全長をゆうに超える巨大トカゲ。自ら仕留めた獲物を見下ろした彼は、ひょいっと身軽に船から飛び降り、それを足場に陸へ上がった。

「よし、探そう」

 探そう、とは言うものの、未知で未開の密林に、人探しのアテなどあるはずもない。それでも、ギャアギャアと聞こえてくる謎の鳴き声など気にする様子もなく、サンジは堂々とした足取りでジャングルを進んでいく。

「ナ――ミさ〜〜〜ん! ニーナちゅわ〜〜〜ん! ビ――ビちゃ〜〜〜ん!」

 高らかに呼ぶのは女性陣の名前。しかし、ジャングルに響き渡るそれに反応したのは、彼の探し人達ではなく野生の獣だった。
 サンジの倍はあろうかという身体をしならせ、グルルルル、と威嚇の声をあげるネコ科の猛獣。完全にサンジを標的として捉えた獣は、ガアッと大きく口を開いて牙を向く。
 ――しかし、あの巨大トカゲを仕留めた彼にとって、この程度の獣は子猫同然で。

「ガウッ、ガウッ……」
「おーい、返事してくれーっ、好きだ――っ」

 脳天への蹴り一発で獣を従わせたサンジは、返り討ちにしたそれを乗り物にしてジャングルを進む。哀れに漏れ出る獣の鳴き声は、むしろ泣き声と言った方が正しいほど。そんな物悲しいBGMなど気にもせず、サンジは女性陣への愛を声高に叫ぶ。
 獣の背で辺りを見回していた彼が、更なる呼び掛けのために口を開き掛けたまさにその時、それは突如として強引に塞がれた。

「むぐっ!?」
「……ごめんサンジ、ちょっと静かにして」
「!!!?」

 襲撃にも似た不意打ちの衝撃に、サンジが臨戦態勢に入ったのはほんの一瞬。
 耳元にひっそりと響く聞き覚えのある声、口許と背中に感じた体温。声の主とその体勢を即座に把握した彼は、危うく鼻血を噴きかけた。

「なっ、えっ、ニーナちゃ……っ!!!?」

 驚きと興奮をなんとか抑えて控えめに絞り出した声に、ニーナはゆっくりと手を離す。
 ぎぎぎと音がしそうなぎこちない動きでサンジが首だけ振り返れば、彼女はしいっと無声音を漏らしつつ唇に人差し指を当てると、その指で前方を指し示した。

「あの後、あたしも琥珀探しに船降りたんだけどさ、なんか変なの見つけちゃって。様子見してたとこだったの」
「変なの?」
「ほら、そこの」
「?」

 ニーナが示した先にあったのは、辺り一面青々とした植物が生い茂る中、色彩の合わない異質な白い立方体。二人の背丈を足したよりも高さのあるそれには、しっかりと出入口の扉が備え付けられている。
 密着した体勢にハートを乱舞させていたサンジも、流石に異変を感じて居住まいを正した。

「なんだこりゃ?」
「ね、変でしょ? 住民なのか、追手なのか、そこまではまだ分からないけど……この島に、あたしたち以外にも誰か居るんだと思う」
「なるほどな……」

 獣からさっと身軽に飛び降りると、二人は謎の建物を観察する。ぐるりと一周回ってみると、建物側面に、窓と言うにはかなり簡易的な円形の穴がふたつ。そこから室内をちらりと覗き見ても、中に人の気配は無い。
 さて、ここからどうするか。視線で交わされた会話の答えは、サンジの口から小さく零れた。

「うし、ニーナちゃん、ちょっと下がっててくれ」
「……ん、わかった」

 後ろ手にいつでもニーナを庇えるようにしながら、サンジはドアノブに手を伸ばす。一拍置いて躊躇なく押し開けられた扉の向こうには、外見通りの正方形の部屋がひとつ。
 外から窺った通り、室内は無人。閉じた扉を内側から確認しても、鍵のようなものは付いていない。

「……家、っていうより、即席のアジトみたいな感じかな……」
「ああ……」

 部屋の中央には円形の机とソファー。机の上には紅茶のセットが一式。ソファーの脇にピクニックバスケットが一つと、窓の下には観葉植物。生活感の無い室内を見渡して、ニーナは抑え気味の声でぽつりと呟いた。
 壁際から動かず様子を窺うニーナとは対照的に、サンジはずんずんとソファーまで進む。どさりと腰を下ろした彼は、警戒を解かないニーナを見てにいっと頼もしげに笑った。

「だーいじょうぶだって、ニーナちゃん。何かあったら、おれが……」
《プルルルル……》
「!」
「? 何だ?」

 彼の声を遮って、地を這うような低音が床から響く。この狭い室内で、音の出所は探すまでもない。二人の視線はすぐに、蓋の閉じたバスケットに辿り着いた。

《プルルルル……》
「電伝虫じゃねェか……!!」
「……サンジ、見てこれ」
「ん?」

 サンジが机上に電伝虫を取り出せば、机の傍らまでやって来たニーナが電伝虫の側面を指差す。彼女の細い指先が示すのは、“Mr.3”と刻まれた文字。

《プルルルル……プルルルル……》
「こりゃあ……」
「前の島でルフィが倒したのって、“Mr.5”だったよね。……どうする?」

 すっと上向いたニーナの指先は、電話の受話器を指し示す。
 ――つまり、これは結構な高確率で、敵側の誰かからの電話だということ。かち合った視線にサンジはひとつ頷くと、左手でがちゃりと受話器を上げた。

「ヘイまいど、こちらクソレストラン。……………ご予約で?」
(え)
(あ、悪ィ、つい昔の癖で)

 流れるように零れた彼の言葉に、ニーナは驚きとも呆れともつかない声を小さく漏らす。彼女の反応に初めて自身の台詞に気付いたサンジは、やっちまったと言わんばかりに顔を引き攣らせる。
 しかしそれでも電話の相手は、苛立ちの気配は放ちながらも、電話を切る事は無く口を開いた。

《ふざけてんじゃねェ、バカヤロウ。てめェ、報告が遅すぎやしねェか……?》
「……報告……あ〜〜……そちら……どちらさんで?」

 響いて来たのは、男の低い声。声色に滲む威圧感とプライド、報告という単語。少なくとも下っ端ではなさそうな“誰か”に、サンジは正面から探りを入れる。
 ――それに返って来た答えは、二人の予想を凌ぐものだった。

《おれだ。“Mr.0”だ……》
(Mr.……0……!?)

 それは、数字が小さいほど強いと言われた敵組織の、頂点に君臨するナンバー。

(……まさか、いきなりボス本人……?)
(……ってことは。この電伝虫の向こうにいる男は……!! “王下七武海”の一人……!!!?)

 思わぬ相手に口を噤む二人に、電話口の向こう側からは更に苛立ち気味の声が続く。

《おれが指令を出してから、もうずいぶん日が経つぞ。いったいどうなってる、Mr.3》

(やっぱり、Mr.3って人が、追手としてこの島に来てるって事かな……)
(ああ……まいったぜ……おれは本当に狩りなんてしてる場合じゃなかった…………!!! 無事だろうな、あいつら全員…!!!)

 相手に気取られないように受話器を手で押さえつつ、二人はぎりぎりまで声を絞る。戻らない仲間達から察する現状は、おそらく決して良いものではない。

《何を黙りこくっている。おれは質問をしているんだ。王女ビビと麦わらの一味は抹殺できたのか?》
「「…………」」

 ――追われる立場のこの状況の中、思わぬ形で巡ってきた反撃のチャンス。見合わせた互いの眼に浮かぶのは、ぱっと輝く閃きの色。
 話の口ぶりを聞くに、Mr.0は電話の相手が違う事にはおそらく気付いていない。脳裏に浮かんだ作戦は同じだろう。了解とばかりににやりと笑って見せたサンジは、小さくひとつ深呼吸して、落ち着き払った調子で口を開いた。

「……ああ。任務は完了しましたよ。あんたの秘密を知っちまった野郎どもは全て消し去りました。だからもう、追手は必要ありません」
《…そうか、ごくろう…。今アンラッキーズがそっちへ向かっている。任務完了の確認と、ある届け物を持ってな》
「アンラッキーズ……? 届け物?」

 Mr.0は淡々と完了報告を受け流すと、さらりと次の指示を口にした。サンジは新たに出てきた情報をおうむ返しに呟き、ニーナはやや表情を曇らせつつ受話器を見つめる。

《アラバスタ王国への“永久指針”だ……。ミス・ゴールデンウィークと共に、お前はこれからアラバスタへ向かえ。時機がきた……おれ達にとって最も重要な作戦に着手する。詳細はアラバスタに着いてからの指示を待て》
「「………」」

 思った以上に次々出てくる重要な情報。出所の受話器をじっと見つめていた二人は、ふと気配を感じて同時に顔を上げた。
 彼らの視線の先に居たのは、円形にくり抜かれた窓から覗く一羽と一匹。

「!! 何だこいつら……」
「普通の動物じゃ……なさそうだけど……」

 サングラスを掛けたハゲタカは背中に機関銃を背負い、同じくサングラスを掛けたラッコは、貝状の物体にいくつもの刃を煌めかせる。
 こちらに向けられる明らかな敵意に、ニーナはすっとソファーから腰を浮かせた。

《オイ……どうした……》
「いや……!! 何でも……うわっ!!!」

 返事が無い事を不審に思ったか、Mr.0の訝しむような低音が受話器から響く。ここまで来て疑われる訳にはいかない、と平静を装うサンジに向かって、ハゲタカの背から容赦なく銃弾が放たれた。

「っぶねぇ! こらてめェ、ニーナちゃんに当たったらどうすんだ!」
「これ、さっき言ってた“アンラッキーズ”かな?」

 案の定やってきた攻撃を、ニーナは身軽に跳んで避けると即座に壁を背にする。横っ飛びに回避したサンジは、声が入らないよう受話器を机に伏せて置くのも忘れない。それをしっかり見届けてから、ニーナは仕込みピッコロを抜くと、向かって来たラッコに照準を合わせる。

「ま、とりあえず、敵には違い無いよね」

 刃を振り翳して懐に飛び込んできたラッコの、脳天目掛けてごつりと一撃。奇麗に急所を突いた彼女の攻撃は、ラクリマ・マレを使うまでもなく、ラッコを床に沈めてみせる。

「ひゅーっ、やるなァニーナちゃん! 惚れ惚れするぜ!」

 そんな彼女を見て口笛を鳴らしつつ、サンジはもう一匹の方に狙いを定める。連撃を打ち込んでくる機関銃をものともせず、一気に間合いを詰めると、両足でハゲタカの頭を挟み込んだ。

「そんでてめェは、ニーナちゃんに物騒なモン向けてんじゃねェよ、巨大ニワトリ!」

 そこからぐるりと反転すれば、固定された首は不自然な方向にごきりと曲がる。哀れにどさりと墜ちたハゲタカは、そのままくたりと脱力した。

《何事だ》

 伏せられていた受話器から、篭り気味の低音が響く。猜疑の色が見え隠れするそれに答えるべく、サンジは素早く受話器を取った。

「あ〜〜…いや…何でもねェ…ハァ、いや…ありません。麦わらの野郎が…まだ…生きてやがって。大丈夫、とどめはさしました、ご安心を」
《……………生きてやがった、だと……》

 ――どうやら、思わぬところで地雷を踏んだらしい。
 急激に温度の下がった声色に、サンジの受話器を握る手にぐっと力が入る。

《さっき、お前は任務は完了したと………そう言わなかったか?》
「ええ、まァ……完了したつもりだったんですがね。想像以上に生命力の強い野郎で…」
《…つまりお前は…このおれに、ウソの報告をしていたわけだ…》
「……あーまァそういう言い方をしちまうとあれなんだが……。今…確実に息の根を止めたぜ。…だから、もう追手を出す必要はねェ。OK?」
《…まァいい。とにかく貴様はそこから一直線にアラバスタを目指せ。なお……電波を使った連絡はこれっきりだ。海軍にかぎつけられては厄介だからな。以後、伝達はすべて今まで通りの指令状により行う》

 綱渡りのような会話は、何とか途切れず終わりに向かっていく。
 敵は今、確実にアラバスタに集結しつつある。計画の進捗を匂わせる発言に気持ちは逸るが、まずは疑われずに電話を切るところまでが最優先。話を畳み始めたMr.0に、サンジは静かに聞き役に徹する。

《…以上だ。幸運を…Mr.3》

 ――ガチャリ。向こうが電話を切ったことを受けて、電伝虫の瞼が降りた。

「……切れた……」
「おつかれさま。さて、早いとこ皆を探さなきゃね」
「ああ」

 漸く肩の力を抜いた二人は、大きく一息ついて立ち上がる。
 追手の存在が確実になった今、船に戻らない仲間達は、追手と対峙している可能性が高い。ボス直々に任命している以上、それなりに腕も立つだろう。
 次に取るべき行動は決まった。アジトを出るべく扉の方へと向かえば、サンジは床で伸びる動物二匹の前に転がる、見慣れない“なにか”に目を留めた。

「ん……? これは……」





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