Le ciel croche | ナノ

 山を駆け上がる運河を渡り、巨大クジラの胃袋を通り抜け、四季入り乱れためちゃくちゃな天候がもたらす大荒れの海を越え。成り行きで不審な男女二人組を同乗させながら、なんとか“偉大なる航路”一本目の航海を無事に終えた麦わら一味。
 そんな彼らが辿り着いたのは、サボテンのような大岩が目立つ小さな島。何故だか住民達から思わぬ大歓迎を受けた彼らは、設けられた夜宴の席で大いに盛り上がっていた。

「すてき――っ、キャプテン・ウソップ!」
「どあ――っ、すごいぞ、10人抜きだァ!!!!」
「うあ――っ、こっちのねーちゃんは12人抜き!!!!」
「うげ――、こっちで船長さんがメシ20人前を完食!! コックが倒れたー!!!!」
「うおおっ!! こっちのにーちゃんは20人の娘を一斉にクドこうとしてるぞォ!!」
「何なんだ、この一味はァ!!!!」

 ウソップは高らかに武勇伝を語り、ゾロとナミは飲み比べと称して大酒を飲み、ルフィは出てくる料理を片っ端から胃袋に詰め込んでいく。大勢の美女に囲まれたサンジは、鼻の下をでれでれと伸ばして上機嫌で酌を受けている。
 そんな彼らを微苦笑を浮かべて眺めつつ、ニーナはひとり隅の方で静かに食事の箸を進める。半ば気配を消していた彼女を目聡く見つけて、巻き髪が特徴的な町長が気遣わしげに声を掛けた。

「……お嬢さん、この町の酒はお口に合いませんで?」
「あ、いえ、そういうわけじゃ」

 即座に返されたのは、やんわりとした否定の言葉。しかしそれとは対照的に、彼女の手元にあるジョッキは、なみなみと注がれたビールで満たされている。ぎらり、町長の眼が光ったのを見て、ニーナは僅かに身を引いた。
 そんな彼女の両隣には、大人しそうな若い女性が一人ずつ。前にはテーブル、更に前には町長の巨体。彼女の望まない方向へと続きそうな会話は、残念ながら避けようがない。

「ああ、私としたことが! たとえ海賊だとしても、強い酒が得意でない方もいるでしょう! これは失礼した! おい、誰か!」

 町長は大仰に両手を広げると、すぐさま近くの町人に新しい飲み物を命じた。
 快活そうな青年が運んできたのは、すらりとしたシャンパングラス。琥珀を溶かしたような薄い黄金色が、しゅわしゅわと細かい泡を立てている。それを目に留めたニーナが口を開こうとすると、町長が先んじて片手で制した。

「騙されたと思って飲んでみて下さい。これは――」
「さあさあ、若いお譲さん方に大人気なんですよ!」

 解説しようとする町長の横から、割り込まんばかりの勢いで出てきた青年。彼は半ば押し付けるように、ニーナに向かってぐいっとグラスを差し出した。
 指で軽く挟まれただけの細い脚が不安定に傾く。たぷり、波立つ琥珀色は、今にもグラスの縁から溢れ出んばかりに跳ねる。
 受け止めなければ正面から被ることになるだろう。仕方なく両手を伸ばしたニーナは、ほんの数秒、背後への注意が疎かになっていた。

「あっはっはっはっは、お、おおっと!!!?」
「!」

 ニーナ達の座るソファの後ろで盛り上がっていた集団の一人が、何の拍子かバランスを崩し、ぐらりと体勢を傾けた。咄嗟に手を伸ばした彼の腕は、ニーナの背中をどしりと突く。
 ――結果、グラスに向かって腕を伸ばしていたニーナは、身体ごとグラスに突っ込む羽目になってしまった。

「……っ」
「うわ、すっ、すす、すいませんっ!!!!」
「けふっ……いえ、大丈夫、です……」

 ごとん、少々上品でない音を立てつつも、グラスは無事に机上に落ち着いた。そこにあったはずの中身――半分以上姿を消した液体も、周囲に飛び散った様子は無い。
 軽く一、二回、むせたような空咳を零したニーナは、ふうっと大きく嘆息して、右手を掛けたままのグラスを奥に追いやるように、そのままずるずると机に突っ伏した。

「ニーナ?」
「「「!?」」」

 彼女の異変に最初に気付いたのは、飲み比べの真っ最中だったはずのナミ。ビールのジョッキを握りしめたまま勢いよく席を立つと、驚く町人たちをかき分け、両隣の女性たちを押しやり、ニーナの隣に腰を下ろす。
 突っ伏す彼女をじっと観察したナミは、直後、けらけらと楽しげに笑い声をあげ始めた。

「やっだぁ、ニーナったら、まーたこの位で酔っちゃうなんて可愛いんだからもー!! ごめんね皆さん、この子のこれ、いつもの事だから! 気にしないで続けて?」

 ナミがぐりぐりと頭を撫で、ばしばしと肩を叩いても、ニーナは規則正しい呼吸を乱さずされるがまま。完全に寝落ちしているニーナと慣れた調子のナミを見て、一瞬ざわついた周囲もふうっと安堵の息を漏らした。

「……申し訳ない。酒に弱いお嬢さんに、無理に勧めてしまったようで……」
「だいじょぶだいじょぶ、ニーナの分まで私がたっぷり美味しく頂くから!」

 おずおずと侘びを入れる町長に、ナミはひらひらと片手を振って軽く答える。くしゃくしゃに乱したニーナの髪をさっと整えると、彼女は元気よく立ち上がった。

「さて、お待たせしたわねシスター。まだまだいくわよっ!」
「あら、脚がふらついてるわよ。あなたもお仲間と一緒におねんねした方が良いんじゃなくって?」
「まっさかー!」

 意気揚々と飲み比べに戻ったナミ。その他男連中も相変わらずの調子で宴を楽しんでいる。突っ伏したままのニーナの表情は腕に隠れて窺えないが、規則的に小さく上下する肩の動きは穏やかだ。
 麦わら一味の様子をじっくりと見渡した町長は、ふう、と小さく息をつくと、ゆるりと口角を釣り上げた。
「……いやぁ、みなさんそれぞれ楽しんでいただけている様で、何よりです」



 * * *



 『海賊は海の勇者』『冒険者たちにもてなしを』
 ――そんな上手い話が、そうそうあるはずもなく。

「……んん、まあ、そうなるよねえ」

 数刻前の騒がしさとは打って変わって、人気も消えて静まり返った宴会場。息を潜めて窓から外の様子を窺っていたニーナが、ぽそりと密かに独りごちる。
 ――そう裕福には見えないこの街で、ふらりとやってきた海賊を、無償でこんなにもてなすなんて。なにか裏があると言わんばかりの大宴会の行く末は、それでもニーナが想定していた最悪の事態よりは生温い。

「ご丁寧に酔い潰してから襲おうなんて、よっぽど警戒されてるのかしらね」
「そうだねえ。ルフィの手配書、出たばっかりだし」

 どたん、ばたん、ばきり。聞き耳を立てるまでもなく盛大に響いてくるそれは、外で派手な戦闘が行われている証。騒ぎの中心で対多数相手に楽しげに立ち回る緑頭を見とめて、ナミが小さく息を漏らす。

「外はゾロに任せときましょ。それにしてもニーナ、あんた実は飲めたの?」
「うーん、得意ではないから出来れば飲みたくない、ってとこかな。ナミのおかげで助かったよ。ありがとね」
「いーえ。ま、女一人旅するなら、あれくらいアドリブ効かなきゃ生き残れないもんね。……それに比べて、この三バカはほんっともう……」

 酔い潰れたと見せ掛けて様子を窺っていた女二人に対して、ゾロ以外の男連中は揃いも揃って楽しい夢の中。満足げな表情で寝息を立てる彼らを一瞥して、ナミのため息は一段大きくなる。

「とりあえず、外が落ち着くまで待って、現状把握しに行くしかないか……」
「……ナミ、」

 窓際からソファに戻そうと腰を浮かしたナミを、ニーナが服の裾を掴んで止める。静かに、とジェスチャーで伝えた彼女は、唇に当てていた人差し指で、宴会場の端を指差した。

(まだ誰か居るみたい)
(え、)
(様子見て来るから、待ってて)
(えっ、ちょっとニーナ!)

 最小限に絞った声で告げると、ニーナは猫のように物音一つ立てずに、するすると静かに窓際から離れる。抜き足差し足忍び足、あっという間にそこに辿り着いた彼女の足取りは至って軽い。
 宴会場から繋がる小部屋の仕切りは、そう厚くない木の扉一枚。念の為仕込みピッコロを右手に構えつつ、ニーナはぴたりと耳を添える。
 それが本業ではないにしろ、音楽に携わっている彼女の耳は、ごくごく潜められた密やかな会話を正確に拾った。

「さて、外で一騒ぎ起こしてくれてるうちに、おれらはおれらの仕事をしようや」
「街の外れに泊めてたか?」
「どーせ賞金首はオフィサーエージェントに持ってかれんだ、こういう時にちょーっと余分に稼がせて貰わねえとなァ」

 男の声が三種類続いた後、ぎゃははは、と下品な笑い声が複数。最初のように声量を抑えきれていないそれは、自信かそれとも慢心か。
 五人分の声を聞き分けたニーナは、彼女の様子を見守るナミを見て、窓の外を見て、裏口の扉を見て、暫しの逡巡のあと、ナミに向かってひらひらと軽く手を振った。

(なに、どのくらい居るの!?)
(たぶん五人。……でも大丈夫、反対側から外に出て行くみたい)

 手振りと口パクで示せば、ニーナの意図は伝わったらしい。一度は目を丸くしたナミも、冷静にこくりとひとつ頷いた。
 ニーナはそれに頷き返すと、再びするすると音も無く移動する。裏口の扉に手を掛けた彼女は、その向こう側を指で示して、にっと穏やかに笑って見せた。

(一応船の様子見てくるね。ナミも気を付けて)
(? え、ええ……)

 やや怪訝な顔をしつつも、ナミは再び頷き、外へと抜け出すニーナを見送った。




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