Le ciel croche | ナノ

 “偉大なる航路”の入り口に近いだけあって、この島の海軍は、けっこう強敵だ。

「来たな、麦わらのルフィ」

 刀使いの女海兵が行く手を塞いだかと思えば、今度はボス級のひとが現れた。
 スモーカーと名乗った海軍大佐は、見たところ煙を操る能力者。ルフィはその自在に動く実体のある煙にあっけなく捕獲され、助けに向かったサンジは壁に突き飛ばされ。ゾロは女海兵の相手で残ったから、あとの動ける要員はあたしだけ。
 試しにフルートで連撃を十数発打ち込んでみても、物理攻撃は身体を煙にすることで軽くかわされる。どうしたものかと距離をとって様子を見るあたしになんて眼もくれず、スモーカーはいとも簡単にルフィを組み伏せた。

「うべっ!!!!」
「ルフィ!!」
「フン、悪運尽きたな」
(能力者だし……海水じゃないけど、多少は効かないかな……)

 スモーカーの武器は、その能力ともうひとつ。いかにも怪しい巨大な十手。おそらくあの先端には、海牢石が埋まっている。それを見て浮かんだ、咄嗟の思いつきがひとつ。やった事は無いけれど、試す価値はあるかもしれない。
 二人から目を離さずに鞄を漁る。指先だけで探し当てた、ビー玉大に加工したターコイズを掴んだその時、背負った十手に腕を伸ばしたスモーカーの動きが止まった。

「そうでもなさそうだが……!?」
「!!」
「…てめェは……!!!」

 スモーカーの背後に、黒く大きな影がひとつ。その手で十手を押さえる彼は、スモーカーを見下ろして僅かに口角を吊り上げた。全身を覆うフード付きマントで顔はよく分からないけど、纏う気配は間違いなく賞金首の類だ。……手配書、見た事あるんじゃないかな。
 何とか特徴を掴んで記憶を辿って引き寄せようと凝視していると、ちらり、一瞬、ほんの一瞬だけ、そのひとと目が合った。細められた眼の奥で確かに瞬いた光。ほう、と感心か関心か分からない声が漏れたのは、気のせいじゃないはずだ。

「何だ!!? 誰だ!? 誰だ!?」
「政府はてめェの首を欲しがってるぜ」
「世界は、我々の答えを待っている……!!!」

 ――そのひとの言葉が途切れたとき、船へと続くこの一本道に、地鳴りのような音が轟いた。

「突風だァ!!!!」
「!!?」
「うわあああああ!!!!」
「ルフィ!!」

 突如吹き抜けたのは、追い風。スモーカーの足元から転がり出てきたルフィがそのままの勢いで吹っ飛ぶ。追いかけて起き上がるのに手を貸していると、足止めを喰らっていたゾロが猛然と駆けてきた。

「お前ら走れ!!! 島に閉じ込められるぞ!!! バカでけェ嵐だ!!!! グズグズすんな!!!!」
「っわ、」
「わ、何だ!? 何だよ一体!!?」
「ナミさんが言ってたのはこういうことか〜っ!!!」

 ルフィがゾロに手を引っ張られ、反対側を掴んでたあたしも引っ張られ、前を行くサンジに追いつき追い越さんばかりの勢いで、四人で団子になりつつ船を目指して一目散に走る走る。
 何故か盛大に後方へと吹っ飛ばされた海兵たちは、追いつかれる心配が無い程度に遙か彼方。あのひととスモーカーの会話が、風の音に紛れて微かに届いた。

「フフ……行って来い!!! それがお前のやり方ならな!!!」
「なぜあの男に手を貸す!!! ――――!!!」
「男の船出を邪魔する理由がどこにある。“アレ”の行く末もまた、見物だな」

 頭の隅にかろうじて引っかかったその会話。
 ――どたばたの脱出劇で流されてしまったそれを記憶の底から引っ張り出して、じっくり意味を考える機会は、当分のところ無さそうだ。



 *



「ルフィ!!!!」

 メリー号の姿が見えてほどなく、ウソップの焦った声があたしたちを迎えた。ナミも既に甲板に居る。着実に迫り来る嵐。海も空もどんどん荒れていく。波打つ船を岸に繋ぐロープは既に悲鳴を上げているようで、軋む音はいそげいそげと急かすかのよう。

 ――そんな中、あたしの足がぱたりと止まってしまったのは、考えあってのことじゃない。

「……ニーナ?」
「ルフィ! ニーナ! 何やってんの、船出すわよ!! 早く!!」

 前を行くゾロとサンジがロープ目掛けて一直線に走る中、ルフィだけが異変に気付いて数メートル先で足を止めた。
 前しか見てなかったはずなのに。足音なんて消されるくらいの豪雨なのに。どうしてだろう。ぱちりと目が合う。あたしをじっと見つめるルフィ。当然のようにあたしも一緒に呼ぶナミの声。そのあとからウソップやサンジ、更にはゾロの声まで聞こえてくる。
 でもどうしよう、なんでかな、足が動かない。ルフィがこっちに戻って来た。

「ニーナ! 一緒に行こう!! “偉大なる航路”!!!!」

 状況は全然違うのに、すごいデジャヴだ。

 ルフィは今度は強引にじゃなくて、あたしの意思を確認して手を差し伸べてくれる。
 ……ねえ、さっきゾロから聞いたでしょ? ホントにいいの、船長? たぶん思ってるよりずっと厄介者だよ? 後悔しない?
 往生際悪く聞きたい事が後から後から浮かんでくるけど、あたしを映す真っ直ぐな瞳には、迷いなんて欠片も見えない。

 ――だから、返事の代わりにその手を取るよ。

「……ねぇ、ルフィ」
「ん?」

 突然がしりと彼の両手を握ったあたしに、流石のルフィも戸惑いの声を上げた。

「おいニーナ、これじゃ跳べねェよ!」
「だいじょーぶ、あたしが飛ぶから」
「え?」

 風の流れを全身で感じて、身体の中心に集中力を集めて、ふわりと軽く地を蹴る。

「!!!?」
「ちゃんと捕まっててね」
 
 重力から解き放たれたかのように、二人分の身体が僅かに地面から離れる。
 見える範囲に海兵も居ないし、この程度の距離なら証拠なんて掴めないはず。何より嵐が凄まじく酷いから、目撃談はアテにならないし、さっきのゾロが見つけたような物的証拠だって見つからないだろう。……まぁ、今回は緊急事態じゃないから、あんなヘマはしないけど。
 耳元のピアスが擦れる音が、徐々に激しくなっていく。万が一見つかってもロギア系の能力者とでも勘違いしてもらえるように、いつもより余計に風を呼んだ。あたしとルフィを中心にして、軽い竜巻が起こる。

 ――それから、ジャンプに近い軌道を維持しつつ、みんなの元へ。



「「「「「!!!!!!」」」」」



 ルフィとの空中散歩は二回目だけど、今回はほぼ一瞬で終わった。距離が違うのも勿論あるけれど、『跳ぶ』のと『飛ぶ』のでは実際のところ結構違う。
 音を立てずに甲板に降り立てば、迎えてくれた皆は、揃いも揃って眼を丸くしてぽかんと口を開いたまま。あたしが“エルフィン”だと気付いていたゾロも含めて。純粋に驚きで占められているそれは、色を変える気配が見られない。
 唯一反応があったのは、あたしと両手を繋いだままのルフィだった。

「ニーナ、ニーナ、なんだ今の!!!? すげー浮いたぞ!!!!」
「……ルフィ、ちょっといい?」

 ゆっくりと両手を離したあたしを、ルフィは口を噤んでじっと見つめる。
 暴風が容赦なく吹き抜ける中では、落ち着いて話も出来やしない。腰に吊ったケースからフルートを取り出して、鞄からパールを探し当てて装着した。
 遠慮なく力を籠めて、大きく一振り。ふわりと広がった微風のベールが嵐を押し返して、あたしたちをドーム状に包んで留まる。

「何だ……? 嵐が……」
「止んだか?」
「いや、船の外は大荒れだぞ!?」
「どういうこと!?」
「ニーナがやったのか!?」
「うん。みんな、隠しててごめん。……あたし、ちょっと特殊な能力者なの」

 風を操るこの技は、そう長時間の維持はできない。ただ、それでも念には念を入れて、港が肉眼で見えない程度に離れたのを確認する。
 ここまで来れば大丈夫。具現化はともかく、可視化するのは本当に久し振りだ。背中に意識を集中して、小さくひとつ息を吸って。
 ――いったい何の能力者だというのか。みんなの無言の問いに、分かり易い答えを。

「なっ……!!!!」
「うそ……!!!!」
「ま、じかよ……!!!!」
「て、ててて……!!!!」
「うぉぉぉぉぉ、すっげえぇぇぇええ!!!」

 ばさり、大きくひとつ羽ばたくと同時に、あたしの背中から広がる白。バンダナを取って髪を微風に遊ばせて、気を籠めつつもう一度、背中の“それ”を大きく羽ばたかせる。
 力の完全開放は数年振り。それでも、胸元のストールから取り出した雫形のラクリマ・マレが瞬くのと同時に、胡桃色の髪は海面のような淡い水色へと、ちゃんと変化した。流石に自分じゃ見えないけれど、髪と同色だった瞳は、深い水底のようなターコイズブルーになっているはず。
 胸元でゆらゆらと揺れる水色の後ろで、ひらひらと風を撫でる純白。ふわりと一枚、甲板に落ちたそれを拾ったのは、唯一あたしの正体に気付いたゾロだった。それを手にしつつ彼が取り出したのは、先程能力開放した時に落ちた白い羽根。
 ――あたしがその実の能力者だと、予想してないと気付かない程度の些細なヒント。

「あたしね、“天使の実”を食べたんだ」

 サンジが言い掛けてどもっていたのは、多分その単語だろう。能力者の姿見たままそのままの名前だけれど、悪魔の実の亜種だろうと言われている、“天使の実”。
 鞄の中からローグタウンで買った新聞を取り出す。開くのは勿論“賞金首特集”のページ。中央で堂々と笑顔を振り撒くルフィの斜め右下、ライトブルーのロングウエーブヘアと純白の翼を持つ、今のあたしより幾らか年下に見える少女の、手描きの後姿を皆に指差して見せた。

「字は潰れちゃってるけど、これ。『“エルフィン”のニーナ』懸賞金7500万ベリー」
「「「「えぇぇぇええ!!!?」」」」

 ゾロ以外の四人が見事に驚きの声をハモらせる。やっぱりこっちの名前の方が通りが良い。背中の翼を見てその単語を聞けば、大抵のひとは聞き覚えのある存在が浮かぶ。ルフィの驚きはおそらく、懸賞額の方だけだと思うけれど。
 そんな船長の方に向き直って、確認のための問いを投げてみる。

「ねえルフィ、“エルフィン”って知ってる?」
「いや、知らねェ」
「じゃ、詳細は追い追いね。だけど、少しだけ、知っておいて欲しい事があるんだ」

 眼を爛々と輝かせて翼と新聞とを交互に眺めていた彼が、ぽかんと開けっ放しだった口を閉じて居住まいを正した。後ろの四人も神妙な面持ちで、静かに、真剣に耳を傾けてくれている。

「天使の実の能力者のことを、一般的にエルフィンっていうの。理由は色々あるんだけど、“エルフィン”を手元に置きたがる人は多くてね。だから見ての通り、手配書は“生死問わず”じゃなくて“生け捕り限定”。今のところ顔は割れてないけど、海軍やら海賊やら政府やら、厄介な人たちに追われる身だから、基本的に能力者だって事は隠してるんだ」

 こくり、真面目な顔したルフィが小さく頷く。ぎゅっと噤んだ口は、言いふらしたりなんてしないぞと言わんばかり。
 その表情に引き出されるかのように、身体の奥の奥の方から、隠し通してきた本音が、すんなり喉元までやってくる。
 
「……船に乗せてもらう時に話した事に、嘘はひとつも無いんだけど、言ってない事はたくさんあった。あたしが探してる鉱石は、細工用の宝石だけじゃない。鉱石の中に稀にある、”海の涙(ラクリマ・マレ)”がメインなの」
「それって、あの……エルフィンだけが使えるっていう、謎の鉱石――?」
「そう。力を籠めると、それぞれの石に応じた力が使える鉱石。ガーネットは火、ターコイズは水、パールは風……ってね。ニテンス・カーヴでも見つけてきたよ」

 ナミの疑問の声にフルートからパールを取り出して答えれば、彼女とウソップが揃って目を丸くした。

「あんた、やっぱりあそこ行ってたのね……!」
「成程……その仕込みフルート、そういう事だったんだな……」

 軽く身震いしているナミの驚きは、エルフィンがどうこうというより、ニテンス・カーヴから生還した事に対してのそれだろう。ウソップの方は、謎が解けた事にはああと感心の声を漏らす。
 その反応に肩の力がふっと抜けて、あたしの思考は、今まで誰にも話した事のない領域にまで飛躍した。

「……天使の実を食べてから、いろんな事があった。食べなきゃよかったのかも、って思った事も、何度かあるんだ」

 ――世界における自分のポジションは、10年前のあの日から今までで、嫌と言うほど理解した。

 ぽつり、口をついて出たのは、自分でも最近あまり考えていなかったこと。
 だけど、自分のこれからの大きな分岐点に立った今、改めて思い返しておきたいこと。

「でも……でもね、そんな事ない、って思わせてくれる人達がいた。せっかく世界で一人の力を手に入れたんなら、使わなきゃ損だって思うようになった」

 脳裏に浮かんだのは、つい先刻会ったばかりの“彼”の微笑み。そして、いろんな意味であたしを救ってくれた、彼と彼の賑やかな仲間たち。記憶の中の彼らは、分かれ道に立ったあたしに、好き勝手に声を掛けてくる。
 その声を背中に聞きながら、進みたい道を選んだのは、あたし自身だ。

「……だったら、逢いに行こう、って思ったの。世界中のいろんな所にあるのに、世界中でたった一人、あたししか使えないっていう、その鉱石たちに」

 その広い広い世界を、一緒に進みたい仲間に出逢えた。自分の事情を言い訳にするのをやめて、思い切って踏み出してみた。
 今目の前にいる五人は、口許に微笑を湛えながら、静かにあたしの話を聞いてくれている。

「夢の話はホントだよ。むしろ、そっちの方が先だから。でも、その伝説の鉱石って、多分、ラクリマ・マレなんじゃないかと思うんだ。だからあたしは、両方の意味で、“偉大なる航路”の果てを目指すの」

 ひとまず話しておきたいことは全部話した。ちょうど、もうそろそろ時間切れだ。
 言いつつ力の開放を収めれば、背中の羽はすうっと小さくなって見えなくなって、髪と瞳から青が抜けた。軽く括ってバンダナで纏めれば、あたしはただの採掘屋へ元通り。
 ナミ、ウソップ、サンジ、ゾロ、そしてルフィ。五人の表情を順々に見る。今から彼らに向ける問いへの答えは、その眼を見れば一目瞭然。
 だけど、話の締めくくりとして、敢えて最後の確認を投げかける。

「……そんな訳で、なかなかのワケ有りなんだけど……あたしも、この船で……一緒に、行っても良いかな?」
「おう、当たり前だ!!!!」

 即座に返って来たのは、力強い返事と歓声。
 よかった、と頬を緩めるナミ。ラクリマ・マレに興味津々なウソップ。天使は実在したのかぁぁ、と感動しきりなサンジに、にいっと口角を上げるゾロ。甲板の天候はすっかり元通りで、風はびゅうびゅう雨はばしばし痛いくらいに吹き荒んでいるけれど、そんなもの弾き飛ばしてしまいそう。
 そして、あたしを見てにしししと満足げに笑うルフィ。そんな彼に一歩近づいて、右手を差し出した。

「よろしくね、船長」
「ああ!」

 あの日と同じように重なった掌は、やっぱりその体温以上の熱を帯びている。こうなる事を予知していたのかもしれないな、なんて、感慨深くそんな事を考えていたら、一際大きい横波がメリー号の右側面を打った。

「わ、」
「うっひゃーっ、船がひっくり返りそうだ!!!!」

 甲板が大きく傾いて、繋いだ手もそのままに二人して体勢を崩す。それでも、ルフィはその手を離すどころか、逆にぎゅっと強く引いた。
 倒れる事無く大波を乗り切ったあたしたちに、船首側に居たナミが声を掛ける。

「あの光を見て」
「島の灯台か」
「“導きの灯”。あの光の先に、“偉大なる航路”の入り口がある。……どうする?」

 彼女の指差す先にある灯台。そこから途切れ途切れに届く光。
 文字通り行く先を照らされて、どうするかなんて決まっている。

「しかしお前何もこんな嵐の中を……なァ!!!!」
「よっしゃ、偉大なる海に船を浮かべる、進水式でもやろうか!!」
「オイ!!!!」
「ふふ、嵐でも晴れてても、入口の場所は一緒だよ」
「チックショオ、お前ホントブレねェなニーナ!!!!」
「あはは」

 ひとり怯えるウソップの訴えを聞いているのか居ないのか、サンジがキッチンから大きな酒樽を運んできた。みんなの輪の中心に置かれたそれに、彼は右足の踵を着く。

「おれは、オールブルーを見つけるために」
「おれは海賊王!!!」
「おれァ大剣豪に」
「私は世界地図を描くため!!」
「あたしは、ラクリマ・マレを集めるために」

 “偉大なる航路”を目指す各々の目的を、誓いを、皆が順々に宣言する。
 こつり、皆に倣ってブーツの踵を鳴らして、最後のひとりを全員でにやりと覗き見た。
 ――“6人”ちゃんと揃ったら。そう言った彼の靴が並んだら、それで全員集合だ。

「お…お…おれは、勇敢なる海の戦士になるためだ!!!」

「いくぞ!!! “偉大なる航路”!!!!」




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