Le ciel croche | ナノ

 ――脳内でリフレインする言葉が、ふたつに増えた。

『ニーナ、ちゃんと帰ってこいよ! 絶対だぞ!!』
『お前はきっと、そのままあいつらと出航するよ』

 言いたいことは全部言ったとばかりに、すっかりのんびり昼食モードに入った彼と別れて十数分。その台詞に反してちゃんとした挨拶もしなかったし、気になっていたラクリマ・マレの事も聞き忘れた。けれど、彼のことだ、きっとまたそのうち、すんなり会えるだろう。
 ――きっとまた、そのうち。それが今日中になるのか、しばらく後の事になるのか。それは、今からのあたしの行動次第。

(……にしても、どうしようかなあ)

 彼と話をして、一人で少し考えて。腹は括った。
 自分の事情を建前にして、本音から目を背けるのはやめにする。
 自分の宿命に巻き込んでしまうかもしれない。それは事実だけど、それをどう捉えるかを決めるのはあたしじゃない。あそこまで言って貰っておいて、乗れない理由を隠しておくのはアンフェアだ。
 それでも、じゃあいざ説明するとなるとどう言ったらいいのか。どこから話をすればいいのか。自分から打ち明ける事なんて初めてだから、頭の整理がうまくいかない。だけど、あてもなく進めていたはずの足は、いつのまにかメリー号の方向へと向いていたらしい。見覚えのある十字路に辿り着いて、ふっと辺りを見渡した。

(……ん?)

 さっきも通った道だけど、今はなんだか随分騒がしい。行き交う人々は速足か駆け足で、揃って同じ方向に足を向けている。見るからに野次馬風な人の中には、ちらほら海兵が混ざっている。海賊が騒ぎでも起こしているのか。
 なんとなく嫌な予感がして、髪を纏めるバンダナをきつく縛り直す。集合時間まではまだ余裕もあるし、一応確認だけしておこう。人の流れに乗って軽く駆ければ、向かう先はおそらくこの町の名所――死刑台のある広場だ。
 角を曲がればすぐ広場の入り口、というところで大きく響いてきたのは、誰あろうルフィの声だった。

「おれは!!!! 海賊王になる男だ!!!!」
「「その死刑、待て!!!!」」

 ルフィに続いたのは、切羽詰まったゾロとサンジの声。
 数秒後に目に飛び込んできたのは、海賊王が処刑された場所から聞こえてきた発言内容よりも、衝撃的な光景。

「……ルフィ?」

 広場には野次馬海軍海賊入り乱れた黒山の人だかり。人波を強引に掻き分けて処刑台へと突き進む二つの影はゾロとサンジ。彼等の目指す処刑台の天辺には、首を固定されたルフィと、刀を構えるシルエットがひとつ。
 ――目前に広がる現状と、さっきの二人の台詞から考えられる状況は、ひとつだけ。

「……っ」

 考えるより先に、身体が動いていた。
 障害物を避けつつ、目立たず走るのは得意分野。するすると人波を通り抜ければ、二人の背中が徐々に近くなる。
 この程度じゃ呼吸は荒れないけれど、いつかどこかでハニーブロンドと評されたあたしの前髪が、視界の端で微かに瞬いた。だめだな、思った以上に焦ってる。久々に現れた“その色”は見なかったことにして、ひとまずぐいっとバンダナに押し込む。
 先を行く二人が切り開いた道の近い方を選んで、走るスピードは保ちつつ強引に鞄を漁る。前方でばさりとひと薙ぎ、三刀流がぎらりと光るたびに、野次馬海賊が散らされた。

「ゾロ!」
「!! おまっ……、処刑台だ!!」
「うん。ちょっと派手なのやるから、援護してくれる?」
「はァ!?」

 追い着いた背中に声を掛ければ、振り向いた顔は驚きに満ちていた。それでも、あたしが手にするフルートをちらりと見ると、彼は再び前へと向き直った。あたしに掛かって来る敵を引き受けてくれつつ、こちらの動きを伺っている。

「何する気だ!!」

 返事の代わりに、腰の高さで大きく真横にひと薙ぎ。思い切り振り抜いたフルートからは、無数の長距離連撃が弾け飛ぶ。静かな海に石つぶてを投げ込んだ時のように、人垣が波紋状にぶわっと広がる。
 背後でゾロが軽く息を呑んだのが分かる、けど、この距離じゃ処刑台自体にはまだ届かない。

「ぎゃはははははは!! そこでじっくり見物しやがれっ!!! てめェらの船長はこれにて終了だァ!!!!」
「クソ野郎!!! 勝負しろォ!!!!」
「……………!!!!」

 不快感を煽る甲高い声が広場中に響く。左の方ではサンジが敵を蹴散らしつつ進んでるけど、それでもまだ届かない。だいぶ近付いたけど、あたしとゾロの位置からでも、まだ弾は届かない。
 ほんの数発撃ちこんで、処刑台の足を傾かせられればそれだけでもいいのに。時折強く吹き始めた風を味方につけたとしても、まだ足りない。でも、ルフィの上で刀を構える奴は、もう今すぐにでも腕を振り下ろす気満々だ。今一番天国に近いのはルフィなのに、あたしの頭に走馬灯が走る。

 ――どうする? なんて、考えるまでも無い。

「ゾロ!! サンジ!! ウソップ!! ナミ!! ……ニーナ!!」

 身体の真ん中に集中力を総動員してても聞こえる。ルフィが皆を呼んでる。ちょっと待って、あとちょっと、

「わるい、おれ死んだ」

「バ……」
「バカなこと言うんじゃねェ!!!!」
「!!!!」

「……!!!?」

 ルフィが笑ったその瞬間、一際強い辻風が、あたしの身体を取り巻いた。
 そして次の瞬間、暗くなり始めた空から、一閃。

「「「!!!?」」」

 バリバリバリバリ、天を引き裂くような音を連れた雷が、文字通り暗雲を裂いて処刑台へと一直線。激しい地響きと共に見事に落ちたそれは、死刑執行者を火炎で包み、処刑台の脚を崩し、地面へと倒れこませた。それに引き摺られるように、突如降り出した土砂降りの雨。……嵐の襲来。
 信じられない光景に、民衆も、海賊も、海軍も、あたしたちも、皆が茫然と立ち尽くす。使おうとしていた“能力”は、突風に混ざって消えてしまった。
 そんな中、騒ぎの張本人は、地面に落ちた麦わら帽子にゆっくりと手を伸ばした。

「なははは、やっぱ生きてた。もうけっ」
「なぁ、ニーナちゃん……神サマって信じるかい……?」
「……悪運の神サマなら、案外居るのかもしんないね……」

 生死の境をさ迷ったというのに、あっはっは、と屈託無く笑うルフィ。それを見て一気に緊張が解けたのは、あたしだけでは無いらしい。サンジは真顔で神サマとか言うし、ゾロも呆れて何も言えないようだ。さっきから溜息ひとつ聞こえない。ちらりと首だけで振り返ってみたら、なにやら神妙な顔をして刀を鞘にしまいつつ、手を腹巻きに突っ込んでいた。

「あーよかった。おっ、ニーナ、来てくれたのか! ありがとうな!!」
「あはは……無事で良かったね、ルフィ。あたし走馬灯見えちゃったよ」
「そーまとー? なんだそれ?」
「……バカ言ってねェでさっさとこの町出るぞ。もう一騒動ありそうだ」

 お気楽な空気になりかけたところで、ゾロの一言で気を取り直す。そうだ、あたしたちは未だ広場のど真ん中。海軍だって居るってのに、こんな所で油を売ってる場合じゃない。騒ぎに乗じて逃げるが勝ちだ。
 ……と思ったところで、全部が全部そう上手くはいかないもので。
 
「広場を包囲!! 海賊共を追い込め!!」
「きたっ!! 逃げろォ!!! おい道どっちだ!?」
「こっちだ!!」

 相手の指揮官は中々優秀らしい。すぐに正常に機能し始めた海軍の間をぬって、船への道を駆け抜ける。先導するサンジにあたしとゾロが続いて、ルフィが後方を気にしつつしんがりを務める配置になった。

(これじゃ、落ち着いて話なんて、難しいなあ……)

 メリー号が島を出る前にはカタを付けたいけれど、嵐といい、追手といい、待ってくれるような状況じゃない。どんどん強くなる雨で、視界は悪くなる一方。ぼしゃぼしゃと遠慮ない音に掻き消されて、追手の靴音も拾い辛い。
 そのせいか、小声であたしを呼んでいたゾロに、あたしは暫く気付かなかった。

「おい、ニーナ!」
「! なに?」

 小突かれて初めて気付いたからか、見上げたゾロは意外と近くに居た。肩と腕が触れるか触れないかの位置で併走しつつ、彼は若干険しい顔で腰元に手を伸ばす。
 まるでルフィとサンジに気付かれないようにしているかのように、ゾロは“それ”をあたしの眼前に差し出しつつ、ぎりぎり聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。

「お前、これに見覚え、あるだろ」
「……!」

 ――突き付けられたのは、あたしの“秘密”の証拠そのもの。

「……………あー、さっき、出ちゃってたか」
「!」

 ぽつりと零れた声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
 あのどたばたの間に、いつの間に見つけたんだろう。あたしの正体を予想していないと、そこらに落ちていても不審に思うことも無いそれ。『海賊狩りのゾロ』だけあって、少し異質な手配書は、きっちり覚えていたのかもしれない。
 緊急事態だったとはいえ、能力使ってでも止めようと思ったとはいえ、“具現化”はさせてないつもりだったのに。微調整が効かなかったのは、やっぱり自分で思っていた以上に焦っていたみたいだ。

「お前の“事情”っつーのは、これの事か」
「………」

 自分から打ち明けようと思っていた事が、思わぬ形で露見してしまった。遠まわしな問いを暗に肯定したあたしに、ゾロは小さく息をつく。
 ――ああ、やっちゃったかなあ。タイミングも相手も、難易度はぶっちぎりの一番だ。
 ちらりと上目に様子を窺えば、そこにあったのは意外な表情だった。

「あいつに通用すると思うか?」
「……!」

 隠そうともしない盛大な呆れ顔は、彼が度々ルフィやウソップに向ける事のあるものと同じ。驚き、戸惑い、興奮、畏怖。“これ”を知った時に、一般的にありえる反応はひとつも見られない。
 ゾロはもう一つ嘆息すると、走る速度を落としてルフィと並んだ。

「おいルフィ!」
「ん?」
「あいつ、ただの音楽家でも採掘屋でも無かったぞ。……エルフィンだ」
「ニーナが? なんだそれ?」
「さァ、おれも詳しくは知らねェが……世界中から“生け捕り限定”で狙われてるお尋ね者、だな」

 ひそひそと交わされる会話は、何故だか雨音に掻き消されずに、あたしの耳に十分届く。
 ゾロの端的な説明は、ざっくり言えばその通り。その理由までは知らないらしい彼と、“エルフィン”という単語自体を知らなかったルフィ。今までにないこの反応は、必死で隠していたのがばかみたいだと思うくらいだ。

「……で?」
「だから一緒に行けねェんだと」
「なんで」
「さァな。で、どうすんだ?」

 背中に感じる二人分の視線。無言の時間が妙に息苦しい。
 やがてルフィは大きく息を吐きだすと、宣言するかのように大きく答えた。

「そんなの理由になるか! 連れてく!!」
「……ハッ、了解」
「……!」

 聞こえてきた言葉に、思わずちらりと後ろを振り返る。ルフィは直前のやりとりなんて全く問題にしてないと言わんばかりに、更にその後ろ、追手の海軍に向かって苦い顔を向けていた。
 対するゾロはするりと走る速度を上げて、その隙にあたしを追い越して行く。すれ違い様に目が合えば、彼は「ほら見ろ」と言わんばかりの顔でニイッと笑った。

「………」

 船に乗ったばかりの頃に向けられていた警戒と猜疑の色。アレグラ島、バラティエ、ココヤシ村と進んでくるうちに段々と薄くなっていたそれが、今はもうどこにもない。
 対するルフィの方は、最初から一貫して揺るがない。
 あたしの小舟に碇を落っことしたのも、音楽家だと思ったのも、あたしを誘ってくれるきっかけの一つに過ぎなかったんだろう。メリー号の上で、辿り着いた場所で、同じ時間を過ごして。彼はもう、とっくにあたしの事を、“仲間”だと認識してくれていた。

(……ほんとに、言った通りだ)

 世界から音がフェードアウトする。聞こえるのはあたしの足音と心音だけ。徐々に早くなっていく二重奏を奏でながら、機械的にメリー号との距離を縮めていく。
 もやもやと頭を占めているのは、安堵なのか、戸惑いなのか、喜びなのか。そうなりたいと望んだはずなのに、いざその道が開けたところで、心が着いていっていないのか――。

 あたしがぼんやりしてる間に、周りでは何往復かの会話が交わされていたらしい。徐々に音を取り戻した世界に鋭く切り込んできたのは、前方に立ち塞がる女性の声。

「ロロノア・ゾロ!!!」

 ――メリー号までの道のりは、そう簡単ではないようだ。




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