Le ciel croche | ナノ

「あ?」
「何だ!!!?」
「きたか! 後は足枷をはずすだけだ!!」
「! ……何だ、そういうことか……」

 パーク入口の壁の向こうに、突如生まれた背の高い水柱。アーロンとイトマキは訝しげにそちらを見やり、サンジはぱっと表情を明るくする。
 その反応とゾロの零した呟きから察するに、あたしの勘はアタリで間違いなさそうだ。

「30秒!! あっちはそれで大丈夫だろ、こっちはそれ以上はもたねェ」
「! それで充分だ!!」
「!?」

 ちらりとこちらを見たゾロが、刀を構えつつゆらりと立ち上がる。サンジも一瞬あたしと視線を絡めると、心配そうな顔はしつつも、ひとつ頷いて海に飛び込んだ。

「あんなところに噴水はねェぞ!? まさか、あのゴム野郎か!?」
「気にすんな、何でもねェよ、半魚野郎」
「その言葉は二度と口にするなと言っといたはずだぜ、瀕死のロロノア・ゾロよ……」

 上で時間を稼いでいる間に、潜ったサンジがルフィの足枷を壊す。上手くいく保証なんてなかった流れが、なんとかこちらに向いてきた。
 事態の変化を察知して、イトマキはぼりぼりと頬を掻きつつ長槍を回収する。現れてから終始のらりくらりとした動きだけど、なかなか隙は無さそうだ。

「ふむ……ふむ……なんだ、おれにゃァさっぱり事態が呑み込めねェが、まァいいか。最終的にゃ、あっちはアーロンさんがなんとかするだろ」

 ぼやきにも似た言葉を吐きながらも、その口元は愉しげに歪んでいる。よっこいしょ、と呟きつつ身を起こしたイトマキは、長槍をブウンと大きく回して、ざくりと地面に突き立てた。

「ってな訳で、おれたちも早速始めると……うおっ!?」

 最初から全力だと決めていたから、言葉の途中だなんて気にせずに、石に力を籠めて下段からフルートを振り上げる。ぶわり、突如発生した熱気に驚いたイトマキは、その巨体を大きく背後に反らせた。
 右手に構えた長槍の先がぴくりと動いたのを横目に見つつ、軌道を予測しつつ腰を落とす。ぎりぎりまで引き付けてから下をかいくぐって、まずは右脇腹に一突き。面で殴るよりも一点集中で肋骨の下辺りを狙えば、多少ズレてしまったものの手応えはあった。

「ぐっ!」

 その間に背後に回って、くの字型に曲がった身体のバランスを取るべく開かれた左足を狙う。脛を目掛けて、今度はちょっと強めに力を籠めて、熱した鉄棒にも匹敵するフルートで思いっきり足払い。
 三流海賊ならこの二発で簡単に沈んでくれるけれど、そこは流石にアーロン一味の幹部。打ちこんだ感触は確かにあるのに、呻き声も僅かに聞こえるのに、見た目はそう太くない足はびくともしない。

「……ってうえええ!? ニーナも戦ってんのか!!!? 大丈夫なのかよ!!!!」
「たぶん、私たちが思ってるよりずっと戦えるわよ、あの子……さっきもアーロンとやり合ってたし」
「なっ、なんだとォォォォ!!!?」

 いつの間にか戻って来たのか、ギャラリーのざわめきに紛れてウソップの大声が聞こえる。引き付けたっていう幹部は無事に倒したのかな。怯えている姿ばかりが目立っていたけど、彼もやる時はやるらしい。
 ……なんて、ほかの事を考えている暇はない。攻撃の手を休めたら、きっとすぐに流れは断ち切られる。素早く引いたフルートを、今度は左の膝裏への突きを狙って握り直す。
 先端に嵌まるラクリマ・マレに意識を集中して、強く地面を蹴って体重を乗せる。
 渾身の一撃のつもりで繰り出せば、ぱしり、狙いの一瞬前に乾いた音が響いた。

「……っ」
「っくー……中々効いたぜ嬢ちゃん。やるじゃねェか」

 後ろ手に出された左手の掌。その中央に見事に握りこまれたフルートは、ぴくりとも動かない。
 半身で振り返ったイトマキは、先程までぼんやりと靄に包んでいた殺気を惜しげも無く放出して、肉食獣の瞳をしてあたしを見下ろす。

「こりゃァ、今までン中でも最ッ高の上玉だ。殺しちまうなんて勿体ねェ。なるべく五体満足で捕まえてェなァ……いやァしかし、ンな悠長な事言ってっと返り討ちに遭うかねェ……」

 言葉とは裏腹に、イトマキはフルートをゆっくりと離すと、自分の掌の様子を確認する。奇麗にまあるく着いたであろう火傷の痕を右手の人差し指でつつつとなぞるその姿は、いつでも仕掛けてこいと言わんばかり。
 存分に余裕を見せつつも、あたしを舐めてかかる事はない。手応えは無くは無いのに、タフさはやっぱり人間の比ではない。隙だらけに見せかけつつ、ピンポイントな急所はきちんと避けている。
 こういう相手は、無駄に長引かせて飽きられたり失望されたら終わりだ。すぐ後ろでは、瀕死と言われたゾロがギリギリのところで踏ん張っている。きっともうじきルフィは復活してくれるとは思うけど、それまで持つかも正直危うい。
 ――だったらもう、最後のつもりで仕掛けるしかない。

「頑張れェェェ、ニーナの姉貴ィ――!!」
「やっちまえー!!!!」

 正面から対峙した巨体を見上げつつ、手元の感覚だけでフルートの先端に嵌めたモノを素早く取り換える。たぶん目視確認が出来なかったんだろう。イトマキはにやにや笑いを保ちつつも、訝しげに片眉を上げた。
 右手に握ったフルートの先端で、イトマキの顔面を指し示す。ぎょろりとした魚眼が先端を捉えたのを確かめてから、三歩助走をつけつつ両手でがっしり握って構える。顔の側面目掛けて振りかぶりつつ跳び上がれば、彼は案の定左手一本でそれを止めに来た。
 巨大な掌がフルートの先端を捉えるタイミングを狙って、ラクリマ・マレに力を籠める。

「!」

 ばうん、先程の数倍の力を籠めたガーネットは、小規模な爆発を引き起こした。直後、遅れてやってきたであろう先程とは違う痛みに、イトマキは驚きの表情を浮かべつつ手を引っ込める。その掌には、一応貫通している小さな隠しナイフが、ぎらりと鈍く光っていた。

「なっ!?」
(……よし)

 魚人の皮膚硬度が少し不安だったけれど、十センチにも満たない至近距離と爆風との合わせ技は、流石に効果があったようだ。
 余裕を見せつつ気を緩めない敵の、一瞬の隙。そこを逃さず的確に突けば、たとえ表立って能力を使わなくたって、勝機は掴める。
 勢いを殺さないように注意しつつ、一旦地面に足を着く。膝のバネを最大限に使ってもう一度跳び上がりながら、下段から思い切りフルートを振り上げた。念のため、ラクリマ・マレにもう一度力を籠めつつ、狙うは顎の下。

「ぐはっ……!!」

 フルート越しに手に伝うめりっという嫌な感触。それでも握る掌は緩めずに、顎を起点に、壁に向かって弾き飛ばすイメージでフルートを振り抜く。重たい身体に負けないようになんとか振り切ると、肩に掛かる負荷が徐々に軽くなる。最後のひと押しとばかりにもう一度小さく爆発を起こせば、イトマキは白目を剥いて弧を描きながら、ひゅるひゅると後方へと飛んで行った。
 がしゃああああん、彼が盛大な音を立てて瓦礫に突っ込むと、訪れたのは一瞬の静寂。

「………」
「………」
「ふう……」

 パーク入口からこちらを窺うギャラリーと、ゾロの首を掴んで持ち上げるアーロンの視線がこちらに集まる。
 次の瞬間、ぷつりと糸が解けたように、爆発的な歓声があがった。

「……うおおおおおおおおおお!!!?」
「ニーナ……!!」
「「ニーナのアネギィィィィ!!!!」」
「なっ……イトマキ……!!!?」
「へェ……」
 
 村人たちは希望の滲んだ喜びの声をあげ、ナミはほっと肩を撫で下ろす。ヨサクとジョニーは顔面をべしょべしょにしながら諸手を上げて、ウソップはぽかんと大きく口を開けたまま。ゾロは満身創痍で大ピンチのはずなのに、感心したようにニヤリと笑った。
 最後の幹部を倒されたアーロンは、先程のイトマキとは比較にならない殺意の籠った眼で、あたしとゾロとを見比べる。……これは、まずいな。

「てめェら……タダじゃおかねェ……なるべく苦しんで死んで貰おうか……」
「っぐ……っ!!」
「女、余計なマネをするなよ。てめェはこいつの次だ」
「………」

 ゾロの首を握る手に籠められた力が強くなる。あのままじゃ、あともう少し力を入れれば、首の骨が折られかねない。だけど、ここであたしが動いたら、余計にアーロンの気を逆撫でるだけだ。サンジと約束した30秒は、もうとっくに経ったはず。
 お願い、早く。願掛けするようにちらりと海に視線をやった丁度その時、パークの外から、何かが弾ける音がした。

「戻ったァ――っ!!!!」
「!!!!」
「ルブィのアニギィ〜〜〜〜っ!!!!」
「ルフィ……!!」
「ゴム野郎」
「遅ぇよ、バカ……!!!!」

 音の出所に視線をやれば、ひゅるひゅると落下してくる人影がひとつ。海と重石から解放された両手両足を確かめるかのように大きく伸ばして、みんなが待ち望んだ船長が戻ってきた。
 落下を続けるルフィはゾロとアーロンを見とめると、両手を伸ばしてゾロの肩をがしりと掴んだ。 

「ゾロ!!!!」
「!」
「は!? オイ……やめろ……まさか……」
「交替だ!!!!」

 満々のやる気を漲らせた声が、上空から降ってくる。
 ……地上からじゃ表情は伺えないけど、きっと満面の笑みだったんだと思う。

「うわああああ!!!!」
「!?」
「ドアホーッ!!!!」

 掴んだゾロを後ろに弾き飛ばして、文字通り強制的に選手交代。大怪我人を海の方にぶん投げたルフィは、ゾロの分のお返しとばかりにアーロンに怒涛の攻撃を仕掛ける。瓦礫の山は益々積み上がり、舞い散る砂埃で二人の姿は霞の向こう。
 岩の崩れる音が止まった頃、パークの壁に背を着いたアーロンは、何事も無かったかのようにむくりと身体を起こした。

「……なにか……やったか?」
「き……効いてねェ!!!!」
「うん。準備運動」

「はは……」

 ――こんな時なのに、思わず漏れたのは気の抜けた笑い声。

 終わってなんかいないのに、むしろこれからが正念場だというのに、安心感にも似た心地が胸を満たす。あたしはまだ、ルフィがちゃんと戦うところを見たこともないのに。
 ルフィさえ解放出来れば。ゾロやサンジから向けられていた信頼に感化されているのか。違う、そうじゃない。ルフィなら、もしかしたら、何とかしちゃうかもしれない。彼にそう感じたのは、今が初めての事じゃない。
 バラティエの時は見届けられなかったけれど、今回は。

(お手並み拝見、させて貰おうかな)

 ……それが単なる興味や好奇心由来のものじゃない事には、そろそろ気付いているけれど。




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