Le ciel croche | ナノ

 ――武器を取ったナミと共にアーロンパークに辿り着けば、そこは既に戦場と化していた。

「アーロンッ!!!!」
「!」
「……ナミの姉貴……!!」
「ナッちゃん……」

 宣戦布告とばかりに親玉の名を呼んだナミに、集まっていた村人たちやヨサクとジョニーの視線が集まる。わっと左右に分かれた人垣の向こうに立っていたのは、ノコギリザメの魚人・アーロンただ一人。
 激しい戦闘があった事を物語るかのように、敷地内には瓦礫の山が生まれている。その麓に膝を着くサンジと、大の字に倒れるゾロ。少し離れた所には、魚人の幹部と下っ端達が死屍累々。ルフィとウソップの姿は無い。

「ねえ、今どんな状況?」
「ニーナの姉貴!」

 ナミが注目を集めてくれているうちにと、ジョニーに後ろから声を掛ける。振り返った彼も、傍らのヨサクも、二人揃って中々に満身創痍。島を去ると言っていた彼らだけど、この様子だ。どこかしらでここの事情を知って、罪滅ぼし代わりに一戦交えた後、といったところだろう。
 ひとまず五体満足な彼は、ナミとアーロンのやりとりにも注意を向けつつ、少し屈んでから控えめに口を開いた。

「兄貴達が四人でここに殴り込みをかけて、ザコと幹部連中は叩きのめしたんです。ウソップの兄貴は、幹部一人引きつけて外で戦ってます。ルフィの兄貴は……色々あって、足に大岩をくっつけたまま海に放り込まれて……」
「海に……?」
「はい。今、村の駐在とナミの姉貴の姉貴が助けに向かってますが、中々上がって来ねェんです。ゾロの兄貴とコックの兄貴は、幹部倒してルフィの兄貴を助けに行こうとしたら……アーロンの野郎が……」
「………」

 悪魔の実の能力者が海に、しかも重石をつけた状態で放り出されたら、どうなるかなんて考えるまでも無い。
 ただ、不幸中の幸いと言うべきか、ルフィの能力は『ゴムゴム』だ。助けが行ったのであれば、首を引っ張って海面に出してもらえば、呼吸の確保はできるだろう。問題は、そこに気付いて貰えるかどうかと、そこからどうやって脱出するかだ。
 ジョニーが言葉を濁したゾロとサンジの戦いの結果は、今目の前に広がっている。だけど、ルフィ復活の見込みは、まだ立っていない。

(駐在さんとお姉さんじゃ、たぶん、岩を壊すまでは出来ないだろうな……)

 あたしたちがアーロンに勝つために、あたしが今とれる選択肢はふたつ。
 ――ルフィを助けに行くか、ゾロとサンジの援護に行くか。

「今のうちにおれについて、村人と共に助かるか……この貧弱どもについて、みんなでおれと戦ってみるか……!! もっとも、頼りのこいつらがこのザマじゃあ、惨劇は目に見えてるがな……」
「………」
「ナミ……!! お前はおれの仲間か? それともこいつらの仲間か……?」
「!」

 二つの道のどちらを取るか。選んだ道のその先の分岐を、入念に考える時間はもう無さそうだ。ナミとの話を畳み始めたアーロンは、凍てつくような眼差しで彼女を見据える。
 選択の余地がない問いかけに、汚いと吠える村人たち。そんな彼らをぐるりと見渡すと、ナミは大きく息を吸った。

「ごめんみんな!!!!」
「!?」

 村人たちの視線が、一気にナミに集まる。

「私と一緒に、死んで!!!!」

 ――迷い無く出てきた言葉は、きっとみんなが待ち望んでいたもの。

「ぃよしきたァ!!!!」
(………)

「なるほど、全員ブチ殺し希望か……」

 死刑宣告にも等しいそれに沸き立つ村人たちを、アーロンは冷たく一瞥する。それでも怯まないナミにも、村人たちにも、勝利するビジョンはおそらく見えていない。
 あたしにだって、正直、今のところは見えていない。それなのに、前へと進み出る足に震えは無いし、心拍も至って平常通りだ。胸元に、左手首に、鞄に控えるラクリマ・マレにも、ざわつきは全く無い。
 それは、今までの経験から言えば、最終的にはなんとかなるって証拠だから。

「えっ、ニーナの姉貴ッ!!!?」
「ニーナ!?」
「!」

 ジョニーに軽くお礼を言って、ギャラリーをすり抜け、ナミの背中を追い越す。追いかけてくる声を背中に受けつつ、開けた場所で足を止めた。
 驚きに目を見開くサンジと視線を一瞬視線を絡めて、倒れるゾロを経由して、二人を間に挟んだまま対峙した巨体を見上げる。
 あたしに気付いたアーロンは、スッと目を細めて値踏みするような視線を向けてきた。

「……何だ、見ねェ顔だな。てめェもこいつらの仲間か?」
「さっきの二択で選ばせて貰うなら、そうだよ」
「シャハハハハ! 野郎共の敵討ちのつもりか? いい度胸だ。女子供だろうが容赦はしねェぞ」
「………」
「ニーナちゃん……!」

 あたしの答えを受けて、アーロンは嗜虐的な嘲笑を大きく響かせる。すこぶる機嫌が良さそうなそれに、ナミや村人たちはぐっと息を呑む。アーロンの足元で苦しげに顔を歪ませるサンジは、強い視線であたしにやめろと訴えている。
 三方向からの様々な感情を全身に受けても、あたしの表情は崩れない。それは特に意識してそうしている訳ではないんだけど、今この場においては、敢えてそうしている風に見せる意味がある。

(気付いて)
「……?」

 右手を左腰に伸ばしつつ、サンジとかち合った視線を海に向かって逸らして、もう一度合わせる。焦り一色だった彼の表情に、疑問の色が垣間見えた。
 ねえ、気付いて。こっちは何とかするから、ルフィをお願い。ダメ押しとばかりにもう一回。二度目でおそらく意図は汲んでくれたんだろう。疑問は驚きに変わって、焦りへと逆戻り。
 ああ、だめかな。サンジには、あたしをここに残して海に潜る選択は出来ないかもしれない。ゾロならどうだか分からないけれど、より重症なのはどう見ても彼の方だ。
 ……ここらでそろそろタイムアウトだろう。アーロンがにやにやとあたしの出方を窺ってくれているうちに、腰に吊ったケースからフルートを取り出した。

「ほう? そんな貧相な棒で戦おうってのか? 面白ェ」
「………」

 危険な道は極力回避してきたから、本格的な戦闘は久し振りだ。だけど、別に正面から戦って倒そうっていう訳じゃない。時間稼ぎが出来れば上々だ。
 ――あたしがアーロンを足止めしている間に、サンジが潜って足枷を壊す。解放されたルフィが復活して、アーロンを倒す。
 普段だったらあり得ない、きちんと意思疎通の出来ていない他人に頼った作戦だけど、何とかしてみるしかない。

(ひとまず、置いてっても大丈夫って思って貰えないと)

 右手に構えたフルートを、バトンのようにくるりくるりと二回転。素直にそれを観察しているアーロンから目を離さずに、ぱしりと正位置に持ち直す。掌の下でラクリマ・マレがじわりと熱を帯び始めたのを確かめつつ、嫌な空気を払うように左上段から振り下ろして、準備運動は完了。

「!」

 姿勢を落として地面を蹴れば、アーロンは即座に反応を見せた。
 ぐわっと伸びてきた腕を避けて後ろに回り込む。当然ながら追うように振り返ってきたところで、下段から弾くようにフルートを一振り。仰け反って避ける巨体の喉笛に狙いを定めれば、今度は左右から迫り来る丸太のような腕。深追いするのはやめて後ろに飛びずさる。蚊でも叩くかのように合わさった掌は、帽子代わりのバンダナがずれるほどの風圧を生んだ。

「ほう……」
「………」

 過ぎた時間はほんの数秒。それでも、あたしの動きを見て、アーロンは楽しげに眉と頬とを釣り上げる。フルートが掠めた軌道をなぞるようにふらりと手を伸ばして指先を擦ると、にやにや笑いは凶悪さを増した。

「何をしやがった……?」

 ――よし、乗ってきた。
 今あたしがこっそりと使ったのはガーネット。火の力を持つラクリマ・マレ。ごくごく控えめに籠めた力によって生まれた熱風に、アーロンは危険の可能性を垣間見たようだ。
 でも、火を噴く事を示唆したフルートも、あたしの存在自体もあくまで囮。早いとこサンジかゾロが動いてくれればいいんだけど。アーロンの注意をこちらに向けた今、もう無駄な余所見は出来ない。
 と、そんな時、アーロンが次の動きを取るより先に、パーク入口のギャラリーがざわりと震える。ようやく二人が動いてくれたかと思ったけど、背後に感じた微風が答えだった。

「!」
「ニーナッ!」
「……へえェ」

 反射と勘で横っ飛びに大きく避ければ、直後、あたしが一瞬前まで居たところに細長い槍が突き刺さる。
 石造りの床に深々とめり込んでいるのは、見た目以上の破壊力をもつ証。それは武器によるものなのか、使い手によるものなのか。ナミの悲鳴が切羽詰まっていたのを考えれば、その両方かもしれない。

「イトマキ……てめェ、今までどこほっつき歩いてやがった」
「いやァちょっくら日課の散歩をね? 戻ってきて驚いたのなんのって、なんですかこの惨状は」

 ぱたり、ぱたり、気の抜けた足音を鳴らしながら、ゆらゆらと近づいてくる大きな影。文字通り横槍を入れられて気が削がれたのか、アーロンはあたしから目を逸らしてじっとりと乱入者を見上げる。
 イトマキと呼ばれたその魚人は、アーロンと並んでも軽く頭一つ分以上飛び出る長身を気だるげに揺らして、ぼりぼりと後頭部を掻きつつ辺りを見渡す。アーロン、倒れる魚人たち、ゾロとサンジ、パーク入口のナミ達。ぐるりと一周回って戻ってきた視線は、感情の読めない色を浮かべつつあたしを捉えた。

「まさか、この嬢ちゃん一人がやったなんて、そんな楽しい事ァ無ェですよね?」
「違ェ」
「なァんだ、残念……まァでも、今おれの槍を見もせずに避けたのは確かだ」

 じわり、じわり、詰められる間合いに増していく圧迫感。それはなにも、その長身だけが生み出しているものではない。能ある鷹が爪を隠すように、緩い空気の中に潜められている凶暴性。やっぱり、このひとはきっと、幹部クラスだ。

(……まずいな)

 一対一なら時間稼ぎは出来るけど、"普通"の状態で二人いっぺんに相手できる敵じゃない。一目瞭然なこの事態に、海に意識がいきかけていたサンジも、大の字に倒れていたゾロも、さすがに身体を起こし始めた。

「なァアーロンさん。この状況は大方、あんたの足元の野郎共の仕業なんだろ? 嬢ちゃんと遊ぶのはおれに任せて、とっとと全員畳んじまいましょうや」
「……フン、言われるまでもねェ」

 アーロンは完全にあたしに背を向けて、前の二人へと向き直った。こちらには欠片も意識が向いてない。今なら、たぶん急所を捉えられる。けど、あたしの前に立ち塞がるこのひょろ長いひとが、きっとそれをさせてくれない。

「へへ……さて嬢ちゃん。安心しな、おれァここの一味の中じゃ、いっちばん人間の女に優しいんだ」
「ふうん……それじゃ、お手柔らかによろしく」

 計画通りにいかない事なんて百も承知。兎にも角にも目の前の敵。このひとは、アーロンほどあたしの事をナメてはいない。となると、最初から全力でいくしかない。
 ――フルートを握る手に力を籠めた、ちょうどその時。

「ブゥ――――ッ!!!! ……っつぱァ!!!!」

 変わってしまった流れに、また新たに投げ込まれた大きな一石。
 おそらくこちら側にとっての吉兆となるそれは、立ちのぼる見事な噴水の奥に、薄っすらと虹の橋を架けていた。




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