Le ciel croche | ナノ

 舵取りを魚人三人組に任せた船は、アーロンパークの内側に接岸した。
 ゾロが連れて行かれる時、あたしの居る船内は運良く検分されなかった。けど、このまま扉を開けたとしたら、魚人たちから丸見えの位置。パーク内には頭のアーロンをはじめとして、結構な数の魚人が居る。気配を消してひっそりと出ていくにしろ、見つからない保証はない。
 現状他に選択肢が無くて、扉の窓から様子を窺うことしか出来ない。手足を拘束されたゾロがアーロンの前で喋っているのは見えるけど、単語はときたま拾えても、細かい会話の内容までは分からない。耳には自信があるけれど、波音と周囲のざわめきが邪魔をする。

(うーん、どうしよ)

 どうしようも何も、今のところ、ここで成り行きを見ていることしか出来ないんだけど。まあでも、好機を待つのには慣れている。周囲にも気を配りつつ、じっと目を凝らしてゾロの背中を見つめるだけ。
 と、そんな時、椅子にふんぞり返るアーロンの後ろに、一人の女性が姿を見せた。

(……あれ、ナミ?)

 酷く冷たい気配を纏ってゾロを見下すのは、あたしたちがこの島に探しに来た彼女その人。立ち位置と振る舞いから見るに、アーロン側についていると見てよさそうだ。その姿を見て、納得半分、疑問半分。
 何故だか突然海に飛び込んだゾロを、一拍後に追いかけて助けた彼女を見て、この前感じた引っ掛かりがむくむくと蘇る。そのあとゾロの背中を蹴って腹部を殴った様子を見ても、疑問の方がどんどん大きくなる。
 仰向けに倒れ込んだゾロを捨て置いて立ち去ろうとするナミの前を、外から走ってきた魚人が横切った。彼が発した単語は『鼻の長え奴』。ほぼ確実にウソップの事を差すそれに、アーロンは椅子から立ち上がった。

(行ったな……)

 アーロンと幹部たちとおぼしき主要なメンバーが、アーロンパークを後にしていく。完全に無人にはならないようだけど、各々解散したりゾロを運んだりしているうちに、見える範囲の魚人はだいぶ少なくなった。船を出るなら、今だ。
 タイミングを見計らって薄く扉を開く。こちらに意識が向いている魚人が居ない事を確認して、素早く扉を出て船の後方に滑り込む。
 死角からもういちど様子を窺って、ひらり、音を立てないように陸地に飛び移る。おそらく、誰にも気づかれないままに外壁側に移動できた。ふう、と小さく息を吐いて、ナミの言葉を思い返す。

(私が始末する、ね……)

 感情的な言葉はよく通る。あの距離でも聞こえた彼女の最後の台詞は、ゾロを牢屋に入れておけという内容。でも、始末するというのなら、態々牢屋に入れる意味があるだろうか。
 あたしの脳がはじき出した答えは否。ゾロの様子を見に行くことも考えたけど、まあ、たぶん、大丈夫だろう。

「……よし」

 これからどう立ち回るかべきかは、もう少し様子を見てから決めた方が良いとは思う。それに、折角魚人たちに存在を気付かれていないのであれば、それは最大限生かすべきだ。
 海岸沿いに歩いて行けば、さっきの所までは戻れるだろう。最初の目的地をメリー号に設定して、アーロンパークを後にした。


 *


 道中魚人に遭遇することも無く、難なく辿り着いたメリー号。まずはダイニングの様子を見れば、隅の方にこの前から置きっぱなしにしていた、あたしの木箱がひとつ。何かあった時にすぐ出せるようにと、特に鍵なんかは掛けていない。
 少しずれていた蓋をどければ、見慣れたフルートが一本。手に取ってくるりと一周、バトンのように回してみる。いつも通りに手に馴染むそれに、特に違和感はない。

「………」

 フルートを左手に持ったまま、次に目指すは女部屋。すんなりと開いた扉の内は、いつも以上に奇麗に片付いていた。
 無くなっているのは、ソファー横にあったナミの宝箱、デスク周りの小物に、本棚にあった十数冊の本、クローゼットの中の洋服類。逆に言ったらそれだけだ。
 いくつかの木箱に纏めてあるあたしの荷物は、ものの見事に手つかずだった。

「やっぱり……」

 積み重ねている最上段の蓋を開ければ、未加工品が主とはいえ、世の中一般で言う“宝石”の類もたくさんある。その下を開ければ、楽器だって、蓄え用のお金だって、金目のものは割とある。
 徹底して『海賊専門の泥棒』に拘るナミ。海賊嫌いを言葉の端々に出していたナミ。アーロンの隣で冷たい目をしていた彼女と、船の上で明るく笑いながら、時折顔を顰めてそれを口にしていた彼女。
 ――何が真実か、なんて、それだけの材料で分かる事ではないけれど。

(そこが分からないと、どうしようも無い気はするな)

 ルフィの望みは、ナミを連れ戻すこと。それを達成しない限り、この船はローグタウンへは辿り着かない。
 あたしの望みは、ひとまずは、ローグタウンで“彼”と再会すること。それからの事はひとまず置いておくにしろ、現状そこに到達するには、ルフィ達と一緒にナミを連れ戻すのが最短ルートだ。
 他所の事情に首は突っ込まない。そんな自分ルールはとっくに破っている。だったらもう、徹底的にやるしかない。

(連れ戻す、の大前提は、ここを拠点にしないとなんだけど……ナミの今の拠点は……)

 物の少なくなった部屋を見渡して考える。これだけ私物が無くなっているという事は、この島なり、アーロンパークなりが彼女の“拠点”と見ていいはず。
 さっきのナミに感じた引っ掛かりを信じるなら、おそらく答えは前者。自分の勘は割と信用している。

「村があるって言ってたっけ……」

 船が魚人に奪われる少し前の、ジョニーの言葉を思い出す。ココヤシ村から少し離れている。確か彼はそう言っていた。
 魚人に支配されている村と、魚人海賊団の幹部。確かに、村の正面に堂々と船を停めようとは思わないだろう。訊ね方は気を付けないといけないけれど、何かしらの情報は掴めるかもしれない。

「よし」

 次の目的地が決まったところで、積み上げた木箱の山に視線を戻す。近々で使えそうな物だけ回収したら、ココヤシ村に行ってみよう。


 *


 メリー号から降りて真っ直ぐ進めば、みかん畑の中に民家が一件。辺りをぐるりと一周してみたけれど、村の外れと思しきそこに人影は無い。
 船から様子を見た限り、確か西側に住居が集中していたはず。分かり易い一本道を数分歩けば、家々が立ち並ぶ大通りに辿り着いた。

(……?)

 人の気配が無いわけではないそこは、まるで息を潜めているかのように静まり返っている。こつり、こつり、あたしの靴音だけが反響する住宅街に、明らかにおかしい家がひとつ。

「なにこれ……」

 二階建ての一軒家が、まるで持ち上げて投げ飛ばされたかのように、奇麗に横倒しになっている。人間業でも天変地異でも無いそれは、ここを支配しているという魚人の仕業だろうか。そう考えれば、この静けさにも納得がいく。
 誰かに話を聞こうにも、この様子じゃそれも難しそうだ。どうしたもんかなと通りをもう一往復していたら、村の端に見覚えのある人影が現れた。

「あ、ゾロ」
「おう、お前も抜け出してたか」
「うん」

 村の様子を見渡す緑頭に駆け寄ってみれば、気付いた彼が軽く手を挙げた。いつの間に調達したのか見慣れないシャツに袖を通して、平然と立って歩いている。腹部を覆う包帯は相変わらず痛々しいけど、血が滲んでいる様子はない。

「ナミが逃がしてくれた?」
「……てめェで牢屋入れた癖にな」

 単刀直入に問えば、ゾロは微妙な表情を浮かべつつも肯定の言葉を返す。彼は小さく鼻を鳴らすと、それより、と前置きして言葉を続けた。

「ウソップ見てねェか? この辺りに来てるらしいんだが」
「見てないね……というかこの村、人影ひとつ見当たらなくて」
「へェ……魚人共は?」
「魚人も見てないけど、魚人にやられたっぽい家ならあったよ」

 さっき見つけた横倒しの家を示せば、ゾロはふうんと相槌をひとつ。

「やっぱさっきの奴らは雑魚か……」
「もうやり合ったの?」
「まァ、軽くな」

 なんでもない事のように答えて、ゾロはわずかに眉根を寄せる。姿の見えないウソップの事を案じているのか、表情がやや陰る。
 横倒しの家を見上げたまま足を止めていると、かさり、背後で人の動く気配がした。

「さて……どうすっか」
「君達、旅の人かい?」

 警戒するまでもない控えめなそれに振り返れば、おっかなびっくり声を掛けてきたおじさんが一人。その人を皮切りにして、村のあちこちで潜められていた気配がじわじわと緊張を解き始める。さて、これでようやく情報収集ができるかな。

「はい。ちょっと人を探してて」
「もしかして、鼻の長い青年か!?」
「おう、そいつだ。どこ行ったか知らねェか?」

 いきなり当たりを引いて、思わずゾロと顔を見合わせる。
 おじさんがその後続けた言葉は、更に予想外のものだった。

「おそらく、アーロンパークだ」
「何!?」
「さっき彼は、うちの駐在が危ないところを助けてくれたんだ。しかしそのせいで、魚人たちに目を付けられて、さっき捕まって連れてかれる所を……」
「くそ!! すれ違った!!」
「あっ、おい、君! 魚人に喧嘩を売ったら……」
「教えてくれてありがとう、大丈夫だから」

 行先を聞くやいなや、ゾロは元来た方へぱっと踵を返す。魚人に喧嘩を売ったら危ないんだとしたら、まさに危険が迫ってるのはウソップの方だ。
 おじさんの制止の声に軽く手をあげつつ、あたしもゾロの背中を追った。




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