Le ciel croche | ナノ

 男三人の協議の結果、ヨサクが一人バラティエに戻って行った。
 それから、船を走らせて約一日。目を覚ましたゾロがすっくと起き上がって全員を驚かせ、事の顛末を説明しているうちに、進行方向に小さく陸地が見えてきた。
 進路に間違いがなければ、あれがコノミ諸島。アーロンが支配する諸島群。ナミとアーロンに因縁があると仮定すると、彼女はおそらくアーロン一味の本拠地近くまで行くだろう。諸島の中でも、目指すべきは中央部にあるらしい“アーロンパーク”だ。
 重症人にも進路にも心配が無くなったところで、交替で船内で休みつつ陸地を目指す。ウソップと代わって船内唯一の小部屋に入って扉を閉めれば、思わず小さな溜息が漏れた。

(“あのひとたち”以外にも、あんなに丈夫な人もいるんだなあ……)

 久しぶりに一人になったところで、さあっと脳裏にここまでの騒動が蘇る。小部屋の隅に腰を下ろして、背中を預けて目を瞑った。
 生死を彷徨ったとは思えない調子で平然としているゾロ。ルフィやサンジが戦力になる状態かは分からない。そう言った一日前の自分も、これを見ると自分で否定せざるを得ない。ぴんぴんした状態で合流する未来が容易に思い描ける。
 彼らは、無敵と言うほど強いわけじゃない。だけど、決して弱くもない。戦いの中でめきめきと力を伸ばしていくタイプだ。……それはきっと、“偉大なる航路”に出てからも。
 純粋な驚きに混ざる期待にも似た何か。半分夢を見ていたような心地がして、眠気覚ましとばかりにぱちりと瞼を上げた。

(……あ)

 左手首に微かな熱を感じて、アームカバーを捲り上げる。そういえば、あの時使ってから、碌に様子も見ていなかった。下を向いていたバングルを半回転。石の嵌まる側を上に向けてみれば、そこには予想通りの結果が顔を出していた。

「あー……やっぱり割れちゃったか」

 台座に嵌まる赤い宝石。楕円形だったラクリマ・マレは、薄暗い室内でも、増えてしまった断面をきらきらと煌めかせる。半円の片割れを摘んで持ち上げれば、細かい欠片がさらさらと散った。
 爪先ほどの大きさのそれを、くるくると回して全方向から漏れなく観察する。敢えて割ったような奇麗な断面。その周りは所々細かく砕けているけれど、研磨すれば再利用できそうだ。
 腰の鞄から小袋を取り出して中に仕舞う。もうひとつの方の欠片を手にすれば、いつもと違う色が僅かに覗いていた。

(……?)

 底面にうっすらと残る焼け焦げたような跡。指で擦ってみれば、ぽろぽろと剥がれて落ちていく。
 少し擦れば、あっという間に曇りも混ざりもないつるつるの赤色に戻る。それはひとまず小袋に入れて、バングルの受け皿の方を確認する。

「……なんだろう、これ」

 受け皿に残るのは、やっぱり焼け焦げたような赤黒い欠片。嫌な予感と言うほどではないけれど、良いものでもない事は直感的に分かる。
 ……ローグタウンで会ったら聞いてみよう。ひとまず今は考えるのをやめて、別の小袋にしまっておいた。

「つ……!! つ!! 着きましたっ!!」
「あそこに本当にナミがいんのかァ!?」

 全ての欠片を仕舞い終えたとき、扉の外から緊張感に満ちた声が届く。この怯えようは、アーロンパークの真ん前にでも着いてしまったのか。
 休憩代わった時には、まだ上陸する島がどれだか分からない程度だったのに。寝ちゃってたつもりはなかったけど、体感時間よりも休ませて貰ってしまったらしい。

「着きましたが……問題はこれからっす。まずナミの姉貴がどこに船をつけたかを……」
「斬り込むか?」
「ん何でそうなるんすか!!」
「アホかてめェ!!!! まだ何の手掛かりもつかんでねェんだぞ!!!!」

 あれだけの怪我をしたのに早速戦闘する気満々のゾロに、ウソップとジョニーが全力で突っ込んだ。
 元気そうな応酬を軽く聞き流しつつ、バングルの受け皿を軽く拭いて、この形に削り出してあるラクリマ・マレを鞄から手早く探す。ターコイズ、トルマリン、アメジストにペリドット。指先に触れる石それぞれの特性を思い描いてみるけど、まだ上手く使えないものも多い。考えは一周回って、やっぱり前と同じガーネットを選んで嵌めた。
 かちり、台座に吸い付くように嵌まった石をひと撫でして、アームカバーを下ろす。広げた鞄の中身を片付けていると、扉越しにどしんと重い音が響いた。

「?」
「なっ、何しやがる!!!!」

 続いて聞こえたのはゾロの怒声と、ばたばたと忙しない足音が一人分。ちらりと小窓から見えたジョニーの姿は、すぐに消えてまた現れて消えて。どうやら、小部屋の周りを走っているらしい。
 四度目に通り過ぎていった彼を見送って、流石におかしいと思って立ち上がる。扉上部の窓から外の様子を窺ってみれば、見えたのはウソップの後頭部だけ。小窓の方から見てみれば、ジョニーが屈んでなにやら作業している。

「ねえ、どうし……」
「あった!!!! 見つけたぞ!! ゴーイングメリー号だ!! あんなとこに停めてやがる!!」
「おい、てめェらどういうつもりだ、縄をほどけ!!」
「確かにおかしな所に停まってるっすね。ここにある“ココヤシ村”から少しずれてる」
「ほどけ!!」

 口に出しかけた問いかけへの答えは、尋ねるより先に聞こえてきた。
 もう一度扉の方から覗いてみれば、扉の前から離れたウソップの目線の先に羊船が見えた。そのまま視線を下にやれば、ゾロの頭が揺れている。
 ……なるほど、何となく分かった気がする。試しに扉を軽く押してみたけど、びくともしない。
 その代わり、背中に感じた振動で、ゾロが小さく呻き声を上げた。

「……おい、お前ら、中に一人居ンの忘れてるだろ」
「「!!!!」」

 ゾロの言葉に、ウソップとジョニーは揃って扉上部の窓にぺたりと顔を寄せた。

「ああああ! すいやせんニーナの姉貴!! 違うんです!!!!」
「べっ、べべべ別に忘れてた訳じゃねェぞ?」

 揃ってだらだらと冷や汗を流す二人は、顔色とは裏腹な言葉であわあわと弁解する。まあでも、経緯も理由もだいたい分かるし、物音も立てずにぼーっと休んでいたあたしも悪い。
 やがてきりりと表情を整えたウソップは、大真面目な顔でメリー号の方を指差して見せた。

「落ち着いた停泊の為には必要な措置なんだ。今から安全な場所に船を停める。着いたら開けるから暫く待っててくれ」
「う、うん……」
「何が必要な措置だ! ほどけっつってんだろ!!」
「無理すんな、叫ぶだけで気絶しそうなくせに!!」
「…………!!!!」

 ウソップが動けないゾロの腹部をばしばしと叩けば、ゾロは声にならない悲鳴を噛み殺す。

「お前、死にかけたんだぞ? ここは一つおれにど――んと任しとけ、あの女はおれが連れ戻してやるよ!!」
「アーロンパークじゃないとわかったら元気なんすね」

 声も高らかに頼もしく宣言したウソップは、再びびしりとメリー号を指差した。

「お――もか――じい――っぱ――い!!!! ゴーイングメリー号へ船をつけろ――っ!!」
「へ――い」
「よ――し! この秘境の地に足を踏み入れんとするおれの勇姿に、『男ウソップ大冒険』と題をつけよう!!」
「へ――い」

 外から聞こえてくるのは、上機嫌なウソップの声と、単調に答えるジョニーの声だけ。ゾロは諦めたのか流石に疲れたのか、だんまりを決め込んでいる。
 これだけ大人しくせざるを得ないとなれば、ウソップの言う通り、落ち着いて船を止められるだろう。あたしも無理に押し開ける事もないか。外に出るのは諦めて、扉の傍に腰を下ろす。
 ……と、そんな時、彼らの声が不自然にぴたりと止んだ。

「ぜんそくぜんしーん」
「へ――い」
「何通り過ぎてんだよ!!」
「「し――――――っ!!」」

 声を出すのも辛いはずのゾロの盛大な突っ込みに、さっきよりも更に焦った二重奏が被さる。

「今見たか!? 魚人がいたぞ、アーロン一味だ、見たろ!? 恐ェんだよ悪ィかよコラ!!」
「お前がキレんな」
「ダメだ……この辺一帯、マジでアーロンに支配されてるようっす。どうします、ウソップのアニキ!」
「よし、ナミは連れ戻せなかったということで……」
「おれの縄をほどけ、バカ!!」

 見回りの魚人でも居たんだろうか。見ていないあたしには何とも言えないけど、ウソップとジョニーの怯えようは扉越しにも伝わってくる。
 ……ただ、もしその魚人が本当に“見回り役”だとしたら、まずいんじゃないかな。

「何だあの船は、見かけねェ船だ!!」
「ゲ!!!!」

 案の定届いたのは、穏やかでない聞き慣れない声。腰に吊った鞄をもう一度確認して、すぐ出せるところに仕込みピッコロを構えておく。
 本当に魚人相手にやり合わないといけないなら、“あっち”の方が良かった。けれど残念、それはすぐそこのメリー号の中だ。……ナミが持って行っていないとすれば。
 息を潜めて外の様子を窺えば、ウソップとジョニーの選んだ行動は薄情なものだった。

「脱出!!!!」
「御意っ」
「ちょっと待てお前らァ!!!! せめて縄をほどいていけェ!!!!」
「………」

 ばしゃん、ぼしゃん、二つ響いた鈍い音を聞くまでも無い。ゾロの全力の怒声から逃げるように遠ざかっていく二人分の気配。
 ――さて、状況は更に悪くなったみたいだけど、どうしようか。手元のピッコロを見て、開かない扉を見て、その裏側に声を掛けてみる。

「ねえ、何とかちょっとくらいは開かない? 刃物あるから、内側から切るよ」
「いや……いい。とりあえず黙って身ィ潜めてろ」
「……わかった」

 アレグラ島の時といい、今といい。意外とフェミニストなのか、自分のペースでやりたいだけなのか。暗に言い渡された結論は手出し不要。怪我の具合は気にならなくはないけど、敢えて反論する事も無いから、大人しく指示に従っておく。

「へへへっ、追いついたぜ」
「………」
「止まれ止まれェ」
「何だコイツ、一人か……?」
「さてはどっかから島流しにでもあったな?」
「……あァ、まァな……」
「なるほど、こりゃ拷問で受けたケガか……」

 近付いて来た三つ分の気配は、ざばざばと音を立てつつ船に乗り込んできた。ゾロは動けないし、あたしには気付いていないようだし、ひとまず彼らに殺気は感じられない。どちらかと言うと、油断しきっている。

(というか、むしろ……)
(アイツら、ブッ殺してやる……!!)

 だだ漏れている殺気の出所は扉のすぐ裏側。額に青筋を立てている様子が目に浮かぶ。
 乗り込んできた三人は、それにはおそらく気付いていない。いつものゾロどころか、きっとあたしでも纏めて何とかできるレベルの相手。そこまでは判断しつつ、気配を消すに徹しておく。

「よし、とりあえず、アーロンさんとこにつれてくか……!!」

 魚人たちが船の操舵に手を出したのか、ぐらりと床が大きく揺れた。
 その物言いを聞くに、結局避けたはずのアーロンパークに正面切って向かうことになったらしい。ゾロがどう出るか、あたしが見つかるかどうか、ナミが居るかどうか。息を潜めつつ、いろんな可能性と動くパターンをシミュレートしておく。

(とはいえ……ルフィ達も来るだろうし、なんだかんだウソップ達もそれぞれ動くだろうし……)

 予測しづらいもののオンパレードに、思わず内心苦笑が漏れる。
 それなのに、相変わらず差し迫った危機感を覚えていない辺り、あたしの危険回避力はどこに行ってしまったのか。なんとかなるかと思う自分に若干呆れつつ、船室の壁に背中を預けた。


 * * *


 早々に船を離脱したウソップとジョニーは、海面から顔を出しつつ、進行方向を変えた船を見送っていた。

「許せゾロ、お前は実に勇敢だったとルフィには言っておく」
「なんて運の悪ィ人だ……アニキのことは忘れねェよ……!!」

 胸に手を当て目礼するウソップも、うっうっと嗚咽を漏らすジョニーも、自分たちの行動はすっかり棚に上げている。
 それでも、遠ざかっていく船を眺めつつ、ウソップは思い出したかのようにぽつりと呟いた。

「しかし……ニーナにゃ悪ィことしたな……大丈夫かなあいつ……見た目よりは強ェみたいだけど」
「……肝の据わったお人だ、何とかするでしょう……」
「「………」」

 自分たちの身を護るためにとゾロを縛り付けた結果、密室に閉じ込めてしまったもう一人の同行者。非常時に誰よりも落ち着き払っていた様子ばかりが印象に残るものの、彼らはニーナがどの程度戦えるのかを知らない。
 結果だけ見れば、若い女一人見捨てて尻尾を巻いて逃げてしまったようなもの。なんとなく残った後味の悪さに、男二人は暫し無言で顔を見合わせた。




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