Le ciel croche | ナノ

「このバツ印がバラティエです。ナミの姉貴は、北西に向かっていったから……」
「単純に考えると、このあたりの島を目指してるってことだよなあ……」

 バラティエを離れたヨサクとジョニーの船。出発地点もそろそろ豆粒大にしか見えなくなってきて、辺りは一面大海原。勿論メリー号の姿なんて影も形も無くて、視認できる目印は何もない。
 進路を見ているヨサクとウソップは、海図とコンパスを引っ張り出してきてにらめっこ。船の性能も航海士の腕も段違いだから、方角が分かるうちに目途を立てておいた方がいい。
 とはいえ、手掛かりが全く無い訳じゃなさそうだし、そっちは二人に任せて目の前の重傷人に集中する。

「クソッ……いつまで経ってもじわじわ出てきちまう……」
「………」

 舌打ちするジョニーの手元では、可能な応急処置はし尽くしたゾロの腹部から、未だに血が滲んでいる。替えても替えても赤く染まる包帯に、ジョニーの焦りが募っていく。
 これだけの大怪我をした割には、顔色は蒼白という訳でも無い。呼吸も多少荒いけど一応安定している。驚くべき生命力としか言いようがない。
 それでも、出血量から考えれば、油断できない状況は続いていると見た方がいい。医者も居ないんだから輸血もできない。これ以上血を失う訳にはいかないのに、現状“一般的に”打てる手を尽くした彼が、焦燥に駆られるのも仕方ない。
 だけど、あたしは。

(打てる手はぜんぶ打つから、なんて)

 無意識で出た台詞というのは、気付いていない内心を露呈する。
 普段だったら、絶対にやらない手がひとつ。あの時頭を過ぎったわけじゃない。けど、今なら容易に思い付く。左腕のアームカバーの下で、バングルに嵌めたラクリマ・マレが出番を待つかのようにじわりと熱を持った。
 ――そう、あたしなら、まだひとつ。他の三人には打てない手が打てる。

(“これ”なら、そんなに凄く目立つわけでも無いし……)

 内心で誰に宛てるでも無い言い訳を始めているあたり、もう腹は決まっている。敢えて言うなら“彼”にかな。でもきっと、言ったところで「そうか」って少しだけ嬉しそうに笑うだけだと思うけど。
 脳裏を過ぎった懐かしい笑顔に背中を押されてか、呼び掛けはすんなりと口を突いて出た。

「……ねえ、ジョニー」
「はい?」
「もうひとつ、やれる処置があるんだ。一回包帯取ってもいいかな」
「え? ええ……」

 ゾロの腹部から目を離さないままに告げれば、ジョニーはわずかに疑問の色が残る声を返しながらも、てきぱきと包帯を取るのを手伝ってくれた。
 全ての包帯を取り払ったそこには、やっぱりじわじわと赤が侵食してくる。

「大き目のタオル、何枚かびしょびしょに濡らして来て貰っていい?」
「はい!」

 迷いの消えた返事を残して、ジョニーはさっと立ち上がると船室に駆け込んだ。ウソップとヨサクは、船の進行方向と海図とコンパスの間で視線を行ったり来たり。
 誰もこちらを見ていないことを確認して、手袋とアームカバーの間に指を突っ込んで捲り上げる。バングルの石の嵌まる面を下に向けて、軽く瞼を降ろして深呼吸を一回。開いた目でちらりとゾロの顔を見て、眠っているのを確認して。もいちど周囲を見回してから、血の滲む腹部に向き直った。

「………っ」

 手首の下から、ちかっと一回赤い光が瞬く。直後、くぐもった音を立ててぶわりと広がった熱に、幸い誰も気付かない。ゾロが少し苦しげな呻き声を漏らしたけど、内心で謝りを入れるに止めた。
 アームカバーを戻していると、じりじりと血と肉の焼ける匂いが鼻先を掠める。瞼を降ろしてゆっくり深呼吸してみれば、耳元のピアスがしゃらりと揺れる程度の冷たい風が、船上を吹き抜けて行く。
 もう一度患部に視線を戻せば、思い描いた通りの結果がそこにあった。

「ニーナの姉貴、持って来やした……って、どうしたんですかそれ!」
「ああ、丁度良かった。貸して、すぐ冷やさなきゃ」
「はっ、はいいっ!」
「なんだ?」
「どうしやした?」

 良いタイミングで戻ってきたジョニーが、あたしとゾロを見比べて声をひっくり返した。それにつられてウソップとヨサクも振り返る。
 ここで注目が集まるのは想定の範囲内。最初から用意しておいた言い訳を、何でもない顔して口にする。

「……傷が広範囲すぎて血が止まらなかったから、ちょっと細工したバーナーで炙ったんだ。普通はやらない荒療治だけど、あのままにしておくよりはマシなはずだから」
「あ、炙っ……」
「でも、今度は火傷の方も気にしなきゃ。体温下がりすぎない程度に冷やすの」
「おま……やるなァ……」
「かっ……可愛い顔して……おれらよりよっぽど肝据わってるよな、ニーナの姉貴……」
「ああ、だから姉貴と呼ばざるを得ない……」

 あんぐりと口を開けるジョニーから濡れタオルを受け取って、焼いた部分にばさばさと被せる。水が滴ってるくらいが丁度良い。しばらくは定期的に上から水を掛け続けた方がよさそうだ。
 三人はひたすら感嘆の声を漏らすばかりで、何でどうやっただの細かい事は聞いてこない。それにひっそりと安堵しつつ、まだ少し熱の残る“バーナー”をアームカバーの上から軽く抑えた。
 当のゾロはというと、最初は表情を歪めていたけど、今は静かに寝息を立てている。ヨサクがその横顔を一瞥して、小さく息を吐いた。

「……ゾロのアニキも何とか落ち着いてきたところで、進路の話をしてもいいですか」

 そう前置きした彼が海図を広げて見せる。左下の方にバツ印がひとつ。

「ナミの姉貴が向かったのは、ここ、バラティエから北西方向。その情報だけだと目的地は絞れないんですが、もうひとつ、手掛かりがあるんです」

 ヨサクは一旦海図を床に置くと、懐から別の紙を取り出した。
 上半分に写真、下半分に文字が書かれているそれは見覚えのある書式。デッドオアアライブ――生死問わず。肌の色といい特徴的な鼻と言い、この二千万の首は人間ではない。

「アーロン……魚人か?」
「ええ」

 ウソップの漏らした呟きに頷くと、ヨサクはあたしを見た。

「さっきニーナの姉貴が言った通り、確かにナミの姉貴は、この手配書を見てから様子がおかしかった」
「うん」
「アニキ達がレストランに入った後も、これをぼーっと眺めてたんです。それを見たあっしらが、アーロンが最近また暴れ出したらしいって話をした直後、船を奪って行った。偶然とは思えねェ」
「何か因縁でもあるってことか……?」

 考え込むウソップの顔色は、ゾロと同じくらい宜しくない。
 それに同じような表情でうんうんと頷いて、ヨサクはペンを手に取ると、バツ印から斜め上方に矢印を描く。

「それを合わせて考えると、ここが怪しい。コノミ諸島。アーロンの一味が支配する土地です」
「確かに、ここから丁度北西だね」
「ああ……」

 ウソップが握っていたコンパスを見れば、船の舳先は綺麗に北西を向いている。
 ――目的地は定まった。掛かるであろう時間は、推定一日二日といったところ。他所の事情に思いっきり頭を突っ込む事は確実だし、場合によっては戦闘もあり得るだろう。だったらいっそ、徹底的に付き合おう。手荷物はかなり限られているけど、準備だけはしっかりしておかないと。
 よし、と軽く気合を入れたところで、三人が揃ってぎぎぎとこちらを向いた。

「よし、じゃねェよ! なんでお前そんなに動じねェんだよニーナ!!」
「ほんとですよ! 危機感無さすぎて、あっしらがおかしいのかと思うくらいに!!」
「ここはマジで洒落にならねェくらいおっかねェトコなんですよ!!!?」
「え? うーん……」

 ぎゃんぎゃんと三方向から浴びせられる主張。この中で唯一同じ方向からの意見を述べてくれそうなゾロは、当然ながら未だ目覚める様子は無い。
 どうしたもんかな、と思いつつ、ルフィとの別れの時を思い返す。

「ナミを連れ戻す、って約束したじゃない。目的地が分かったんだから、あとはどこであれ行くだけでしょ?」

 とりあえず、浮かんだ言葉をそのまま素直に口にすれば、三人は揃って頭を抱えた。

「クソッ!! 正論すぎる!!!!」
「漢前!! びっくりするほど!!!!」
「姉貴っつーか兄貴だ!! 心意気が!!!!」
「アニキ!」
「ニーナのアニキ!」
「それはやだな」

 天を仰ぎ床に蹲りと、全力で百面相に忙しい三人。思わずぷっと笑いを零せば、彼らは三人同時に動きを止める。

「……だめだ、おれらも腹を括らねェと」
「ああ」
「ひとまず、目的地は分かったんだ。後から追っかけて来る、ルフィのアニキにも伝えねェと」
「そうだな」
「……誰が行く?」

 頭を突き合わせて相談する三人。ジョニーの問いかけに、またしても訪れる沈黙。
 お互いの様子を窺うような素振りを見せた後、三人は奇麗に声を揃えた。

「「「おれが!!!!」」」

 そこから始まる応酬は、さっきまでの空気が嘘のような喧しさ。不協和音のようでいて不思議と調和しているそれをBGMにしつつ、ゾロの腹部に追加の水を掛ける。

「いやいやおかしいだろお前進路見ろよヨサク!」
「進路分かってる奴が行くべきでしょう!!」
「進路分かってる奴は先に着くこの船を先導しろよ!!!!」
「……ねえ、ルフィとサンジが戦力になる状態かどうかは、行ってみるまで分からないと思うよ?」
「「「………」」」

 処置の手は止めずに、言い合いの原因とおぼしき点に疑問を唱えてみれば、それは見事にぴたりと鳴りやんだ。




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