Le ciel croche | ナノ

 ――どうして、こんな事になっているんだろう。

「ウソだろう兄貴!!!! 本気を出してくれ!!!!」
「アニキィ!!!!」
「なんと凶暴な剣か…………」

 真っ二つになった巨大ガレオン船と、突然現れた“鷹の目のミホーク”。それだけでも十分すぎるほど予想不可能な出来事なのに、現実は更にその斜め上をいった。
 まさか、ゾロがそのミホークに、無謀にも勝負を挑もうとは。彼が本気で戦っている所は見たことがないけれど、この差が分からない程度の実力だとも思えない。
 初めて見る三刀流の構えは、両手に一本ずつ、口元に更に一本。そんな彼に対して、ミホークが手にしたのは果物ナイフのような小刀ひとつ。それはそのまま等しく彼らの距離。
 怒涛の攻撃も赤子の手を捻るように止められ流され、ゾロのプライドはおそらくズタズタ。目に見えて荒くなる太刀筋は、ただでさえ遠い二人の距離を更に突き放す。
 それでも心が折れないのは、素直に凄いと思う。だけど。

「何を背負う。強さの果てに何を望む。弱き者よ……」
「!」
「アニキが弱ェだと、このバッテン野郎ォ!!!!」
「てめェ、思い知らせてやる、その人は……」
「やめろ、手ェ出すな、ヨサク!! ジョニー!!」

 ミホークの言葉に激高したのは、本人よりもこちら側の二人だった。
 得物片手に今にも船から飛び出して行きそうな彼らを、ルフィは両手でがしりと止める。それでもなおその腕を振り切りそうな二人は、その手で船に頭を抑えつけられた。

「ちゃんとガマンしろ……!!!!」
「ルフィ……」

 そう言うルフィが、誰より一番我慢しているように見える。食いしばられた歯がギリギリと音を立てた。
 本気の勝負に横槍を入れるなんて、理由が何であれ無粋な事には変わりない。それは分かる。
 自分が信じるものを侮辱されて、力で捻じ伏せたくなる程の怒りを覚える。それも、一応、分からなくはない。……分からないのは。

(なんで、そこまで)

 ミホークに弾き飛ばされたゾロは、がばりと身体を起こすと今までとは違う構えを見せた。戦意は全く削がれていない。
 左上段に構えた二本の刀は、果たしてミホークに届くのか。

「虎……狩り!!!!」
「!」

 ――振り下ろされた彼の刀は、不自然に動きを止めた。

「アニギィ〜〜〜っ!!!!」
「……!!!!」

 ミホークの右手がゾロの胸元に真っ直ぐに伸びる。その手の先に握られた小刀は、噴き出す血に塗れて赤々と染まった。
 身体の中心を正確に突いたそれは、急所は敢えて外している。そこまで気の付く余裕などないヨサクとジョニーは悲壮な声をあげ、ルフィは折れるか欠けるかするんじゃないかと思うほどに歯を食いしばる。
 プラスの情報とはいえ、この状況で口を挟めるはずもない。黙って様子を見守っていると、何かに気付いた様子のミホークが口を開いた。

「このまま心臓を貫かれたいか。なぜ退かん」
「さァね……わからねェ……ここを一歩でも退いちまったら、何か大事な今までの誓いとか約束とか……いろんなモンがへし折れて、もう二度とこの場所へ帰って来れねェような気がする」
「そう、それが敗北だ」
「へへっ……じゃ、なおさら退けねェな」
「死んでもか………」
「死んだ方がマシだ」
(敗ける事よりも……?)

 迷いなく言い切られたその言葉に、背筋をぞくりと冷たいものが走る。
 力を失わない眼光を正面から受けて、ミホークは小刀を引き抜いた。

「小僧……名乗ってみよ」
「ロロノア・ゾロ」
「憶えておく。久しく見ぬ“強き者”よ。そして剣士たる礼儀をもって、世界最強のこの黒刀で沈めてやる」

 先刻、殺気を振り撒き挑んできたゾロをうさぎと評した最強の剣士。その彼のゾロを見る眼が、明らかに変わった。
 背負っていた巨大な刀を抜いたミホークは、初めて自ら間合いを詰める。

「散れ!!!!」
「……!!!!」
「アニキ、もういい、やめてくれェ――っ!!!!」

 構えるゾロと、迫るミホーク。数秒後の惨状を脳裏に描いて、ジョニーは頭を抱え、ヨサクは眼前で祈るように手を組む。
 一秒たりとも見逃さないとばかりに目を見開くルフィと、おっかなびっくり薄っすら半目を開くウソップ。彼らの見守る中、ゾロは最後の技を繰り出すべく、二本の刀を風車のように回す。

「三刀流奥義!!!!」
「!」
「三・千・世・界!!!!」

 擦れ違った彼らの間に飛び散るのは、眼に見える無数の斬撃。その中に、ゾロが手にしていた刀の欠片が、はらはらと儚く散っていく。
 それは、決定的な敗北の証。ゾロは残った一本を鞘に納めると、あろうことか両手を広げてミホークに向き直った。流石のミホークも、怪訝な顔を隠せない。

「何を……」
「背中の傷は、剣士の恥だ」
「見事」

 笑顔すら浮かべて言うゾロに、ミホークはにっと口角を上げた。彼の想いに応えるように、ずばっと一閃。さっきの胸の傷ごと、その上から容赦なく袈裟懸けに斬りつける。

「ゾロォ――っ!!!! うわああああああ!!!!」
「ゾロ!!!!」
「アニキ――――ッ!!!!」
「………」
「これが“偉大なる航路”の……世界の力か……!!!!」
「“海賊狩りのゾロ”が、手も足も出せねェなんて……!!!!」
「簡単だろ!!!! 野望捨てるくらい!!!!」

 悲痛な四重唱のバックに、どよめくクリークの一団やコックさん達の声が控えめに混ざる。その中で一際大きく響いたのは、理解できないとばかりに叫ぶサンジの声。
 両手を広げて斬りつけられたゾロは、そのまま後ろ向きに海へと倒れ込む。ぼしゃん、落下音と同時に、ルフィは船から身体を乗り出し、ヨサクとジョニーは海へと飛び込んだ。

「チキショオオ――――ッ!!!!」
「!」

 思い切り伸ばされたゴムの腕は、ミホークの背後の欄干をぱしりと掴む。常人ならあり得ない長さのそれに、ギャラリーのざわめきが大きくなった。
 文字通り弾かれるように、ルフィはミホーク目掛けて一直線に飛んでいく。はらりと落ちた麦わら帽子が海上を舞う。反射的に伸ばしたあたしの手は彼のように伸びはしないけど、届かなくなる前に掴むことはできた。

「うおあああ――っ!!!!」
「あの小僧……!!!! 悪魔の実の能力者だったのか……!!!!」
「若き剣士の仲間か……貴様もまた、よくぞ見届けた……!!!!」

 わずかに身体を動かしたミホークにさらりと避けられて、ルフィは甲板に頭から突っ込んだ。嵌まってしまった頭を力尽くで慌てて抜けば、ごろりと背中から倒れ込む。
 そんな彼の方など見もせずに、ミホークはゾロの落ちた海を眺めながら事も無げに呟いた。

「安心しろ、あの男はまだ生かしてある」
「アニキ!! アニキィ!! 返事してくれ!!!!」
「ゾロ!!!?」

 直後、海から覗いた三つの頭。ヨサクとジョニーに両側から抱えられたゾロがガフッと血を吐いた。つまり、呼吸はできているらしい。敢えて外された致命傷、生かしてあるという言葉。それが目に見える形で現れたことに、知らずと詰まっていた息を小さくついた。
 とはいえ、何の処置もせずに放っておいていい怪我じゃない。男二人の小さな船にだって、何かしら使える物くらいあるだろう。ルフィの帽子を一旦脇に置いて船内に引っ込む。

「おい、早く船に乗せろ!!」

 ウソップの声を背後に聞きつつ、乱雑に積み上げられた木箱を内心詫びを入れつつ開けさせて貰う。水に食料、海図、武器類、手配書の山にお酒の空き瓶。そんな中に時折混ざる使えそうな物を端から引っ掴んで表に戻れば、丁度引き上げられたゾロが大の字に寝かされていた。
 勢いよくこちらを振り返った三人に、傷薬と包帯を掲げて見せる。合点した様子の彼らは、無言で軽く頷いた。

「急げ、キズ薬ブっかけろ!!」
「止血しなきゃ。抑えるよ」
「おう!」
「ちょっと上体起こして保定してくれる?」
「このへんか!?」
「うん。あとこれ勝手に借りたよ」
「構わねェ!! 使ってくれ!!!!」

 大量出血しているゾロと同じくらいに顔色を悪くしている三人は、それでも今出来る事を全力でこなすことに集中している。
 そんな彼らに聞こえているかどうかは分からないけれど、あたしの耳は後ろから聞こえるミホークの声を拾った。あの世界最強の剣士のミホークが、ゾロに向かって声をあげている。正式に名乗り、名を呼び、死ぬなと、強くなれと、待っていると。

「猛ける己が心力挿して、この剣を越えてみよ!!!! このおれを越えてみよ、ロロノア!!!!」
「………」
(鷹の目のミホークに、ここまで言わせるなんて……)
「アニキ!! アニキ返事してくれ!!」

 脳裏に浮かんだ言葉は、そのままバラティエの料理長の口から零れ出た。再びやってきた背筋を走るぞくぞくした感触に、思わず処置の手が一瞬止まる。すぐ隣から聞こえたヨサクとジョニーの叫びにも似た呼び掛けに、はっと気を取り直した。
 ミホークの言葉は今なお続いている。今度の相手はルフィだ。

「小僧、貴様は何を目指す」
「海賊王!」
「ただならぬ険しき道ぞ、このおれを越えることよりもな」
「知らねェよ!! これからなるんだから!!」

 相変わらず、迷いなんて微塵もない。ひとつ、またひとつ。どれだけ見ないふりをしたところで、彼の言葉は、あたしの中にじわじわと着実に積み重なっていく。
 そんな事など知る由もない本人は、ミホークにべーっと舌を出して見せたあと、あたしたちの方に向き直った。

「ウソップ、ニーナ! ゾロは無事か!!!?」
「無事じゃねェよ!! でも生きてる!! 気ィ失ってるだけだ!!」
「大丈夫、打てる手はぜんぶ打つから」
「アニキい」
「アニギ返事してぐれえ〜〜〜っ!!!!」

 ルフィの声に、ちらりと顔を上げてそちらを見やる。答える言葉は、考えるでもなくさらりと口を突いて出た。
 ゾロから目を離したのはほんの僅かな時間。その数拍の間に、弱々しいながらも、気配が動いた。

「え……アニキ……!!!?」
「……!!」
「ゾロ?」
「………」

 力なんて残っていないはずの手で、一本だけ折れずに残った愛刀を握り、天を刺すように掲げる。
 僅かな揺れもなく凛と立った刀の下で、呼吸音が少しだけ大きくなった。

「……ル……ルフィ……? ……聞……コえ……るか?」
「ああ!!」
「不安にさせたかよ……おれが……世界一の剣豪にくらいならねェと……おまえが困るんだよな……!!!!」
「アニキ!! もう喋らねェでくれ!!」
「アニギ!!」

 意識を取り戻した事を喜ぶべきところなのかもしれないけど、言葉の途中に吐き出される血は、未だ予断を許さない状況の証。これは、ヨサクやジョニーじゃなくても、流石に制止すべきかと思うほど。
 ……だけど、彼を止めるどころか、逆にあたしの手の方が止まってしまった。

「おれは、もう!! 二度と敗けねェから!!!! あいつに勝って大剣豪になる日まで、絶対にもう、おれは敗けねェ!!!!」

 どうして、ここまで。そう問いかけるあたしが居る。簡単だろ、野望捨てるくらい。サンジの声が脳裏に響く。そこに重なるように響くルフィの宣言。海賊王になる。
 誰が道に立ち塞がろうと、何に邪魔をされようと、どんな困難があろうとも揺るがぬ決意。

 ――それは、それらは、少し視点を変えれば。
 世界の激流に逆らう、という意味では、もしかしたら、もしかしなくても。


(一緒、なのかな……)

「文句あるか、海賊王!!」
「しししし!! ない!!!!」

 彼の夢は、もう彼だけのものではない。あたしと違うところはそこひとつ。
 理解できないと思っていたものが、なんとなく腑に落ちてしまった。ルフィの満足げな笑い声を聞きながら、すとんと肩の力が抜ける。

「ニーナ?」
「あ、ごめん、大丈夫。次そっちね」
「おう!」

 半ば放心しかけていたあたしを、ウソップが気遣わしげに控えめに呼んだ。血飛沫上がるグロッキーな状況に慣れていないのは、むしろ自分の方だというのに。おそらく彼が想像していたのとは全く違った理由だろうけど、手が止まっていたのは事実だから、軽く詫びて処置を再開する。
 逆にヨサクとジョニーの方は、あたしに応急処置の心得を見たらしい。さっきからきびきびと指示に従ってくれている。ゾロは流石にもうだんまりで、浅い呼吸を繰り返している。
 周りはまた騒がしくなってきたけど、きっとルフィが何とかするだろう。今やるべきは、目の前の瀕死の重傷者を、そのままこちら側に留めることだけ。

 ――思った以上に見事に流されている上に、悪い意味じゃなく『なるようになれ』と思うなんて、きっと一人旅を始めて以来初めてだ。

「ウソップ、ニーナ!! 行ってくれ!!」
「……!! わかった!!」

 いつの間にかバラティエ側に移っていたルフィが、こちらに向かって声をあげる。ルフィの本気も騒動の行方も見てみたかったけど、そうも言ってはいられない。
 行ってくれ、という言葉が意味するのは、なにも重症のゾロを戦場から離すことだけじゃない。そもそもの発端を思い返せば、ウソップがルフィの帽子を右手に掲げた。

「おれ達は必ずナミを連れ戻す!! お前はしっかりコックを仲間に入れとけ!! “6人”ちゃんと揃ったら!! そんときゃ行こうぜ、“偉大なる航路”!!!!」
「!」
「ああ!! 行こう!!!!」

 ウソップの投げた麦わら帽子は、奇麗にルフィの右手に収まった。

 ――彼の数えた“6”の数字が、あたしの中にまたひとつ、くっきり残って積み上がる。




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