Le ciel croche | ナノ

 クリークが去って行ったバラティエで、クリークの部下・ギンから語られた、“偉大なる航路”で彼らを襲った出来事。
 それは自然現象や天変地異の類では無く、一人の男によってもたらされたものだった。

「でも、これでおれの目的は完全に、“偉大なる航路”にしぼられた。あの男はそこにいるんだ!!」
 
 鷹の目のように鋭い目を持つ男。それは間違いなく“鷹の目のミホーク”の事だろう。あたしも人づてに聞いて知っている程度だけど、ミホークに目を付けられたというのなら、相手が悪かったと諦めるほかない。クリークは“東の海最強”なのかもしれないけど、相手は“世界最強”の剣士だ。
 それを聞いて、楽しげに笑う男が一人。ゾロは獲物を見つけた獣の眼で、未だ見ぬ強敵を見据えている。敢えて口を挟む気は更々無いけど、どう考えたってやっぱり無謀だ。
 あたしと同じような事を考えていたのか、無言で聞いていたサンジが小さく嘆息した。

「……ばかじゃねェのか。お前ら、真っ先に死ぬタイプだな」
「!」
「当たってるけどな……バカは余計だ……」
「?」

 サンジの指摘に、今まで怯えていたはずのウソップがカッと目を剥く。恐がりの彼にもプライドはあるらしい。逆に、当のゾロの方は特に声を荒げるでもなく、淡々と持論を口にする。

「剣士として最強を目指すと決めた時から、命なんてとうに捨ててる。このおれをバカと呼んでいいのは、それを決めたおれだけだ」

 ――この感じは、知っている。全部自分たちだけで決めて、一足先に広い世界に出て行った“彼ら”と同じ。

「あ、おれもおれも」
「勿論おれも、男として当然だ」
「お前はウソだろ」
「……けっ、ばかばかしい。レディも船に乗せてるくせに、無責任な奴らだぜ」

 ここ最近、というより、彼らの船に乗ってから、よく昔の事を思い出す。脳裏を過ぎった懐かしい記憶に気を取られていると、ルフィとウソップが便乗して同意の声をあげていた。
 平然と答える三人に、サンジは少し苛立ったように舌打ちをひとつ。言いつつあたしの方に向き直って、深刻な表情を深くした。

「なあお譲さん、店の裏に緊急脱出用の船があるんだ。こんな奴らに付き合って、みすみす危ない目に遭うことねェよ。着いてってやれねェのが悪ィが、今からでも一人で逃げてくれ」
「わざわざありがとう。でもいいの」
「しかし……!」
「ここに居るって決めたのはあたしだし、一応、自分の身は自分で守れるから」
「……っ」

 徹底してフェミニストを貫くサンジは、店の裏口を指し示して必死に訴える。有難いけど無用な心配だ。その気になれば、逃げることはこの身ひとつでいつでもできる。
 やんわりと断りを入れれば、サンジは納得いっていない顔をしつつも、それ以上何も言わなかった。

「………」

 そんな彼の様子を見て、料理長が小さく口角を上げる。その眼差しは、こんな時なのに、何故だかとても暖かい。
 この船のコックさん達と、偶然居合わせたあたし達と。それぞれが出した結論を、事の発端であるらしいギンは茫然とした様子で眺めている。“偉大なる航路”で折れた心では、到底理解できないとでもいうように。

「おいおい!! このノータリン共!! 今のこの状況が理解できてンのか!?」
「!」
「今、店の前に停まってんのは、あの“海賊艦隊”提督、“首領・クリーク”の巨大ガレオン船だぞ!!!!」

 それぞれの決意が固まったところで、妙に落ち着いていた空気を一人のコックさんが強引に壊した。彼の言う通り、店の前には海賊船。今しがた船長が持ち帰った食料で、死に掛けていた部下たちが息を吹き返しているところだろう。

「この東の海で最悪の海賊団の船だ!!!! わかってんのか!? 現実逃避はこの死線を越えてからにしやがれ!!!!」

 クリークは言った。戻ってくると。
 外から聞こえる声が、ひとつ、またひとつ、波紋が広がるようにクレッシェンドが掛かっていく。生気のなかった幽霊船が、気性の荒い海賊船へと戻っていく。
 何度目かのまとまった掛け声は、その声量を保ちながら、ついにこの船に迫ってきた。

「押し寄せてくるぞ、雄叫びが聞こえる!!」
「守り抜くぞ、この船はおれ達のレストランだ!!!!」
「どけどけコック共ォ〜〜〜っ!!!!」

 開いた扉の向こう側に、こちらに飛び移ろうとする人影が見え隠れし始める。待ち構えるコックさん達は、各々調理器具にも似た刃物を構えて臨戦態勢。あたしたちのテーブルに居る男三人は、ひとまず腰を落ち着けたままで成り行きを眺めている。
 そんな時、そう大きくない出入口の向こう側に、予想だにしない光景が浮かび上がった。

「え……!!!?」
「何だ!!!!」
「!?」

 風切り音がズバッと一閃。鎌鼬でも起こったかと思うほどの強風と共に、真っ二つに斬られたのは巨大ガレオン船。見事な断面を晒して宙を舞うそれに、この場の全員が言葉を失う。
 一体なにが起こったというのか。おそらく自然現象ではないにせよ、人間業とも思えないそれは、クリークの船を狙ったのか、こちらにも二撃目があるのか、全く予想もつかない。
 あの船がこれだけ簡単に真っ二つになるなら、メリー号なんてひとたまりもない。思い描いた最悪の結果に、ルフィをはじめとした三人はさっと顔色を悪くする。

「まずいっ! 表の船にナミもヨサクもジョニーも乗ったままだ!!」
「くそっ、もう手遅れかも知れねェぞ!!!!」

 倒れる椅子もそのままに、勢いよく立ち上がると裏口に向かって全力ダッシュ。あたしも一拍遅れて彼らの背を追う。
 裏口の扉の向こうでは、ついさっきまで穏やかだった海が、大型船のバラティエが揺れるほど大きく波打っている。広がる白波の合間には、バシャバシャと水をかく人影がふたつ。

「アニギ〜〜〜!!!!」
「ア〜〜ニギィ〜〜〜っ!!!!」
「ヨサク!! ジョニーッ!! 無事か!! 船は!? 船がないぞ!! ナミはどうした!?」
「それが……ずいばせん、アニキ……!!!! もうここにはいないんです!!」

 こちらに向かって必死に泳ぎつつ、顔面に波を受けつつ彼らは必死に叫ぶ。

「ナミの姉貴は!! 宝全部持って逃げちゃいました!!!!」
「な!!!! 何だとオオオ!!!?」

 彼らの訴えに、男三人は揃って目を丸くする。
 ――律儀なほどに引かれていた予防線が、ついに実体を現した。


 *


「そういうアンバイで逃げられました!!!!」

 海から引っ張り上げられたヨサクとジョニーは、ナミに船から落とされた経緯を話して、床に手を突き揃って頭を下げた。……つまりは、協力解消を宣言して、メリー号まるごと持って行かれたということ。
 ゾロは握った拳で壁を殴り、ウソップは鼻息も荒く唇を噛みしめる。

「くそっ!! あの女!! 最近おとなしくしてると思ったら、油断もスキもねェっ!!!!」
「この非常事態に輪をかけやがって!!!!」
(仕事、かあ……)

 出逢った当初はあたしの荷物を“避難”しておいてくれた彼女だけど、今回はあたしのそれもひとまとめ。避けておける場所なんて無いんだから、当然と言えば当然か。
 それでも、徹底して“海賊限定の仕事”を主張していた彼女のやる事としては、なんだか少ししっくりこない。頭を占めるのは、衝撃でも悔しさでも恨みでもなく、疑問と予感と引っ掛かり。

「待て! まだ船が見えるぞ!!」
「何!?」
「ゴーイングメリー号だ……!!」

 ナミの去った方に目を凝らしていたルフィが、船影を見つけて声をあげた。彼の眺める方を見てみれば、確かにそこには、見覚えのあるシルエットがひとつ。

「ヨサク! ジョニー! お前らの船は!?」
「それは、まだ残ってやすが」
「ゾロ! ウソップ!!」

 未だ正座で反省中の二人に問うルフィは、答えを貰うやいなや、呼んだ二人を勢い良く振り返る。
 内容を聞くまでも無く察したゾロは、呆れ顔でひらひらと片手を振った。

「ほっとけよ、あんな泥棒女追いかけて何になる」
「でも船は大事だろ。あの船は……!!」
「おれは、あいつが航海士じゃなきゃ、いやだ!!!!」
「「!」」

 恨み言の一つも言わず、きっぱりと言い切ったルフィに、ゾロとウソップが僅かに目を瞠る。
 一拍置いて、ゾロが諦めたように大きく嘆息した。

「わかったよ……世話のやける船長だぜ。おい、ウソップ! 行くぞ!!」
「お……おう」
「ニーナ!」

 自分の行動を自分で決めるその前に、ルフィがあたしの名前を呼んだ。
 一人旅において、流されるのは危険への第一歩。極力気を付けてるはずなのに、きっとあたしは今回、結果的にルフィの望む方向に自ら流れることになるんだろう。確信に近い予感に密かに苦笑しつつ、ルフィの方へと向き直る。視線で先を促せば、彼はきゅうっと眉根を寄せた。

「悪ィ! ローグタウン寄るの、ちょっと遅くなっちまうけど……全員揃って絶対行く。だから……」
「……ねえ、ルフィ」

 一瞬開いた間を逃さずに、続くであろう言葉を遮るように口を開く。
 クリークの船が来た時に、彼らが逃げない事を決めた時に、別れる選択肢を取らなかった時点で既にいつものあたしじゃない。どうせなら、自分で言わせて貰った方が、腹を括るには丁度良い。
 全員分の視線を受けているのを感じつつ、引っかかっていた部分を口にする。

「ナミは海賊専門の泥棒でしょ? そこは譲れない、って、プライド持ってるように見えたもの」

 彼らにとっては思わぬ話だったんだろう。ルフィ以外の四人が揃って怪訝な表情になる。それでも誰も口は挟まないから、そのまま話を続けさせてもらう。

「それにね、ジョニーの落とした手配書見たときからかな。なんだか様子がおかしかったでしょ。“今のところ”海賊じゃない、あたしの荷物も持ってったっていうのが、違和感あるっていうか……ちょっと気になるんだよね」

 他船の内情には干渉しない。いろんな船を渡り歩く中で、自分で決めたルールのひとつ。一人旅を始めてから初めて、この船で破ることになりそうだ。
 ……それでも、何度も自問自答しながら選んだ道が、ここに繋がっていたというのなら。

「この状況じゃ他にアテもないし、荷物もできれば回収したいし。あたしも一緒に追いかけるよ」
「ああ……ありがとう!」

 あたしが自ら出した答えに、ルフィはぱあっと満面の笑みを浮かべた。
 続いてゾロとウソップを見やれば、彼らは小さく頷きを返す。わかった、行くぞ。そんな言葉が聞こえてきそうなそれに、あたしも同じように軽く頷いて見せる。
 こちらの会話を聞きつつ船の準備に勤しんでいたヨサクとジョニーは、乗り込んだ船の上からこちらに向かって声をあげた。

「ゾロの兄貴! 船の用意できやした!!」
「ルフィ、お前は!?」
「おれはだめだ。まだ、このレストランで、何のケリもつけてねェから!」
「気をつけろよ。こっちの事態も尋常じゃねェんだ」
「わかってる」
「あいつだァ!!!!」
「!!」

 ルフィ達の会話に割って入った大きな声は、半分沈没しているクリークの船からあがったもの。切羽詰まったその声に、船に乗り込む足を止めて、そちらに視線向けてみる。
 騒ぎの中心にあったのは、“偉大なる航路”どころか、東の海を渡るにも心許ないような、ちいさな一人乗りの変形舟。

「首領クリーク!! あの男です!! 我々の艦隊をつぶした男!!!!」
「ここまで追って来やがったんだ!! おれ達を殺しにきやがった!!!!」 
「まさか……あれが……鷹の目の男……!?」

 ……ゾロの漏らした呟きには、緊張と高揚が入り混じっていた。





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