Le ciel croche | ナノ

「なんだあれ」

 ここ二日間ですっかり見慣れた、辺り一面の青い空と海。そこに異変を見つけたらしいウソップは、見張り台の上で訝しげな声をあげた。

「おい! なんか急に妙な船が!!」
「レストランなんだ、客くらい来るだろ」
「海賊船なんだよ!」
「おれ達だって海賊じゃねェか……」

 あわあわと頼りない足取りで縄梯子を下りてきた彼は顔面蒼白。必死の声を上げつつゾロに訴えるけど、ゾロはあまり興味が無いのか緩くあしらうだけ。ウソップの指差す方を見てみれば、視界の大半を占めるのは大海原ではなく、三階建てのバラティエだ。
 と、そんな時。ふと日差しが陰った気がして、そこから少し視線を上げる。ウソップの言う“妙な海賊船”は、予想外な事にその向こう側にあった。白い帆が大階段を作るその頂上に、ちいさく黒い旗をはためかす海賊船。
 ――でもそれは、掲げる海賊旗が小さいっていうんじゃなくて。

「おっきい船……」
「へェ……」
「なっ、なにあれ!!」
「だから言ったじゃねェかァァァ!!!!」

 メリー号の数倍大きいバラティエの、さらに数倍はありそうな巨大な船体。東の海を転々としてきて、いろんな船を見てきたけど、その中でも間違いなく最大級。刻まれた模様は、骸骨とふたつの砂時計。あれは確か、海賊艦隊“首領・クリーク”の旗印。

「おいっ!! やべェぞ!!!! 逃げたほうがよくねェか!!!?」
「アニキ〜、船を出してくれ! おれ達ァ死にたくねェよ!!!!」

 ウソップはじたばたと落ち着きなく動き回り、ヨサクとジョニーは甲板に寝かされた状態のまま必死の主張を声高に唱える。ナミは柵の間からおっかなびっくり様子を見ていて、ゾロは静かに剣に手を掛ける。
 船首がバラティエの真上に来るほど接近したその船は、ぶつかるかと思われる寸前で動きを止めた。堂々と真正面からやって来たのに、鬨の声も何も聞こえてこないあたり、目的は略奪ではないのだろうか。
 というか、それよりも。

「何であんなにボロボロなんだろ……」

 船首はえぐれ、帆は引き裂かれ、碇はあらぬ方向から自らの船を突き刺す。焼け焦げたような跡と無数の傷は船の全面に至っていて、無事な所を探す方が難しそうだ。
 沈没寸前と言っても過言ではないその船からは、何よりクルーの生気が全く感じられない。太陽が燦々と降り注ぐこの好天候の下で、幽霊船にも似た雰囲気を醸し出している。

「敵襲受けたにしちゃ妙だよな」
「うん……どれだけ凄い嵐でも、こうはならないだろうし……」
「お前らがそんなに冷静な事の方がよっぽど妙だよ!!!!」

 船を一通り観察して浮かんだ感想は、ゾロの口から言葉として零れ落ちた。それに同意の相槌を打てば、ウソップが怯え半分怒り半分の声をあげる。
 動かないメリー号の上でそんなやり取りを続けていても、バラティエから聞こえてくるのは、控えめに抑えられたざわめきだけ。ここからでは、中の様子は窺えない。
 どうしたもんかな、と思いつつバラティエの裏扉を眺めていたら、ふいに客たちの悲鳴が一段大きくなった。

「船に乗り込め!! 巻き込まれるぞォ!!」

 壊さんばかりの勢いで開かれた裏扉から、逃げ惑う人々が雪崩れてくる。メリー号の隣に停泊していた連絡用の客船に、彼らは我先にと乗り込んでいく。
 彼らの顔に浮かぶ恐怖の色を見て取って、ウソップとナミの顔が更に引き攣った。

「おっ始めやがったな」
「お、おい、どうすんだよゾロ!」
「どうするも何も、船長が居なきゃ船は出せねェだろ。ここに居ても埒があかねェし、見に行くか」

 すたすたと甲板を横切るゾロはどこか楽しげ。ヨサクとジョニーは諦めたように上掛けを被って丸くなり、ナミは客船の様子をはらはらと眺めつつも動く気配がない。ウソップはそんな彼らの間で、あわあわと視線を泳がせている。

(………)

 さて、あたしはどうするか。次に取るべき行動を頭の中でシミュレート。最初の二択は、動くか留まるか。
 今のところ、敵の眼の及んでいないメリー号。この様子だと、ルフィを残して出航する事は無いだろうから、ひたすら静かに流れを見守り流れに任せるだけ。
 もしくは、広い足場が確保できて、敵の動きが見渡せるバラティエ。クリークは手段を選ばない冷酷非道な略奪者のイメージが大きい。何を仕掛けてくるか分からないなら、せめて見えるところに居た方がいいとは思う。
 あとは隣の客船か。あれはそこそこ大きいけれど、混乱に包まれた一般人の中というのは、いちばん動きづらいところではある。
 ――選択の基準は、全てが海に沈められたとして、“最終手段”をいちばん目立たず使えるところ。

「あたしも行こうかな」
「ええっ!!!?」

 出した答えを口にすれば、全員の注目が一挙に集まった。

「おおおお前本気かニーナ!!!?」
「大丈夫かニーナの姉貴! あいつァどう見てもやべェぞ!」
「ねえ、その姉貴っていうのやめない……?」
「そうだ、わざわざこっちから近付くこたァ無いぜ!!」
「大丈夫だよ、これでも自分の身を自分で守る位は出来るから」

 がたがた身体を震わす三人からの総突っ込みに苦笑で答える。ゾロはあたしの選択に少しだけ目を瞠ると、ニイッと口角を上げた。
 再びバラティエに向かって歩き始めたゾロの背中を、数歩遅れで追う。無事に手元に戻ればラッキー、くらいの気分で荷物はそのまま。海にトラブルと海賊はつきものなんだから仕方ない。必要最低限のものは、いつでも手元に持っている。

「ふ、船番は任せて下せェ……!」
「気を付けて下さいよ……!」
「………」
「あ〜〜〜クソッ! 仕方ねェ! おれも行く!!」

 すたすたと甲板を横切れば、ヨサクとジョニーの悲壮な声があたしたちを送り出す。それに数拍遅れて、ウソップのヤケクソのような宣言がばたばたという足音と共に追ってきた。首だけで振り返ったゾロがにやりと笑う。元々言葉少なだったナミは、何も言わずにあたしたちを見送った。

 ――後になって思えば、それは最後のサインだったのかもしれない。


 *


 逃げ出す客がすっかり居なくなったレストラン裏口。近付くにつれ大きく聞こえてくる銃声に紛れて、怒声の応酬が続いている。大暴れしているというよりは、何かしらの要求でも突き付けているのだろうか。

「随分重量級だな」
「銃っていうより大砲だね」
「なァなんでお前らそんなに冷静なんだよ」

 一応若干声を落として言うゾロは、銃声の事を指しているのか。確かにピストルの類では出ないその低音は、もっと破壊力の高い武器の出すそれだ。
 窓からちらりと中の様子を窺えば、黄金の鎧に身体を包んだ大男が吠えていた。

「50隻の大艦隊に五千人の兵力!!!! 今まですべての戦いに勝ってきた!! おれこそが首領と呼ばれるにふさわしい男!!!!」
「首領、っておい……あ、あいつまさか“首領・クリーク”か!?」
「大艦隊? あのボロ船一艘でか」
「あれだけボロボロって事は、他の船は沈没しちゃったとか」
「だからお前らは! なんでそんなに冷静なんだよ!」

 ゾロが素直な感想を漏らし、あたしがそれに乗っかって、ウソップが語尾を震わせながら突っ込みを入れる。ここ数回のやりとりで定番化した流れは、店内に足を踏み入れても変わらない。
 ざわつく店内に残っているのは、キッチンから出てきたコックさん達と、クリークと、その部下らしき人がひとりだけ。先程サンジを易々と伸して見せた料理長が、巨大な袋を挟んでクリークと対峙している。誰もあたしたちに目を留めることはない。
 “赫足のゼフ”と呼ばれた料理長とクリークとの会話は、その前を把握していないだけにぼんやりとしか分からない。推測しつつ聞き耳を立てつつ、すっかりお客さんがいなくなったテーブルを眺めつつ、手近なところに腰を落ち着けた。

「ゼフの航海日誌を手に入れ、おれは再び海賊艦隊を組み、“ひとつなぎの大秘宝”をつかみ、この大海賊時代の頂点に立つのだ」
「………」

 今まで聞こえてきた単語を拾うと、クリークの欲しいものは、食料・船・航海日誌の三つ。破壊と殺戮が目的でないだけマシといったところだけど、ここのコックさんたちは応戦する気満々らしい。
 さて、相手が分かったところでどう動くか。そんな事を考えていたら、クリークの正面に足を踏み出した人影がひとつ。

「ちょっと待て!! 海賊王になるのは、おれだ」
「!」
「な……雑用っ!!」
「おい引っ込んでろ、殺されるぞ!!」
「引けないね、ここだけは!!」

 ――海賊王になる。初めてあたしと出会った日にも、彼は迷いなくそう言い切った。今まで幾度も口にしているであろうその台詞は、不思議と違和感無く彼に馴染む。
 恐れなど微塵も存在しないまっすぐな眼差しで、ルフィは海賊として真正面からクリークに喧嘩を売った。戦闘態勢に入っていたコックさんたちも、驚きを隠せない様子でざわめく。そんな中、サンジと料理長だけが、無言で彼を見守っていた。

「何か言ったか、小僧。聞き流してやってもいいんだが」
「いいよ聞き流さなくて。おれは事実を言ったんだ」
「遊びじゃねェんだぞ」
「当たり前だ」

 行く手を阻むように立ちふさがったルフィを、クリークは単なる障害物を眺めるような眼で見下す。それにルフィがさらりと返すと、彼を見る眼が、敵を見るそれへと色を変えた。
 戦闘の火種が生まれたのを眺めていると、あたしを挟んでゾロとウソップがなにやら言い合いを始めていた。

「さっきの話聞いてたろ、あのクリークが渡れなかったんだぞ。な! 悪いことはいわねェよ、やめとこうぜ! あんなとこいくの!」
「うるせェな、お前は黙ってろ」

 今まで徹底して声を潜めていたウソップが、焦りを増してボリューム調整を誤ったらしい。ルフィの登場でざわついていた店内の注目が、一気にこのテーブルに集まる。

「戦闘かよルフィ、手をかそうか」
「ゾロ・ウソップ。ニーナも。いたのかお前ら。いいよ座ってて」
「……ハ……ハッハッハッハ……ハッハッハッハ、そいつらはお前の仲間か! ずいぶんささやかなメンバーだな!!」
「何言ってんだ、あと2人いる!」
「おい、お前それ、おれを入れただろ」

 ……これであたしたちも、きっちりクリークの敵認定を受けたわけだ。しっかりちゃっかりナミとサンジも人数に入れたルフィは、相変わらず堂々たる態度を貫いている。
 そういえば、あたしは今までルフィが本格的に戦っている所を見た事がない。ジョニーが乗り込んできた時は見ていないし、フルボディの砲弾は弾き返しただけだ。日常の身のこなしを見ていれば弱くは無い事は分かるし、“海賊狩りのゾロ”が彼を船長と認めている事も結構大きいけれど、未知数である事には変わりない。

「ナメるな小僧!!!! 情報こそなかったにせよ、兵力五千の艦隊が、たった七日で壊滅に帰す魔海だぞ!!!!」
「!!!!」
「な……七日!?」
「クリークの海賊船団がたった七日で壊滅だと!!!?」
「一体何があったんだ……!!」
「きィたかおいっ!! 一週間で50隻の船が」
「面白そうじゃねェか」
「………」

 そう、グランドラインは、何が起こってもおかしくない、東の海とは全く別の世界。
 そこを生き抜くために必要なのは、強さと装備と情報と仲間の結束、それに運。あたしにそう教えた、ローグタウンで待ち合わせている“彼”は、少なくとも、今この場にいる誰よりも桁違いに強い。あの料理長が五体満足だったなら、流石に分からないけれど。

「無謀というにもおこがましいわ!! おれはそういう冗談が大嫌いなんだ。このままそう言いはるのならここで待て、この場でおれが殺してやる!!」

 本格的な戦闘が刻一刻と近づいている。それは間違いないのに、いつもならさっさと手を打つ場面なのに、何故だか動く気が起こらない。ルフィの背中をじっと眺めたまま、身体よりも頭を働かせる。

「……いいか、貴様ら全員に一時の猶予をやろう。おれは今からこの食料を船に運び、部下共に食わせてここへ戻ってくる。死にたくねェ奴は、その間に店を捨てて逃げるといい」

 クリークが戦闘を始めたとして、最悪の場合を想定する。足場が一切無くなった状況というのは、一人で逃げることに専念すれば、いっそ陸地より好都合だ。
 彼らが選んだ事とはいえ、たくさんの人を見殺しにして逃げる事に、全く何とも思わないわけではない。それでも、逃げる手段が確保出来るのならば、さっさと退散するよりも、ぎりぎりまで見届けてみたい気持ちの方に傾いている。

「おれの目的は航海日誌とこの船だけだ。もし、それでも無駄に殺されることを願うなら、面倒だがおれが海へ葬ってやる。そう思え」

 大きな白い布袋を担ぐと、クリークはそう言い残してバラティエを後にした。
 カウントダウンは始まった。コックさんたちのざわめきにも、緊張の色がぐっと濃くなる。それを遠くに聞き流しつつ、自分の選んだ道を、その理由を、静かに認めて受け入れる。
 船にいたのはせいぜい十数日。決定的な危険回避が出来なくなってしまう程、絆されてしまったつもりはないけど。

(もしルフィが、本当に何とかしちゃったら)

 ――浮かんでしまった予感の行方は、この騒動を見届ける事でしか分からない。




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