Le ciel croche | ナノ

「遅ェな、ルフィ……」

 海軍の攻撃を正当防衛した結果、至近距離から中々の威力の砲弾をぶち込んでしまった目的地、海上レストラン・バラティエ。張本人のルフィは、律儀にも一人堂々と謝罪しに行った。
 三十分経っても小一時間経っても戻らない船長に、誰からともなく甲板に揃って座り込む一同。全員の想いを代弁したゾロが、冗談とも本気ともつかない調子で言葉を続ける。

「雑用でもさせられてんじゃねェのか、一ヶ月くらい」
「弁償しろって言われても、お金も無さそうだよね」
「あいつに貯金なんてモンがあるわけ無ェよ」
「海軍のせいにしちゃえばよかったのに……バカ正直なんだから」

 そう言って嘆息するナミは、それでも心底馬鹿にしているようには見えない。手を組んでるだけ、とは言うものの、結構絆されてるよなあ、と他人事のようにぼんやりと思う。
 なんとなく全員の視線がバラティエに向くと、ウソップが指で示してニイッと笑った。

「見にいくか! メシくいがてら!! な!」
「そうね……丁度お腹も空いてきたし」
「ここで待ってても埒が明かねェしな」
「海上レストランかあ……きっと魚介類美味しいだろうな」

 出揃ったのは肯定の言葉。話は決まった。腰を上げたゾロが、少し離れた日陰に陣取るヨサクとジョニーを振り返る。

「お前らはどうする?」
「あっしらは行った事ありますし、このザマですし、船番も要るでしょう。待ってますよ」
「そうか、悪ィな」

 フルボディにやられた怪我を簡単に治療したジョニーは、包帯の巻かれた右手をひらひらと振る。ようやく壊血病が改善してきたところだったヨサクも、流石に大人しく横になっている。そんな二人を見て、ゾロもまた軽く手を挙げて応えた。

 船はルフィが乗り込んだ時から着けてある。メリー号とは色の違う木目に足を踏み入れて、正面入り口まで迂回。点々とある窓や排気口から、肉や魚の焼けた良いにおいが漏れている。きゅるるるる、ウソップの腹の虫が小さく鳴いた。
 やがて現れた両開きの大きな扉を開いたら、そこは、人々の笑顔が溢れる空間だった。

「なにこれ! 美味しい……!」
「こんなの初めてだ……」
「あれ……私、この野菜苦手だったはずなのに……」

 あちらこちらから感嘆の声があがるフロアを見渡していると、通り掛かったコックさんがあたしたちに目を留める。両手に食器を山盛り抱えた彼は、今にも崩れそうな平皿のタワーを片手で器用にバランスを取りつつ、開いているテーブルを顎で示してみせた。

「おう、お客か! 悪ィが、見ての通り人手が足りてなくてな。じきに注文聞きにやるから、座って待っててくれ」
「なんだなんだ、流石に盛況だな」
「コックさん自らウエイターするくらいかあ」

 指示通りに席に辿り着けば、メニューはきちんと置いてある。四人で回して見ていれば、ちょうど決まった頃にまた別の若いコックさんがやってきた。
 本当にウエイターはフロアに一人もいないし、厨房の方からは賑やかすぎる声が漏れ聞こえているし、人手が足りていないのは事実なんだろう。それでも何とか回している辺り、一流店と言われるだけの事はある。
 ウエイターと呼ぶには若干たどたどしく注文を取りつつ、料理に対する質問には、溢れんばかりの知識を総動員して楽しげに答えてくれるコックのお兄さん。そんな彼が全員分の注文を取り終わってから、ゾロが本題を切り出した。

「なあ、さっきこの船に、麦わら帽子の男が来なかったか?」
「ああ、砲撃の犯人だろ! なんだ、お客さんら、知り合いか?」
「ああ……まあ……」

 案の定というべきか、しっかり犯人扱いされているルフィ。仲間だとバレて追い出されないかと、ウソップが若干濁し気味に答える。
 もっと嫌な顔をされるかと思ったけど、お兄さんはあっけらかんとした調子で上の階を指差した。

「オーナーの部屋に直撃しやがってよ。まー、ウチのオーナーはその程度じゃくたばりゃしねェんだがな。治療費修理代迷惑料その他諸々、払えねェなら一年雑用って事で収まったらしいぞ」
「一年!!!?」
「今は厨房にいるが、フロアに来る事もあるだろ。話ぐらいは出来ると思うぜ。じゃっ、ご注文承りやした〜少々お待ち下せェ」

 終始砕けた調子だったお兄さんは、付け足しの接客文句を残して厨房に向かう。
 一年か……。真偽はともかく、冗談のつもりで言っていた事が、洒落にならない事になるかもしれない。

「おいおいマジかよ……」
「っていうか、あのルフィがちゃんと雑用こなせるとは思えないわよ」
「皿洗いなんかさせようモンなら、洗った皿より割った皿の方が多そうだな」
「あ〜確かに……案外すぐに追い出されたりしてな!」

 思わぬ期間に口を噤むあたしに対して、当のクルー達は軽い調子で今後の見通しを語る。
 確かに、彼らが語るルフィの様子は、知り合って日の浅いあたしでも容易に想像はつく。けど、それとこれとは別の話。良い船に行き当たった事はラッキーだと思っていたけど、だからと言って見通しの経たない期間を楽観的に待てるはずもない。
 そんなあたしの内心を察してか、ナミがにやにやと笑みを浮かべながら、話をあたしに振ってきた。

「どうするニーナ? あんた、約束あるって言ってたわよね」
「んん……まあ、急ぎって訳ではないし、何月何日って決めてるわけでも無いんだけど……待ってせいぜい一週間かな」
「お前がここで別れるっつったら、ルフィの奴、ぜってー聞かねェぞ〜」
「ま、そんならさっさとケリ付ける方法でも考えるしかねェな」
「………」

 ナミはどうだか分からないけど、少なくともゾロとウソップは「なんとかなる」と思っているようだ。全く危機感の感じられない口調を聞いていると、ここから彼らと別れてローグタウンに行く方法を既に数通りシミュレートしていた自分の方に疑問を覚えてしまいそう。
 どこか釈然としないまま、目の前で続いていくのんびりとした会話を聞き流しつつ今後の計画を練っていたら、やがて注文した料理が届き始めた。
 帆立に海老、旬の野菜と魚と肉と。待ち望んでいたそれは目にも鮮やか。至近距離から漂ってくる香りと相まって食欲をそそる。わあ、とナミが歓声を漏らして、ごくりと喉を鳴らしたのはウソップか。

「いただきまーす!」
「うお、マジで美味ェ!」
「おっ、良いじゃねェかこれ。酒に合う」
「ほらニーナ、あんたも食べなきゃすぐ無くなっちゃうわよ!」
「あ、ありがとう。いただきます」

 早速手を動かしている三人から一拍遅れて、胸の前で手を合わせる。とりあえず、近場にあったカルパッチョに手を伸ばそうとしたら、ナミがてきぱきと取り分けてくれた。
 口に含めば、サーモンの刺身が柔らかくとろける。わ、美味しい、思わず漏らした言葉を拾ってか、三人が揃ってにやりと笑った。
 ……引き摺られるように思考が止まった事は認めざるを得ない。ひとまず食事が終わるまでは、考え事は止めにしよう。

「見た事無い料理も結構あるよなあ」
「東の海じゃあんまり見ない食材もあるしね」
「でも食べてみると外れないのよね。漏れなく美味しい」
「こりゃ人が集まるわけだな」
「おう、これもう一杯貰えるか!」

 時折会話を挟みながら、手を止める事無く食事は進む。これは何だろう、どうやって味付けしてるんだろう。各々が浮かぶ疑問をそのまま口にしてみるけど、知ったところで、あたしたちでは再現できないのは明白だ。思い返してみれば、確かにコックさんの居る船は良かったなあ、脳裏を過ぎった記憶に素直に頷いた。
 そんなこんなで追加の料理やお酒を頼み始めた頃、コック帽ではなく麦わら帽を被った従業員がホールを横切る。彼はあたしたちのテーブルに気が付くと、盛大に顔を引き攣らせた。

「げっ お前ら!」
「あ、ルフィ」
「よっ雑用」
「一年も働くんだってなァ」
「船の旗描き直していいか?」
「お前ら、おれをさしおいて、こんなうまいモン食うとはひでェじゃねェか!!」

 あたしに続いて、軽い調子で船長に声を掛ける面々。テーブルの上に並ぶ料理を見て、ルフィはぎゃんぎゃんと恨み言を撒き散らす。
 フロア中に響くそれの出所を探すためか、奥のテーブルでスーツの男性が顔を上げた。女性客にワインを注いでいる彼は、エプロンはしていないけどコックさんだろうか。
 眺めるともなしに顔を向けていたら、その彼とぱっと視線がかち合う。煩くしちゃってすいません、そんな社交辞令の意味を込めて、苦笑いを作りつつ頭を下げる。彼はあたしのそれを見届けると、海のような青色の瞳を丸くして、びしりと身体を固くした。

「……?」
「別におれ達の勝手だよな」
「あ……ああ、まあな」
「まァでも確かにここの料理はうめェよ。お前にゃ悪イと思ってるが……………これはてめェが飲め!!!!」
「うぶっ!!!!」

 別のテーブルからの視線を受けていることなど露知らず、こちらのテーブルは相変わらず賑やかだ。視界の中にその様子を収めつつも、あたしはまだ何となくスーツのお兄さんを眺めている。

「な……何て事するんだお前はァ」
「てめェが何てことするんだ!!!!」
「腹いてーっ!!」

 何故だか明らかに思い切り反応されたみたいなんだけど、どこかで会った事でもあったかな。多分無かったと思うけどなあ。内心自問自答しているうちに、お兄さんの視線はあたしの右側にぎぎぎとスライド。
 ナミの姿を捉えたらしい彼は、既にまんまるだった眼をカッと見開いて、手を震わせながらワインのボトルをテーブルに置いた。
 ……そこからの動きが、ものすごく速かった。

「ああ海よ、今日という日の出逢いをありがとう! ああ恋よ! この苦しみにたえきれぬ僕を笑うがいい!」

 演技掛かった台詞を一切の照れ無く歌うように紡いだ彼は、テーブル前に転がるルフィを押しのけて、あたしとナミの間に入る。

「?」
「僕は君達となら海賊にでも悪魔にでも成り下がれる覚悟が今出来た! しかしなんという悲劇が!! 僕らにはあまりに大きな障害が!!」

 ナミを見て、あたしを見て、またナミを見て。首だけで行ったり来たり忙しい彼の眼は、先程の深い蒼さはどこへやら、まるで絵に描いたハートのようなショッキングピンク。あたしの眼の錯覚かと思って数度まばたきしてみても、その色が変わる事は無い。
 突然現れたハイテンションなお兄さんを、麦わら一味の面々もあたしもぽかんと見つめることしかできない。最初に彼に対して言葉を発したのは、少し動けば倒れそうな程背の高いコック帽を被った、義足の男性だった。

「障害ってのァおれのことだろう、サンジ」
「うっ、クソジジイ!!」
「いい機会だ、海賊になっちまえ。お前はもう、この店には要らねェよ」
「え!?」

 ……ルフィってば、雑用一年とか言われつつ、いつの間にちゃっかり勧誘してたの?




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