Le ciel croche | ナノ

「か……か……紙一重か……」

 燦々と陽が降り注ぐメリー号の甲板に横たわる男二人。確かに日光浴日和な天気ではあるけれど、二人揃って殴打の痕と流れる血が目立つあたり穏やかではない。

「お前らやっぱ、すげェ弱いんじゃねェのか?」
「い……いや、なかなかやるぜ、あいつ」
「さすがのおれたちも紙一重だ」
「何やってんだよお前ら」

 無残な姿で倒れるヨサクとジョニーを見下ろしつつ、ルフィとゾロが呆れ気味の声をあげる。呑気な受け答えができるあたり、命に別状はないらしい。彼らを易々と伸してみせたのは、メーヴェがはためく船から冷めた眼でこちらを見下ろす一人の男。
 いかにも高そうなブランド物のストライプのシャツを身に纏い、右手にはそれに似つかわしくない無骨なメリケンサックを嵌めている。それでもどちらも身体に馴染ませているあたり、どちらも彼の本質なのだろう。
 “鉄拳のフルボディ”と名乗り、ヨサクとジョニーを『小者狙いの賞金稼ぎ』と評した海軍大尉は、品定めをするかのごとくメリー号を見据える。

(海軍か……しかも役職付き……あんまり関わりたくないなあ……)

 メリー号の帆に堂々と描かれた麦わら帽子のジョリーロジャーを見とめて、船長は誰だと問うたフルボディ。海賊船だからと何の予告も無く砲弾をぶち込んで来なかっただけ、いくらかマシなのかもしれない……けど、それはあくまで“ルフィ達にとって”の話。
 ヨサクとジョニーは、先のやり取りで海賊一味からは除外された。逆を言えば、それ以外の乗員は海賊船のクルーだときっちり認識されてしまったわけだ。乗せて貰っておいてなんだけど、あたしにとってのこの状況は、あまりよろしいものではない。

(船自体はそんなに大きくないし、他に船影は見えない……この船以外の足場は、ジョニー達の小舟と“そこ”だけか……)

 念のためというか最早習慣というか、逃げる算段だけは一応頭の中でつけておく。彼がどう出るか、ルフィ達がどう出るか、それによって状況はいくらでも変わる。最悪のパターンを想定しておくに越したことは無い。緊張の色を出しすぎないようにしつつ、ルフィ達とフルボディを見比べる。
 ――最初に動きを見せたのは、そのどちらでもなかった。

「んもうフルボディ、弱い者いじめはそのくらいにして早く行きましょ」
「ああ、よし、そうしよう」
「………」

 ふいに伸びてきた白く細い腕が、フルボディの腕を縋るように掴む。こちらからは姿の見えないそれは女性のものか。見た目だけで判断するのは早計だけど、あれは、たぶん、一般人。
 甘えるようなソプラノに、フルボディは満更でもなさそうに頬を緩めて答える。

「運が良かったな、海賊ども。おれは今日定休でね。ただ食事を楽しみに来ただけなんだ」

 そういう彼の後ろには、魚を模った大型船。ジョニーが案内してくれて辿り着いた、海上レストラン・バラティエだ。それを言うなら、あたし達だって、同じように食事を楽しみに来ただけなんだけどな。ルフィ達は、コックさんを仲間にする目的も込みだけど。
 彼の物言いを聞くに、どうやら、想定した最悪のパターンは回避できたらしい。そこそこの肩書の海兵だと警戒したけど、あのしまりのない顔は本物だ。内心安堵のため息が漏れる。
 それにしても、目的地が同じなのは面倒だ。これで終わるとは思わない方がいいかもしれない。

「おれの任務中には気を付けな。次に遭ったら命はないぞ」

 女性の手前、びしっと恰好つけたかったのか。普段からそういう人なのか。鉄拳のフルボディは、ありがちな常套句を吐き捨ててあたし達に背を向けた。
 休日だからと本当に関わる気が無いのか、油断させておいて撃ち込んで来る気か。その真意は、今のところ分からない。あの女性にいい顔を見せたいのであれば、言ったことは守るパターンも、休日でも悪は見逃さないパターンもどちらもあり得る。
 ……とはいえ、とりあえず、大の字に倒れているヨサクとジョニーに手当くらいはしてあげるべきかな。そう思って振り返れば、彼の頭のすぐ横にナミが膝をついていた。

「ジョニー、これなに?」
「ああ……そいつあ、賞金首のリストですよ。ナミの姉貴」

 懐に入れていたものをばら撒いてしまったのだろうか。ジョニーのすぐそばに散らばるのは十数枚の手配書。
 あたしでも見覚えのあるもの、ないもの、金額もピンからキリまで。さすがに賞金稼ぎを生業にしているだけのことはある。

「ボロい商売でしょ? そいつらブッ殺しゃ、その額の金が手に入るんす。それがどうかしました?」

 そのうち一枚を手に取ったナミは、描かれた人物を食い入るように見詰める。表情は強張り、頬にも腕にも脂汗が滲んでいるものの、身体を動かせないジョニーが気付くはずもない。ぐしゃり、隠しきれない動揺は、微かな音に現れた。
 返答が無い事に彼が疑問を覚えるよりも、あたしがナミに声を掛けるよりも先に、ウソップの焦った声が船内に響く。

「おい、やべェぞ!!!! あの野郎、大砲でこっち狙ってやがる!!!!」
「えっ」
「何ィ!?」

 ……残念、見逃してはくれなかったか。
 非番と言いつつ海軍所有の船に乗り、制服姿の海兵を連れていたフルボディは、こちらを見もせずに親指を下に向けた。

「沈めろ」
「はっ」

 ――直後、辺りに響き渡る重低音。

「撃ちやがったァ〜〜っ!!!!」

 船尾で様子を見守っていたウソップが盛大な叫び声をあげる。船同士の間隔はそう広くない。さて、彼らはどうするのかな、そんな事を考えている間にも、砲弾はあっという間に迫り来る。
 流石に動こうかと思った丁度その時、ルフィがぱっと欄干に飛び乗って大きく息を吸った。

「ン任せろっ!!!!」
「おいルフィ、何やってんだ!!!?」
「ゴムゴムのっ……風船っ!!!!」

 ゴム人間の本領発揮とばかりにまんまるに膨れ上がったルフィのお腹は、ドスっという鈍い音を立てて砲弾を見事に受け止めた。なるほど、こういう使い方もあるんだ。

「なぬ――――っ!!!?」
「なに……!?」
「返すぞ砲弾っ!!!!」

 驚きの声を方々から受けつつ、ルフィはゴムの特性を最大限に生かして砲弾を弾き返す。軌道を思い切り変えられたそれは、焦り顔のフルボディとは真逆の方に飛んで行った。

「!!!!」
「どこに返してんだ、バカッ!!!!」

 どごーん、ばりばり、がっしゃあん。あまり聞きたくなかった三重奏が生まれたのは、あろうことか、あたし達の今からの目的地。
 重力に従って落下してくるルフィは白目をむき、ジョニーは顎が外れそうな程にあんぐりと口をあけ、ウソップは茫然と硬直して、ゾロの突っ込みが空しく響く。
 ナミの小さな溜息は、徐々に小さくなっていく騒音と混ざって飛散した。




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