Le ciel croche | ナノ

 特に問題なくアレグラ島を出たメリー号は、程好い追い風を受けて順調に進んでいく。
 前方に広がるのは、見渡す限りの大海原。後方にも船影ひとつ無く、側方にはぽつんとひとつ大岩があるばかり。
 青に埋め尽くされた視界を少し上げて、はためくメインマストを仰いでみる。真新しさの抜けない眩しい白。潮風を受けてゆるやかな弧を描くそれは、ふいに響いたドォンという重低音に押されてぴんと張り詰めた。

「お前一体何やってんだ突然っ!!」
「大砲の練習だよ。せっかくついてるし。でも、うまく飛ばねェもんだな」

 声のする方を振り返れば、船の後方で大砲を挟んで話すルフィとウソップの姿。
 あたしが乗るちょっと前に貰ったばかりだというこの船は、まだまだルフィ達が使った事がない装備で溢れているらしい。あの大砲もそうだったみたいで、ウソップが嬉々としてルフィと立ち位置を変わる。
 側方の岩に狙いを定めた彼は、次の瞬間、見事にそれを打ち抜いた。

「すげ――! 当たった一発で!!」
「うげっ!! 当たった一発で!!」

 パチンコだろうが大砲だろうが百発百中なのは、やっぱり血は争えないって事なんだろう。それにしても、当てた当人の方が驚いている様子が面白い。
 シンクロして喜ぶ二人をしばらく眺めていたけど、ふと喉の渇きを感じてキッチンへと向かった。


 *


 しゅんしゅんと湯気を立てるヤカンを横目で見ながら、ほんの一時間前に整理したばかりの食材入れを探る。探し物は、アレグラ島で見つけた美味しそうなアップルティー。
 キッチンに最初からあった砂時計を活用して、沸いたお湯とティーバッグをポットに入れて暫く待機。そうこうしているうちに、そう広くないダイニングにいつの間にやら全員集合していたことに気付いて、ひとつしか用意していないカップを見下ろす。

「……アップルティー淹れたけど、飲む?」
「「「飲む!」」」

 誰にともなく問いかけてみれば、三人分の答えが奇麗に揃って返って来た。カップの追加を取りに立ちつつ、返事の無いもう一人をちらりと見やる。床に腰を下ろした彼は、視線に気付いてあたしを見上げた。

「甘ェのか?」
「ううん。砂糖入れなければ、林檎の香りがする程度だよ」
「そんなら貰う」

 意外な言葉にまばたきをひとつ。ワンテンポ遅れて「りょーかい」と答えを返して、五人分のカップを並べて置いた。
 ひっくり返した砂時計は、ちょうど半分落ちた程度。この茶葉はそんなに時間を掛けなくても良いってお店のおばちゃんも言ってたし、冷めないうちにカップに注ぐ。

「はい」
「ありがと」
「ありがとう!」
「ありがとなニーナ!」
「おう」

 手渡した時の反応は四者四様。それでも、渡したらすぐに飲み始めるのは全員一緒。あたしよりも先にそれを口に含んでいく彼らを見ていると、どうにも不思議な気分がしてならない。
 胸の奥を掠めた正体不明のもやもやはとりあえず放っておいて、あたしもナミの隣に腰を下ろす。まだ熱いアップルティーを一口味見してみると、まだ砂糖も入れていないのに、思っていたより甘かった。

「お前はさ、“狙撃者”に決まりだな!」

 紅茶を置いたルフィが唐突に口火を切る。おそらく彼の中では、さっきの砲撃から話は続いているんだろう。話を振られたウソップも、ニイッと口角をあげて話に乗る。

「まァひとまずそこに甘んじといてやるが、お前があんまりフガイねェことしてたら、即船長交代だからな」
「ああ、いいよ」

 会話の合間にかたかたと微かに響く高い音。みんなが各々少しずつ飲み進めている紅茶に、特に不満の声はあがらない。ナミは味見したあとで角砂糖を入れてたし、甘すぎたと思ったのは、あたしの気のせいだったかな。
 ぼんやりとそんな事を考えていると、正面に座るルフィがぴっと人差し指を立てて口を開く。

「考えたんだけどな! “偉大なる航路”に入る前に、もう一人必要なポジションがあるんだ」

 そこでさっとクルーを見渡す船長。その視線の流れには、当然のようにあたしもナミも含まれている。

「そうよね、立派なキッチンがあるもん。有料なら私やるけど」
「長旅には不可欠な要員だな」
「そう思うだろ? やっぱり海賊船にはさ」

 流れを予測してさらりと乗っかったナミに、更にゾロが同意する。それに気を良くしたルフィは、得意げな表情を浮かべて、まっすぐ上に向けていた人差し指をひょいっと動かした。

「音楽家だ」

 ――あたしに向かって。

「アホかてめェっ」
「めずらしくいいこと言うと思ったらそうきたか!!」
「あんた航海を何だと思ってんの?」
「だって海賊っつったら歌うだろ!? 当然みんなで!」

 きゃいきゃいと一斉に注がれる反論にもめげず、ルフィは主張をやめない。
 音楽家じゃ無いと言った、ローグタウン以降の約束もしていないあたしと眼を合わせて、どこか誇らしげに話を続ける。

「普通の楽器をもっとすげえ楽器にできるニーナがいるんだぞ! 音楽家と組んだら最強じゃねェか!」

 飛び出したのは、予想の斜め上をいく台詞。
 ルフィの発言に対して、ナミもウソップも「それはそうだけど」と一旦肯定してから話を続ける。意味のある単語として聞き取れたのはそこまで。あたしの耳を右から左へ流れていく三重奏は賑やかだけど、一向に頭に入ってこない。つい先日とまったく同じこの感覚。
 何一つ言葉を発せないあたしを我に返らせたのは、甲板から聞こえた耳馴染みの無い声だった。

「出て来い海賊どもォーっ!!!! てめェら全員ブッ殺してやる!!!!」
「!?」
「何だ!?」

 突如として聞こえた怒声に驚いて、ウソップが手元のカップをひっくり返す。机に書き物を広げていたナミが、慌てて紙を引っ込めた。 主張の応酬が止んだ船内に響くのは、どんがらがっしゃんという激しい音。見知らぬ侵入者が暴れているのだろうか。
 弾かれたように立ち上がったルフィは、甲板への扉を猛然と開いた。

「おい!! 誰だお前!!」
「誰だもクソもあるかァ!!!!」
「うわっ」

 ルフィは攻撃を避けつつ表に転がり出つつ、後ろ手に扉を閉めていく。丸く切り取られた覗き窓から恐る恐る顔を出すナミとウソップの背中に、ゾロが落ち着き払った声を掛ける。

「相手何人だ」
「一人……かな」
「じゃ、あいつに任せとけ」

 平然と言うなり、ゾロは樽の上に置いていた紅茶に手を伸ばして一口。
 この船のみんなの強さはまだまだ未知数だけど、ルフィとゾロが東の海においてはそこそこ強いことは疑うまでも無い。手助けの必要がなさそうなのを見てとって、あたしも下ろしていたカップを手に取った。
 どったんばったん騒がしかったのはほんの一分足らず。ドスンという重い音が響いたのを合図に、ゾロがようやく腰を上げる。
 開いた扉の向こうに転がる侵入者の姿を見た彼は、甲板へと向かう足をぱたりと止めた。
 
「ん? お前……! ジョニーじゃねェか……!!」
「え……ゾ、ゾロのアニキ!!!?」


 *


「病気!?」
「ええ……」

 ルフィに伸された侵入者は、偶然にもゾロの昔馴染みだったらしい。ジョニーと呼ばれたサングラスの青年は、一度船を離れると仲間を連れてきた。
 息も絶え絶えに口から腹から血を流す彼の名はヨサク。意識もはっきりしない様子で、力無くメリー号の床に横たわる。
 ジョニーが語る彼の病状は、顔面蒼白に気絶、歯の抜け落ち、古傷が開く。数日前までピンピンしていたという事と、現在の様子とを照らし合わせると、頭の奥の引き出しに答えがあるような気がしてならない。聞いたことがあるような、ないような。なんだっけな。

「何年も共に『賞金稼ぎ』やってきた、大切な相棒だぜ……!! アニキ、こいつ……!! 死んじまうのかなァ……!!」
「………」

 顔中ぼろぼろにして涙を流す彼は、仲間の命の灯火が消えかかっている事に、絶望の色を隠さない。ジョニーの悲痛な声を受けて、今にも心拍を止めてしまいそうなヨサクを見て、ゾロにも返す言葉がない。
 局所的に沈痛な空気が流れる中、割って入ったのは、生気と怒気と色々な感情がない交ぜになったナミの一喝。

「バっカじゃないの!!!?」
「何だとナミてめェ!!」
「あんた、おれの相棒の死を愚弄するとただじゃおかんぞ……」

 彼女のそれを文面通りの言葉と取ったゾロは、ぎろりと鋭い視線を返す。ジョニーに至っては、刀に手を伸ばしてゆらりと腰を浮かした。

「ちがうよ」
「!」

 一斉に注目を受けて初めて、浮かんだ言葉をそのまま口にしていたことに気が付いた。
 初めて向けられたジョニーの視線はサングラスに遮られているけど、ぴくりと震えた肩と引き結ばれた唇に垣間見えたのは戸惑いの色。
 彼にとってのヨサクは本当に、“大切な相棒”なんだろう。なにが違うというのか、現状を打開する方法があるのか。知っているなら教えてくれと言わんばかりに、緊張の面持ちであたしの話の続きを待っている。
 対策は、あると思う。そこまで思い出せていないけれど。
 答える代わりに、最初にそこに辿り着いたであろうナミを見やれば、彼女は小さく息を吐いた。

「ニーナ、仕入れてきた食材に柑橘系の果物無かった?」
「ライムがあったかな……」

 ――問いに答えてピンときた。ああ、そうか、これは。

「ルフィ、ウソップ、キッチンから探して絞って持ってきて!」
「ラ……了解っ!!!!」

 ナミの意図を掴み切れていないまま、ルフィとウソップはパタパタと船内へ向かっていく。「ライム……?」という小さな疑問の声が上がったけれど、ナミは呆れ顔でキッチンの扉を眺めているだけ。
 やがて戻ってきたルフィとウソップに、ライムの絞り汁をヨサクに飲ませるよう指示した彼女は、ようやく答えを口にした。

「壊血病よ。手遅れでなきゃほんの数日で治るわ」
「本当ですか姐さんっ!!!!」
「その呼び方やめてよ」

 壊血病。つい一昔前まで、原因不明、治療法不明、罹れば確実に死に至る絶望の病だったもの。海賊にも海軍にも旅の商人にも、等しく降りかかる航海につきものである病気。
 その原因が植物性の栄養の欠乏だと分かってからは、格段に減少した。昔の船は、保存のきかない新鮮な野菜や果物を載せていなかったから。
 頭の奥に隠れていた記憶を引っ張り出してみれば、丁度ナミがそれをなぞるように男五人に説明をしていた。
 それを受けて、ルフィとウソップが尊敬の眼差しで彼女を見る。

「お前すげーな、医者みてェだよ」
「おれはよ、お前はやる女だと思ってたよ」
「船旅するならこれくらい知ってろ!! あんたたちほんといつか死ぬわよ!!」
「栄養全開復活だーっ!!!!」
「おお、やったぜ相棒――っ!!!!」
「そんなに早く治るかっ!!!!」

 ぎゃんぎゃんとお説教モードに入ったナミの後ろで、意識を取り戻したヨサクが、病人とは思えない動きでぴょんぴょんと跳ねる。それにジョニーも乗っかって、ナミが鋭い突っ込みを入れて。俄かに賑やかになった船内からは、棘々した空気は奇麗さっぱり消えていた。
 快方に向かった事をひとしきり祝ったあとで、ジョニーとヨサクは改めてあたしたちの前に並び立つ。

「申し遅れました、おれの名はジョニー!!」
「あっしはヨサク!! ゾロのアニキとは、かつての賞金稼ぎの同志!! どうぞお見知りおきを!!」

 しっかりと両足で甲板を踏みしめて、背筋をしゃんと伸ばして。煙草を吹かしつつすっかり健康体とばかりに胸を張るヨサクは、あたしたちを見渡して一礼した。
「あんた方には何とお礼を言ったらいいのやら、さすがにあっしァもうダメかと思ってやした」
「しかしあらためて驚いた。“海賊狩りのゾロ”が、まさか海賊になってようとは」

 しみじみと言うジョニーが、ゾロを見てひとりうんうんと頷く。
 それにゾロが何かしらの反応を見せる前に、彼の一歩後ろで異変は起きた。

「!! ブヘェッ……!!!!」
「ぬあっ!!!? 相棒ォ――!!!!」
「いいから黙って休んでろ!!」

 再び血を吐いたヨサクに、ジョニーが情けない悲鳴を上げる。全員の脳裏を過ぎった台詞は、ゾロがぴしゃりと言い放ってくれた。
 床に倒れてぴくぴく痙攣するヨサクを半ば呆れの眼で眺めつつ、麦わら一味は互いに顔を見合わせる。

「これは教訓ね……」
「長い船旅には、こんな落とし穴もあるってことか」
「あいつだって、この船に遭わなきゃ死んでた訳だしな」
「まさか、砲弾当てられて命拾いするなんてねえ」
「船上の限られた食材で、長旅の栄養配分を考えられる“海のコック”」
「よくよく考えれば必要な『能力』ってわけだ」

 あたしは今まで、一人旅かきっちりした船への同乗かのどちらかだったから、自分はともかく周りの栄養状況なんて気にした事もなかった。この船だって、言ってしまえば、今までは偶々運が良かっただけだ。
 気付いた以上、何らかの対策を取らなければ明日は我が身。珍しく黙っていたルフィが、意見が出揃った所でニイッと笑う。

「よし決まりだ!! “海のコック”を探そう!!!! なにより船で美味いもん食えるしな!!」

 ルフィの宣言に最初に反応したのは、意外な事にジョニーだった。「アニキアニキ!」と挙手する彼にゾロが水を向ける。

「何だよジョニー」
「海のコックを探すんなら、うってつけの場所がある。まー、そこのコックがついて来てくれるかは別の話だけど」

 そう前置きした彼が口にした単語を、麦わら一味は異口同音に復唱した。

「海上レストラン!?」
「そう、ここから2・3日船を進めれば着くはずだ。でも気をつけねェと、あそこはもう“偉大なる航路”のそばだ。やべェ奴らの出入りもあるし」

 ジョニーはそこで一旦言葉を切ると、少し声を落としてゾロに言う。

「アニキがずっと探してた、“鷹の目の男”も現れたことがあるって話だ」
「!」
「よかったら案内しますぜ」
「たのむ――っ!!」
「………」

 踊り出さんばかりに盛り上がるルフィとウソップを尻目に、ゾロは一人頬に冷や汗を垂らしながら黙り込む。釣りあがった口端は僅かに震えていて、一瞬ぶわりと湧き出た気配は殺気か武者震いか。

(鷹の目の……ミホーク? 七武海の?)

 ずっと探してた、という台詞といい、先程の抑えきれていない気配といい。ゾロもミホークも剣士だけど、ゾロは弟子にしてくれと頼み込むタイプには見えない。戦いでも挑む気なんだろうか。

(流石に無謀だと思うけどなあ……)

 ……とはいえ、易々と思い描ける戦闘の行く末は、態々あたしが口にするような事じゃない。そもそも会えると決まったわけでも無いし、戦う云々も単なる想像だ。
 まあいいか、と軽く頭を振りつつ、すっかり盛り上がっているルフィ達を眺める。

 ヨサクとジョニーを迎え入れた麦わら一味は、航路を少々北に曲げる。
 海上レストラン・バラティエは、多少は逸れても、ローグタウンへの通り道と言える範囲内。
 約束があるとはいえ、そこまで大急ぎする旅でもないし、巷で噂の美味しい食事には興味があるし。波に任せて進むとしよう。




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