Le ciel croche | ナノ

「ホントに酒買える余裕できちまうとはな……」

 楽器の売り込みと仕入れを終えて、食料をがっつり買い込んで、余らせたお金でお酒も買って。行きより増えた荷物を抱えて船に戻る道すがら、ゾロが感心した風にぼそりと呟いた。

「あれ、それ目的で着いて来てくれたんじゃなかったの?」
「まァ、そうなんだけどよ」

 隣を歩く彼を見上げれば、一瞬合った目はすぐにふいっと逸らされる。それでも、返ってくる言葉の温度は低くないから、そう悪い気はしない。会話のキャッチボールはそこで途切れて、足音と荷物の立てる小さな音だけが響くけど、居心地が悪いわけでもない。
 足元に転がっていた空き缶を見止めて軽く避ければ、ゾロも少し大股で跨ぐ。彼の胸元に抱える木箱の中から、かしゃんと小さな金属音がした。
 それを聞いて思い出したかのように、ゾロは「そういや」と前置きして口を開いた。

「あの細工」
「うん?」
「お前がやったんだろ。なんで別人から仕入れたような言い方したんだ」
「ああ、あれね……」

 あまり手の内を見せるものでも無いとは思うけど、あの場でちゃんと黙っててくれた以上、ある程度の種明かしは必要だ。視線は前に向けたまま、楽器屋でのやり取りを思い返す。

「あたしは別に、別人から仕入れたとは言ってないよ?」
「あ?」
「言わなかった事と、訂正しなかった事はあるけど。嘘はついてないもの」

 その事実は胸を張って主張できる。さらりと言い切ったあたしに、ゾロは軽く眉根を寄せた。

「細工入りの楽器が珍しいってのは」
「市場一般的には事実だよ」
「旅商人から仕入れたってのは」
「細工前の楽器をね」
「西に行くほど珍しいってのは」
「あの中に、あんまり西側ではメジャーじゃない楽器もあったんだよ」
「細工自体を知らねえっつーのは」
「否定も肯定もしてないねえ」
「………」

 詰問にも似た台詞ながら、雑談のような軽さで飛んで来るのは単なる質問。ひとつひとつにテンポ良く答えを返せば、やがて彼は口を噤んだ。
 その上で先を促す視線を向けられたから、最初の問いに答えを出す。

「作者の顔が見える売り込み方、っていうのもあるんだろうけど。小娘が使って成果が出る方法じゃないでしょ。何人もの手を経て届いた商品だと思って貰った方が、いいお値段が付くんだよね」
「へェ……」

 もちろん本当の理由はそこじゃないけど、納得した風の声が返って来たから、敢えて続ける事もないだろう。当のゾロにも、それ以上追及してくる様子はない。不要な嘘を吐かずに済んだ事に内心安堵しつつ、再びやってきたゆるやかな静寂と共に歩みを進める。
 頬にちらりと視線を受けた気がして見上げれば、再びかち合う視線。今度は逸らされなかったそれから目を離せないでいると、閉ざされていた口が薄く開く。

「―――」
「だーかーらー!! 私じゃないって言ってんでしょおおおおお!!!!」
「!」

 零れたかもしれない何かしらの音は、聞き覚えのある声にかき消されて拾えなかった。
 切羽詰まった悲鳴に二人揃って振り返れば、こちらに向かって猛然と駆けて来るナミが遠目に見えた。船に残っていたと思ったけど、買い物にでも出たんだろうか。
 視線を受けてあたしたちを見つけたらしい彼女は、ぱっと瞳を輝かせると大きく手を振った。

「あ! ニーナ! ゾロ! 丁度良かった、ちょっと手伝って!」
「はあ!?」

 叫びつつ、ナミが指し示すのは彼女の背後。どたどたと粒の揃わない騒音と怒声を撒き散らしながら、彼女を追い駆ける男が二人。避けようのない騒動の気配を察して、ゾロが呆れ声を漏らしながら木箱を地面に置いた。

「……ったく、コソ泥の尻拭いなんざ御免だぞ……」
「手ぶらに見えるけどねえ」
「モノがデカいとは限らねえだろうが」
「んー、でも、私じゃない、って言ってるし。それにどのみち、航海士が居ないと船は出せないでしょ?」
「………」

 冗談交じりに答えてみれば、ゾロはめんどくさそうに頭をがしがしと掻くばかり。応戦する気はあるみたいだけど、腰に吊った剣に手は伸びていない。確かに抜くまでも無さそうな相手だけど、最初から人任せにする気も無いから、あたしも紙袋を置いて軽く構える。
 迫り来る三人から目を離さないまま鞄を探っていると、ゾロはちらりとあたしを見下ろして、一拍置いて、腰に片手をやりつつ小さく息を吐きつつ一歩前に出た。

「……いい、下がってろ」

 直後、ゾロとあたしの間をナミが駆け抜け急ブレーキ。そこでようやくゾロの存在に気付いた追っ手の男は、お手本のような常套句を口にする。

「ああ? 何だ兄ちゃん、邪魔すっと……」
「うるせえ」

 ――キィン、澄んだ金属音を耳が捉えた時には、事は既に終わっていた。

「おー」
「はー、助かった」
「何なんだよお前……」

 見事な峰打ちで完全に伸びている男二人を確認して、ナミはかくりと肩の力を抜いた。仰向けに転がる彼らを見下ろせば、頭に巻いた揃いのバンダナに、同じ髑髏が描かれている。稲妻を模したその旗印は、割と最近見た覚えがある。
 訝しげな眼差しを隠さないゾロに、ナミはむっと眉を吊り上げて男たちを指差した。

「あのね! 今回は完全に濡れ衣なの! 通り掛かったタイミングが悪かっただけなの!」
「今回はな」
「むっかつくわねその言い方!」
「事実だろ」
「あーもう、若くて可愛い女の子、ってだけで狙われるなんて、ほんっと、だから海賊って嫌いなのよ!」
「自分で言うか」

 汚名を着せられた腹いせか、きゃんきゃんと怒りを発散するナミ。それをゾロは木箱を持ち直しながら適当に流す。目の前で繰り広げられる賑やかな応酬を聞きつつ男二人を観察していたら、からり、背後で微かな金属音が地面を転がった。

「「!」」

 反射的に振り返りざまに鞄から仕込みピッコロを抜く。横目にちらりと見えたゾロとナミが揃って目を丸くする。身体を捻った先には男が一人。ゾロが倒した男たちの仲間か、やっぱり頭には髑髏入りのバンダナ。あたしと眼が合って驚いたのか、こちらに向けられていたナイフがびくりとブレる。
 その瞬間を逃さずに、手首の関節目掛けて一撃を叩き込んだ。

「っ!」

 男の手から滑り落ちたナイフを左手で回収。痛みにつんのめった彼の頭が、程良い位置に降りて来る。これ幸いとばかりに勢いに任せて、ちょっぴり鉛を仕込んであるブーツの踵をお見舞いすれば、きっちりこめかみにヒットした。
 奇麗な弧を描いて盛大に吹っ飛んでいく男を見送りながら、そのまま身体をもう半回転。この手応えなら、しばらくは起きてこないはず。むしろちょっとやりすぎたかな。
 ……能力は使ってないけど、“普通”だったら若干無理のある蹴りをかましてしまった。力加減が大雑把なのはいつもの事だけど、どっちも突っ込まれないことを祈ろう。

「……ふう」
「へえ……」
「ニーナ、あんた……意外とやるわね……」
「あはは、ありがとう」
「それはこっちの台詞よ……二人ともありがとう」

 着地して一息ついたら、ナミが目をぱちくりしつつも柔らかい声を掛けてくれた。ゾロが漏らした声にも棘は無い。ついでに視線にも。ほんの少し垣間見えたのは、意外なことに感心か。
 へらりと笑顔を浮かべて見せながら、内心小さく息を吐く。胸を満たした安堵の種類は、自分でもよく分からない。
 ナミが口にした素直な感謝の言葉に、ゾロが顎で帰り道を示して答えた。

「さっさと戻るぞ」
「うん、気絶してくれてる間に退散しよ」

 大股ですたすたと歩き始めたゾロを、ナミを促しつつ追いかける。ナミは大きな目をもいちど瞬いて何か言いたげな顔をしたけれど、それを口にすることはなかった。





「お、帰って来たぞ。三人一緒だ」
「おお! すげえ荷物持ってるぞ! ニーナ〜! 楽器売れたか〜!?」

 路地裏の素直な一本道をまっすぐ抜ければ、やがて視界が大きく開ける。砂浜の照り返しと先日のデジャヴに目を細めると、少しぼやけるメリー号で二人分のシルエットが動いた。
 ぶんぶんと手を振るルフィに片手を挙げて応える。忙しなく動き回っていた彼は、船の下に辿り着いたあたしたちに向かって文字通り手を伸ばして、木箱の山を受け取ってくれた。
 お米や小麦粉、野菜に果物、お肉とお魚、日持ちのする加工品。余ったお金で買ったお酒まで、見た目よりも色々詰まったずっしり重たいそれに、船上から楽しげな歓声があがる。梯子を上りきったあたしを迎えたのは、今にも踊り出さんばかりに喜ぶルフィとウソップ。

「すっげええええよ! ありがとうニーナ! 今夜は肉が食えるぞー!!」
「いやー、ほんっと悪ィけど正直助かったぜ……飯の礼だ、ローグタウンまでと言わず、どこまででも好きなだけ乗ってっていいからな! おれが許ーす!!」
「おう! そうだそうだ!」
「なにを偉そうに……」
「あはは、ありがとう」

 調子のいい二人に、ナミが呆れ顔で溜息をつく。けど、あたしとしては、こういう反応は嫌いじゃない。ひらひらと片手を振って応えつつ、甲板に並ぶ木箱に手を伸ばす。
 キッチンに運ぼうとしたそれは、あたしが抱えるよりも早く、ひょいっと軽く持ち上げられた。

「とっとと船出そうぜ」

 酒瓶の詰まった木箱を肩に持ち上げて、ゾロはさくさくとキッチンに向かう。その背中を見送りながら、さっきから引っかかっていた微妙な違和感の正体を探ってみる。

(全力で好戦的、って訳でもないのかなあ)

 降りかかる火の粉は払うものの、敢えてこちらから行くことは無いのだろうか。
 絡んできた海賊たちを峰打ちで伸して、ルフィ達には存在を明かさず、島を離れてやり過ごすことを選んだ彼は、世間の言う“海賊狩りのゾロ”のイメージとは少し違う。まあ、そんな事例は掃いて捨てるほどあるのも事実だけど。
 事を大きくするのが面倒だったのか、ナミを気遣ったのか、単に早くお酒が飲みたかったのか、何も考えていないのか。それとも――。

(……ま、いっか)

 あたしとしても、早く出航してもらうに越したことは無い。メインマストを広げ始めたルフィを横目に見つつ、航海士の指示を仰ぐべくナミの元へと向かった。




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