Le ciel croche | ナノ

 メリー号の見張り台から、双眼鏡を使って下見しておいた街並み。同色の屋根がひしめき合う中、目を惹いたのは高台にある背の高い建物。なんとなく印象に残っていたから、とりあえずそこを目指してみる。島の入口で分かった、ここの名前はアレグラ島。軽快で陽気な音楽を思わせるその名前に、少しは期待してしまう。
 見知らぬ島の街路をさくさく進むあたしに、ゾロは黙って着いてきた。彼の歩くテンポに合わせて、木箱の中身がかしゃんかしゃんと小さな金属音を響かせるけど、中身の状態が心配になる程ではない。意外と丁寧なのか、単に足音を忍ばせるのが得意なのか。そんな事を考えていたら、半歩後ろから声が掛かった。

「おい、アテでもあんのか?」
「んー、アタリはつけておいたんだけど……」

 視線は前に向けたまま答えつつ、カーブを描く歩道に合わせて右に曲がる。少し開けた視界の中央には、例の建物が姿を見せた。そこを中心に、小さいながらも活気のある商店街が広がっている。

「うん。たぶん、このへん。勘だけど」
「勘かよ」
「経験には基づいてるよ、一応……あ、ほらあれ」

 ぐるりと一周見渡せば、目的地は背の高い建物の隣にあった。
 看板に掲げられていたのは、大きなト音記号。少し重たい扉を開けば、頭上から響く涼やかな音色。いらっしゃい、と声を掛けてくれた店員のお兄さんは、あたしを見て、ゾロを見て、ゾロが抱える二つの木箱を見て、にっこりと満面の笑みを浮かべる。

「おっ、もしかして、売り込みかな?」
「はい。買い取りって、お願いできます?」
「まずは見せてくれるかい? 掘り出し物があれば、喜んで仕入れるよ」

 お兄さんは愛想良く店の奥のカウンターを指し示した。話が早くて助かる。
 ゾロが木箱を降ろしてくれるのを待って、一番上にあったバイオリンを取り出す。布でくるんだ状態のまま手渡せば、お兄さんはいそいそとカウンターに乗せた。楽しげながらも真剣な眼差しと、丁寧な手つき。なかなかいいお店に当たったみたい。
 布の中から顔を出したバイオリンを一目見て、お兄さんはすっと息を呑んだ。

「ん? これは……ちょ、ちょっと失礼!」

 がばりと顔を上げた彼は、バイオリンをさっきよりも更に慎重な手つきでカウンターに乗せると、弾かれるように店の奥へと走っていく。「親父! 親父ー!! ちょっと来てくれ!!!!」と叫ぶ声が、ばたばたと忙しない足音と共にだんだん遠ざかっていく。
 ……この反応は、期待できそうだ。むしろ、一歩間違うと危険なほどに。

 そんなあたしの内心など知る由もないゾロは、眉間に皺を寄せつつ首を捻る。お兄さんが帰ってくる前に、一応釘でも刺しておこうか。

「……ねえ。ちょっと話ぼかしつつ値段交渉するから、なにかしら引っかかっても見逃してくれる?」
「? おう」

 敢えて曖昧な言葉を選んでそう告げれば、ゾロは疑問符を浮かべながらも頷いてくれた。
 彼のあたしに対する漠然とした疑念は、おそらくまだ消えきっていない。それでも、この場は任せてくれるみたいだから、なんとなく背筋がぴんと伸びた。
 遠ざかっていたお兄さんの声に、だんだんフォルテが掛かってくる。彼のそれより一段低いもう一人の声を聞き分けられるくらいになると、その会話に篭る熱が伝わってきた。

「細工入りの楽器なんざ久々だな! ホンモノなら掘り出し物だぞ!」
「まだ一つしか見て無いけど数もあるんだ!」
「へェ……そりゃァ楽しみだ!」

 威勢の良い声と共に、ばたりと扉が開く。あたしを見てにかりと笑ったのは、恰幅の良い中年男性。店主と思しきおじさんは、カウンターに置かれているバイオリンを一見すると、ほお、と一言呟いて、ゆっくりと視線をあたしに戻した。

「こりゃ驚いた。嬢ちゃん、他の品も見せて貰っていいか?」
「もちろん」

 笑顔のオプション付きで一言答えれば、おじさんは再びにかりと笑って木箱に向き直る。
 それから五分少々、おじさんとお兄さんはひたすら無言で、一つ一つの楽器を丁寧に検分した。時折漏れ聞こえてくるのは、おそらく感嘆の溜息。その合間合間に、彼の手元の台帳に、細かな文字が綴られていく。
 評価が良いのは良い事だけど、あんまり深く突っ込まれるのもよろしくはない。言っていい事、よくないこと。今のうちに頭の中でもう一度選別しておく。
 流石に飽きてきたらしいゾロが大きな欠伸を漏らしたとき、おじさんがペンを置いてううむと唸った。

「いや……驚いたな。細工入りの楽器なんざ、最近めっきりご無沙汰してたんだが」
「ええ。わたしも、珍しいかなと思って」

 商売用の笑顔と口調で答えれば、おじさんはうんうんと機嫌良さげに相槌を打つ。

「嬢ちゃんくらいの歳じゃ、余計にそうだろう。昔はかなり流行ったんだが、作り手が限られていてなァ……。当時もそんなに数は無かったんだが、今じゃすっかり途絶えちまったってんだよ。勿体無ェこった」
「そうなんですか……」

 ――遠い目をして懐かしそうに語る店主のおじさん。
 このひとは、おそらく、“本物”を知っている。

「東の海でも更に北東側の、限られた地域のモンだそうだ。細けェ事は分かってないんだが、楽器自体の素材も、作りも、細工も上等でな。作り手と細工師と、それに材料調達と。きっと全部に拘って、それぞれに一流の職人がいて、チームで仕事してたんだっつー事は分かる」
「チームで……」
「ああ。ただ、嬢ちゃんが持ってきてくれたこれは、当時の職人のモンじゃ無ェだろう。だが、その流れを汲んでる事は間違いねェ。いや……本当に掘り出しモンだ……」

 期待できそう、どころか、ピンポイントに、“これ”を知っている人を引き当ててしまった。本当に、選ぶ言葉には気を付けないと、思わぬ墓穴を掘ってしまう。
 でも、幸いなことに、今回一番の懸案事項――隣で欠伸を噛み殺している緑髪のお兄さん――は、既に『話ぼかして値段交渉』が始まっていると捉えてくれているらしい。あたしが敢えて言っていない事に、気付いているかは別として。口を挟むどころか、眉一つ動かさず成り行きを見守っている。

「で、嬢ちゃん。こいつらどこで仕入れたんだ?」
「ここよりもう少し東側の島で。旅商人さんみたいだったんですけど……」
「ほう。目を付けた理由は?」
「楽器自体の質がいいのと、珍しいなっていうのと……もっと西に行くつもりだって言ったら、西に行けば行くほど珍しがられるって聞いて」
「その様子じゃ、嬢ちゃんは、“この”細工自体はそんなに知らなかったみてェだな?」
「あはは……目利きの方に売り込み出来てよかったです」
「ははぁん、成程な……」

 おじさんは口に手をやりつつふぅむと唸ると、お兄さんと眼を合わせた。そのままひとつ頷くと、お兄さんは頷きを返して店の奥へと踵を返す。
 カウンターの上に広げられた楽器は、全部で六つ。おじさんはそこからバイオリンだけ除けると、あたしに向かって指を4本立てて見せた。

「40万でどうだ」
「え、いいんですか」

 ゾロが隣で目を瞠るのが気配でわかった。40万ベリー。元値を考えれば、かなり良い額。
 素直な感想をぽろりと漏らせば、おじさんは一拍置いて、がはははははと盛大に吹きだした。

「っははははははは、じょ、嬢ちゃん、お前さん、目利きは上等だが、商売上手とは言えねェな!! もっとふっかけても良いんだぞ!?」
「いえ、だって、十分な額だし……」
「まあ、嬢ちゃんが良いっつーんなら良いけどよ!」

 理由は分からないけれど、ひとつ除けられたバイオリンは、おそらく買取対象外ということ。六つの楽器の中でも、割と気に入っていたように見えたんだけどなあ。
 それでも、楽器五つで40万ベリーは、思っていた以上の好条件。欲をかけば、結局自分が損をする。断る理由はひとつも無い。お互いの条件がばしりと合ったというのなら、それで交渉成立にするのがベストだ。
 でも、唯一気になるのがバイオリン。そんなあたしの目線を追ったのか、おじさんはバイオリンを手に取ると、あたしの前に差し出した。

「あとな、こいつは、ここでおれが貰っちまうのは勿体ねェ。『もっと西』まで持って行けよ」
「……え?」
「分からねェ、っつー顔してんな」

 ――勿体ない。それはつまり、評価はされているということ。その上で、引き取れないということ。
 予想外の言葉に続きを待つしかできないあたしに、おじさんは穏やかに笑う。

「だったら尚更、理由が分かるまで手放さねェ方がいい。年長者の言葉は聞いとくモンだぜ?」
「……分かりました。ありがとう」

 そこまで言って貰えて、断る理由もない。差し出されたバイオリンを受け取って、布に包んで木箱に戻す。
 そうこうしているうちに、奥から戻ってきたお兄さんが代金を持ってきてくれた。きっちり40万ベリー。お礼を述べつつ用意しておいた封筒を出して、20万と10万ずつ入れて封をする。10万ベリーの方はバイオリンと一緒に木箱へ、10万ベリーの方は鞄へ入れた。買い出しはこれだけあれば十分できる。
 敢えて手元に残した10万ベリーを見て、男性三人は疑問の表情を浮かべる。答えを口にする前に、店主のおじさんに揃えて渡した。

「おじさん。『もっと西』にはあんまり無い楽器、10万ベリー分仕入れさせて下さい」

 あたしの言葉を聞いて、おじさんとお兄さんは顔を見合わせてにやりと笑った。



 * * *



 ――ゾロとニーナが船を離れて、十数分後。

「っと、これなんか良さそうだな……」

 早くも飽き始めたルフィを宥めすかしつつ、ウソップは魚釣りに勤しんでいた。
 しかし、中々思うように成果は上がらない。試しに釣竿を見直してみるか、と、ルフィを残してキッチンへと戻り、片隅にまとめてある道具類を物色する。
 活用できそうなものを纏めて甲板に戻ろうとした彼は、隅にちょこんと置かれた木箱から覗いた、銀色に光るものに目を留めた。

「……ん?」

 勝手に手に取るのは憚られたものの、好奇心が上回って、そうっと上から覗き込む。元々ずれていた蓋をもう少しずらせば、中にあったのは一本のフルート。見る限り、一切細工の施されていないそれに、ウソップは小さく首を傾げる。
 細工済みの楽器を売って食費を得る事を提案したニーナは、手持ちの楽器にすべて加工を施していた。未加工品の整理も手伝った彼に、そのフルートへの見覚えは無い。

「忘れてたのか? それとも……」
「いいじゃない、なんだって」
「!?」

 突然背中側から掛けられた声に、ウソップの背筋がびくりと跳ねる。かたりと軽い音がして、木箱の蓋が床に落ちた。
 振り返った先に出掛ける準備万端のナミを見て、彼は小さく息をついた。

「お、驚かせんなよ……」
「あら、声掛けられてびっくりするような事でもしてたわけ?」
「してねえよ、お前じゃあるまいし」
「失礼ね」

 テンポよく交わされる軽口に気分を害した様子も無く、ナミはすたすたと木箱に近付くと、落ちた蓋を手に取り箱の上に戻した。怪訝な表情を浮かべるウソップを一瞥して、甲板へ向かう扉へ踵を返す。
 ドアノブを押しながら振り返った彼女は、その瞳に複雑な色を滲ませていた。

「……あの子が多少ワケ有りっぽい事くらい、分かってた事じゃない。強引に引き込んだのはルフィの方なんだし、あんまり女の秘密を詮索するモンじゃないわよ」

 ――果たしてその言葉は、一体誰に向けられたものだったのか。
 ちょっと出てくる、との言葉を残して船を降りたナミを、ウソップは無言で見送るしかなかった。




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