Le ciel croche | ナノ

「いってェェェェェ!!!!」

 ……確かに今のは、ものすごく良い音がした。
 麦わら帽子を被ったジョリーロジャーが揺れる船の甲板で、頭を抱えて目を白黒させる麦わらの彼。その後ろで髪の毛が逆立ちそうなオーラを纏って仁王立ちしてるのは、鮮やかなオレンジ色の髪をした女の子。年は多分あたしと同じくらいか、一つ二つ上ってところ。
 先程彼に向かって振り下ろした握り拳もそのままに、彼女は凄い剣幕で船長を怒鳴りつける。

「なにやってんのよあんた! 遅い遅いと思ってたら遅刻の上に追手まで引き連れてきちゃって! あーもー、折角のバカンスの島なのに、あんたのせいで結局なんにも出来なかったじゃない! のんびりした海賊相手の仕事もできなかったし、あの子も帰ってこなかったし!」
「ご、ごべんなばい……」
「だいたいあんたね……」

 息継ぎすら挟まないプレスティッシモのマシンガントーク。他の二人は止めるでもなくむしろ遠巻きに眺めている辺り、見慣れた光景なのか。ちらちらとあたしを気にしてるけど、この騒ぎが落ち着くまでは保留ってとこかな。
 特に声を掛けられるでもないし、口を挟めそうもないし。殺気も敵意も一応は感じないから、一度くるりと踵を返して麦わら一味の面々に背中を向けた。
 どんどん遠ざかっていくあたしの舟(の、残骸)。誰に向けた訳でもない溜息は出るけど、あの状況から想定してたよりは目立たず逃げられた事には変わりない。服とかいくつかの楽器とかに未練が無いわけじゃないけど、大事なモノは全部持ってたから、天秤にかければとりあえずは結果オーライだ。

(あぁ、でも、あのトランペットは惜しかったかな……)

 値段の割に相当な掘り出し物だった骨董品を思い出して溜息ひとつ吐いてたら、後ろでオレンジ髪の女の子の声が漸く途切れた。直後、あたしが今吐いたよりよっぽど深い溜息が船の隅々までどんよりと届く。あぁ、やっぱりこれ、日常茶飯事なんだろうなぁ。
 想像してもうひとつ息を吐いたところで、彼女とぱちりと視線がかち合った。とりあえず友好的な笑顔を作ってみれば、彼女は弾かれたように船長の胸倉を勢い良く掴む。

「……っていうかそれよりも! あんた何女の子誘拐してきてんのよ!! ごめんなさいじゃ済まないわよこれ!!!!」

 怒涛の勢いのお説教は止まる気配がなくて、ついに話はあたしの方に飛んできた。顔を真っ青にしてがくがくと揺すられている麦わらの彼の耳に、彼女の言葉が届いているかは定かじゃないけど。
 ……とりあえず、彼女を止めてゆっくり話し合おう。どうせ出航してしまった船だ。「無理やり連れてこられた女の子」という認識でいてくれるうちに、打てる手は打っておいた方がいい。余計な詮索は、躱せるうちに躱しておきたいから。
 先手を打とうと一歩前に踏み出せば、彼女は船長を文字通り投げ捨ててこっちに駆け寄ってきた。ごつん、という鈍い音が響いたけど、最初の拳骨よりは痛く無さそうに見えるのは気のせいだろうか。

「あの、ごめんね、大丈夫!? こいつら確かに海賊だしバカだけど、別にあんたの事攫って売っ払おうってんじゃないから! 浜の騒ぎが落ち着いた頃に、もっかいあの島戻ってちゃんと降ろしたげるから!!」
「……えーっと、大丈夫だよ?」

 船長への態度とはうって変わって、あたしに平謝りする彼女に思わずまた苦笑が漏れる。……大丈夫、たぶん演技じゃない。『こいつ“ら”』ってわざわざ言うあたり、何かしらワケありの船みたいだけど、ひとまず危険はなさそうだ。 人を見る目は磨いてきたつもりだから、自分の勘がそう告げたことに内心一息つく。“普通”だったら逃げ場がない、よその船の上に来ちゃった後で思う事じゃないけど。

 騒ぎが収まったのを見てか、遠巻きに様子を見守っていたクルーが恐る恐るといった感じで近寄ってきた。長い鼻が良く目立つ彼だけど、あたしの目に付いたのは目許と口許。昔お世話になった人に良く似ている、気がする。
 麦わらの船長が居て、オレンジ髪の子が居て、その長鼻の人で三人目。あとは、船の縁から様子を窺う緑髪のお兄さん。総勢四人という数字は、少数精鋭なのか、まだ船出からそう時間が経っていないのか。
 ざっとクルーを観察していたら、視線を外したそのあとで、あたしの横顔に注がれる鋭い眼差し。警戒心がちらつくそれを受けて、記憶の引き出しがすっと開く。横目でちらりと窺ってみれば、彼の腰には三本の刀。もしかして、“海賊狩り”の……ロロノア・ゾロ? それがどうして海賊船に、なんて、考えるだけ野暮かな。

「っつー、容赦無ぇなーナミは」
「誰のせいよ誰の! ホラ、謝んなさい誘拐犯!」

 微妙な無言の間を破ったのは、頭を擦りながら起き上がった船長。オレンジ髪の彼女……ナミが麦わらの船長の頭を掴んで振り下ろすと、彼の首はさっきの右手と同様にぐいんと伸びた。
 やっぱり能力者。悪魔の実ってホントいろいろあるんだな、って感心してると、彼はそのままの体勢で、漸く今回の件を簡潔に説明してくれた。

「あのなァ、おれが壊しちまったあの舟、コイツのだっつーから連れて来たんだよ! 誘拐じゃねえって!」
「「「なっ!!!?」」」

 ……ああ、さっきの「悪い」って、そういう事だったのか。
 船長の言葉に、三人は納得するどころか一気に青褪めた。ナミはあたしの両腕を取って、縋り付くようにして項垂れる。

「か、重ね重ねごめんね……。こいつがね……この船接岸する時に、あんたの舟の真上に碇下ろしちゃったのよ……」
「あー……だからあんな豪快に……」

 まだしっかりと目に焼き付いている、あたしの舟の残骸。見事に縦に二つ折りになった原因は、どうやら麦わらの彼にあるらしい。
 過ぎた事をどうこう言っても仕方ないし、故意って訳でもなさそうだし。苦笑と共に正直な感想だけ漏らしてみたら、ナミはぱっと弾かれたように顔を上げた。

「あの、でもね、せめて、持ち主が帰って来たら積荷だけでも無事な状態で渡せるようにって、この船に避難させておいたから、そこは安心して?」
「え、ほんと?」
「嘘吐け、盗んじまうつもりだったくせに」
「つか、帰ってきたらも何も、出航しちまってたしなァ……」
「そこ、人聞きの悪い事いうな! あの場合仕方ないでしょ! 預かってただけよ!!」
「だよなー、仕方ねぇよなー」
「「「お前が言うな」」」

 必死の弁解に横槍を入れる男三人を一喝するナミ。耳に心地いいテンポで弾む会話に、思わずクスッと小さな声が漏れた。
 あたしの声を拾った四人が、くるりと一斉にこちらを向く。その顔に浮かんでいるのは、驚きだったり、興味だったり、呆れだったり。さて、ここからどうしたもんかなぁ。
 想定される質問は数パターン。何か言いたげなナミの口が開く前に、頭の中で言っても良い事を選別する。
 でも、彼女が声を発しかけた丁度その時、お気楽な声が割り込んできた。

「なぁ、そういやお前、名前なんつーんだ?」
「……ニーナ。よろしくね」
「今!? 今自己紹介ぃぃぃ!!!?」
「あんた……名前も知らない子を強引に……」

 そういえば、本来それが最初に問われるべき質問だったっけか。一瞬だけ迷ったけど、友好的な笑顔を浮かべる麦わらの船長に素直に本名を告げれば、長鼻の人が勢い良く突っ込みを入れて、ナミがゆるゆると頭を抱えた。

「……あはは、そんなに気にしないでよ。荷物は無事なんでしょ?」
「え、ええ……」
「丁度あたしも出航するところだったんだ。確かに舟は壊れちゃったけど、代わりにもっと立派な船に乗れてるし。あたしとしては、ある意味結果オーライかな」
「あんた……見た目に反してなかなか豪快ね……」

 この格好がカモフラージュだなんて知る由もないナミは、あたしの完全なリゾートスタイルを指して呆れ気味に呟く。
 だいぶ疲れきっている彼女は、何か色々と諦めたらしい。机に突っ伏して嘆息するナミに口を開く様子がないので船長の方を見やれば、向けた視線はぱちりと見事にかち合った。

「ニーナ、か」

 麦わらの彼の、独り言とも言えない程の、スモルツァンドの掛かった小さな小さなその声が、脳内に大きく反響する。

 ……どうしてだろう、今まで何度も呼ばれてきたみたいに、何故か、ものすごくしっくりくる。今日が完全に初対面なのは言うまでもない上に、あたしはまだ、彼の名前すら知らないのに。噛み締めるように呟かれたその声が、何度もダ・カーポが掛かったかのように耳元でくるくると回り続ける。
 浮遊感のような感覚を覚えつつ、心のどこかで無条件に納得しつつ目を逸らせないでいると、彼はにいっと満面の笑みを浮かべた。

「良い名前だな! おれはモンキー・D・ルフィ!」
「!」




 告げられた名前に背筋が疼く。

 ――そういう、ことか。脳がようやく、直感に追いついた。




 脳内で飛び交っていた情報が瞬間的に整理されていく。一編に綴られていく情報に、記憶の欠片が吸収されて混ざっていく。穴の空いたパズルにピースが嵌っていく。
 それにエネルギーを使いすぎて、若干魂が離れ気味になっていたあたしは、ルフィの次の言葉に反応するのがワンテンポ遅れてしまった。

「……よし、ニーナ! おまえ、おれたちの仲間になれ!!!!」
「「「はぁぁぁぁ!!!?」」」

「……え?」




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