Le ciel croche | ナノ

 ――東の海、某大陸の外れ。

「よし! 完成っ!! これで“海賊船ゴーイング・メリー号”のできあがりだ!!」

 シロップ村近海をゆく帆船から響く陽気な声。これからの航海への希望に満ちた真新しい船には、今しがた描かれたばかりの海賊旗が力強くはためく。
 後方から緩く吹く海風を受け、前への推進力を生み出しているメインマスト。麦わら帽子を被ったドクロを満足気に見上げたルフィは、にししし、と楽しげな声をあげつつ、船の前方へと駆けだした。
 貰った船を一目見た時から、自身の特等席と決めていた羊の船首。いそいそとよじ登った彼は、身を乗り出して水平線に目を走らせる。
 視界の全方向に広がる青、青、青。その中に一点、ちいさく主張する緑色を見つけたルフィは、目を爛々と輝かせて歓喜の声をあげた。

「おっ! おいみんな! 次の島が見えたぞ!!」
「あのね、つい何時間か前に海に出たばっかじゃない……」

 上陸する気満々のルフィに、ナミが呆れた声を返す。
 カヤの好意で貰ったこの船には、必要物資も完璧に揃えられている。まだまだ調達の必要はないし、なにより彼女は、聞いたばかりの船の操作の方に興味が傾いている。
 それでも、つれない航海士の返事は全く気にせず、ルフィは上機嫌で新たな仲間を振り返った。

「なぁウソップ、お前んとこの島の近くだろ? あの島知ってるか?」
「ああ。この辺から見える小島っつったら、たぶんルーナ島だな」

 ルフィの言葉に、ウソップも身を乗り出して島を確認しつつ答える。出てきた名前にナミの耳がぴくりと反応したことなど気付くはずもなく、ウソップはそのまま言葉を続けた。

「ちっせェ島だけど、ここらじゃ割と有名なリゾート地なんだ。ビーチがすっげェ綺麗でよ。観光客も多いから、食いモンと酒はかなり美味いらしいぜ」
「食いモン!?」
「酒!?」

 間髪入れずにオウム返しに飛んできた単語。ルフィは目を輝かせてウソップの肩を掴み、ゾロはがばりと身を起こす。食いつきの良すぎる二人に少々気圧されつつ、ウソップは更に話を続ける。

「あーあとあれだ、知る人ぞ知る“輝く洞窟”」
「ニテンス・カーヴ……」
「お? なんだナミ、知ってるのか?」
「まぁね……」
「なんだそれ? 洞窟?」

 かつかつと靴音を鳴らして、ナミが船首側へとやってくる。着実に近づきつつある島を一瞥して、上機嫌の船長を振り返って。なにかを振り切るように軽く首を横に振ってから、嘆息しつつ両手を腰にあてた。
 爛々と瞳を輝かせるルフィが、ナミの言葉を待ってうずうずと身体を震わせる。しかし、彼女は洞窟の話は続けずに、島を指差し逆に質問を返す。

「で? 上陸するの?」
「おう!!」
「……じゃ、準備しなきゃ。帆船はみんなで操縦するの。もうちょっと近くなったら指示出すから、ちゃんと動いてよね」
「よっしゃ! 任せろ!!」
「……近くなったら、って言ったでしょーが」

 言うなりマストの方へと走っていくルフィを見送りつつ、ナミが呆れの声を上げた。
 そんな二人を見比べつつ、ウソップがふうむと首を捻る。メインマストによじ登るルフィを見て、いつの間にやら昼寝を始めているゾロを見て。こちらに注意が向けられていない事を確認してから、こそこそと抑えた声で彼女を呼んだ。

「おいナミ」
「ん?」
「わざとか?」
「……あったり前でしょ! いっくら莫大な財宝があるかもしれないって言ったって、流石に“あの”洞窟に挑むほど命知らずじゃないわ!」
「だよなァ……ルフィが聞いたら嬉々として行きそうだしな……」
「そうよ! 別にあいつが乗り込むのは勝手だけど、洞窟の周りって厄介な海賊も結構うろついてるだろうし……。面倒事に巻き込まれる前に、観光地側だけさくっと寄ってさっさと出ましょ」
「お、おう……」
「あ、でも、観光地側なら……ぼんやりした海賊船の一つや二つくらいあるかしら……」
「おい」

 ひっそりと密談が交わされているとは露知らず、ルフィは満面の笑みを浮かべて見張り台から島を見下ろす。

 ――三日月型をした、緑豊かな小さな島。弧を描く月の内側は白いビーチで縁取られ、外側はごつごつした岩が目立つ切り立った崖が続く。
 その崖の内部にひっそりと存在する、裏社会で名を馳せる“輝く洞窟”……ニテンス・カーヴ。途方に暮れるほどの金銀財宝が眠るという、『歴史的証拠』があるらしいその洞窟。名前に反して完全なる闇に包まれているというそこには、日々無謀な挑戦者が後を絶たない。
 “空白の100年”よりも遙か過去から現在まで、数百人とも数千人とも知れない海賊や盗賊、海軍や役人達までもが足を踏み入れたと言われる。
 しかし、その長い歴史の中で、宝石の欠片さえ無事に持ち帰った者ひとり知られていない。それどころか、一度足を踏み入れて帰ってきた者の噂ひとつ流れていないことが、この洞窟の不気味さを一層増している。

 そんな事など知る由もない二人と、噂を知りつつ黙っている二人を乗せて、メリー号は順調にルーナ島へと近付いていく。
 上陸するのに丁度良さそうな海岸が目視できるようになった頃、波や風の動きを見つつ、ナミがこの船の航海士としての、最初の指示を口にした。

「さて、そろそろ頃合いよ。私の指示通り動いてよね!」
「「おう!」」
「まずルフィ、メインマストから降りて! そこ動かすんだから! ウソップは舵取り頼むわよ。面舵! とりあえず控えめに!」
「よっしゃ、任せろ!」
「ゾロ! あんたいつまで寝てんのよ! 起きて働け!」
「……あ? 着いたか? 酒の島」
「着くために今船動かしてんのよ! ルフィの反対側に着いて!」

 まるで慣れ親しんだ船を動かすかのように、てきぱきと矢継ぎ早に指示を出すナミ。それに不慣れながらも応える三人の動きで、直進を続けていたメリー号は、ゆるやかに右向きのカーブを描いた。接岸できそうな海岸に向けて、ゆったりと速度を落として行く。

「へぇ、中々順調じゃない。やっぱり船がいいのかしらね」

 最初にしては上々の動きに、ナミの口角がゆるりと上がる。その不敵な笑みの内側では、高速で算盤が弾かれているに違いない。鼻歌でも歌いだしそうな様子で、彼女は船室への扉へ向かってくるりと踵を返した。
 ……その目の届かないところで、ルフィが“あるもの”に目を輝かせているとも知らずに。

「お! 上陸前にはこれ使うんだよな! にししし!」

 じゃらり。低く響いた金属音に気付いた者は誰一人いない。いそいそと準備を始めるルフィを乗せて、メリー号は着々と海岸へと近づいていく。
 ――それから、しばらくして。あともう少しで接岸、という時に、事件は起こった。

「よーし! イカリ降ろすぞー!」
「あっちょっとルフィ、降ろす時には慎重に……」
「おう! 任せ……」

 任せろ、もしくは任せとけ。その自信満々な台詞が終わる前に、じゃらじゃらと勢い良く響いていた金属音に、みしりという不吉な音が混じる。
 三人の視線を一手に集めたルフィが首を傾げたその直後、バリバリバリ、という嫌な音が辺り一帯に響き渡った。
 木材質のなにかが、盛大に破壊される音。さっと顔色を変えた彼らは、一斉に集まり船の下方――碇の行く先を覗き込む。

「げっ!!」

 メリー号の影に隠れるようにひっそりと泊まっていたのは、一艘の小型舟。せいぜい一人乗りで、近所の島を一日掛けずに行き来する程度の、至ってシンプルなもの。そのど真ん中に碇を落とされたそれは、見事に縦に二つ折りにされ、じわじわと浸水が始まっている。
 もう二度と舟としての機能を果たせそうにもない残骸を見て、彼らの反応は四者四様。

「ぎゃあああああルフィお前メリーになんつーこと……って、あれ、なんだ……はー良かった、メリーじゃなかった」
「良くはねェだろ……」
「うわああああやっべェェェェ、誰かの舟壊しちまったー!!」
「何やってんのよもう! とりあえず降りるわよ!」

 ナミの先導で全員メリー号を降りる。近くに寄って見てみれば、小型舟の上には複数の木箱が並べられていた。水に浸かってしまう前にと、彼女の指示でそれらを陸地へ降ろす。
 両手で数えれば足りる程度の木箱。ナミはそのうち一つをざっと観察し、おもむろに蓋を開ける。

「お、おいナミ、良いのかソレ!?」
「ちょっと見るだけよ。中身見れば、この舟の持ち主がどんなヤツか分かるかもしれないでしょ? それによって、戻って来たときの対処法も変わるじゃない」
「そーいうモンか……?」
「そーよ。相手が単なる旅人か海賊かで、だいぶ違うでしょ」
「うーん……確かに……?」
「あら、これは食糧系だけ、か……こっちは?」

 尤もらしい建前を掲げて、ナミは舟から降ろされた木箱を次々と開けていく。そんな彼女を見てか、荷下ろしを終えたルフィもまた、自分の手元の木箱をぱかりと開いた。

「おおっ、これ楽器じゃねーか! すげー! いっぱいあるぞ!!」
「あ、このスカート可愛い……わ、サイズピッタリ!」

 相次いで上がった歓声に、ゾロとウソップは顔を見合わせる。

「……女か?」
「みてェだな」
「音楽家か商人か……どっちにしろ、おっかねェ海賊って訳では無さそうか……あーよかった……」
「お前なァ……」

 目を輝かせてそれぞれ木箱の中身を漁るルフィとナミ。報復を恐れていたらしいウソップは、ひとまず肩を撫で下ろす。そんな三人を見やりつつ、ゾロは盛大に呆れの溜息を漏らした。
 荷物点検は終わったのか、楽器入りの木箱を抱えたルフィは上機嫌でにししと笑う。

「なぁなぁ、コイツ見つけて仲間にしようぜ! おれ音楽家が欲しいんだよ!」
「あのなァ……」
「まだ音楽家って決まった訳じゃねーだろ……」
「そうね……ま、でも、荷物はひとまず載せましょ」

 ルフィの台詞を適当に流しつつ、ナミは木箱を示してメリー号を仰ぐ。
 そんな彼女の言葉に、ゾロはにやりと悪人面で笑った。

「舟壊しといて積み荷まで頂いちまおうってか?」
「あのねぇ、あんたあたしを何だと思ってんのよ! 多分だけど、同年代・女の子・一人旅! そんな子から盗むほど外道じゃないわ!! 預かっとくだけよ!!」
「どうだかな……」
「ホラ、あんた達も、さっさと運んで上陸するならさっさと行く!」

 怒気の混ざるきびきびした指示に急かされ、男三人はその表情に疑問の色を残しつつも木箱を運ぶ。二つの木箱を軽々と抱えて歩くルフィは、首を傾げつつ顔だけでナミを振り返った。

「ん? ナミは行かねぇのか?」
「んー、今回はいいわ。島よりこの子の方が気になるしね……泊め方見る限り、そう長居する気は無いみたいだし。待ってれば会えるかもしんないわ」
「おお! 戻って来たら引き止めといてくれよな!」
「はいはい……あんた自分で謝って、ちゃんと責任取んなさいよね……」
「そーだなー、舟壊れちまったんだし、おれらと来りゃいいもんな?」
「そうじゃなくて……」

 呑気なルフィに大きく嘆息したナミは、ふいに立ち止まって島を振り返る。

(ぼんやりした海賊船でも探して、お宝頂いて来ようと思ったけど……“泥棒の墓場”なんて言われてる島じゃ、さすがに大人しくしとけって事かしらね……)

 ふう、と二度目の溜息を吐いたナミは、ゆるゆると視線を船のほうに戻す。荷運びを終え、嬉々として降りて来る麦わら帽子と長鼻の二人組を見て、自覚なくふっと口角が緩んだ。
 今にも駆け出しそうなルフィに、すれ違い様に釘を刺すのは忘れない。

「いーいルフィ! あんまり帰ってこなかったら、勝手に出航しちゃうからね! 二時間よ!」
「おう!」
「おいウソップ、買い出し行くなら適当に酒頼む」
「え? 行かねえのかよゾロ」
「船番がいるだろ」
「お、おう……」

 ナミへは満点の返事を返しつつも、徐々に町へと向ける足を速め、最後はビーチに砂埃を立てて駆け出すルフィ。
 メリー号の甲板から顔を出したゾロは、言うだけ言うとすぐにその場に腰を下ろして昼寝を決め込む。
 自由な二人に若干押されつつも、育った島を出たばかりのウソップは、すぐに希望の滲む足取りでルフィを追う。
 そんな男三人をざっと一瞥して、紅一点のナミは肩を竦めつつメリー号へと戻る。

 ――彼らが小舟の持ち主と出逢うまで、あと二時間。



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