僕が“そいつ”に出会ったのは、妖怪伝説の漫画を描くために買った山の中だった。
 そこでは、「妖怪六壁坂」という恐ろしい妖怪(名付けたのは僕だ。)が潜んでいた。詳しい話は省くが、その妖怪は『子孫だけを残すのを目的とした妖怪』(あるいは生物と呼んでもいいのかもしれない。)で、誰かの目の前で死ぬことにより人へ取り憑く、もしくは破滅へと導くものだ。
 その「妖怪六壁坂」が残した子孫に、僕が攻撃され(取り憑かれ)かけたことがある。妖怪伝説の取材のために山へ足を運んだ時の事だった。ある少女が僕の目の前で走り出し、転んだ。それだけなら良かった。だが、少女は道端にあった大きい石に頭を打ち付け、死んでいたのだ。少女を追いかけようとした僕が、少女に向かって手を差し伸べている状態で。まるで、「僕が少女に対して何かしたかのような状況」でッ!僕へと取り憑こうとし始める少女に、僕は自身のスタンド能力『ヘブンズ・ドアー』でなんとか追い返すことに成功した。冷や汗が流れる中、僕はほっと息を吐いた。

 だが、「妖怪六壁坂」の子孫はその少女一人だけではなかったのだ。


「お姉ちゃんに何をしたんだよ」
「!?」


 突然背後から現れた少年に、僕は咄嗟に反応できなかった。少年は先程の少女と同じように、転んだ状態で頭を打ち付けて血を大量に流して死んでいた。僕は再び目の前で死に、僕へと取り憑こうとする少年を目をかっ開いて見ていることしかできなかった。(先程のあまりの出来事に辟易としていたとはいえ、この僕にあるまじき忌まわしい失態だ。)
 少年が、今まさに完全に僕へと取り憑こうとしたその時――…


「グルルル…!」


 呻り声だった。犬か…もしくは狼のような、そんな呻り声が少年の背後から聞こえた。少年は、今までの取り憑き始めた時の様子を引っ込め、ぴたりと動きを止めた。僕も何が起こったのか分からず、動くことができないままその場で荒く呼吸をしていた。


『転んだな』


 小さく、はっきりとした、女の声がした。抑揚のない無感情なそれは、森の暗闇となっていた部分から聞こえた気がする。声が合図となったのか、黒い“何か”が少年を取り囲んだ。
 ザザザザッ!と音を立てて動き回り、それが何なのかを目視することができない。黒い、黒い“何か”がそこに何体もいるのだけが分かる。僕は何もできない。


「………!!」
『転んだな』


 少年が声なき悲鳴を上げる中、再び女の声が聞こえた。確認をするように、死刑宣告をするように。僕は荒く息を吸った。森の暗闇が広がる。ザザザザッ!とノイズが走るように音を立てて“何か”が動き回る。


『皆、久方ぶりの食事だぞ』


 それはまさに、死刑宣告だった。恐ろしく無感情な声が広がった暗闇に告げた瞬間、少年は黒い“何か”に包み込まれた。そして瞬きをしたその一瞬で、少年は消えていた。黒い“何か”も消えていた。背筋に冷たい汗が伝う。


「……い、一体何が…!?」


 僕はこの短時間で、一体どれほどゾッとする体験をしなければならないのか。あまりにも不可思議すぎる出来事に、頭が混乱していた。あの一瞬で少年に何があったのか、黒い“何か”の正体は何なのか、あの声は誰のものだったのか。疑問しか浮かばない僕の頭に、とある一つの考えがぽんと浮かんだ。

“送り狼”

 それは、夜中に山道を歩くと後ろからぴたりと着いてくる狼のことを言う。(もしくは犬。その場合は“送り犬”と言う。)その狼の前で転んでしまったら食い殺されてしまうが、転んでも「どっこいしょ」と言ったり「しんどいわ」と言ったりして、あたかも座ったり休憩をとる振りをすれば襲われない。
 地域によっては、犬が転ばせようとしてくる、犬の群れが襲い掛かってくる等といった行動の違いがあったり、送り狼(送り犬)の総称だけでなく送り鼬と呼ばれるものがいたりするらしいのだが…まぁ、重要なのはそこではない。

 恐らく、僕が出会った“それ”は“送り狼”と言われるものだった。証拠として、「転んだ少年」は「食い殺された」のだから。死体が無いから本当に「食い殺された」のか?と聞かれたら、確実にイエスとは答えられない。
 だが、あの少年が僕に取り憑いた様子がないということは、恐らく死体が残る方法で死んだのではない。つまり、「転んだ少年」は僕に取り憑く前に“送り狼”に「食い殺された」のだという仮説を立てることが出来る。僕は、直感と言っていいほど不確かなその仮説が正しいと感じていた。
 この短時間に、僕は二種類の妖怪に遭遇したのだ。この山に“送り狼”がいるという噂は何一つとして聞いてなかったが、僕は見たのだ。そして聞いたのだ。


『転んだな』


 あの声が耳から離れない。無感情なその声が、僕の鼓膜を揺らしたあの瞬間を忘れられない。


「家に帰って、調べてみるかな」


 これは、僕が生きてきた中でも今までにない貴重な体験をした数日間の物語である。


「お見送りありがとう、“送り狼”」





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